十一話 ある屋敷の怪異(5)
申し訳ありません、前回の(5)から一度書き直しております。
こちらからお読みください。
― 9.蛍子の防衛戦 ―
これまで平穏無事に過ごしてきた人間達は、突然襲来した大量の妖に即応出来ず、瞬く間にその数を減らしていった。
沖の街区は比較的街としての形を保持しているが、それでも住民達は百鬼夜行の恐怖に晒され、何時襲撃されるとも知れない不安を抱えて暮らしている。
それは百鬼夜行・裏抄から三日が経ったある日、すっかり日が落ちて闇が勢力を広げていく中で起こった。
かがり火で照らされた蛍子の屋敷へ、一人の烏天狗が駆け込んでくる。
「蛍子様、正門の『送り雀隊』から急ぎの伝令です。人間が数名行方不明になっていると」
「ええと、夜の警戒をしてくれてる妖さん達ですよね。侵入されたんでしょうか」
「まだ判りませんが、可能性はあります。早急に対処しませんと、護りに綻びが出ます」
「そんな、どこにも戦力を割く余裕なんて…」
蛍子は眉をひそめた。
襲来を受けてから、護るべき場所を屋敷周辺に絞って防衛してきたが、それでも人手が圧倒的に足りないのだ。
この上屋敷外の探索までする余裕は、どこにもない。
しかし思って放っておけば、やがて大きな穴となる可能性もある。
固定配置している妖とは別に、遊撃できる者を当てる必要があった。
暫く目を閉じて悩んでいたが、やがてぐっと唇を噛みしめて腰を上げた。向かう先は隣の部屋である。
畳に敷いた布団に雑魚寝する傷ついた妖達にまぎれて横たわる、目的の人物を見つけた。
蛍子が足を踏み入れると、一斉に部屋の妖達の注目を集めたが、彼女は気にせず歩みを進めた。
側に正座をすると、肩へと手をあてる。
「夭夭さん」
「ああ、蛍子さん。もう朝ですか」
寝ぼけた様子で身体を起こす夭夭の服は所々破れており、顔は埃にまみれ髪はぼさぼさのままという酷い有様だった。
脇で丸くなっていたゆずも、白い毛が埃にまみれて灰色になっている。
「すみません、まだ夜なのですが…その」
歯切れが悪いのも仕方が無い。なにしろ、ついさっき東門で妖の一群を相手にしてきたばかりの二人に、また無理を願い出なければいけないのだから。
せめて一晩、ゆっくり休ませてやりたかったのだが、そんな蛍子の思いを踏みにじるように敵は次々と押し寄せてくる。
俯いたままで喋らない蛍子の頭に、夭夭の手がそっとのせられた。
「何か問題がありましたね。今度はどちらですか」
「いえ、やっぱり何でもないです。夭夭さんは休んでいてください」
「蛍子さん」
立ち上がろうとした蛍子の手を掴み、じっと見つめた。
「駄目ですよ、判断を誤ったら」
「そんなの判ってますよ!」
この闘いが始まってからすぐ、蛍子は沖の街区の総大将に祭り上げられた。
天狗とその配下である烏天狗達を擁し、広大な屋敷を持っていた為、必然的にそうなった。
しかし、彼女はまだ若い。
突然総大将をやれと言ってもそう簡単に心構えが出来るはずもなかった。
内からは喜久乃が助言を行い、外では天狗が力を貸すことでなんとか心の均衡を保っていたのだが、ここにきて張り詰めていた糸が切れそうになっていた。
「でもだって、だってもう夭夭さん達は限界じゃないですか!この上正門に行かせたら本当に死んじゃいます。私、もうこれ以上大切な人が居なくなっていくのは見ていられません。そんな事させられないんです。こんなの無理、駄目駄目ですよ、私には総大将なんて無理だったんです」
一旦叫んでしまえば、あとは堤防が決壊するかのように、感情が溢れ出してきた。
顔を押さえて泣き叫ぶ蛍子を、周囲の妖達はオロオロしながら見守っている。
夭夭はといえば、そんな蛍子を優しげな目で見つめていた。
嗚咽を漏らす蛍子の肩を、ポンと叩く。
「蛍子さん、ちょっと周りを見てください」
鼻を鳴らし、シャックリを上げながらも指を少しずらし、周りを見回すと、そこには心配そうに覗き込む妖と人の姿があった。
多数の人間と共に、足をもがれた蟹鬼、腕に大きな火傷を負った河童、片眼を失った袖引小僧など、皆痛々しい姿になりながらも蛍子を気遣う言葉が投げかけられている。
「あ…あの、私…」
「みんな蛍子さんが好きで戦ってるんですよ。総大将なんて気負う必要ありません。大丈夫、皆さんが支えてくれます」
「私に護られるほどの価値なんて、無いです」
「相変わらず、自己評価低いですねえ」
まあそこが良い所でもあるんですがね、と頷きながら夭夭は立ち上がった。
手には赤銅色の香炉を持っている。
「よ、夭夭さん、どちらへ」
「正門ですよ、何かあったんでしょう」
「何で正門ってわかったんです!」
「蛍子さんが、さっき自分で言ったんですよ」
大笑いしながら、夭夭は部屋を出ていった。
肩に飛び乗ったゆずがちらりと振り返り、心配するなと尾を振っていた。
― 10.正門の悪魔 ―
カベ達の居なくなった正門は、急ピッチで防壁が作られ始めているものの、敵の猛攻に対応しながらの作業となるため、実作業は遅々として進んでいなかった。
現場を指揮する烏天狗隊の副隊長が、夭夭達を簡易小屋へと迎え入れる。
「わざわざすまぬ、解師殿。何、取り越し苦労であれば良いのだが、我らで軽率な判断をするわけにもいかぬのでな。専門家の意見を聞きたい」
