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その後のお話(3)

おわ…おわらない


― 4.黒くて長い棒 ―


 横たわるすだちの横に、黒い塊が落ちてきた。

 公園灯に照らされて艶やかに光る、長方形の物体は、所どころに黄色いブチ模様が入っていた。

 すだちは、その物体を良く知っている。

 何しろ、毎週欠かさず買いに行かされるからだ。


 夾竹桃の栗羊羹が、そこにあった。


「羊羹?」


 馬乗りになっていた華子も、同じような感想を持ったのだろう、間の抜けた声で羊羹を凝視している。

 やがて羊羹からヒュウと音がしたかと思うと、突然吹雪が華子に向かって吹き付けられた。


「うっぷ!?」


 突然の事に慌てた華子が飛び退いたので、組み敷かれていたすだちは、易々と拘束から逃れる事ができた。

 ごろりと一回転し、両者から逃げられる距離と方向を確認する。

 羊羹から吹雪が出てくるという異常な光景に、却って頭が冷静になったようだった。

 一方の華子は逆に頭に血が上っている。

 ざわりと髪を逆立て、鬼の形相で男を睨んだ。

 

「あんた、なに?」

「何とはご挨拶ですね、『川姫』さん」

「私の事を知ってるってことは、人間じゃないでしょうね」

「いやいや、人間ですって。職業柄詳しいだけで」

「なら、何故結界に入って来られる!」


 小さいながらも、華子は独自の結界を張ることが出来る。

 元来ゆっくりと人の生気を摂取する妖なので、食事中邪魔をされないようにする為に身につけた能力だ。

 ヌリカベなども結界を使うが、華子の場合はそれと比較してもかなり強力な部類で、他の妖や人間が侵入してくることはまず出来ないはずだった。

 だが、男は一人で結界を破って侵入してきた。

 漆黒和服は袴とも違い、動きやすそうに見えるが、まるで現代にマッチしていない妙な男だった。

 

「何でって…こうやって、かな」


 指に挟んでいる青い紙をひらひらと振ると、ふわりと放り投げた。

 『静寂の暴魚』と呼ばれる結界兼警報装置となる青い紙は宙を漂い、華子の作った結界に触れると、青白い光を放ってパシン消滅した。

 そこにポッカリと結界の穴が空いていた。

 結界というものは便利な能力だが、同等かそれ以上の結界同士をぶつけると、相殺されてしまうという欠点もある。


「馬鹿な、そんな札一枚で入れるはず無い。やっぱり妖ね」

「失礼な、人間ですよ」

「そんな道具を使う人間は見た事ないわ」

「あー、最近解師はめっきり少なくなりましたからねぇ。まあ、どっちにしろ悪い妖にはお仕置きしないといけません」


 ため息をついて頭を掻く男からは、緊張感の欠片も感じられなかった。

 そして無造作に腰から先端の曲がった平べったい竹のようなものを取り出すと、右手の久し指へと重ねる。


「堅牢なる金鬼に告げる。鬼熊手の一部を依り代とし、不壊の指となれ。そうあれかし」


 男が術を唱えると、右手の人差し指が大きな鬼の指へと変化した。

 流れるような動作で術が行使されると同時に、華子へと鋭い爪が迫る。

 元々、戦闘そのものが得意では無い華子にとって、指一本とはいえ鬼の指が迫ってくるのは充分脅威である。

 慌てて避けるが、男の操る鬼指は的確に華子を狙ってくる。

 

「この…」


 鬼指を避けて飛び退くと羊羹の吹雪に当たり、吹雪を避けていると鬼指に襲われる。

 勝ち目が無いと判断したのか、華子は反転すると、大きく宙に跳ねて公園の茂みへと姿を消してしまった。

 男は暫くその方向を見ていたが、華子が敢然に去ったと判断して鬼指を消す。

 そしてすだちを安心させるべく、笑顔で振り返った。


「もう大丈夫で…あれ?」


 格好良く差し伸べた手が、何も無い空間を空しく漂う。

 そこにいる筈だったすだちの姿はすでに何処にも無く、彼女の落とし物とおぼしき小さな銀色の鈴が落ちているだけだった。

 わざとらしく大きなため息をつき、肩を落とすと、男は傷だらけの指で鈴を拾い上げた。

 

