11話 ある屋敷の怪異(8)
― 14.出る者 ―
五体の傀儡子に包囲され、一斉に仕込み刀で攻撃された七井戸だったが、慌てた様子もなくスッと右足を退いた。
わずかに出来た脇の隙間に仕込み刀が差し込まれると、巻き込むように体を回転させて刀を折る。
同時に他の攻撃を躱しながら、上空から降ってきた秋白に折れた刀を投げつけて牽制する。
いつのまにか傀儡子が一体、地面に転がされていた。
「ほい、まずは一体目」
そう言って傀儡子の頭部を踏み抜く。
何気ない追撃だが、傀儡子を我が子のように扱ってきたサナ江にとって、それは侮辱以外の何者でもなかった。
「糞餓鬼が!」
「いやいや私の方が年長者でしょうが。というか、掛水さんあんまり怒ると血管切れて死んじゃうよ、もう年なんだからさ。あ、人間じゃないから関係ないのか。どうせならお婆ちゃんの姿じゃなくて、若い姿で妖化すればよかったのに、あははは」
「おのれ」
頭に血が上ったサナ江が単調な攻撃を繰り返すのを、七井戸は笑いながらいなし、間隙を縫って傀儡子を一体ずつ葬り去っていく。
ようやく夭夭が意識を取り戻した時にはもう、秋白と一体の傀儡子を残すのみになっていた。
「あがっ、が、ゆず、ぎいぃ」
「夭夭さん、いいから休んでて!すごい血が出てるんだからっ」
辛うじて秋白により圧迫止血されているものの、水たまりとも言えるほど大量の血が溢れ出している
出血による意識の喪失と激痛による覚醒の無限地獄に耐えながら、状況を理解しようと努力するが、とても耐えられる痛みではなかった。
いっそ殺してくれ、と思う程に。
どうせこの出血であれば、助かる見込みは無い。
夭夭の脳裏に死という文字が浮かんだ。
人間は、案外あっけなく死ぬ。
解師としてそこそこ名をあげたと思い上がっていたが、物語の中のその他大勢とあまり変わりなかったのだなと自嘲した。
しかし、せめて『空や』の店主としてお役目だけは、果たす。
「ゆず、を」
ずるり、ずるりと身体を移動させると、懐から『空や』の柚子が転がり落ちた。
両手が無いので、顔ごと地面に擦りつけて犬のようにかぶりついた。
「夭夭さん、何してるんですか!」
ゆずの叫声が響くが、お構いなしに『空や』の柚子を食していく。
鬼女である木の葉の夫、長山がとった行動が脳裏に浮かんだ。
当時は凶行とも思えた行動だったが、今の夭夭には長山の気持ちが痛いほど良くわかる。
狂おしい程に護ってやりたい存在が、危険にさらされている。
しかし自分には護るべき力が無い。
ならば己が身を捧げよう。
それで貴女が護れるならば。
「そういうこと、か」
『空や』の柚子を食した夭夭は、急激に妖力が湧き上がってくるのを感じた。
それはいわば生命そのものと表現しても良い、凄まじい力の流れであった。
同時に痛みも全く感じなくなっている。
ただそれは、無限に湧いてくるものではなく、夭夭の命を汲み取り、漉して、上質の妖力に変換しているだけのこと。
ごくわずか、限られた時間の出来事。
「ゆずさん」
「嫌ですよ」
涙声のゆずが応える。
何を意味しているのかなんて、言われなくてもわかる。
自分を食べろ、という言っているのだ。
「これが『空や』店主のお役目なんですよ」
「嫌なものは、嫌なんです」
「困った人ですね」
失われた腕のせいで抱きしめられないが、なんとなくその意図を理解したのだろう、ゆずは夭夭の胸に飛び込んでいた。
奥で秋白と七井戸が激しいつばぜり合いを繰り広げているというのに、暢気なことである。
しかし、サナ江はこれも二人に必要な時間だと割り切り、時間稼ぎに徹していた。
「とても昔、百鬼夜行・裏抄が発生した後、『空や』が作られたんです」
夭夭はゆっくりと、ゆずに語りかけた。
かつて起こった悲惨な災厄は、数百年をかけて再び発生する事が予見されていた。
先人は考えた。
災厄を見張る機関が必要だと。
そこで、兆候を見張る役割と押さえ込むための機関『解師協会』を残した。
とはいえ人の作った組織は、いずれ腐敗するというのが世の流れ。
