その後のお話(1)
前回で本編は終了いたしました。
ここからはエピローグ的なお話となります。
いきなり時代が飛び、登場人物も変わりますのでご注意下さいませ。
― 1.部活の決め方 ―
皇室の管理する大きな緑地にほど近い所に、旧制中学からの流れを汲むとある高校がある。
伝統を尊ぶその高校では、生徒の自主自立、文武両道を原則としている。
そのため学校方針には、独自のヘンな体操があったり、ライバル校との対抗戦があったり、遠泳や縄跳びが必須であったりしてとてもユニークだ。
新入生達は入学後にそれを知る事となり、大いに驚くのだが、その中でも彼らが最初に躓くのは初めてのホームルームで伝えられる、ある指示だった。
「皆も知っている通り、当校では文武両道が原則だ。従って基本的に一年生は全員何らかの部活に入る事が義務となっている。二週間以内に必ず私まで入部証明書を渡すように。以上」
生徒達からのブーイングを気にも留めず、担任のゲロ松先生、もとい吐田教諭は教室からさっさと出て行ってしまった。
残された生徒達は、手渡された部活紹介のパンフレットを広げながら、初めて会った相手とああでもないこうでもないと相談を始めている。
そんな喧噪をよそに、机につっぷして物憂げに手を揺らすショートカットの女子生徒が居た。
「すーちゃん」
そのショートカット娘の背中を、つんと指した者がいる。
後ろの、黒い髪を腰まで伸ばした小柄な女子だ。
「んー」
すーちゃんと呼ばれたショートカット娘は、ノンビリとした動作で後ろを振り向いた。
全くやる気が感じられない。
だが小柄女子は動じた様子も無く、満面の笑みでパンフレットを指さした。
「すーちゃんは、どこに入る?やっぱり水泳部とか?悩殺ビキニと魅惑のボディーで男子を茹で蛸にする気でしょう?きゃあどうしよう、私にはちょっと無理かも。すーちゃんほど盛ってないし、どうしたらいいかな、ねえねえ」
「華子の脳みそは、腐敗が進行しているのね」
「なんでっ」
「そうね、うちの水泳部はバリバリの体育会系だから競泳水着だし、私は泳げないし、華子が一緒に入部する必要は無いし、何よりも」
「何よりも?」
「盛ってないっつーの!」
華子の頭にチョップをかまし、ショートカット娘は再び机につっぷした。
関わるなという意思表示である。
それにも関わらず、華子は敢然とショートカット娘に立ち向かった。
後ろから胴に手をまわし、決して小さくない胸をむぎゅりと鷲掴みにしたのだ。
「ふんぎゃあーっ!」
女子にあるまじき大声を上げて立ち上がったショートカット娘に、周り中の視線が集まる。
だがそのうち何人かの男子は、直ぐに顔を赤らめて視線を逸らした。
さもありなん。
彼女の胸には、立ち上がってなお鷲掴みにしたまま放さない華子の手がぶら下がっていたのだから。
こんな時代ではあるが、小さくはない乳が無造作に掴まれ、その存在を誇示している様を見ることに、恥じらいを感じてしまう程度の純朴な青年も存在するのだ。
いやはや、喜ばしい事である。
「喜ばしいことである、じゃないわよっ!」
妙なナレーションを入れる華子にエルボーをかまして、その手を振りほどくと、シッシと手を振って見物人達を追い散らした。
ヒソヒソと男子の囁き声が耳に入ってくるが、無視を決め込む。
「華子、次にやったら絶好だから」
「い、いやぁだって盛ってないかどうか確かめようと思って」
「よし、今から絶好だ」
「わああ、ごめんなさい、お願い見捨てないで、お願いします。すだちちゃんがいないと私、生きていけない」
「その名前で、呼ぶなと、何度言ったら、わかるんだっ」
