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二話 壁と少女の偏愛(3)

― 6.裸で火遊び ―


 崩れ落ちた骨が組み上がるのを待ち、気を取り直して朱鷺の壁までやってきた。

 三年間も接触が禁じられていた事からもわかる通り、この壁は近づくことで危険度が飛躍的に増していく。

 遠巻きに見ているだけであれば、美しい鷺の小手絵に魅了されるだけですむ。

 しかし、油断してうっかり境界を踏み越えようものなら、一瞬にして朱鷺に攻撃され、壁から伸びてきた舌に巻き取られて喰われてしまうだろう。

 その境界を見極めるのはベテランの解師でも難しいとされており、功を焦る駆け出しの解師が近づかないよう三年の接触禁止が徹底されたのだった。その間に、壁を単独で撃破できる実力を持つ者が育つのを待ったのである。


「暫く来ないうちに、一段と妖力が濃くなってるなあ」

「うわっ、夭夭さん、壁に人の顔が浮き出てますよ、悪趣味ですね」


 見事な朱鷺の小手絵の周りに、飲み込まれた人達の死面が壁に浮かび上がっているのがわかる。初めは一つ、そしてもう一つと次々に浮かび上がっていき、同時に無数のうめき声が聞こえ始めた。ほとんどが三条邸で働いていた者達だったが、そのうちいくつかは見たことのある顔であった。掛水と共に壁退治に来て、壁に取り込まれてしまった若い解師達である。


「それで、掛水さんとやらの顔はどれですか」

「見あたりませんね」


 そこに掛水サナ江の顔は見つけることは出来なかった。夭夭には大方予想がついていたようで、特に驚いた様子はない。淡々と背負っていた黒竹の(ほうき)を手に取って、壁の方へと歩を進めた。

 境界を越えないように気を付けながら先端を壁の方へと向けると、肩で尾を振るゆずに声をかける。


「ゆずさん、少し力を貸してくれませんか」

「『夾竹桃(キョウチクトウ)』のゆうまるが良いです」

「ゆうまる…ああ、丸い柚子ゼリーですか。いいですよ、そのくらい」


 以前の柚子湯に比べると、今回の要望は大変簡単なものであった。もしかしてまだ気にしているのかと、そっとゆずの横顔を盗み見るが、本人はツンとお澄まし顔である。


「まったく、ゆずさんは可愛いですね」

「きしゃー!」


 照れ隠しに威嚇するゆずに笑いかけてから、箒に向かって詞を飛ばす。


「彷徨える魂を掃き集めるは、四代目芦屋宗次郎が遺作、黒竹の玉箒。魂は蒼穹へ、躰は土塊へ。そうあれかし」


 ゆずの妖力を得て箒の先端が薄ぼんやり輝き始めると、夭夭はためらうことなく境界の内側へと足を踏み入れた。

 その途端、壁に裂け目が走り真っ赤な舌が伸びてくるが、ゆずの鋭い爪に切り裂かれ、悲鳴と共に引っ込んでいった。


「なんか、気持ち悪い感触」

「普通は、舐められただけで取り込まれるんですがね」

「ゆずカッタアを舐めるなです」


 自慢げに前脚をブンブン振る様子にほっこりしているうちに、壁から四羽の朱鷺が飛び出してきた。強敵と見て、応戦する気になったらしい。ここからが本番なのだが、朱鷺の撃退をゆず任せてしまうわけにはいかない。彼女ならば簡単に朱鷺を消してしまうだろうが、絵が消えてしまえば、カベもまた普通の壁に戻ってしまう。カベの消滅を目的とするならば問題はないのだが、今回は都合が悪かった。


「ゆずさん、朱鷺は手出し無用ですよ」

「ん、でも襲ってくるよ、どうするの」

「彼に頑張って貰います」


 左手でパチンと指を鳴らすと、ナイーブな人骨『無布』が朱鷺と夭夭の間にズッと割り込んできた。興味津々に目を輝かせるゆずの前で、『無布』が両手をかざすと、そこをめがけて朱鷺が火の玉を吐き出した。