解師協会もまたその理に逆らうことなく腐敗の温床となっていき、百鬼夜行・裏抄を監視する機能を失っていく。
だが、それもまた先人にとっては、折り込み済みのことだった。
解師協会には監視権限を持たせたが、百鬼夜行・裏抄を収束させる術は持たせなかった。
それは『空や』にのみ伝えられ、歴代店主が愚直に守り続けた。
「『空や』の柚子が、それです」
神に捧げる食べ物である『神饌』は、神社によって様々だが、柚木神社においては『空や』の柚子であった。
そしてそれは、先人達が来るべき百鬼夜行・裏抄の再来に備えて特別に育てた木でもある。
「代々店主は相方となる妖を選び、神饌たる柚子を与えてきました」
柚子を得た妖は膨大な力を持つ。
特に相性が良いと言われているのが妖狐で、かつて九尾の狐にまで上り詰めた相方もいたという。
「でも私は三尾です、そんな才能なんてないですよ」
「はは、ゆずさんはもう力が突き抜けてるんですよ。本来あるはずの一尾、それが人にも妖にも見えていないだけです」
「でも四尾だからって…わさび程度じゃないですか」
「ゆずさんは、忘れちゃったんですねぇ」
長いこと生きてきた妖狐は、ずっと記憶を持ち続けることに疲れてしまった。
ある時、いっそ全てを忘れてしまおうと思った。
きっかけはわからない。
そうして、気がつけば柚木神社に至る階段で、夭夭に拾われていた。
「その時にはもう、三尾だったと思います。何故一尾だけ見えないのかわかりませんでしたが、恐らく自分で封じたのでしょうね。天狐記憶とともに」
妖狐は階位を上げるにつれ尾が増えてくが、九尾を境に、四尾の天狐、尾無しの空狐へと一度に減ってしまう。
空狐に至ると神の使徒としての束縛から解放され、神力を顕現することも出来なくなるので、実質的に四尾の天狐とは妖狐に於ける最上位の存在である。
そして『空や』の柚子を食していたことで、その力は記憶を失う前よりもずっと強くなっている。
「夭夭さんは知ってたんですか」
「色々な神社と伝手がありますからね。あとは推測でなんとか。某稲荷大社さんからは、ゆずさんを返せとしつこく言われてましたし」
「大丈夫なんですか、それ」
「ははは。まあそういうことで、あとは私という触媒を食べれば、ゆずさんなら余裕で勝てますよ。心置きなく食べちゃってください」
「いや…です」
身体を揺さぶるほどの甘美な衝動に耐えながら、ゆずは頭を振った。
夭夭からわき出している妖力は、芳醇で抗いがたいものだ。
話しているうちにも、どんどん誘惑が強くなってくるのがわかる。
『空や』の柚子の何倍も何倍も美味しそうな夭夭は、もはやいかなる妖をも狂わせてしまう禁断の果実になっていた。
ぼうっとしてきた頭の中で、別の自分が語りかけてくる。
『ああ、うまそうだな』
「ばかばかしい」
『きっと甘くて、とろけるような味であろうよ』
「そんなこと、ない」
『喰ろうてしまおう』
「だめ」
『どうして』
「たいせつな人だから」
『誰にも奪われたくないのだろう』
「もちろん」
『それなら、喰ろうてしまうのが一番だ。さすれば何人たりとも手を出せぬ』
「そうかな」
『そうとも。他の妖に殺されてもよいのか』
『それは、いや』
『ならば、いっそ全てを手に入れてしまえ』
「すべてを?」
『心も体も、そして時も。彼は血となり、肉となり、妖力となり、混じり合い、我らと一つになる』
「ひとつに」
『座敷童子も人と一つになった。ましてや、彼は我らと婚約すると言ったではないか。何を遠慮することがあろうか」
「こんやく、ようようさん、ひとつに、なりたい」
『喰ろうてしまえ、愛するならば』
「ああ」
ゆずの口がゆっくりと開かれたその時、突然大きな揺れが空間を襲った。
それまでサナ江と闘いを繰り広げていた七井戸が立ち止まり、口が大きく開けて笑い出した。
満身創痍のサナ江は、秋白に肩を支えてもらいながら、七井戸を睨み付けた。
「何がおかしいんだい」
「いや、どうやら間に合ったみたいなんでね。残念、今回は私達の勝ちだよ!ようやく終わりが見えた」
「まさか百鬼夜行・裏抄に最後があるのかい」