「いらいぉ、いらいぉー」
華子の頬が限界まで伸びたことを確認し、すだちは手を放した。
柚木すだち、ショートカット娘の本名である。
小さな頃は好きだった。
とても可愛らしい名前だと褒められ、本人も気に入っていたからだ。
しかし、小学生に入ると、ヘンな名前だと苛められる事になる。
柚子でスダチなんて可笑しいとか、こいつはすっぺぇーとか、色々だった。
最初は相手にしていなかったのだが、在る時好きだった男子に「あいつの名前笑える」と言われた時から自分の名前が嫌いになった。
いや、それは言い訳だ。本当は―
「その名前、私は大好きなのに。ていうか痛いよぅ、マジで加減してよぅ」
「五月蠅い、おだまり」
「すーちゃんってさ、可愛い顔してるのに、怒ると怖いのよね。手が早いし、残念美人ってやつ?あ、流行だからかえってモテるかも。ねぇどうなのどうなの」
「春風や 首振る春菜を 手折るかな 柚木」
「げ」
榛名華子、それが華子の本名だ。
春風に吹かれてあっちこち首を振る、春の花のように落ち着きのない華子は、手折っちゃうぞ、とそんな感じの句であった。
「ちょ、やめようよ。すーちゃんって、ほんと時々洒落にならないから」
「人の言うことを聞かないあんたが悪い」
「そこが私の良い所じゃないですかぁ。でさ、どこか部活入るの?」
「いんや、無理かな。家の事あるし」
「お姉さんの事でしょ。でも、すーちゃんはすーちゃんの人生があるんだし、いくらお姉さんだからって頼りすぎだよね。ちょっと我が儘なんじゃ」
「華子!」
「あ、ごめ」
すだちが本気で怒ったことがわかったのか、華子は首をすくめてしょんぼりとした。
気まずい空気が流れるが、そこは小学生からの突き合いである。二人ともすぐに気持ちを切り替えた。
「とにかく、先生に一度話してみる」
「そうだね。あ、無理なくできる部活がないか、私も探しておくよ」
「ありがと、助かる」
そう言って、部活の話は終わりなり、他愛の無い話が放課後まで続いた。
― 2.同じくらいの愛 ―
お姉さんは特例が認められるが、君はきちんと部活に入りなさい、それが担任の回答だった。
確かに身体に問題があるのは姉だけであり、すだち本人はいたって健康である。
それこそ水泳部だろうが、陸上部だろうが問題なく活動できる。
しかし、それでは高校三年生の姉に負担がかかりすぎてしまうのだ。
アルビノという先天的に色素が欠乏している姉は、髪も皮膚も真っ白な上、瞳も赤みがかっており、その容姿のせいで幼少より苦しんできた。
色素が薄いため皮膚癌のリスクが高く、視力も弱い。屋内でも薄いサングラスが必要な時もあり、なにより多くの誤解と偏見に晒されてきた。
今の高校では、あらかじめ知らされていたこともあり、クラスメイトの協力もあって穏やかな日常を送っているが、ひとたび街に出れば奇異の目に晒されることになる。
特に最近は携帯端末の進化に伴って、盗撮まがいのことを平気でする輩も増えてきており、妹としては神経をすり減らす毎日なのだ。
「だから私が一緒に居ないと駄目なんだって!それなのにゲロ松ったら頭堅いんだもん」
スーパーの袋を抱えながら、すだちは沸騰した薬缶のように怒りの湯気を立ち上らせていた。
横をあるく姉は、ニコニコと笑いながらすだちの頭を無言で撫でている。
真っ白な髪は帽子におさめ、透き通るような肌は服で覆っているが、整った顔立ちのせいか大変目立つ。
本人はまるで無頓着なのだが、先程から何度もスマートフォンを向ける無遠慮な輩を目にしていた。
「それで姉さん、後は何を買うの?」
問いかけられた姉は、指を眉間にあてて顔を傾ける。
