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十一話 ある屋敷の怪異(9)

遅くなりました。

ようやく手の痛みが引きました。

― 16.王の運命 ―


 深淵の王は、想像上の産物だとされている。

 百鬼夜行・裏抄の最後に現れる妖で、黒い太陽とも称されるが、実際に見た者は一人も居ない。

 そのせいで、百鬼夜行で現れた妖を全て飲み込む浄化の妖だとか、世界を飲み込む破壊の妖だとか様々な憶測が飛び交い、数々の絵師がその姿を想像してきた。

 

 だが、そのどれもが違っていた。

 目の前にいるのは分体であるものの、貧弱な少年の形をした黒い塊で、とても太陽には似ても似つかない。

 

「あれならまだ、天狐の神力でどうにかなるはずさ」


 サナ江が呟いた言葉が聞こえ、ゆずは鼻の先に皺を寄せた。

 簡単に言ってくれるが、実際そう容易い相手では無さそうだ。

 見た目は脆弱、妖力も大きくないように見えるが、人間や妖の生きる世界とは全く異質な存在だと本能的にわかってしまう。


 ぐる、と喉を鳴らした。

 

 神力を行使できる現状でも、どの程度対抗できるのか全くわからない。

 本来なら相手の出方を探りながら、力の差を確認していくべきなのだろうが、ゆずにとって今は何より時間が惜しかった。

 一刻も早く脅威を排除して夭夭のもとに戻らなければ、二度と会うことができなくなってしまうという焦燥感にかられていた。

 覚悟を決めて、初手から稲荷神の力を四つの尾に顕現する。


「消えろ」


 四本の尾から放たれた光の尾が、深淵の王を二つに切り裂いた。

 確かに切り裂いた筈だった。


「なっ、光が消えたぞ!どうなってるんだ」

「痛い、痛いです師匠」


 肩を掴んでガクガクと揺するサナ江に、秋白は抗議の声を上げたが、興奮したサナ江は構わず騒ぎ続けている。

 それも仕方の無い事だ。

 神の力を顕現させるという天狐の一撃を、手をかざすだけで消してしまったのだから。


 少年の形をした真っ黒な分体は、驚くサナ江達の事など目に入っていないようで、ただじっとゆずを見ていた。

 やがて手をおろし、ゆらりゆらりと身体を揺らしながら口を開いた。


「妖よ、何故に常世(とこよ)の力を借りてまで我の邪魔をするのか」


 少年の姿形に似合わぬ、低くしわがれた声が聞こえて来た。

 それと共に少年の顔が中心から渦巻き始める。

 ゆずは、顔をしかめながら応えた。


常夜(とこよ)の深淵に住まう者よ、汝が現世(うつしよ)に干渉するからだ。今すぐ戻られよ」

「それは叶わぬ」

「何故」

「我は世界の調整役、自浄機能の一つだからだ」

「自浄機能?」

「左様。妖が増えすぎぬよう、ある時期に百鬼夜行・裏抄が発生し、数々の妖と共に我が現世に招かれる。妖は妖を喰い、力を集約していく。そして最後に我が全てを飲み尽くす」

「飲み尽くすって…そんなのが調整だなんて認められません。大体人間にまで被害を及ぼしてるじゃないですか!」


 思わず声を荒げてしまったゆずに、分体は穏やかに応える。


「百鬼夜行の妖は、妖を襲う。襲われたのであれば、それは人間ではなく妖だ」

「無関係の人間も巻き込んでる」

「認識の相違だ。人間の調整は神が行っているだろう。巻き込まれて死んだのなら、それは神がそのように運命づけたのだ。我は妖の調整のためにのみ存在するのであって、他の事はあずかり知らぬ」

「傲慢な」

「汝の使える神とて傲慢だろう。都合の良い時だけ眷属に力を与え、自分は安全な場所で高みの見物だ」

「黙れ!」


 ゆずが吼え、光の波が分体を襲う。

 しかし、分体はそれを顔に出来た渦で吸収してしまった。


「神の使いよ、我は妖の全てを喰らう者だ。いかに神の力を行使しようとも、汝が妖であればその力が我に届くことはない」


 今や分体の姿はぐんにゃりと歪み、不定形な存在へと移り変わりつつある。

 それは徐々に本体へと近づきつつあることを意味している。

 ゆずの焦りはピークに達していた。


「そんなこと、やってみないと、わかりません」


 今ゆずに与えられた神力は極めて大きい。

 稲荷神も己の神地で百鬼夜行などという厄介な現象が起こって相当追いつめられているのだろう、神産みで生まれた三神が一柱である建御雷之男神(タケミカヅチオ)一の雷を借りてくれた。