 鈴を目の前にかざすと、公園灯の光を受けて鈍い銀色に輝いていた。

 目を細めて懐かしむように鈴を二三度鳴らす。

 

 ちりり、ちりり

 

 するとくぐもった鈴の音とともに、男の姿が蜃気楼のように歪み、やがて景色に溶け込んで消えていった。



 その頃、すだちは自宅に向かって必死に走っていた。

 街道にはちらほらと街路灯が灯り始めているが、まだ人通りは結構ある。

 少し遠回りになるが、できるだけ人の多い場所を選んでいた。

 

 化け物と遭遇する恐怖が、他人を巻き添えにする罪悪感を上回ったのだと気がついたのは、自宅まであと半分という所まできた時だった。

 ふともたげた疑問に、すだちの足は徐々に遅くなり、そしてピタリと止まってしまった。

 

 人が多い場所を歩けば、大丈夫だと思った?

 いやいや、あの『笑い般若』とやらが周りを気にする筈がない。

 人に紛れたら、探せないだろうと思った?

 いやいや、華子は一度目を付けられるとしつこく追ってくると言っていた。

 

 結局自分は他人を犠牲にして助かりたいと思っただけなのだ。

 そう思ってしまっては、これ以上前に進むことなど出来なかった。

 

 周りを見れば、家路を急ぐサラリーマン、これから夜の街で遊ぼうとはしゃいでいる若者、子育てで疲れ切った顔の主婦、塾へと走る小学生、さまざまな人が行き交っていた。

 その人達が、『笑い般若』に引きちぎられ、食われている光景が頭に浮かんだ。


「や、やだ、やだよもう」


 自分の選んだ道がもたらすかもしれない結果を想像し、恐れ戦く。

 頭を抱えてしゃがみ込んだ時、背後でぴちゃりと音がし、ビクリと振り向いた。

 そこには、アイスクリームを溢して、姉に怒られている妹の姿があった。


 ぼんやりとその光景を眺めていたすだちは、なんだか自分が姉に怒られているような気がしていた。

 姉を護ろうとするあまり、いつも最悪の事態を想定して何も行動できなくなってしまうのは、すだちの悪い癖だった。

 パンと頬を叩いて、気合いを入れ直す。


「よし、最短距離でブッ飛ばす」


 屈伸を二回して、クラウチングの姿勢を取ると、細く細かく息を吸い続けた。


「セット」


 息を止める。

 そして心の中でスタートの合図を送った。



― 5.笑わない般若 ―


 『笑い般若』は、人通りの多い中央通りから少し外れた場所にある雑貨店に身を隠し、待ち伏せしていた。夾竹桃で気まぐれに子供を食べていた時に見つけた少女から漂ってきた、芳醇な香りが忘れられなかったのだ。


「あれは、抗い難い香りであった。早く喰ろうてみたい」


 なぜ中央通りで待ち伏せをしているかと言えば、恐怖で逃げ出した人間は大抵人混みの中へと逃げ込む事を経験上知っていたからだ。

 予想通り、店でみたあの少女が途中までやってくるのが見えた。


「くくく、良い、良いのう。こんなに遠くからでも、上手そうな香りが漂ってきよる」


 舌なめずりをし、結界の中でひっそりと獲物がかかるのを待つ。

 もう少し、もう少し近づけと心で念じていると、少女がピタリと足を止めてしまった。まさか気配を察したのかといぶかしむが、頭を抱えてしゃがみ込んだところを見ると、そうでは無いらしい。


 しばらく独り言をつぶやいていた少女は、突然おかしな姿勢をとったかと思うと、猛然と走り出し、わき道へと消え去っていった。

 驚いたのは『笑い般若』だ。

 あと少しで食えた獲物が、目の前でするりと逃げてしまったのだから。


「何だ、何だというのだ!おのれ、エサの分際で忌々しい」


 怒りのあまり結界から外に姿を現してしまいったせいで、周り中から悲鳴が上がる。

 慌てて結界内に引っ込んだ時にはもう、すだちの姿は見えなくなっていた。



 すっかり夜の帳が降りた頃、すだちはようやく家にたどり着いた。

 神社の鳥居をくぐり、疲れた足を引きずって階段を登っていく。

 時折振り返りつつ、誰も追ってきていない事を確認すると、息を整えて最後の階段を登り切った。

 目の前には社務所の明かりと、お狐様の像がある。

 

