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三話 硬めに固める黒い情念(2)

― 4.ゆず参り ―


 翌三日目の朝も清々しいほどの快晴だ。


 ゆずの朝は早い。

 大抵4時頃には、ふわふわと神社周辺を巡回し始める。

 この時期は日の出が遅く辺りは真っ暗なのだが、気にする様子もなく興味をそそられた場所を片端からのぞき込んでいく。特にお気に入りなのは、丘の中腹にある古い鎮守を祀った社の周辺だ。

 今は新しい鎮守が居るのだが、この古い社が忘れられているわけではなく、きちんと手入れがされていて心地よい。夏になると、古くなった階段にできる木陰が良い感じに癒やしてくれたりもする。

 そんな古い鎮守へと続く階段の前に、一台の自転車が置かれていた。


「じてんしゃですか。はん、ぶっさいくですね」


 ジロジロと眺めては、フンと鼻を鳴らす。

 この黒くて無骨な乗り物を使うと、人は驚くほどの速度で移動することができるという。もちろんゆずとて同じ速度を出せないわけではないが、問題はそこではない。

 自転車に乗っているときの人間の表情ときたら、それはもう楽しそうで仕方がないといった感じなのに、ゆずはソレに乗れないのだ。


 実体化して、蹴りの一つでもくれてやろうかと思っていたところ、後ろから人が近づいてくる気配を感じた。振り向くと、海老茶色の女袴を履いた女性が石段を駆け下りてくるのが見える。


「ごめん、ちょっとそこ退いてくれる!」


 あわてた様子で自転車をひっ掴み、さっと自転車に跨がると、蜜柑色のリボンで縛った長い黒髪をなびかせて走り去っていった。

 途中、何度か木にぶつかりそうになったり、ペダルから足をすべらせたりと危なっかしいことこの上ないのだが、不思議とどこにもぶつかる事なく坂を下っていく。

 あっという間の出来事に、ついぼんやりと見送ってしまったゆずだったが、完全に女性の姿が見えなくなると、ふと一つの疑問が浮かびあがってきた。


退いて(・・・)?)


 今のゆずを認識できる人間はいないはずなのだが、女性はゆずの方を向いて『退いて』と言ったのだ。明らかに見えていたと思われる。

 では人間のフリをした妖の類なのかといえば、そんな匂いもしなかった。あれは間違いなく人間のはずだ。

 はてと捻った首が、どんどん傾いていき、ついには空中でくるくる回り始める。


 もし人間だとすれば、相当研鑽を積んだ巫女か解師である可能性が高いのだが、どうにもそんな感じには見えなかった。そこらで見かけるただのお転婆娘である。

 何度か回転したところで、ぴたりと止まった。


『あ、ごはんごはん』


 『空や』の柚子を食べ忘れていた事を思い出す。

 些末なことは直ぐに忘却の彼方へと消え、ふんわりと風に乗るように街中へと消えていった。



 本日は晴天なり。

 『空や』の柚子を食して気分も上々、青く澄んだ空を見上げながら呟いた。


『この辺から始めますか』


 郊外の畑を前にして、ゆずはブンブンと尾で素振りをしていた。。

 昨日、参拝に来た少女の願いを叶えるべく、後について郊外の畑を見て回ったのだが、予想以上に事態は深刻だった。ほぼすべての作物が例の黒いドロドロした物体に取り憑かれており、一つずつ浄化して回ったとしても、数が多すぎて半分も救えないことがわかった。

 そこで、大胆に方針を変えることにした。


『おりゃー!』


 びゅんと振られた尾の先から輝く鱗粉がまき散らされると、黒いドロドロが一斉にその範囲から退いていった。まるで引き潮のような黒いうねりが、畑を伝播していく。

 その様子を上空から観察していると、一度は放射状に広がったうねりが、ある一方向に収束していくのが見られた。


『あははは、おもしろーい』


 しばし目的を忘れて、あちらこちらへとドロドロを追い回していたゆずだったが、途中ではたと気づいて立ち止まる。誰に見られているわけでもないのに、きょろきょろと周りを見回してからコホンと小さく先払いをした。


『ま、まあ大体の傾向はわかりましたし、そろそろ本格的にやりますか』


 さりげなく尾を振る方向を変え、収束する流れを大きくしていく。やがて方向が一つへと定まると、あとは追跡するだけとなった。

 そうしてたどり着いたのは、願い事をしてきた少女の家であった。これはまあ想定内の事であった。願い事をしてくる者が、その原因に一番影響を受けているというのはよくある事だからだ。


 それよりもゆずの目を引いたのは、庭にある二本の木だった。

 立派に育った柚子の木と、まだ若く背の低い柚子の木が兄弟のように並んで植えられている。兄の方は美味しそうな黄色の柚子をたわわに実らせているが、弟の方は下の方にまだ青い果実をいくつか残している。


『なんだか、どちらの実も見たことがありますねえ』


 ふよふよと両方の柚子を嗅ぎ回っていたら、ふいに後ろで障子が開く音がした。


「あらあら」


 振り向くと、驚いた顔をした老婆の姿があった。お供えにおいしい柚子を残していった老婆は、しっかりとゆずを見据えていた。そして、予想通り老婆の後からは、あの少女が顔を出して心配そうに様子を窺っていた。


「おばあちゃん、やっぱりだれか、いるの?」

「心配いりませんよ」


 視線をゆずから外さないまま、にこにこ笑って少女の頭を撫でている。

 さては無意識のうちに実体化してしまったのかと慌てて体を見回すが、宙に浮いているのでそれはない。つまり老婆もまた、ただの人間ではないという事らしい。


『まあ、こっちはなんとなく想像がつきますけど』


 一旦柚子の木に隠れると、実体化してからコソッと姿を現す。少女が、狐だ白い狐だと騒いでいる横で、老婆は縁側に柚子を乗せた皿を置き、静かに腰を下ろした。

 努めて動物らしく振る舞いつつ、縁側へと近づいていく。何度か警戒する素振りを見せてから、縁側の柚子へとたどり着き、ふんふんと香りを嗅いだ。

 芳醇な香りが鼻腔一杯に広がる。


「おばあちゃん、さわってもだいじょうぶかな」

「どうだろうねえ、お願いしてみたら大丈夫かもねぇ」

「きつねさん、さわらせてください」


 即答した少女を見て、思わず吹き出しそうになったゆずだが、グッとこらえる。小さな手がおそるおそる触れてきても、逃げることなくジッと座り続けた。


「おばあちゃん、きつねってゆずをたべるの」

「普通は食べないねえ。だいたいお肉を食べるよ」

「じゃあ、どうしてたべてるの」

「不思議だねぇ」


 ゆずは、少女に撫でられながらも前脚を器用に操って、美味しそうに柚子を囓っていた。

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