十一話 ある屋敷の怪異(10)
― 17.長いお別れ ―
分体の硬質な刃が、死神の鎌のように振るわれる少し前、夭夭は独楽をプッと吐き出していた。
ところが、予想に反して独楽は力なく地面に落ち、夭夭の顔に失望の色が浮かぶ。
歯で独楽を回すなどという曲芸は、そう簡単にできるものではない。
「サナ江さん、出番ですよっ」
「ちっ、全く師匠使いの荒い弟子だよ」
サナ江の舌打ちに呼応するかのように、分体の刃が横薙ぎに襲ってきた。
ゴウッと空気を切り裂く音と共に迫る刃は、しかし秋白が手にした小刀によって上手に逸らされている。
秋白がなんとか凌いだのを確認すると、サナ江は夭夭の元へと駆けつけた。
「で、どうして欲しいんだい」
「回してください。後は直ぐに遠くへ逃げて」
「ちょっとまて、こいつぁもしかして『奈落の独楽』なんじゃないか」
「正解」
「冗談じゃない!」
サナ江は躊躇した。その独楽の事は以前解師協会の幹部会で聞いた事があったのだ。
『空や』に伝わる禁断の独楽で『奈落の独楽』と呼ばれる道具がある。
その独楽には、絶対に関わってはいけないと、きつく言い渡されていた。
というのも先々代の『空や』店主が考案した時、とんでもない災厄を引き起こしたからだと言われている。
奈落の独楽は、妖力を吸い続ける道具である。
一定の回転数まで妖力を流し込んで回すと、そこから先は加速度的に周囲の妖力を吸い込んで成長していく。
とある事件で、先々代がある旧都の大妖を封じ込めようと独楽を使った際に、制御が効かず暴走してしまった。
おかげで旧都一帯の妖が全滅し、鎮守をも失ったため生態系の均衡が崩れ、大惨事を引き起こしたのだった。
当時の解師協会正一位により使用を禁じられ、封印されたはずだったが、コッソリとすり替えてきた先々代が『てんてんの部屋』へと隠し、それを先代、当代が地道に改良してきた。
吸収する量の上限を限定し、時間を制限してなお、使い物になるかどうか判らないという代物だが、強力な武器であることもまた事実だ。
「大丈夫なのかい、これ」
「さあ?とりあえず起動したらすぐ3メートル以上は離れてください」
「メートルなんて言われてもわからないよ!」
「一丈くらいですよ」
「先にそう言いな、全く。仕方ない腹ぁ括るかね」
サナ江が毒づき独楽を回すのと同時に、夭夭が術を行使した。
「奈落の渦をもちて妖の力をからめとらん、そうあれかし」
弱々しく回転する独楽が青白く光を放ち始めた直後、分体に吹き飛ばされた秋白の上半身が、サナ江の前に転がってきた。
ついに凌ぎきれなくなり、上下真っ二つに切断されてしまったのだ。
「ひっ」
僅かに驚いたサナ江だったが、秋白は傀儡子なので、この程度で活動を停止する事は無い。即座に頭を切り換えると、両手で秋白を抱え上げた。
一刻も早く独楽から離れなくては、妖力を喰われて死んでしまう。一丈の距離を一足飛びで超えた。
しかし、離脱したはずの身体が後ろに引っ張られる。
「お、お、お?」
慌てて片足を地面にめり込ませ、何とか耐えた。
「クソッタレ夭夭め。一丈だって?大嘘つきが」
すでに独楽の周囲では、吸い取られた妖力が紫の妖しい光を放ちながら渦を巻いていた。
ところが、その大きさは二丈を超え始めている。
妖力を使って脱出しようにも、詠唱した途端、あっという間に吸い取られてしまうだろう。
荒れ狂う妖力の嵐に飲み込まれ、脱出の手段もなく途方に暮れるサナ江に、聞き慣れた男の声が聞こえてきた。
初めは幻聴かと思われたが、次第にしっかりと耳に届き始める。
「サナ江、投げるぞ。掴まれ!!」
長年連れ添った男の力強い声だった。
サナ江の都合で黙って姿を消したのに、ずっと帰りを待ち続けた男であり、再会してもなおサナ江の我が儘に身体を張って付き合ってくれた変わり者、掛水六之丞である。