「そりゃそうだよ、何事にも終わりはある。でも未だかつて裏抄の最後に何が出てくるのか知る者はいなかった」
「ご先祖様が命をかけて止めて下さったからね」
「そう、君達の先祖に邪魔をされた。しかし、今回は間に合ったよ。きっと素晴らしく強大な妖だろうな。ああ、心が躍る。人間どもを蹂躙し、世界を焼き尽くす様が目に浮かぶじゃあないか」
「そんなことは、させない」
斬り掛かってきた秋白の小刀を左手の手套で軽く叩き落とすと、足を掛けて身体を回す。
そのまま秋白の背中に触れ、サナ江に向かって吹き飛ばした。
「ぐっ」
「いたっ」
床に折り重なるように倒れた二人を見下ろし、七井戸は高らかに笑う。
両手を広げ、百鬼夜行・裏抄の終焉を歓迎するかのように。
「さあ、姿を見せて下さい!深淵の王よ」
振り向いた七井戸には、深い闇の奥にうっすら光る大きな目が見えた。
姿を見ることが出来たのだから、本望であったに違い無い。
それが例えごく僅かな時間だったとしても。
「見るんじゃないよ!」
ありったけの声で叫んだサナ江に従い、その場に居た全員が目を閉じて地面にうずくまった。
たった一人を除いて。
この世の者とは思えない絶叫が続き、やがて静寂が訪れる。
そこに七井戸の姿は残っていなかった。
― 15.式 ―
百鬼夜行・裏抄の門から放たれる妖力は、人がどうこう、妖がどうこうできる大きさではない
これは、人の世に放って良い存在ではないと、その場の誰もが本能で理解している。
ここに至り、ゆずも腹を括らざるを得なかった。
「夭夭さん」
「はい」
「夭夭さんの身体を、バリバリ食べるなんて、私には出来ません」
「…」
「だから、妖力だけを頂きます」
「良いですよ」
ニッコリと夭夭は微笑みを返す。
今の状態で妖力を喰われたら、失血で確実に絶命するだろう。
結果は変わらない。
「そうすれば、夭夭さんも死なずに済むし」
「そうですねぇ、そうしたら結婚式を挙げないといけませんね」
「けけけ、結婚」
「そうですよ、三三九度をして、宮司さんの前で誓いの詞を述べて、ああでも杏奈さんの故郷では誓いの接吻というのがあるらしいんですよ。それなら今すぐできそうですね」
「なな何をいってれすのん」
「いいじゃないですか、来世の予約もしておかないといけませんし」
「不吉な事を。ちゃんと生き残ってください」
「保険ですよ、保険。最後かもしれないんですから、ちょっとぐらい我が儘を聞いて下さい」
「いつも我が儘じゃないですか」
「食べる前に接吻」
「だめです」
甘ったるい空気が漂う。
近くでサナ江と伏せていた秋白は、困惑していた。
「お師匠様、あれはその、所謂お惚気というヤツですか」
「どうして私に聞くんだい」
「だってお師匠様結婚してるじゃないですか」
秋白は傀儡子の中でも群を抜いて人に近い能力を持つ。
だがまだ恋というものは経験をしていなかった。
あの二人を見ていると、何故か高揚してしまう感情を持て余していたのだ。
「うちの旦那はやらないから知らないね。いいから、放っておきな」
「でもなんかこうムズムズするというか。止めさせなくて良いんですか」
「私が知るか。しばらく勝手にやらせとけ」
「それだと裏抄の方が」
「大丈夫だろ、ほら」
直接見ないように気をつけながら、恐る恐る指さされた方を見ると、闇は門でつかえているらしい事がわかった。
そのままでは門を通れないと判断した闇は、少しずつ身体から妖力を解放し、門の外へ分身を作っている最中であった。
真っ黒な闇で少しずつ構成されているそれは、少年のようだ。。
外見も雰囲気も恐ろしい少年だったが、その妖力は本体と比べるまでもなく小さい。
「あれならまだ、天狐の神力でどうにかなるはずさ」
「そうなんですか」
「たぶんね」
「多分ですか」
不安そうな呟きとともに夭夭達の方へと視線を移すと、光り輝く一体の妖狐が飛び出すところであった。
その時聞こえた言葉を、秋白は良く理解できなかった。
暫く首を傾げるが、きっとあれは人間の隠語なのだろうと無理矢理自分を納得させたのだった。
―ああ、ゆずの味がする