 鵺の雷など比較にもならないほどの、膨大な力を放つ雷だ。

 これが行使できる。


「一の雷!」


 バリッと放電が始まったゆずを見て、サナ江達が慌てて避難を始めた。

 だが避難する間もなく、気を失うほどの轟音と限界を超えた光が辺りを覆い尽くした。

 耳を塞いだ意味もなくなるほどの大音量と衝撃で伸びているサナ江の横で、秋白はいち早く状況を把握しようと立ち上がったのだが、そこで唖然とする。

 

「嘘だろ、そんな」

 

 そこには、未だ放電を続けて警戒するゆずと、無傷で佇む分体の姿があった。


 一の雷は神の力を顕現した恐るべき技ではあるが、建御雷之男神が使用した時にくらべれば、遥かに劣化版だ。

 それでも大抵の妖なら一撃で葬り去ることが出来る程度の威力はあるのだが、分体には傷一つ付いていない。


「一の雷まで飲み込むなんて…」

「だから届かぬと言ったであろう。我は妖を飲み込む者だからな。運命と思って諦めよ」


 分体が、ゆっくりと近づいてくる。

 無駄とは知りつつも再び一の雷を放つが、同じ光景が繰り返されるだけで、その歩みを止めることは出来なかった。

 『ゆずカッタア』や『ゆずフロオズン』も、するりと吸い込まれていくだけで、まるで手応えが無い。


 分体は、ゆずの目の前まで来ると足を止め、渦巻く顔をゆっくりと傾けた。

 ゆずの本能は逃げろと叫びつづけているが、身体が動かない。初めて味わう「存在を消される」という恐怖が、手を足をがんじがらめに縛り付けていた。


「どれ、神の御使いは、どんな味がするかな」


 分体の渦巻く顔から、舌のようなモノがだらりとぶら下がった。

 味わうどころか、触れた部分からずるずると吸収されてしまうであろう蠢く舌が、ゆっくりとゆずの顔に向かって伸びていくと同時に、絶望がゆずの心に広がっていった。


 天狐という存在は、こんな程度では無かったはずだ。

 妖狐の頂にある、神の代理者であり、比類無き力を振う強者でなくてはならない。

 しかるに、自分はかくも情けない戦いしかできなかった。

 およそ天狐を名乗るには、早すぎた出来損ないである。

 所詮『空や』の柚子で促成栽培された存在。

 偽物は消えていくのが必定。

 運命なのだ。


 棒立ちになり、分体の舌を受け入れようとしたその時、コツンと後頭部に何かが当たって地面に落ちた。

 ゆずと分体が同時にそれを見る。


 銀色に輝く十字架(ロザリオ)だった。


「何だこれは」


 分体がいぶかしんで舌を十字架に向けるが、その前に凛とした声が響きわたる。


「罪人なる我らの為に、今も臨終の時も祈り給え」


 途端に青白い光が十字架から発せられ、近づいていた舌を瞬時に蒸発させた。

 夭夭の母、杏奈の形見である十字架は、妖ではない邪悪な存在に対しても強力な加護の力を持つ。信心の無い夭夭でさえ、数回は加護の効果を引き出せる優れた道具だ。


 突然の事に呆気にとられて棒立ちになるゆずへ、叱咤の声が届いた。


「それでニ、三度は防げます。早く門を!」


 夭夭の力強い声がゆずの背中を押した。

 素早く十字架を啣えると、雷の早さで扉へと駆けだしていた。

 慌てて追おうとした分体の前を、秋白が塞ぐ。


「おっと、邪魔はさせないわよ。半死人が頑張ってるんだからね」


 秋白は、ちらりと夭夭に視線を向けた。

 ゆずが門を閉じるまでの間、僅かでも時間を稼ぐ、そう目が告げていた。

 そして脇に控えるサナ江もまた、解師として最後のお役目を果たそうとしていた。


「妖には滅法強くても、人間相手にはどうですかね。後先考えない解師は、怖いですよ」


 夭夭は壁にもたれ掛かりながら、精一杯の強がりを言った。

 そして、一度ズルズルと床に転がった後、独楽を咥えて起き上がる。


 その様子を見ていた分体は、苛つきながらも薄ら笑いを浮かべた。

 どう見ても目の前の男は死人同様だし、他にさして力のある者は見あたらない。自分を止めることは出来ないだろう。

 三体一度に葬り去ってからでも十分間に合うはずだと判断した。


「身の程知らずとは、このことだな」


 分体は、一度に片づけてしまおうと右腕を硬質な刃へと変形させていった。

 黒くうねるような模様を持った刃は、見るからに禍々しく、そして何より強そうであった。


「消えろ」


 水平方向に回転した刃が夭夭達を捉えた。

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