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三話 硬めに固める黒い情念(1)

― 1.出張とオンナの影 ―


 うどんが食べたいんです。それも関西出汁の、混合節と淡口しょうゆで仕上げたやつが。


 神棚から降りてきたゆずに向かって、開口一番に夭夭が放った言葉である。寒くなると暖かいものが食べたくなるのは世の常人の常なのです、などとつぶやきながらとんびコートを着込み、チェックのマフラーを首に巻き付けている。


「そういうことでゆずさん、4~5日お店を閉めます」

「うどんごときに、どこまで行く気ですか」

「ちょっと倉敷まで」

「さては女狐(オンナ)ですね、非道い。私という者がありながら、現地妻を」

「ゆずさん、棒読みです」


 倉敷といえば、三大稲荷の一つとも言われる最上稲荷が近いこともあり、用事の内容にも大体想像が付く。

 カウンターに飛び移ったゆずは、ちらりと夭夭の出で立ちを確認し、かるく衣装を整えてやった。最上稲荷には後輩の『わさび』もいることだし心配はないだろうと思う一方で、わざわざ夭夭が出張するという事態に一抹の不安も感じる。

 ゆずは不安そうな顔で尋ねた。


「夭夭さん、心配な事があるんです」

「何です?」

「柚子あんの吉備団子は日持ちするでしょうか」


 ゆずは、真剣な顔で夭夭を見上げる。

 そして夭夭もまた眉間に皺を寄せ、顎に手をあてて深刻そうな顔をする。


「…確かに危険かもしれません。柚子最中なら、帰りに買って来れそうですが」

「最中は上顎に張り付くのです」

「なるほど、それはいけませんね」


 お土産の選定はとても大事である。

 その結果夭夭は予定の汽車を一本遅らせることになったが、致し方のないことであろう。



「さて、お仕事しましょうかね」


 ゆずは実体化を解いてふわりと宙に浮かぶ。

 すうっと風に流されるように空へと舞うと、街が一望できる高さまで上っていった。霊体では寒さを感じることもないが、風を感じることもできないので、ちょっと不満げだ。


 ぐるりと見渡してから、柚木稲荷神社へとゆっくり降りていく。

 今日は参拝客も少なく、神主も暢気(のんき)に境内の掃除をしていた。

 ゆずが定位置である狐像へと近寄っていくと、お帰りなさいと声をかけられた。神主がゆずを見ることは出来ないが、なんとなく気配を察するらしく、帰ってくるといつも挨拶をしてくれる。

 聞こえないとは思いつつ、ついただいまと返してしまうのだった。


 しばらく狐像の頭あたりでふよふよ漂っていると、一人の老婆が参拝に訪れた。

 古くからこの街に住む者は、柚木稲荷神社のお狐様の趣向を良く知っているので、お供え物には柚子を選ぶ。よく参拝に訪れるこの老婆もまた例に漏れず、大きな柚子を持参していた。


「お狐様、今日もお天気がよろしいですなぁ」


 狐像に話しかけながら柚子を積み上げると、座したまま拝礼をした。本殿への参拝と違い、狐像への参拝に形式ばったものは無い。皆それぞれ思い思いのやり方で、お狐様へ願いごとを伝える。一般的に、お狐様は願い事の取り次ぎしかしないが、ゆずの場合は気が向けば自ら願いを叶えることもあると言われている。

 まったくの気まぐれだし、叶うのは小さな願いだけという話だが、地元民はその言い伝えを大切にしている。


「今年も、ええ柚子が穫れましたよ」


 老婆は、大きな柚子を二つ風呂敷包みから取り出し、狐像の前に置いた。

 自宅で穫れた柚子は、例年よりも大ぶりで味もしっかりとしている。

 近づいてきて、ふんふん鼻を鳴らしながら確認していたゆずは、おもむろに小さい方の柚子を口に入れた。といっても、実体が無い状態では柚子の持つ精気を食べるだけなので、実物が無くなるわけではない。


『あ、美味しいですね』


 くるくると回りながら、柚子を味わう。丹誠込めて作られた柚子は、祈りがたっぷり込められており、ひと味違うというものだ。気分良く二つの柚子を平らげると、ついでとばかりに老婆の肩へ取り憑いていた小さな黒いあやかしを、ていていと後ろ脚で祓い落としておいた。

