小説家の創る世界について
どうも。納涼と申します。一人称は「私」で統一していますが、男であります。初めましての方は、これを機に名前だけでも覚えて頂けたらありがたいです。
では早速本題です。私はこの2ヶ月ほど、処女作「青い二重奏」を書いてきました。ようやく話の終わりも見えてきて、1つの作品としてその形を完成させようとしています。
元々は小説を書くつもりなど毛頭なく、勉強したこともない。それどころか、小説家になろうというサイトの存在すら知りませんでした。友人を通してその存在を知り、「手軽さ」が一種の売りであることも知り、「ちょっと書いてみようかな」なんてことを思ったのが始まりです。
そんな軽い気持ちで書き始めたのですが、先ほど、ふとこんな考えが頭をよぎりました。
「今の作品、上手く書けてないなあ。キャラとか最初の頃とぶれてたりするし」
「まあ、慣れとかもあるしある程度は仕方ないか。最近はぶれてない感じするし」
「そうだよ、どうせなら今のを書き終えたらまた別のを書けばいい」
「青い二重奏は練習だったんだと思おう。次がある」
……次?
私は今、次って考えた?
次って何。私が身勝手に生み出した彼女達は、あの世界で1度しか生きられないのに。
軽い気持ちで生み出して、その上辛い思いもさせてしまった。辛い思いをさせる場面を書いてる時には、私自身も心が痛くて筆を置いたりもしました。それも少なくない。
なのに、身勝手な私の心に影響を、色んな感情をくれたのに、練習のつもりだったなんて、あまりに酷いじゃないか。
すごく、悲しくなりました。彼女達を、一瞬でもそんな風に軽んじてしまったことが悲しかった。自分は卑怯だとも思いました。
同じように感じたことのある人がどれくらいいるのかは定かではありません。
ですが、私から伝えたいのは、
「自分の作品やそのキャラクターとは真剣に向き合って欲しい。実在する人に接するように」
「それが出来ない時があっても、落ち込んだりしないで無理のない範囲で書いていって欲しい」
ということです。もしかしてキャラクターを軽んじていたかなと思われた時には前者を、私のように悲しい気持ちになられた時には後者を思い出してくれると幸いです。
未完の作品があるなら、ぜひ書くのをやめないでください。きっと、その世界に住む命が、人が、心があるから。