 火の玉と称するには高火力のそれは、ゴウと火の粉をまき散らしながら『無布』の手に吸い込まれていく。


「うわ、骨が丸焦げ…てないですね。なんで?」

「『無布』さんの特性です。彼の名前なんですがね、読み方は『ないーぶ』じゃないんですよ」

「あれれ、先々代のお寒い冗談じゃなかったの。じゃあぶーぶーかな?」

「それも可愛いですけど、ほら、小鳥が遊ぶと書いて『たかなし』と読むじゃないですか。あれと同じです」

「布が無いから…まるはだか!」

「おおう、大胆な。正解は『ひあそび』です。布が無いから安心して(大人の)火遊びができるんですね」

「夭夭さん、絶対おかしいよ、それ」


 丁寧な解説の間にも、朱鷺が火の玉を吐き出しているが、全て無布の手の上でクルクルと弄ばれていた。朱鷺は無布に、舌はゆずに任せて、夭夭は安心して壁に浮かび上がった人面めがけて箒を振るえば良い。全く簡単なお仕事である。


 バサリと箒が壁面を舐める。


 ズルリと人面が引きずられる。


 壁から引き剥がされると、ズチャっと腐った肉体が地面に当たる音がした。どうやら最初に引き剥がされたのは若い解師だったようだ。なまじ妖力を操れる力があったせいか、簡単に消化されることがなかったようだった。次々に引き出される人面が、白骨であったり、何も形を残さなかったりしているのを見ると、苦しみが長続きした分悲惨だっただろう。


 夭夭は黙々と人面の引き剥がし作業を続ける。

 その間、何度か壁から舌がチロチロと様子を窺っていたが、ゆずカッタアが余程痛かったのか、警戒して襲ってくる様子はなかった。


 全ての人面を剥がし終わる頃には、朱鷺も攻撃を諦めたようで、もとの壁へと戻っていった。すっかり大人しくなった壁に向かって、夭夭は静かに話しかける。


「カベ君でよかったかな。もう気が済みましたか」

『もとより、降りかかる火の粉を払ったまでだ。無闇に遅う積もりは無い』


 カベと呼ばれ、壁はぶるりと身震いしたかのように見えた。思った以上に知性がある話し方に夭夭は少し驚いたが、取り込んだ人々から吸収したのだと思えば不思議でもない。


「春菜ちゃんが亡くなってしまえば、護る意味はなかったでしょうに。いつまで続けるつもりなんです」

『私は春と一緒にあると約束した。ゆえに魂を護っているのだ。意味はある』

「輪廻の環から外れた魂魄を、いつまでもこの場に留めておくことが護ることだとは言えないと思いますよ」

『やはり、輪廻の環から外れていたか』

「大いに。このままでは彼女も幸せになれません」

『では、どうすれば良い』

「どうしたいんです」


 しばらく、カベは黙っていた。この思慮深い壁はこれまで様々な方法を考えてきたのだろう。ほどなくして、応えが返ってきた。


『解師よ、このままでは、春があまりに不憫だ。せめて成人するまでは魂魄のままでも良いから、世の中を見せてあげられないだろうか』

「世の中を見たいのは、あなたもでしょう」

『そうだな、欲を言えば私も春と一緒に外の世界を感じてみたい。だが人間の世界ではケジメというものが必要だと聞いている。春を保護してくれるのならば、私は喜んで壊されよう』


 清々しく笑うカベの声に、夭夭は苦笑いを返しつつ床に散らばった遺体を確認していた。霧散してしまった分も数え、指を折っていく。その数11組、犠牲になった三条邸の使用人と解師の数を合わせた数に一組足りないのは、掛水サナ江の分であろう。

