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 長官執務室をあとにし、おもてに出ると、隣室に控えていた秘書官をはじめ、廊下に居並ぶ軍幹部たちが次々にかしこまった様子で最敬礼をよこし、ねぎらいの言葉、あるいは退役たいえきを惜しむ声をかけてきた。6年軍に在籍して、ただの一度もちかしく言葉を交わしたこともなければ、おなじ組織に属す同朋とさえ見做みなされたおぼえのない、お偉方(・・・)ばかりだった。

 司令長官は「出自に関係なく」と言ったが、これが現実なのだ。


 ふと見れば、集団の中に二、三、見知った顔が覗いている。目が合うと、途端に揉み手でもしかねない調子のいい笑顔を浮かべて、ぞろぞろと近づいてきた。


「お、お疲れさまです、シルヴァースタイン(・・・・・・・・・)閣下。その節は大変ご無礼を申し上げました」

「なんでも軍を辞されるとか」

「もう二度と閣下の指揮の下、戦うことはないのかと思うと残念でなりません」


 そろいもそろって包帯の白も目に鮮やかな怪我人たちは、実際に揉み手をしながら、下心たっぷりの猫なで声で口々にさえずった。


「これはこれは、皆さんおそろいで」


 相当毒気の強い口調になったにもかかわらず、鉄壁の愛想笑いは微塵も揺らがない。隠すつもりもない見え見えの魂胆が、いっそ天晴あっぱれだった。


「デューガン少佐の怪我の具合は如何ですかね、オルグ中尉」

「なに、あの程度の怪我、たいしたことはございません。最近は医学の進歩も目覚ましいですからなぁ。骨の整形も簡単な手術できれいにくっついたとか。むしろ以前より男前になってよかった、などとご本人も軽口を叩いておられました」


 おもしろくもなんともない内容に、怪我人集団はいっせいにわざとらしい笑い声をあげた。


「ほう、ならよかった」

「退院までまだ間があるため、本日は閣下の門出を祝すことができず、大っ変、残念がっておられました。かわりに小官らに、自分のぶんまでしっかりお見送りするようにとおおせつかりまして」

「チンピラ風情ふぜいの暴力下士官を相手取った賠償金額提示のためですかね? 医療班に運びこまれて手当を受ける際、傷害罪で告訴してやると、それはすさまじい剣幕で息巻いておられたとか」

「なっ、なにをおっしゃいます、そんな! 少佐も自身に非があったことは充分認めておられます。むろん、我々もです。閣下を訴えるなどと、そのような……」

「そうですとも! だいたい、あんな粉々に砕かれた顎でしゃべれるわけは――」


 取り巻きのひとりがフォローしようとして余計な口を滑らせ、あわてて口を閉じた。


「我々は閣下に絶対の忠誠を誓っております。ともに戦うことができたことを誇りに思いこそすれ、ゆめゆめ受けたご恩をあだで返すような真似は……」

「なるほど。それじゃ、もしかなうなら、ふたたび俺の指揮下で戦いたいと?」

「それはもう、できうるならばぜひにも!」


 意気込んだ回答に、思わず笑みが漏れた。それを見て、怪我人集団もいっせいに満点を取った子供のような顔になる。だからこちらも、無理やり割り振られた先生もしくは親の役目を果たすべく、優しい笑顔のまま口を開いた。


「やめといたほうが無難じゃないですかね。生命を駆け引きする現場で、こないだみたいなハンパな気構えで臨むなら、今度は顎の骨程度じゃ済まなくなりますよ? 俺の直属配下となればなおのこと、加減する必要もなくなりますからね」


 充分な凄味を利かせて牽制すると、呆気にとられる連中をその場に残して背を向けた。

 出自が知れた途端、相手の態度が豹変するのには昔から慣れっこだった。彼らはその瞬間から、俺という個の人間ではなく、シルヴァースタイン家の人間という色眼鏡越しに俺を見るようになるからだ。

 ただのカシム・ザイアッドではいられなくなった軍の中に、もはや俺の居場所など、あるはずもなかった。


「ちょっとの間に、随分とお偉くなったものじゃないかね」


 本部内の廊下を進む歩調が知らず知らず足早になっていたところへ、不意に横合いから棘のある声が飛んできて思わず足を止めた。

 独特の厭味な口調には、イヤというほど聞きおぼえがある。振り返ると、おべっか集団からはかなりはずれた場所に位置する通路わきに、ぽつりとひとりの人物が佇んで、冷ややかな眼差しをこちらに向けていた。


