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十一話 ある屋敷の怪異(4)

今回は、少し長めです。

ご注意下さい。

― 6.黄泉の亡霊と街の防衛 ―


 羽虫かと思われたそれは、よく見れば人の顔をした蝶に見えた。

常元虫(じょうげんちゅう)と呼ばれる不吉な妖の一つで、罪人がこの世に未練を持ったまま死に、妖虫として生まれ変わったと言われている。


「おびただしい罪人の数って事ですね、夭夭さん」

「過去にまで遡れば、このぐらいは居ますよ」


 呆れるほどの数だが、前回の百鬼夜行・裏抄から一千年の時が過ぎたことを考えれば、むしろ少ないと言っても良いだろう。

 空を見上げる夭夭達に、喜久乃が静かに話しかける。


「さて、少なくとも蛍子は守らねばならんのでな、私はまた潜ることにするよ。夭夭もせいぜい気をつけるが良い」

「喜久乃さんも、お気をつけて」

「それとな。『空や』のお役目だからといって、全てに従う必要はないのだぞ。ほれ、サナ江も色々小細工しておったろうが。前回とは違う、一千年も経っておるのだ。何か他の方法があるじゃろ」

「そうですね、そうだと良いですね」


 にっこりと微笑みを返した夭夭に満足したのか、喜久乃は蛍子に潜っていった。

 それと同時に吹き荒れた強風により、屋敷の上空を覆っていた常元虫が一斉に吹き飛ばされていく。

 何事かと周囲へ視線をめぐらすと、猛禽類のくちばしを持った翼獣『天狗』が面倒臭そうに常元虫を追い払っているのが見えた。


「そういえば、喜久乃さんは天狗殿と懇意にしていましたっけ」

「あ、夭夭さん。喜久乃によれば、テングさんじゃなくてアマキツネさんだそうですよ」


 再び表に出てきた蛍子が空を見上げながら応えた。


「何です、それ」

「ゆずさんの親戚みたいなものですかね」


 日食すら引き起こす怪異として知られる天狗(あまきつね)は、もともと高位の妖狐である天狐を指していたとも言われている。

 いつしか妖狐とは違う系譜の妖となり、神と人との中間に位置する妖天狗(てんぐ)として有名になるが、今上空にいるのは丁度妖狐から分化したての頃の強力な妖天狗(あまきつね)であった。

 蛍子の姿を見つけたのか、天狗は二三階旋回して何かを指し示していた。


「夭夭さん、正門方に何か現れたみたいです」

「くそ、百鬼夜行の妖か。来るのが早すぎるな。早く街の人を避難させないと」

「でも、どこに」


 おろおろする蛍子の両肩を掴んで真正面から見つめる。

 あまりにも準備不足のこの状態では、あるものでどうにか対処するしかないのだ。


「蛍子さん、この屋敷を使わせてください」

「屋敷を…夭夭さんと私で、屋敷を使うんですか。そんな突然、あぁ、でも強引なのもいいかも」


 頬を押さえてイヤイヤする格好をする蛍子に、ゆずが軽く蹴りを入れた。

 色ぼけするなと牽制をいれつつ、屋敷の防衛について考えを巡らせる。

 沖の街区全体を少人数の妖で守ることは難しく、相当な犠牲が出るだろう。

 それならば広大な敷地を持つ蛍子の屋敷に集め、ここを拠点として防衛する方が効率的だ。この際家屋の被害には目をつぶるしか無い。


「住民の誘導は、天狗(あまきつね)さんがしてくれま…あ、無理そうですね」


 夭夭が見上げると、天狗は首を振っていた。

 彼が喜久乃の側から離れることは、彼女を危険にさらすと言う事だ。承諾することは無いだろう。

 仕方なく懐から取り出したのは、青い紙の束である。

 一枚一枚を額に当てて宙に放ると、青く輝く蝶へと変化し、飛び立っていった。


「今の、何ですか」

「ああ蛍子さんは初めて見ますか。式神と呼ばれるものです。簡単な言付けを頼むことができるんですよ」

「ずいぶんと沢山飛んでいきましたね」

「この街で関わった事のある妖のみなさんにお願いしましたから」


 夭夭が仕事で関わった妖のほとんどが、この沖の街区に住んでいる。

 こういった事態を予測していたわけではないが、結果して助かった。


「さて、ゆずさん。私たちは正門に向かいましょう」

「…そうですね」


 一拍遅れて、ゆずが返事をした。

 とても珍しいことだったが、夭夭に気づいた様子はなかった。

  