 一瞬で葬り去ったのでよく見ていなかったが、ドロドロとした気味の悪いあやかしだった。鼻から『ふんす』と息を吐き出し、中空を漂う。


 普段なら『ゆずさん、脚がかゆいんですか」などとトボケた夭夭の声が聞こえてくるのだが、静かなものだった。

 なんだか物足りないので狐像に八つ当たりしていたら、つぎの参拝客がやってきた。


「お狐様よぉ、気張ってに油揚げ二枚もお供えすっからよ、頼むぜ。商売繁盛で」


 太鼓腹の男は、大きな声で油揚げを置くと、激しく柏手を打って願い事を口にした。がさつな男が来たものだと呆れるゆずだったが、男の回りを漂っている時に聞こえた願い事が思いの外ささやかなものだったので、思わず笑ってしまった。


「かみさんを楽にさせてやりてえんだよ。豚丼の味には自信があんだ。でも客が全然来ねぇ。もうどうしたらいいか…せめて日に四五人は入ってくんねぇかなあ」


 男は、小さな声でブツブツとつぶやき、油揚げをそのままにして帰ってしまった。お供えものは基本的に持ち帰るのが礼儀なのだが、時々こうして残していく参拝客もいるので、神主も処理に困っているようだ。

 まあ、ゆずにとってはどうでも良いので、とりあえず放置したまま仰向けで宙を漂っていた。

 次にやってきたのは小さな参拝客だ。


「もう、おそなえものをのこしたら、だめじゃない。それに、あぶらあげなんて!」


 六歳くらいの女の子が、プリプリ怒って油揚げを片づけ、かわりに柚子を供えていた。小降りだが、美味しそうな柚子が一つ置かれている。

 彼女の仕草から、ちょっと背伸びして大人ぶっている女の子なのだろうと推測する。きっと願い事も、そうなのだろうと思っていたら、またもや予想を裏切られた。


「ゆずきつねさま。おばあちゃんのくしが、みつかりますように。どうかみつかりますように。ぜったいみつかりますように。おねがいします」


 もぐもぐと柚子の精気を頬張っていたゆずは、あることに気が付き、じっと女の子を観察した。しかし、両手をあわせてお願いする女の子に、特別変わった様子は見あたらなかった。


 それから何人か常連の参拝客が訪れたが、ゆずはただ気まぐれに宙を漂うだけであった。何か考えているようでもあり、なにも考えていないようでもある。そんなのどかな一日が過ぎていった。



― 2.置き手紙 ―


 二日目の朝。

 習慣とは恐ろしいもので、柚子を食べに『空や』の扉を潜り、神棚の前で実体化していた。そこにあるはずの柚子は無く、のほほんとした『空や』の主も居ない。『空や』の朝はとても静かで、そして寂しいものだった。

 ストンと降り立ったカウンターも、火の入っていないストーブも、心なしかしょんぼりしているようだ。日の当たる窓際でぬくぬく暖まろうと足を向けた時、カウンターに置かれた書簡に目が止まる。


「ゆずさんへ?」


 妖狐に書簡を残してどうするのだと呆れた顔で裏返してみると、やはり夭夭が書き残した物だとわかる。話した方が早いじゃないですかとブツブツ文句をいいながらも、器用に爪でめくっていく。

 妖狐として生まれてから此の方、書簡など貰ったことがないゆずにとっては、自分宛の書簡というものが思いの外嬉しかったようで、気が付けばご機嫌な様子で読みふけっていた。

 そうして一通り読み終えると、てててと小走りに店の保管棚へと向かった。


「おおー、なるほど。日付ごとに分かれてますね」


 そこには、日付が書かれた桐の箱が整然と並べられていた。それぞれに『空や』の柚子が一つずつ入っており、ゆずが間違えて日に二つ食べてしまわないようにとの気遣いが感じられた。