 いつもの光景が目に飛び込んできた瞬間、安堵のため息と涙が同時に出てきた。

 ほんの数十分前に姉に見送られたばかりだというのに、何日かぶりに帰ってきたかのような感覚だった。


「よかった、お姉ちゃん起きてる」


 独り言で恐怖心を和らげ、社務所の方に足を向けた時だった。

 砂利を踏む足音と共に、お狐様の像から人影が出てきた。


「だ、誰っ!?」

「やっぱり、ここで待ってた方が正解。見つけたよ、すーちゃん」


 華子だった。

 満面の笑みで、すだちを迎えるように両手を広げている。

 身体の半身が氷ついているのは、公園での攻防が原因だろう。


「待ってたんだよ、心配したんだから。大丈夫だった?」


 怪しく光る目は、人のそれではない。


「華子…嘘でしょ、嘘だよね。華子は、妖なんかじゃないよね」

「『なんか』とは酷いなあ。私はれっきとした妖だよ。でも、人と同じ暮らしをしてるし、同じ物を食べるし、勉強も恋もするんだから、人と変わらないよね」

「それは…」


 華子は首を傾げて言った。

 人と何が違うのかという問いに、すだちは明確な答えを持っていない。


「でも、私を食べようとして」

「違う違う、あの時は変な男に邪魔されたけど、『笑い般若』に付けられたマーキングを落とそうとしただけなんだよ」

「マーキング?」

「一度『笑い般若』の結界に踏み入れると、妖力の臭いをつけられちゃうんだ。早く落とさないと、ずっと狙われちゃうから、私が吸い取って上げようとしたの。私がすーちゃんを食べるわけないじゃん」

