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3(1)

 ひさしぶりに戻った家は、かつて20年以上暮らしたはずの場所でありながら、まるで馴染みのない、見ず知らずの他人の邸宅のように、ひどくよそよそしく感じられた。


 ――俺は、本当にこの家で育ったのだったろうか。


 もう二度と戻ることはないと覚悟の末に飛び出した場所だからなのか、正面玄関前の車寄せスペースで車から降り立った瞬間、眼前にそびえ立つ、荘重たる構えの屋敷が妙な圧迫感を伴って胸に迫ってきた。


「パパ!」


 不意に玄関の扉が開くと、邸内なかから小さな影が飛び出してきた。


「ただいま、アリシア」


 おぼつかない足取りで懸命に階段を駆け下りてきた幼い少女を抱きとめたのは、エドワードだった。

 なんとなしにふたりの様子を眺めていると、幼子おさなごを抱き上げ、優しい笑顔で言葉を交わしていたエドワードと目が合った。父親の顔で幼い我が子を見つめていたエドワードの表情が、途端に照れたようにはにかんで、弟のそれに戻った。


「5年前に、結婚したんです。その1年後に、この子が生まれました」


 知らないうちに『伯父さん』になっていた、というわけだ。

 なんとも複雑な心境ではじめて会った姪っ子を眺めていると、彼女もまた、父親の腕の中で不思議そうにこちらを振り返って小首をかしげた。


「おまえの伯父さまだよ。アーサー伯父さまの弟で、パパのお兄さんのラルフ伯父さまだ。ご挨拶しなさい」

「ラルフおじちゃま?」


 舌っ足らずな口調で呼ばれて、くすぐったくなる。


「よろしく、アリシア。はじめまして、だな」


 ぎこちないながらも、極力紳士的に挨拶をして右手を差し出すと、小さなレディは父親譲りの大きな琥珀色の瞳を見開き、まじまじと俺の顔を観察したあとでニッコリと花開くような笑顔になって握手を返してきた。


「こんにちは、ラルフおじちゃま。あのね、会うのははじめましてだけど、おじちゃまのこと、いっつも見てるのよ」

「うん?」

「おばあちゃまがおっきしてるときは、いっつもおじちゃまのテレビを観てるから、アリシアもいっしょに、何回も観てるの」


 咄嗟に返す言葉を失って、目の前のあどけない顔を視つめると、エドワードが躊躇ためらいがちに捕捉した。


「兄さんの映っている戦闘時の映像を観るのが、近頃のお母さんの、いちばんの楽しみなんです」


 花についた小さな虫の生命さえ奪うことを躊躇していた人が、あんな映像を……。


「もうすべて、完全に記憶してしまっているほど繰り返し観ているのに、それでも飽きる様子もなく、毎回嬉しそうに観てるんです」

「……そうか」

「おじちゃまは、おばあちゃまのいちばんのじまんで、しあわせをいっぱいくれる、たいせつなたいせつな王子さまなんだって」


 まだ握手をしている幼い姪の小さな手を、無言で握り返すことしかできなかった。


「ラルフ」


 低く張りのある声に呼ばれて顔を上げると、玄関の入り口に親父が立っていた。その向こうには、長兄アーサーの姿も見える。素早く気持ちを切り替えて、その場でふたりに向かって頭を下げ、目の前の階段を上ってふたりの許まで歩み寄る。そして、あらためて深く頭を下げた。


「ただいま戻りました。長いあいだ、勝手をして申し訳ありませんでした」


 どれだけ罵られても、殴られても文句は言えない。それだけのことをしたという自覚は、充分すぎるほどあった。だが、親父も、そしてアーサーも、俺を非難するどんな言葉も、その口から発しようとはしなかった。


「いい、わかっている。よく戻った」


 短くかけられた言葉とともに肩に置かれた親父の手は、以前より少し痩せて肉付きが薄くなってはいたものの、充分あたたかだった。


「おかえり、ラルフ。待っていたよ。よく帰ってきてくれた」


 アーサーもまた、穏やかに言って、わずかに口許をふるわせる。シルヴァースタイン家当主の座に就いて5年。なにかと気苦労も多いだろう重責にあって、日々一族を治める役割を担う中でついた自信が、風格となって全身にあらわれていた。

 やはり、あのときの親父と祖父さんの選択は間違っていた。あらためてそう確信した。

 俺があのまま当主の座におさまっていたなら、決してこうはならなかっただろう。


「さあ、ともかく中へ。積もる話は、ひとまず腰を落ち着けてからにしましょう」


 現当主らしく、アーサーが仕切って皆を家の中へと促す。いつのまにか勢ぞろいしていたシルヴァースタイン家の使用人たちに迎えられながら、6年ぶりに足を踏み入れた『我が家』は、はじめて親父に連れられてこの家にやってきた幼い日の心細さを記憶の隅から呼び起こして、少し落ち着かない気分にさせた。

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