「かつての上官にひと言の挨拶もないどころか、目の前を素通りとはね。じつに恐れ入ったもんだ」


 陰気な口調でぼやいて、ロイスダールはさも不快げに胸のまえで両腕を組んだ。


「ああ、これは失礼。べつのことに気をとられていたもので」


 余計な追従ついしょうを撥ねつけるため、直前まで固くよろっていた気持ちを素に戻し、本心からの謝罪を口にすると、ロイスダールはフンと鼻を鳴らして口の端を吊り上げた。


「一夜にして英雄となった人気者は、なにかと大変だな」

「まったく。代われるものなら代わってもらいたいところですね。喜んでお譲りしますよ」

「ご免こうむる。私には荷がかちすぎるのでね。けいほどのタヌキでなければ、とても務まらんだろうよ」

「心外だな。俺のどこがタヌキです?」

「育ちの良さが、日頃の言動に少しも反映されていなかった。私もまんまと騙されたよ」

「俺は俺ですけどね」


 そう言って肩を竦めると、ロイスダールは意外にもあっさりと頷いた。


「そうだろうとも。卿は卿のままだ。軍にいながら、階級など最初ハナから無視して人間性と能力のみで相手を評価し、いざ無能と見做みなしたが最後、相手がどれほどの高位高官にあろうとへつらうことを潔しとせず、反骨精神剥き出しでとことん逆らう問題児だ。扱いづらいことこのうえない」

「随分な言われようですね」

「なにか間違っているかね?」


 言下に問い返されて、苦笑が漏れた。


「あなたこそ、階級より人間性重視でしょう? ロイスダール准将」

「そんなことはない、私はなにより序列を重んじる人間だ。私がいまこの場で卿に恭順の意を表してへりくだらないのは、たんに私にも意地とプライドがあるまでのこと。つい数日前まで私の部下だった男が、自分を跳び越えて中将の地位まで上りつめたからといって、素直に下手になど出るものか。卿を従えさせるのに、どれほど苦労したと思うね?」


 胸を張って開きなおられても困る。

 思わず笑い出すと、ロイスダールもまた、への字に曲げていた口許にかすかな笑みを閃かせた。


「まあ、今回の件では私も得難い、いい経験をさせてもらった。卿には感謝している」

「俺はなにもしちゃいません。いつもどおり、自分が置かれている状況の中で最善の結果に繋がる選択をしたまでのことです」

「その結果、軍を追い出される羽目になったのでは世話はないな」

「ほんとにひどいな。なんていう言いぐさです」

「事実だろう? 卿のような男が、司法大臣や司令長官にまでちやほやされて、平然とその待遇の上に胡座あぐらをかいていられるかね?」


 尋ねておきながら、ロイスダールは無理に決まっている、と勝手に結論づけた。そして、


「だからバカだというんだ」


 吐き捨てるように言った。これまで聞いた中でいちばんの、最高のはなむけの言葉だった。


「いずれあなたが司令長官の座に就任したあかつきには、俺のフルネーム入りで我が家の紋章をかたどった、どでかい花輪を贈るとしましょう」

「ありがた迷惑このうえない申し出だな。遠慮しておこう」


 ロイスダールはふたたび鼻を鳴らして、そのまま背を向けた。別れの言葉もなければ、敬礼さえ交わすことのないシンプルで素っ気ない最後が、いかにもらしかった。ついでに言うなら、あまりに大胆で不遜な未来想定を、否定せずにそれとなく受け流すあたりも相当なものと言おうか。


 ――あのおっさんも、とんだくわせ者だ。


 口許に自然、ひろがる笑いを噛み殺して、公安特殊部隊司令本部をあとにすべく、士官専用エレベーターで階下に向かう。ロビーに出ると、スーツ姿の若い男がひとり、人の往来の邪魔にならない場所でひっそり佇んでいた。



「悪いな。待たせたか?」

「いいえ。こちらもいましがた、官舎の荷物を運び終えたところです」

「そうか。任せっきりにして悪かった」

「いえ。もともとの荷物が少なかったので、たいした手間ではありませんでした」


 話しながら、どちらからともなく並んで歩き出す。こうして会うのも言葉を交わすのも、じつにひさしぶりだというのに、思っていたほどの気まずさやぎこちなさは感じなかった。

 ふたり並んで歩くことで独特の近寄りがたい雰囲気でも生じるのか、集まる好奇の視線は遠巻きで、おかげで不躾な言葉を無遠慮にかけられる煩わしさからも解放された。


「おまえがわざわざ出向いてこなくとも、自分から戻るつもりだったんだがな。放蕩者の次男坊は信用がおけないから、首に縄付けてでも引っ張ってこいと親父か祖父じいさんに言われてきたか?」


 粗野な言いまわしを気にするでもなく、品のいい横顔にはふっくらとした笑みがひろがる。穏やかな顔つき同様、出てきた言葉も落ち着いて、ものやわらかだった。


「そんなことはありません、僕が自分の意思でお迎えにあがったんです。自分の兄がどんなところで働いてきたのか、とても興味があったので」

「実際に見てみて、満足できたか?」

「満足、とまではいきませんが、なんとなく、どんな雰囲気なのかはわかりました」

「ガラが悪くて驚いたろう?」


 言って、低く笑うと、つい数時間前に6年ぶりの再会を果たしたばかりの弟、エドワード・サミュエル・シルヴァースタインは、屈託のない笑顔をこちらに向けた。


「ラルフ兄さんの変貌ぶりに比べれば、たいしたことはありません」


 茶目っ気たっぷりにそう言って、エドワードは母親譲りの琥珀色の瞳をおどけたように瞠った。

 黙って家を飛び出したきり、ずっと消息を絶っていた人間に、なんのわだかまりもないはずはない。だが、それでも受け容れ、歩み寄ろうとする想いが伝わってくる。弟も兄も、そして母も、そういう人間だった。だからこそ、あそこにはいられなかったのだ。