六の放った荒縄の端を掴んで身体に括り付けると、すぐさま力強く引っ張られた。
ああ、自分は助かったのだと安堵したせいか次第に意識が薄れていく。夫の腕の中に収まった時、落ち行く瞼とともに不肖の弟子がうっすら微笑んだのが見えた。
一方で夭夭は、サナ江が六に回収されたのを見届けてから、前に向き直った。
胡座のまま見据える先では分体が身をよじっている。
「ぬうぅ、我の妖力を吸い取るというのか!」
「おどろき…ましたか…ざまあ、みろだ」
分体が妖力を吸収するには、部分的にそして指向性を持たせる必要があるのに対して、独楽は効果範囲の全てを飲み込めば良い分、単純だ。
そして飲み込んだ妖力を元に回転を上げて、加速度的に吸収量を増やしていく。吸い込む力は拮抗し始めていた。
狙い通り、分体は独楽に吸収されないよう全力で阻止しているので、足止めは出来た。
だが一方で、術者たる夭夭の妖力もとっくに吸収されてしまっていた。
両腕を失った夭夭が、妖力もなく生きていられる時間はごく僅かだろう。
そしてこのまま術者たる夭夭が死ねば、奈落の独楽も停止してしまう。
分体もそれが判ったのか、渦巻く顔の中にニヤリと笑う口を出現させていた。
「まあよい、術者の貴様が死ねば独楽が止まるであろう。そうなってからでも充分間に合うだろうさ」
確かに、ゆずはまだ門の半分を閉じ終えたところだった。
このまま残り半分閉じ終えるまでの時間を稼ぐ事は出来ない。
もう完全に時間切れのように見えた。
だが夭夭は心配していない。分体を葬る条件は整っているし、その後はサナ江達がどうにかするだろう。
唯一の気がかりは、ゆずと最後のお別れが出来なかった事だけだった。
(長いお別れになりますね。でも生まれ変わってもきっと、見つけてみせますよ)
神に祈り、強烈に念じたところで、体力が尽きる。
傾いでいく上半身が地面に触れる直前、命の絞り滓を使って最後の一言を発した。
「上限を、解除する」
独楽の発する光が黄金色へと変化した瞬間、妖力の吸引力が爆発的に跳ね上がった。
「ぐあおっ!?」
一瞬で足を飲み込まれた分体は、倒れ伏した身体で地面を掴みながら、必死に吸引仕返して抵抗を試みる。
しかし吸収上限を無くした奈落の独楽は、分体の抵抗をあざ笑うかのように、その身体を喰らっていく。
「うおおっ、馬鹿な、馬鹿な!」
いくら分体とはいえ、深淵の王の一部である。たかが人間の創り出した道具などに、引けを取るとは思いもしなかった。
ところが現実はどうだ。
妖力のみで構成されている分体の身体は、回転を続ける独楽に吸い込まれ、喰われ始めているではないか。
「くそ、くそ、くそっ」
分体が全力で吸引をしても、独楽の吸引力を凌ぐ事はできなかった。
硬質化した腕で攻撃しようと試みるが、そもそも形を成す前に喰われてしまった。
足が喰われ、胴が半分なくなったところで、恥も外聞も無く這って逃げだそうとするが、徐々に奈落の底へと引き込まれていく。
ついには、分体も悲鳴を上げてしまった。
「まて、男。我と取引をしよう。どうだ、止めてくれれば妖を支配するための力を半分…」
そこまで口にして、分体は言葉を止めた。
交渉しようとした男は、すでに事切れていたのだ。
「おのれ、おのれおのれおのれ人間め、王に楯突く不遜で唾棄すべき矮小な存在が!呪ってやろうぞ。子々孫々、未来永劫安らぎが訪れることは―」
あらん限りの罵詈雑言と絶叫を残して分体が独楽に喰われていく。
あまりに巨大な妖力を一度に喰らった独楽が、かつてのように暴走を始めようとするが、突然その回転を停止させた。
夭夭が解除しなかったもう一つの制限、効果時間が切れたのだ。
そして、それを追うかのように残り半分の門が閉じられ、辺りを静寂が覆い尽くした。