烏天狗という種族は、大抵このように堅苦しい物言いをする。
嫌いでは無いが、一線を引かれているようで少し残念だ。
「行方不明者が出たと聞いたんですが」
「ああ、現在行方不明なのは六名だ。しかしそれよりも深刻な問題がある」
副隊長が言うには、夜半に集会所が襲われたそうだ。
行方不明者が出たのと同時に、七人ほどの人間が正体不明の病魔に冒され、すでに五人が死亡しているという事だった。
まだ少ないとはいえ、死亡率が高い病の蔓延は小規模集団において致命的な脅威になる。
早急に対応しなくては、街ごと全滅ということもあり得る。
早速、存命しているうちの一人が住む家に訪れた。
布団に寝かされた男が、力なく夭夭の方へと顔を向ける。
目や鼻から血を出し、熱は上がりっぱなしだ。息も荒く、余命いくばくもないだろう事は一目でわかった。
「これは酷い…。しかし参ったな、流行病となると医者の領分だ」
「夭夭さん、これはむしろ医者じゃ無理だと思いますよ。妖力の残滓を感じます」
「妖ですか?病気を引き起こす妖っていうと、頽馬とか」
「それは馬を殺す風ですよね」
「では、虎狼狸とか」
「確かに流行病ですけど、想像の妖ですね。コレラという病から生まれた妄想です」
「恙虫」
「いるでしょうけど、こんなに酷い病気にはなりません」
「うーん、何か手がかりが欲しい所ですね。熱病だけなら、さがりを見たのかもしれませんが」
その時、病に倒れた男がうわごとを漏らした。
「…鬼…が…」
この一言が、更に二人を迷走させることになるのだった。
「さっきの人、鬼って言ってたなぁ」
「餓鬼から、般若、馬頭、手洗い鬼、伝説の酒呑童子、あまりに種類が多すぎて特定できませんね」
「ゆずさん、ある程度見当が付きます?」
「いえ。でも取りあえず強力な妖だと思って準備した方が良いと思います。恐らく今度の襲撃も夜半でしょうし」
「ですよねえ。また不眠番は厳しいなぁ」
屋敷の次に多くの人避難している場所が危ないと推測し、役場の集会室へとやってきた二人は、先ほど聞いたうわごとについて考えを巡らせていた。
正門で話を聞いてから直ぐに移動してきたので、幸いまだ役場が襲われた形跡は無いが、敵が捕まるまでは暫くここで護りを固めなくてはならないだろう。
まず中で避難生活をしている人の代表に話をつける必要があった。
だが眠気も限界だし、もう三日も風呂に入っていない身体からは、怪しい香りが立ち上っていた。
中の人達と会う前に、先に裏手の井戸で水浴びをさせてもらうことにした。
月明かりの下で井戸の水を汲み上げ、頭からかぶる。
「あんうぎぎがぐぐう、つめつめつめた」
「無理して水ごりなんてするからです」
「ははは、何を呑気な。ゆずさんも洗うんですよ」
「は?」
「なんだか、少し薄汚れてますしね」
「い、いえ私は洗わなくても一度じぎゃああああ!」
この時期に外で水ごりとは、まったく自殺行為としか思えない所行である。
しかしその分、緊張感は戻ってきた。
ここから先は気力勝負なのだ。
「っしゃあ、矢でも鉄砲でも持って来いってんだ」
「夭夭さんの人格が、崩壊してる」
「放っておいてください。気合いを入れてんです。さて、早速中へ挨拶しに行きましょうかね!」
「あれ?ちょっとまって下さい」
雄叫びを上げる夭夭の脇で、ゆずが草むらに転がる木の棒へと近寄っていった。
なぜ気になったのかと聞かれても、明確な答えは無い。
ただなんとなく、違和感のある形をしていた。
「どうしました?」
夭夭が声をかけると同時に後ろに跳びずさったゆずは、そのまま体を反転して夭夭の肩まで一気に駆け上がってきた。低くうなり声を上げつつ、尾を左右に振る。
最大の警戒行動だ。
「何かいましたか」
「夭夭さん、遅かったかも。人の腕が落ちてました。いくつも、食い散らかしたみたいに」
静かで平穏だった夜が、突然ねっとりと重苦しい夜へと変貌を遂げていた。
退治しに来たつもりが、逆に待ち伏せされていたのかもしれない。
「まずい。相手の素性もわからないのに…ゆずさん集会室に戻りましょう」
「いえ、今戻っても遅いし、危険です。それに大体予想はつきました」
人喰い鬼は数多くいるが、ここまで残虐で、しかも毒をまき散らして病気を蔓延させるとなれば、限られていた。
「わかりませんか、夭夭さん」
「ううむ」
「残忍にして獰猛、毒を吐いて人を病気に陥れ、さらに好んで喰い殺す。いるじゃないですか、醜い鬼が」
「牛鬼か!」
「鬼火の方じゃなくて、危険な方ですね」
凶暴な上に、特段これといった弱点を持たない牛鬼は、解師の間でも特別厄介な相手として知られている。
鋭い脚先に犠牲となった仲間は少なくない。
夭夭はぎゅうと拳を握りしめた。
「こりゃあ運が良かった」
「良くないですよ、何言ってるんですか。ただでさえ体調最悪なのに、こんな状態で牛鬼なんて」
「いやいや、ヤツには多くの解師が殺されてますからね。ここで会ったが百年目」
「ちょ、夭夭さん?言い回しが古くさ…あ、来た」
「出てこいや、ブッ殺してやぁる」
目の前にヌゥと現れた牛の頭を持った鬼を睨みつけると、香炉を転がし、両手に屠殺用の鉈を持って構えるのだった。