 正四位の妖力があれば、原型を留めた形で残っていてもおかしくはないのだが、道具の痕跡すら残っていないのはおかしい

 夭夭の中で、ある疑惑が大きく育っていくのがわかった。すなわち、掛水サナ江はカベに取り込まれていないのではないかと。


「カベさん、取引をしませんか」

『何のことだ』

「三年前、貴方を討伐しに来た解師の中に、30歳後半から40歳くらいの女性がいましたよね」

『さて、どうだったか』

「これから起こることは、他言無用ですよと言いおいて、あなたに力を与えたであろう女性ですよ。覚えているでしょう?」

『…』


 カベは沈黙した。

 まるで表情が読めない壁ではあるが、夭夭にはその沈黙だけで十分であった。

 疑惑は確信へと変わっていく。


「その女性について、知っていること、推察できることを全て教えて下さい。代わりに春菜ちゃんの件を引き受けましょう」

『魅力的な提案だが、残念ながらそれは出来ない』

「ああ大丈夫です、制約を掛けられたのでしょう。舌を出して下さい」

『切り裂かれないだろうな』


 ゆずカッタアを怖れ、おずおずと緊張気味に伸びて来た舌を良く見ると、予想通り真ん中に真っ黒な刻印が刻まれている。

 特定の行動や言動を制限するもので、解師においては邪法である。ドクンと脈打つ刻印を目にした夭夭は、一度軽く舌打ちしてから箒の先で刻印を祓う。

 すると、人面を消した時のように、刻印もふわりとその姿を消した。


「夭夭さん、玉箒って魂をかき集めるだけじゃなかったんですね」

「いえ、それだけですよ」

「だって今、刻印を消しませんでした?」

「妖の魂が使われていました。だから消せたんです。恐らくは小動物系の猫か…狐だと思います」

「…」


 一瞬ゆずの気配が剣呑なものになり、あたりに妖力が漏れ始める。

 箒を持ち替えた夭夭の手がそっと身体を撫で、落ち着きを取り戻すまでの僅かな間、三条邸の敷地から全ての生き物が逃げ出していた。

 不気味なほどに静かになった三条邸で、夭夭はいつも通りの調子で箒をクルクルと回した。


「これで問題は解決、取引は成立ですね」

『ああ、話せるようだ』

「じゃあ、説明は追々で。まず春菜ちゃんの魂魄の拠り所を、貴方に移しておきましょう」


 玉箒を持って三条邸へと足を踏み入れた。

 程なくして、一階の洋室から白骨化した少女の遺体が見つかる。それは丁度赤鷺が描かれた壁の裏側にあたる部屋であった。

 遺体の上に、ふわりふわりと小さな魂魄が浮かんでいる。3年もの時が経ち、もはや立派な地縛霊となっているようだ。

 夭夭は軽く黙祷を捧げ、白骨の上から軽く玉箒で撫でると、そっと壁へと魂魄を移した。



― 7.雪降る街の朱い鷺 ―


 風花が舞う寒い日の朝、一生懸命水蒸気を吐き出す薬缶に水を補給していた夭夭は、窓際でツンツンとガラスを突くゆずの姿を発見した。


「ゆずさん、そんな所で何してるんです」

「窓に、氷の花があるの」

「ああ、霜華ですか。綺麗ですよね」

「外が寒いから?」

「はい。外が氷点下、中が水蒸気でポカポカですと、出来る事が多いですね」

「ふうん、氷点下なの。それじゃあ、外で工事してる人は大変そう」

「全くご愁傷様です」


 ぬくぬくと焙じ茶を飲みながら、夭夭は朝食の小鉢に箸を伸ばした。

 冷たく冷え切った高野豆腐からしみ出すうま味に舌鼓を打ちながら、沖の街区で一生懸命作業にいそしむ人達の事を想った。

 昨晩から急ピッチで進められているのは、朱鷺の壁を移設する工事だ。沖の街区に入ってすぐにある広場の正面、入ってきた者を出迎える位置にある迎賓館の長い壁に移植するのだが、これが難航しているのだ。

 この壁は貴重な文化財だから傷一つ付けないようにと厳命されているせいで、自然と作業も慎重になり、予定期日である今日までギリギリの作業が続けられていた。


「まあこちらとしては高い賃金を支払っているわけですから、心は痛みませんけどね」

「相変わらずお金を豪快に使いますよね、お店の経営大丈夫なんですか?」

「半分も残れば充分ですって」


 今回も、壁の移設費用は夭夭の報酬から支払われた。

 なぜそこまで妖達に資金を投じるのか、ゆずには全く理解不能だ。しかし、特に困る事ではないので口出しはしていない。

 ゆずにとっては『空や』の柚子が無くならなければ、それで良いのだから。


 霜華と戯れるのに飽きたのか、窓枠から飛び降りたゆずが夭夭の足元へとやってきた。

 本日のお供え柚子は食べてしまったので、暇なのだろう。前脚を裾に当ててモゾモゾしていたかと思ったら、突然裾が凍り始めた。


「ちょ、ちょっとゆずさん!」

「おや、着物にも霜華が出来ますね」

「いやいやいや、ただ単に凍ってるだけですってば。人間相手に危ない事しないで下さい。着物がパリパリですよ、もう」

「この技は、『ゆずフロオズン』と名付けましょう」

「名前だけ聞くと美味しそうなところがイヤらしい」


 ブツブツ文句をいいながら着物に付着した氷をはたき落とすと、食器を片づけて外出の支度を始めた。本格的に雪が降り始める前に、朱鷺の壁に関わる工事の進捗を確認しておきたかったのだ。

