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5(1)

 毛色の変わった新隊員がいる。


 そんな話を聞いた夜、1軒目の店で同期と別れた俺は、飲み足りなさをおぼえて独り、2軒目に足を向けた。

 どこ、というアテがあったわけでない。

 知った顔に出くわすのも面倒なので、たまには普段、あまり行くことのない歓楽街の奥まった場所にでも足を運ぶかと、適当な路地にプラリと入った。その直後のことである。


 いかにも場末、といった雰囲気の店構えがのきを連ねる一角から、威勢のいい怒鳴り声とガラスが派手に割れる音、女たちの悲鳴が響きわたった。同時に、すぐ手前の店のドアが勢いよく開き、中から複数の男たちがもんどりを打って次々に狭い道路へと転がり出、あるいはほかの男たちにぶつかってひっくり返った。

 見るからに酔漢といった風情の連中は、それぞれ呻いたり悪態をついたりしながら起き上がると、いっせいに血走った目を店のほうへ向けた。

 見ると、店の入り口に、レスラー崩れといった風体ふうていの、小山のような巨漢がうっそりと立っていた。


「酒が不味くなるから、喧嘩なら外でやれや」


 巨漢が抑揚のない声でボソリと言った途端、そいつを共通の敵と認識した酔っぱらいたちが、怒声を放ちながらまとめて飛びかかっていった。店のホステスと思われる女たちの悲鳴が、ふたたび辺りに響きわたる。


 たちまち乱闘騒ぎに発展したその様子を聞きつけ、周辺の店や通りのそこここから見物人がぞくぞく集まってきた。騒ぎの中心で派手な大立ちまわりを演じる巨漢は、束になってかかってくる酔漢たちをものともせず、じつに愉しげに片っ端から投げ倒していく。そのさまは、まるで獰猛な巨大(ひぐま)に、ひ弱な野良犬たちが群がっているようだった。


 妙なところに出くわしてしまったと、一気にきょうが失せてハシゴする気分もなくなり、引き返そうとしたそのとき、道端で心配そうに騒ぎを見守る女のひとりが、殴り合う男たちの乱闘に巻きこまれそうになっているのが目に留まった。

 やむを得ず、あいだに割って入って、頭に血がのぼって周囲が見えなくなっている酔っぱらいどもを叩きのめす。そして、女のほうを顧みた。


「大丈夫か?」


 無事を確認するつもりで声をかけると、ホッとした様子で女はそれに答えようとし、直後に何気なく俺の背後を見やったかと思うと、ゆるみかけたその顔をみるみる硬張こわばらせていった。

 殺気を感じて振り返ると、先程の巨漢が俺めがけて突進してくるではないか。


「このヤロウッ! 女にまで手を出すたぁフテぇヤロウだ。男の風上にも置けねぇっ!」


 まるでこの俺が女を襲ったかのような言いぐさである。失礼かつ意味不明な喚き声に、俺は瞬時に拳を構え、そのまま加減なしで羆ヤロウの顎に叩きこんだ。


「だれが女に手をあげたってんだっ。寝言は寝て言いやがれ、ボケがっ!」


 右ストレートが自分でも気持ちよく決まったその直後、


「キャーッ、軍人さん! しっかりしてっ!!」


 思いがけない女の悲鳴に鼓膜をひっぱたかれて、愕然とした。


 ――なに? 軍人……?


 女のほうをふたたび顧みたときには、羆ヤロウは完全に地面に沈んだあとだった。







「いやぁ、まさかおなじ軍の先輩にあたる方とはつゆ知らず、大変失礼しました」


 口許に浮かびはじめた青タンを痛々しく引き攣らせて、羆ヤロウはヘコヘコと頭を下げた。


 あの直後に通報を受けたらしい警官が駆けこんできたため、これ以上面倒に巻きこまれてはそれこそ厄介だと、あわてて店の裏口にまわり、従業員専用の控え室に女とともに逃げこんだのである。その際、女がどうしても羆ヤロウも一緒にと騒ぐので、しかたなく担いで連れてきたのだ。


「もうっ、どうすんのさ! あんたが殴っちゃったこの人、なんとか部隊とかいう、秘密警察みたいなとこの軍人さんなんだよ!?」


 気ぜわしげに濡らしたタオルで羆ヤロウの額や顎を冷やして介抱しながら、女は子供を叱る口調で俺を責め立てた。

 叱られようがなんだろうが、殴っちまったもんはどうしようもない。そもそもあそこで応戦しなければ、こっちの身も危なかったのだから、一方的に責められるのは理不尽というものである。ただの通りすがりに危ない目に遭いかけた女を助けただけの善意の人間を、たちの悪い酔いどれ風情と一緒くたにして、見境なく襲いかかってきたほうが悪いのだ。


 幸いにもと言おうか、俺の右ストレートをまともにくらったわりにダメージはさほどでもなかったようで、羆ヤロウはいくらもしないで正気づいた。瞬間的にうまいこと受け身でもとったのだろう。そのときには奴もだいぶ頭にのぼっていた血が冷めて、平常心を取り戻していたので、こちらの身分を明かして誤解を解いた、というわけである。


「よかった、目が覚めて、また乱闘騒ぎになったらどうしようかと思ったけど、あんたも軍人さんだったんだね。どーりでタダモノじゃないと思ったよ」


 心底安堵した様子の女に、俺は肩を竦めてみせた。タダモノじゃないもなにも、俺はただの公務員である。軍に在籍してドンパチやっていると違和感のある身分だが、実際そのとおりなのだからしかたない。


「それにしてもお見それしやした。まさかこのオレを、あんなに軽々と一発で伸しちまう人がこの世にいようとは」

「突っ込んできた勢いもあったから、そのぶん衝撃の威力もでかかったんだろ」

「いや、目には自信あるほうなんで。けられなかったこと自体、普段なら考えられねえっつうか」

「そんだけ酔っぱらってたんだよ。この俺の、どこどう見りゃ悪人になるってんだ」

「す、すんません……」


 羆ヤロウは、でかい図体を精一杯縮めて恐縮した。


「ところであの、お名前を伺っても? オレはキム・ビョルンてんですが……。軍人っても、まだ軍には入りたてのペーペーでして」

「知ってるよ。新入りの中にえらい変わったのがいるって噂になってたからな」

「いやそんな、噂になるようなことはなんもしちゃいません。体術訓練のときに、うっかり教官絞め墜としちまったんで、大袈裟に尾鰭おひれがくっついたんじゃないですかね」


 体術訓練の指導官が去年と変わっていなければ、柔道・合気道ともに世界大会無敗の紅帯有段者だったはずだ。

 これは噂になるはずだと内心ひそかに嘆息しながら、こちらも所属と階級を添えて名乗った。すると、羆ヤロウ――キムの奴は、途端に勢いよく自分の膝を叩いて、目を剥きながら俺を指さし、でかでかと叫んだものである。


「あーっ! するってーと、あんたが非常識の権化と軍で恐れられているという、あの伝説の型破り軍曹か!」


 ほかのだれに指をさされたとしても、こいつにだけは絶対非常識呼ばわりされたくない。


 心の底から、そう思った。

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