 司令本部の建物からおもてに出ると、エントランスの階段を下りたさき正面に、黒塗りのリムジンが横付けされていた。そのわきには、長年シルヴァースタイン家の専属運転手を務めてきたオルセンが姿勢を正して控えており、我々の姿を認めて恭しく頭を下げた。


「おかえりなさいませ、ラルフ坊ちゃま」


 余計なことなどいっさい口にしない。だが、そのひと言に、万感の思いがこめられていた。


「ただいま、オルセン。もう三十路もとっくに過ぎて、『坊ちゃま』なんて呼ばれる年齢としでもないけどな」

「さようでございましたね。大変失礼いたしました。つい、お小さいころからの癖が出ました。すっかりご立派になられて」

「このとおり生きてたよ。あなたも変わらず、元気そうでよかった」

「ご覧のとおり、わたくしもすっかり年をとりましたが、おかげさまをもちまして息災にいたしております」


 以前より、髪に混ざる白いものの割合がずっと増えた寡黙な運転手は、そう言って目尻の皺を深くした。そして、ふたたび深々と頭を下げると、後部座席へはエドワードのみを促して乗せ、みずからも運転席へと乗りこんでドアを閉めた。

 ひとり車外に取り残された俺は、腰に手を当てて嘆息する。


「で? なんだって、てめえらがこんなとこにいやがる」


 振り返ると、なんとも人相の悪い野郎どもが、そろいもそろって半ベソかきながら、ひとつにかたまってこちらの様子を窺っていた。


「ったく、仕事はどうした? 今日は内勤のはずだろが。その場にいるだけで風紀が乱れるような人相の奴らが、雁首そろえてベソベソしてんじゃねえ。鬱陶うっとうしぃんだよ」

「軍曹ォ……」

「俺はもう、軍曹じゃねぇよ」

「中将ォ」

「隊長ォ」

「だから、そーゆーことじゃねぇんだよ! 俺はもう軍の人間じゃねぇんだから、おまえらの上官でもなけりゃ隊長でもねえ、っつってんだよ。だいたい、いまの13班の隊長はキム、オメエだろが」

「けど、隊長ォ……」


 往生際の悪いひぐまヤロウは、包帯が取れたばかりの傷痕も生々しい左目を引きらせて、への字に曲がった下唇を器用につきだした。


「オレにゃあ軍曹の代わりなんぞ務まりっこねえっす。こいつらまとめて前線で指揮()って、そんで120パーセント以上の力出させて、ひとりも欠けさせねぇで自分テメエも全力出しきって闘うなんて真似、オレにゃ到底無理な話っすよ。人の上立つなんて、オレの器じゃねえ。オレなんかが隊長やった日にゃ、こいつらみんな殺しちまうっ」

「なに甘ったれたことぬかしてやがる。曹長にまで昇進しといて、分別のねえクソガキか、てめえは。プロの戦争屋がいつまでも寝惚ねとぼけたことぬかしてんじゃねえ。ブチ殺すぞ!」

「だけど軍曹、オレ……」

「いいか、キム。俺の後釜におまえを指名したのは、ほかでもねぇこの俺だ。その期待裏切って、次会うときまでに13班ひとりでも欠けさしてみろ、ただじゃおかねぇからなっ!」


 目の前に指を突きつけ、凄んでみせると、キムはさらに傷が引き攣れるのもかまわず、寄り目になってその指先を凝視した。


「おい、返事はどうした?」

「え……、だって軍曹、次会うときって……」

「ああ? 今生こんじょうの別れじゃねぇんだから、いつだってその気になりゃ会えんだろが。それともなにか? この俺()けモンにして、この先はオメエらだけで酒飲んでバカ騒ぎする気か?」


 さらに詰め寄ると、キムに突きつけた指の先を中心に、パァーッと明るい笑顔がむさくるしい野郎どものあいだにひろがっていった。


「いっ、いっ、いえっ! 滅相もねえっすっ!!」


 吼えるようにキムが応えると、全員がそろって大きく頷いた。へへへと笑いながら、鼻を啜る奴までいる。しょうもねえ奴らだと内心で苦笑して、じゃあなと背を向けた。絶妙のタイミングで後部座席のドアが自動で開く。乗りこむ直前、肩越しに、「ああ」と顧みて付け足した。


「ホセとハウザーにも、しっかり養生して早く治すよう伝えとけ。快気祝いに、『ブラッディ・ローズ』を1本ずつ贈ってやるってな」

「ヘイッ、隊長っ!!」


 じつに軍隊らしくない返答が、濁声だみごえの不協和音を奏で、公安特殊部隊司令本部『恒久平和』まえで響きわたったのだった。

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