「まったく、子供じゃあるまいし」


 柚子湯で二つ目を食べようとした事など、とっくに忘却の彼方である。

 後ろ足で立ち上がると、今日の日付が書かれた箱の蓋をカタリと開け、小さな手で中の柚子をしっかりと掴む。

 ふわっと香る柚子の香りは、毎朝夭夭が持ってくる『空や』のものだ。

 ゆずは、ほんのひととき目を瞑り、そして大事そうに柚子を抱えて窓際へと場所を移した。


 午後になると、小雨が降り始めた。ゆずが狐像の上に浮かんでまどろんでいると、本殿の方から騒がしい声が聞こえてくる。耳を澄ませてみると、どうやら二・三人の男が神主に言い寄っているらしい。


「じゃあ何もしてくれないっていうのか」

「そうは言ってません」

「明らかに様子がおかしいだろ。祈祷してくれよ」

「野菜の健康祈願ですか」

「畑の妖退散だよ!あんた、馬鹿にしてんのか」


 あの神主、人は良いのだが実力のなさもまた折り紙付きだ。これは面白くなりそうだと近づこうとした時、集団の中から一人の少女が飛び出してきた。少女は腕に大きな大根を抱えたまま、狐像の方へと駆けてくる。


「おきつねさま、ゆずきつねさま、どうかおねがいします」


 よく見れば、昨日小ぶりで美味しい柚子を持ってきた少女だった。祖母の櫛が見つかるように祈願していたことを思い出す。

 少女は腕にかかえた大根を像の足下に置いた。美味しそうな大根の下半分が、黒いドロドロしたもので覆われている。どうやら、昨日の老婆に取り憑いていた黒いモノが、人間にも見える程に成長しているらしい。


「みんなのはたけが、びょうきなんです。たすけてください」


 必死に拝む少女の回りを、後からやってきた大人達が囲んで慰める。それは『大人に任せておきなさい』だったり、『お狐さまの話は迷信だよ』だったりと、ゆずがもっとも嫌う類の言葉であった。


「おきつねさまは、たすけてくれるもん!」


 少女は肩におかれた手を払いのけると、袖から小さな柚子を取り出した。それはまだ青々しく、芳醇な香りがした昨日の柚子にはほど遠いものだった。大人達はお互いに肩をすくめると、可哀想なものを見るような目を少女に向け、そして立ち去ってしまった。今にも泣き出しそうな少女の回りで、ゆずは何度も何度も青い柚子の香りを嗅いだ。


 なんと美味しそうな香りだろうか。


 それは柚子本来の芳香ではなく、少女によって込められた『祈り』の香りの方だった。おそらく柚子をそのまま食べても美味しくはないだろうが、祈りを食べる今のゆずにとっては関係のない事だ。

 我慢できず、少女の手のひらに置かれた小さな柚子を、するりと通り抜けた。


『美味しい』


 それ以上の言葉が出てこない。これほど美味しいお供えを貰って、願いを叶えぬわけにもいかないだろう。神への取り次ぎも考えたが、ゆずが直接解決しても裁量の範囲内であろうと判断した。要するに解決してしまえば良いのだ。


『むろん、速攻解決ですとも』


 軽く振るった三尾の尾が大根を通り抜けると、真っ白で美味しそうな大根が姿を現すした。突然元に戻った大根に大人たちは驚愕し、少女は満面の笑みでお狐様の好意に感謝するのだった。

 気分をよくしたゆずは、問題を解決すべく、少女の後をぷわぷわを浮かびながらついて行った。



― 3.鈴の音が鳴る神社 ―


 その日の夜、夭夭は横殴りの雨が吹き付ける真っ暗な社の中で、傘もささずに眼前の惨状を見つめていた。


 無惨に引きちぎられて地面に転がる朱色の柱や、細切れにされた板の数々は、鈴野稲荷神社と呼ばれていた建物の名残である。神社の前を流れる清流は、今や濁流となって下流へと毒を流し続けている。

 所々に散らばる石組みの土台に残された爪痕は、眷属による抵抗の激しさを物語っている。


「鈴野神社といえば、遠音の鈴を持つ有名な妖狐さんがいましたよね」

「呼びかけに応えませんのん。おそらくは、もう…」

「そうですか。残念です」


 足下で行儀良く控える妖狐の表情も固い。金剛杖を握り直し、境内跡をグルリと一周すると、小さな銀色の鈴を一つ見つけた。


「夭夭様」

「次は、間に合わせたいですね」

「はい…ですのん」


 ちりり、とくぐもった鈴の音が響き、雨音にかき消されていった。

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