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『──伯母は、今日のこの式典には出席しておりません。免疫不全の病を患って、もう2年近くになります』
前の戦闘中に再会した従妹からこの事実を聞かされていなければ、俺はいまでも彼女が健やかで、幸せな日々を送っているものと思いこみ、こうして戻ることもなかっただろう。
屋敷の1階にある南向きの部屋で、彼女はいま、1日の大半を眠って過ごしている。
中庭に面したその一室は、バルコニー越しに、彼女がずっと大切にしてきた薔薇園を、もっともよく臨むことができる場所に位置していた。そして、窓の外に薔薇園を眺めながら、深い暖色系の絨毯が敷きつめられた室内にも、その薔薇園を模したかのように大輪の薔薇が所狭しと生けられ、美しく咲き誇っていた。
こんなかたちで、また、薔薇に埋め尽くされた病室を目にすることがあろうとは……。
俺は苦い気持ちで部屋の中に立ち尽くし、溢れかえる薔薇を眺め、そしてその中心で眠りにつく母を見つめた。
噎せるような甘い薔薇の馨りの中で、彼女はいまも微睡んでいる。
病人にはきつすぎる馨りなのでは、と思ったが、この屋内薔薇園は、彼女自身のたっての希望なのだという。病人が発する特有の臭気が部屋に染みつくことのないように、甘い馨りで満たしていたい。彼女はそう言って笑ったそうだ。
もともと決して肉付きのいいほうではなかったが、ベッドで眠るその姿は、俺の記憶にある姿より、ふたまわりも縮んだように見えて胸を突かれた。
俺が過ごした6年という歳月を、この人は、何倍速も早回しにして駆け抜けてしまったのではないだろうか。
枯れ木のように痩せ細ってしまった躰に一瞬でも触れたなら、たちまち砂のように崩れて跡形もなく消えてしまいそうで、ベッドサイドに近寄ることさえできなかった。
時が止まってしまったかのような静寂漂う空間に、母とふたり――
どれだけの時間、そうしていただろう。
まるでたったいま息を吹き返したように、それまで微動だにしなかった母の口がわずかに開いて、そこから囁きにも似た吐息が漏れた。
眠っていたのではなく、ただ目を閉じていただけ。
そんなふうに思わせる動きで、ゆっくりと開いた琥珀の瞳は、最初からそこに俺がいることを知っていたかのように、迷うことなく、揺らぐことなく、まっすぐに俺の姿をとらえ――やがて、大輪の薔薇が花開いたような、『妖精の女王』そのものの微笑が顔全体へとひろがっていった。
「いま、あなたの夢を見ていたのよ……」
わずかに掠れた、吐息のつづきのような囁きが、静寂にのって俺の耳もとまで届けられる。
「ただいま帰りました――お母さん……」
精一杯の微笑みを返した瞬間、母の目から涙が溢れ、堰を切ったように零れ落ちた。
「――ラルフ……わたしの愛しい息子……っ!」
差し伸べられた両手に応えるようにベッドサイドに歩み寄り、その躰をそっと、けれどもしっかりと抱きしめると、痩せ衰えた両腕が、思いのほか強い力でしがみついてきた。
肩口で響く嗚咽が、かつて何度も聴いた優しい子守歌を思い出させる。
金の鳥唄うよ 銀の鳥舞うよ
坊やがおめめを覚ますまで
希望のお船でゆらゆらと
銀河の果てまでゆきましょう
坊やがおめめを覚ますまで……銀河の果てまでゆきましょう――
『ねえ、軍人さん、あんたホントに、大事に大事に、うーんとお母さんに愛されて育ってきたんだねぇ……』
――そうだ。俺はこの人の愛に包まれ、大切に守られて、こうしてここまでくることができた……。