何気ない仕草なのに、すだちは見とれてしまった。
姉は本当に可愛らしい。
「ん?なにそれ」
ぼうっと見とれていたら、姉が両指で丸い形を作っていた。
言葉を発しない姉は、いつこうやってゼスチャーで内容を知らせる。といっても手話ではない。あくまで適当に感性で伝えるため、他人が判読するのは極めて難しい。
小さい丸、むにっとつぶせるほど柔らかいもの…。
「あ、饅頭だ」
正解、とばかりに姉はすだちの頭を撫でる。
「饅頭ってことは、夾竹桃のだよね。ほんと姉さん好きだよねぇ」
老舗の饅頭屋『夾竹桃』では、もはやお馴染みさんとなっている。
いつものように店主に挨拶をすると、饅頭を4つ注文した。
神主である父の分、姉の分、そしてすだちの分、そしてもう一つ。
一人分多めに買う。
何故かは判らないが、それが柚木家の習わしとなっていた。
すだちは代金を払いながら、人の良さそうな顔をした店主に話しかける。
「おじさんとこも、いい加減ポイントカードとか導入しなよ。そうしないと、これからの時代生き残って行けないよ」
「ポイント?何だい、そりゃ」
「ほら、こういうヤツ。商品買うとこのカードにポイントがたまっていくの」
すだちは財布から一枚のカードを取り出して店主へ見せる。
へぇと感心しながら、カードをマジマジと眺める店主に、呆れた顔で鋭くツッコミをいれた。
「今時は何でもポイントだからさ。お客さんもそういうのに敏感だし、考えてみたら? 機械嫌いも判るけど少しは頭柔らかくしないと駄目だよ」
「相変わらず、すだっちゃんはズバッと物を言うねぇ」
「だって夾竹桃さんが潰れたら困るもん」
「でもまあ、細々とならやっていけるから大丈夫だよ。ウチはこのまま変えないって初代様からの厳しい社訓だからね」
「あー、なんだっけ六股三郎さんだっけ。奥さんに一度逃げられたとかいう」
「六之丞だって!全く、そんな事言ってると初代様のバチが当たるよ」
笑いながら、ツルッと禿げた自分の頭を叩く店主。
どうやらバチが当たると頭が禿げるらしい。
すだちは身震いしながら、姉とともに店を出た。
夾竹桃から家である柚木神社までの道のりはそう遠くなかったが、途中の公園で猫と戯れたり、ご近所さんから春かぶのお裾分けを頂いたりしていたせいで、家に着く頃には日が落ちかけていた。
少しずつ日が長くなって来たとはいえ、ここから夜の帳が落ちるのは早い。
この辺りは、最近不審者が出るという話を聞いた事があるので、夜は出歩かないよう回覧板が回っていた。しかし、姉の手を引いて足早に玄関へと向かおうとした時、すだちの足が突然止まった。
「あ!」
何事かと振り向いた姉に、慌てた声で告げる。
「ヤバイ、夾竹桃さんとこにカード忘れてきた!」
店主に見せたカードを、そのままカウンターに置き去りにしてきてしまったのだ。
お馴染みさんだから、恐らく保管していてくれるだろうが、それが無いと明日の学食で困ったことになる。
すだちの高校では、そのカード会社と提携しているので、学食でポイントが使えるのだ。
「明日の大盛りカツカレーが、普通カレーになっちゃう!ごめん姉さん、取ってくるから先に家に入ってて。え、大丈夫だよまだ明るいし、あたし足には自信あるもん。心配ないって、子供じゃ無いんだから」
必死に空を指したり、転ぶ仕草をしたりして止めようとする姉に、微笑み返しながら買い物袋を手渡した。
すだちは姉の事が大好きだが、それと同じくらいカツカレーも愛しているのだ。
「じゃ、行ってくる!」
成長期の高校女子は、猛然と神社の階段を駆け下りていくのだった。




