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3(3)

『──伯母は、今日のこの式典には出席しておりません。免疫不全の病を患って、もう2年近くになります』



 さきの戦闘中に再会した従妹からこの事実を聞かされていなければ、俺はいまでも彼女が健やかで、幸せな日々を送っているものと思いこみ、こうして戻ることもなかっただろう。


 屋敷の1階にある南向きの部屋で、彼女はいま、1日の大半を眠って過ごしている。

 中庭に面したその一室は、バルコニー越しに、彼女がずっと大切にしてきた薔薇園を、もっともよく臨むことができる場所に位置していた。そして、窓の外に薔薇園を眺めながら、深い暖色系の絨毯じゅうたんが敷きつめられた室内にも、その薔薇園を模したかのように大輪の薔薇が所狭しと生けられ、美しく咲き誇っていた。


 こんなかたちで、また(・・)、薔薇に埋め尽くされた病室を目にすることがあろうとは……。


 俺は苦い気持ちで部屋の中に立ち尽くし、溢れかえる薔薇を眺め、そしてその中心で眠りにつく母を見つめた。


 せるような甘い薔薇の馨りの中で、彼女はいまも微睡まどろんでいる。

 病人にはきつすぎる馨りなのでは、と思ったが、この屋内薔薇園は、彼女自身のたっての希望なのだという。病人が発する特有の臭気が部屋に染みつくことのないように、甘い馨りで満たしていたい。彼女はそう言って笑ったそうだ。

 もともと決して肉付きのいいほうではなかったが、ベッドで眠るその姿は、俺の記憶にある姿より、ふたまわりも縮んだように見えて胸を突かれた。


 俺が過ごした6年という歳月を、この人は、何倍速も早回しにして駆け抜けてしまったのではないだろうか。


 枯れ木のように痩せ細ってしまった躰に一瞬でも触れたなら、たちまち砂のように崩れて跡形もなく消えてしまいそうで、ベッドサイドに近寄ることさえできなかった。



 時が止まってしまったかのような静寂漂う空間に、母とふたり――



 どれだけの時間、そうしていただろう。

 まるでたったいま息を吹き返したように、それまで微動だにしなかった母の口がわずかに開いて、そこから囁きにも似た吐息が漏れた。


 眠っていたのではなく、ただ目を閉じていただけ。


 そんなふうに思わせる動きで、ゆっくりと開いた琥珀の瞳は、最初からそこに俺がいることを知っていたかのように、迷うことなく、揺らぐことなく、まっすぐに俺の姿をとらえ――やがて、大輪の薔薇が花開いたような、『妖精の女王』そのものの微笑が顔全体へとひろがっていった。


「いま、あなたの夢を見ていたのよ……」


 わずかに掠れた、吐息のつづきのような囁きが、静寂にのって俺の耳もとまで届けられる。


「ただいま帰りました――お母さん……」


 精一杯の微笑みを返した瞬間、母の目から涙が溢れ、堰を切ったように零れ落ちた。


「――ラルフ……わたしの愛しい息子……っ!」


 差し伸べられた両手に応えるようにベッドサイドに歩み寄り、その躰をそっと、けれどもしっかりと抱きしめると、痩せ衰えた両腕が、思いのほか強い力でしがみついてきた。

 肩口で響く嗚咽おえつが、かつて何度も聴いた優しい子守歌を思い出させる。



   金の鳥唄うよ 銀の鳥舞うよ


   坊やがおめめを覚ますまで

   希望のお船でゆらゆらと

   銀河の果てまでゆきましょう



 坊やがおめめを覚ますまで……銀河の果てまでゆきましょう――


『ねえ、軍人さん、あんたホントに、大事に大事に、うーんとお母さんに愛されて育ってきたんだねぇ……』


 ――そうだ。俺はこの人の愛に包まれ、大切に守られて、こうしてここまでくることができた……。

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