 いつものトンビコートを羽織り、朱い番傘を差して外に出ると、胸元からゆずがひょこりと顔を出した。小さな口から白い息がふわふわと浮かび上がる。


「結局、三条家のしがらみは解せたんですか」

「もともとそんなに複雑な話じゃありませんでしたから、あらかた解せましたね。むしろ掛水さんの件の方が厄介です」

「サナ江さんの遺体が無かった事伝えたら、六さん落ち込んでましたもんね」

「そう見えましたか」

「違うんですか?」


 事実を伝えたとき、六は落ち込むというより動揺していたように見えた。恐らく、夭夭が壁から聞いた通り、掛水サナ江が生きており、妖を使って何かをしようとしている事に気がついたのだろう。

 そしてそれが、胸を張って公表出来ない類の『何か』であることは間違いない。今はまだ『何か』の正体は不明だが、かつて優秀な解師であった六には、予想がついているのかもしれない。


 番傘が、雪の重みで静かに沈み込んでいく。

 沖の街区に着く頃には、雪もすっかり本降りとなっていた。


「わあ、幻想的です」


 街区の入り口で夭夭達を出迎えたのは、雪の中を舞う朱い鷺の群であった。

 色が失せた冷たい世界で、そこだけが唯一命を感じさせるような、そんな光景だ。するりと胸元から抜け出したゆずが空を見上げてはしゃいでいる間、夭夭は正面の壁に寄り添うように佇む少女を見つめていた。


 夭夭の視線に気が付いた少女は、一度だけ深々とお辞儀をすると、ふいと姿を消してしまった。遠目なので確かではないが、おそらく微笑んでいたような気がする。


「夭夭さんてば、えらく顔が緩んでますね。さては、女ですか、女ですね」


 いつの間にか、ゆずに頬をグイグイ引っ張られていた。まあ女といえば女なのだろうか?と首を傾げつつ、両手でゆずを引き剥がしてコートの中に抱え直すと、クルリときびすを返した。


「心配しなくても大丈夫だったみたいですね」

「ちょっと、壁見ていかないんですか、壁」

「ちら見しました」

「ええっ、私見てませんよ!もっとじっくり見ましょうよ」

「それよりもゆずさん、昨晩『搾り柚子』というものを作りましてね」

「ななな何ですかそれは!」

「これに蜂蜜を加えて飲むと、大変美味なわけですよ」

「帰りましょう、今すぐ帰りましょう」

「はいはい」


 ひょこりと立った耳を覆うように頭を撫でると、目を細めた満足そうな顔が返ってくる。夭夭は番傘をくるくる回しながら、もと来た道を戻っていった。

 

 解師達にとって、妖という存在は人間よりも身近だ。根本的に人とは違う存在なので、相容れることは無いという事もわかっている。

 ただ、一部で人と妖の境界に存在しているモノがいる。多くは半妖であったり、人との暮らしを望む妖であったりするが、総じて端境者(はざかいもの)と呼ばれ、どちらからもからも忌み嫌われている。


 沖の街区は、もともと端境者の厄介払いとして使われていた街区だが、今ではどこよりも安定した生活を営んでいる。外敵である妖から守り、共に生活を営む端境者を、住人は普通に受け入れている。沖の街区は、これから人と妖の未来を変える重要な街区に育っていくのかもしれない。


 カベと春菜は、その沖の街区へ敵対する者を監視し、守護する役目を担うことになった。これから何度も大切な役目を果たし、人々から信頼を得ていくだろう。

 それは元正四位掛水サナ江の思惑とは違う方向だろうが、夭夭にとってはより望ましい結果である。


「夭夭さん」

「え?」

「着きましたよ」


 ゆずの声で思考の深海から急速に浮上すると、目の前に『空や』の扉があった。

 いつからあるのかわからない、人とあやかしをつなぐと言われる骨董店。

 もしかすると、解師の原点は『空や』なのかもしれない。


「そうあれかし、ですね」


 呟いて店に入る。

 やわらかい空気に包まれた、いつもの骨董店が緊張していた精神を解していく。


「ふう。これでようやく、ゆっくり骨休めできます」

「あ」

「え?」


 ガラガラと人骨無布が崩れ落ちる音が鳴り響いた。

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