「そ、そうだよね」


 胸をなで下ろしたすだちにそっと近づいた華子は、優しく肩を抱きしめる。

 その腕はひんやりとしていたが、とても暖かいものだった。


「心配したんだから」

「ごめん」

「ほんと、すーちゃんが先に『笑い般若』に食べられちゃうんじゃないかって」

「華子?」


 華子の目が赤く染まり、髪がざわりと浮き上がる。

 人の生気を喰らう川姫の本性が現れた瞬間であった。

 突然変わった雰囲気に、すだちは顔を上げようとするが、思い止まった。


 もちろん華子が妖であることは、わかっている。

 だが、すだちにとって華子は華子であり、人か妖かなど些細な事でしか無い。彼女は大切な親友であり、抱きついている腕が僅かに震えている。

 彼女は苦しんでいた。

 それならば、親友が取るべき行動は一つだ。


「いいよ、華子になら」


 すだちの一言に、華子の肩がビクリと跳ねた。

 僅かな沈黙の後、華子は乱暴にすだちの身体を引き剥がした。


「華子?」

「ちぇ、予想外に早い。ちょっとキモいんだけど、オバさん!」


 華子が身構えるその先に、暗闇が凝縮していた。

 その中から、にゅうっと般若の笑い顔が浮き出てくると、続いて右腕そして左足と次第に姿を現していった。


「ようやく見つけたぞ、良い匂いの女」

「すだちは、渡さないよ」


 華子が間に割って入り、すだちを後ろへと追いやる。早く社務所へと逃げ込めという合図だ。

 僅かに躊躇したが、すだちがいても足手まといになるだけだと判断し、きびすを返して走り出した。

 だが、直ぐに見えない壁へとぶつかり、跳ね返されてしまった。

 しこたまぶつけた鼻を押さえながら、涙ながらに訴える。


「いったぁ!何よこれっ」

「すだち、大丈夫!?」

「う、うん、でも何かヘンな壁があって…」


 『笑い般若』がケラケラと笑い声を上げる。


「阿呆め。今度は、逃がさぬわ」


 前回は緩めの結界だったせいで、獲物を取り逃がしてしまったという苦い経験があるため、今回作った結界は非常に強力な物だった。

 それこそ華子が束になってかかっても相殺出来ないほどの強度を誇る。

 ただの人間でしかないすだちに、どうこうできる筈も無かった。

 ドンドンと見えない壁を叩きつづけるすだちを、あざ笑う。


「そう慌てるな、今すぐ喰ろうてやるさ」

「老人に生肉は毒物だよ」

「ほざけ、手負いの小娘が」


 『笑い般若』の鋭い爪が華子を横薙ぎにしようとしたが、一瞬早く華子は跳び上がっていた。

 身軽な身体を活かして『笑い般若』の右肩に飛び乗り、そして反対側へと飛び移った。


「もう高齢で目が付いていかないんだねぇ」

「『川姫』ごときが、我に勝てるとでも思うか」


 相手を煽り、身を翻して攻撃を避け、時に伸ばしてきた手から生気を吸い取る華子は、まるで蝶のように美しかった。

 だが『川姫』と『笑い般若』では地力が違いすぎた。

 ほんの僅かな隙に袖を掴まれ、地面に叩き付けられた華子は、それだけで動きを封じられてしまった。


「う…」

「何だい、最近の若いのは口だけだねぇ。ひひ、まあいい、お前はそこで転がったまま、良い匂いの女が喰われるのを見ているが良いさ、ひひ」

「させない」


 華子は、袖口から取り出したかんざしを笑い般若へと突き出した。

 完全に油断していた笑い般若は、かんざしを脇腹に受けてしまう。


「ぎゃっ」


 まだ人間だった頃、遠い遠い昔、母親から受け継いだそのかんざしは、妖を焼き固めるという。

 妖となってからも大切に持っていたかんざしは、握った華子の手も焼き始めるが、構わずズブリと差し込んでいく。


「ぎぃやあああ!こっ、このっ餓鬼がっ!」


 笑い般若の蹴りが華子の腹に突き刺さり、すだちの元へと派手に飛ばされていった。

 脇腹から沸き上がる白い煙は、かんざしが抜き捨てられてからも消えずに残っているが、残念ながら致命傷というわけにはいかなかったようだった。

 ズシリと笑い般若の怒りを乗せた足音が響く。


 すだちは、ボロボロになって転がってきた華子の身体を必死に抱える。

 華子の意識は無く、酷く痛々しく見えた。

 自分だけ怖がって逃げるなんて、駄目だと心の中で叫んだ。

 キッと正面を見据えると、もう恐怖心は消え失せていた。

 あるのは友人を傷つけた者への怒りだけだ。


「ひひ、ようやく喰えるか。良い匂いの女。もっと怖がって、良い匂いをさせておくれ」

「あんたなんか、怖くないんだから」

「おや、そうかえ。それじゃあ、仕方ない。邪魔が入る前に、頂くとするかね」


 すだちは、華子を強く抱きしめ、そしてぎゅっとを瞑った。

 笑い般若の口が開き、無造作にすだちを頭から喰らおうとして、そして悲鳴を上げた。


「ぐうお」


 低く唸るようなうめき声とともに、後ろへと跳躍した。

 左手で押さえた目には、すだちが突き刺したかんざしが突き刺さっている。

 すぐさま反転したすだちは、華子を抱きかかえたまま結界に体当たりする。

 二度、三度。

 

 しかし、いくら笑い般若が動揺したといっても、人間の力で破れるほど結界の力は弱くなっていないかった。

 五度ぶつかった所で、背後から聞こえる咆吼に足が竦んでしまった。

 

 振り返って見ると、笑い般若が笑っていなかった。

 

 般若の形相で怒り狂う姿を目にして、すだちは座り込んでしまった。

 視線だけは外さず、しかし心ではもう駄目だと諦めている。

 その時、頭上から突然男の声が振ってきた。


「やれやれ、ようやく見つけましたよ」


 とぼけた顔で、結界の中ににゅうと現れたのは、公園で栗羊羹を投げつけた男だった。

 あれだけ体当たりしてもビクともしなかった結界に、あっさりと入り込んでくる。

 混乱するすだちの頭に、男の大きな手がぽんと乗せられた。


「よく頑張ったね」


 甘く優しい男の声に、すだちの心臓が二度、跳ねた。

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