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十一話 ある屋敷の怪異(11)

― 19.夭夭の約束 ―


 永いまどろみの中で、うっすらと目覚めたような感覚があった。


 夭夭は、何気なく目を擦ろうとし、失われたはずの両手がある事に気がついた。

 驚いて声を上げようとするが、いくら頑張っても音が出ない。

 しばらく慌てたあと、ふと我に返って思い出した。


 自分はすでに人生を全うし、これから世界に溶けていくのを待っているのだと。



 そこは音が無い世界。

 香りから断絶された世界。

 何物にも触れることが出来無い世界。

 そんな味気ない世界だった。


 唯一、目だけが鮮やかに世界を映し出していた。


 夭夭の身体(いれもの)にすがりついて、大泣きしているのはゆずだろう。どうにか門を閉じることが出来のだとわかり安堵するが、彼女に触れて慰められないのは辛い。

 今すぐ抱きしめて頭を撫でてあげたいのに、夭夭の手は何度やっても彼女をすり抜けてしまう。

 ガックリと肩を落とし、次に隣へと視線を向ける。

 師匠のサナ江は気絶しているようだが、秋白とともに六がしっかりと抱き抱えている。二人が居れば解師協会の復興は難しくないだろうと安堵する。



 ふと門の方に気配を感じて視線を動かすと、忌々しげな顔をした壮年の男が一人立っていた。一度も見たことがない顔だが、深淵の王本体だとわかった。

 王が手を伸ばしてきたので一瞬身構えるが、夭夭の身体を突き抜けてしまった。

 お互い干渉できる存在ではないのだとわかり、思わず笑ってしまった。

 王は王で、また違う次元に存在している。


 王は、最後まで恨みがましい視線を送っていたが、夭夭は笑顔で見送った。ざまあみろ、今度も勝ったぞと。

 千年後か二千年後かわからないが、再び門が開く時にも『空や』が残って居れば、次もきっと勝つだろう。

 心で勝ち鬨をあげていると、王の気配が完全に消えた。


(そろそろ、私もですかね)


 自分の身体に目を移せば、徐々に足元から消え始めていた。

 やはり最後はゆずの側が良い。

 そう思って隣へ寄り添った。


 相変わらずゆずの白い毛並みは美しい。

 小さな顔にふわふわの尾、たしたしと夭夭の身体を叩いている足も可愛らしい。

 涙に濡れてはいるが、つぶらな瞳も魅力的だ。


 こうして世界へと溶けるまで、ゆずと居られるのは嬉しかった。

 唯一の不満は、鈴のように可愛らしい音を奏でる彼女の声が聞けなかった事だろうか。


 だがそれでよかったのかもしれないと思い直す。

 ゆずの声が聞こえてしまったら、きっと魂が束縛され地縛霊にでもなってしまうだろう。

 それでは駄目なのだ。

 夭夭はこれから世界に溶けていき、そしていつか―


(必ず、逢いに行きます)


 

 ゆずには、僅かに感じられていた夭夭の大切な何かが、この瞬間に消えてしまったことがわかった。

 その直後、ゆずの頭に天狐としての知識、神力の使い方が次々と浮かび始める。

 いくつもの強力無比な術が、まるで初めから知っていたかのように頭へと流れ込んでくる。

 閉ざされた空間の壊し方、妖力を喰う妖怪への対処方法、そして魂を身体に宿す方法。


「いまさら! 今更こんなもの、いらないよ!!」


 ゆずは泣きながら叫んだ。

 夭夭の魂は、もう失われた後だ。欲しい時に得られず、いらないときに押しつけられる。

 神の眷属であるが故に、神を呪う言葉など吐くことは出来ないが、言わずにはいられない。


「もう知らない。全部、叩き返してやる」


 パリンという音と共に、混濁した空間が割れると、元々あった解師協会の部屋が姿を現した。

 身体の大きさを虎ぐらいに大きくしたゆずは、夭夭の身体を四つの輝く尾でくるむと、ふわりと浮き上がった。


「ゆずちゃん、どこに行くんだい」


 輝く尾を眩しそうに見つめながら六が尋ねたが、ゆずの口から漏れたのは獣のようなうめき声だけであった。



― 20.狐の街 ―


 その日、街のあちこちで白く輝く狐の姿が目撃された。

 最初に姿を見たと言われているのは、柚木神社近くの理髪店店主だ。


「ありゃあ、妖の襲撃がぱたりと止んだ日の事だったよ。もう大丈夫かなと思って外で煙草を吸ってたんだ。ああ、雲一つ無い青空だなぁ、なんて思ってよ。何気なく柚木さんとこに目をやったら、空に向かって白い何かが登っていくのが見えたわけよ」


 店主曰く、それは白無垢を来た大きな動物のようだった。

 その動物は、暫く柚木神社の上空をゆっくりと遊覧するように回っていたのだが、やがて街の中心部へと向かい、理髪店の上空を通過していった。

 見上げると、動物の姿はどうみても白い狐なのだが、大きさが尋常ではなかった。

 それに尾が四つあるので、妖に間違い無いと判断した店主は、あわてて店の中へと避難した。


「そりゃまあ柚木さんとこのお狐様だとは思わなかったしな。妖狐にゃあ悪い奴も居るし、なにより妖には散々仲間が殺されちまったから、正直ビビッちまったんだよ。尾の所に人間みたいなのが居るのを見ちまったし、喰われるのかなって。今にして思えば、あれがお狐様の婿殿だったんだが、そん時は知らなかったしよ」


 街の上空を飛び続ける白い狐の姿は、次々と人々に目撃されていった。

 妖狐はまるで新婚旅行を楽しむかのように、ゆっくりと街を見て回った。

 何か悪さをするでもなく、上空を漂うように流れていく。

 

 だが人々が訝しむ中、妖狐は時折哀しそうな鳴き声を上げたらしい。

 すると、不思議な事に青く晴れ渡った空から、ぱらぱらと雨が降ってくるのだ。

 雨は人々にとってはだたの不思議な現象だったが、街を襲っていた妖にとっては致命的な毒となった。

 

 息を潜め、ひっそりと隠れていた百鬼夜行・裏抄から発生した妖達は、大混乱に陥った。

 触れるだけで身体が消えてしまう雨から、必死に逃れようとする。

 妖力で跳ね飛ばそうとする者、建物に隠れてやり過ごそうとする者、姿を消して逃れようとする者、全ての者に等しく雨は降り注ぎ、そして消滅させていった。

 

 門から現れた全ての妖を消した後、妖狐が最後に向かった先は、沖の街区と呼ばれる人と妖が共存する特別な街だった。

 その時の様子は、街の色々な人間が証言しているが、中でも蛍子と呼ばれる少女の言葉は当時の新聞にも載ったので有名だ。


「はい、私の屋敷に立ち寄られました。そうです、これからも人と妖が共に生きられる街にすると、彼女と約束しました。ゆずさんですか?…神様に喧嘩売ってくるって、言って出て行きましたよ」


 妖狐は屋敷を後にすると、街の上空で大きく二度円を描き、そのまま空の彼方へと消えていった。

 それ以降姿を見た者は居ないという。

 

 この事件以来、沖の街区は『お狐街区』と呼ばれるようになり、一風変わった風習が今も続けられている。

 お狐街区で結婚式を挙げる時、花嫁は狐の面を被り、ある屋敷に奉納されている白無垢を着て街を歩くというものだ。

 信じられないことに、この手順を踏んだ場合、必ず空は晴れているのに祝福の雨が降るのだそうだ。

 

 そして、この不思議な現象のことを、この地方では『狐の嫁入り』と呼ぶようになったのだとか。

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