 走り出してすぐ、街中の混乱にぶつかった。

 沖の街区では、妖が生活の一部にとけ込んでおり、襲ってくるという感覚が無かったことが悪い方向に働いている。

 街に住む穏やかな妖と、そうでない凶暴な妖の区別など、人間につくはずもない。

 そのせいで、簡単に殺される人が続出していた。


 あちこちで悲鳴や断末魔が上がっている。

 混乱と恐慌で荒れ狂う人波をかき分け、正門へと急ぐ夭夭達だったが、その途中で子供の悲痛な叫び声を聞いてしまった。

 母親の名前を叫んでいるのだろうその声が、わき道から聞こえてきたように思え、ふと視線を動かしてしまった。

 

 夭夭の目に映ったのは、蛇よりも太い胴体をした(つち)のような妖怪が、何かを飲み込んでいる最中だった。

 非常に厄介な妖の一つ、野槌(のづち)だ。

 鹿をもひと飲みにし、時には人を襲うこともある。姿を見ただけでも高熱を発して死ぬ事があるとも言われている危険な相手といえる。

 その野槌が見える範囲でも十数匹は居た。


「あの喰われているの、子供の母親みたいです」

「ゆずさん、胴体を切断できますか」

「出来ます…けど」


 手遅れであることは判っているが、割り切って見捨てるなどということは出来ない。

 目前の野槌はゆずに任せ、他の野槌を撃退すべく巾着袋から小さな木の輪っかを取り出した。


「ロクさんには悪いですけど」


 夭夭の手から離れた輪っかは、みるみるうちに巨大な炎の車輪へと変化していく。

 廃工場で戦った輪入道をこっそり手に入れていたのだ。


「使えるものは、何でも使いますよ」


 輪入道の回転が上がっていく。

 夭夭の合図とともに炎が勢い良く吹き出し、高速で走りながら野槌を蹂躙していった。



― 7.鬼の意地 ―


 その頃、街の西側では、鬼女の木の葉と雪女の加代が言い争っていた。

 加代は左手でカラカサを凍らせ、木の葉は右手でのっぺらぼうを粉砕しながら。


「私がヨーさんの所に行くんだってば。蛮族はここで踏ん張ってなさい」

「はっ、夭夭さんに必要なのは強力な盾なのよ、加代のガリガリな体じゃカメムシほどの役にも立たないわ」

「か、カメ…なんですってぇ」

「カメムシがダメならゾウリ…あら?」


 人の姿から鬼へと変化していた木の葉の目の前に、青い紙がふわりと落ちてきた。

 紙は空中にとどまり、夭夭の言葉を伝える。


 ― 街の人を、蛍子さんの屋敷に避難させてください ―


「加代、聞こえた?」


 木の葉が振り返った時にはもう、加代は走りだそうとしていた。

 慌てて首根っこを掴む。


「ちょっとあんた、どこに行くつもりよ!」

「は、はなせ。ヨーさんが私を呼んでいるのよ、助けを求めてるのよ、母性が全開で訴えかけてるのよー」

「落ち着きなさい」


 鬼げんこつが頭部に炸裂し、加代は頭を押さえてうずくまった。

 うっすら涙を浮かべている姿は、とても曾孫がいる女性とは思えない可愛らしい仕草である。


「まずはここで妖を押しとどめないと、避難どころじゃないわよ」

「全く面倒くさいわねっ」


 加代がキレ気味に地面に両手を付くと、周囲の一つ目巨人が四体とも全て凍り付いた。すかさず木の葉が一体ずつ蹴りで砕いていく。

 だが、いくら倒しても次から次へと妖が沸いてくる。

 二人がどれだけ強くとも、無尽蔵に体力があるわけではない。

 このままでは、いずれ百鬼夜行の集団に飲み込まれてしまうのは目に見えていた。


「きりがないわ。こうなったら、奥の手を使うわよ」

「ちょっ、ちょっと加代、まさか凍土化じゃないでしょうね。冗談じゃないわよ」

「そんなことするわけないでしょう。私にこと何だと思ってるのよ、木の葉は。まあいいから、少しだけ時間稼いでよね、お願い」

「え、いきなり何いって…」


 加代が突然座り込んでしまったので、木の葉は慌てて全面に立った。

 脇には瓦解した家から適当に拾った梁を抱え、前方に睨みをきかす。


 加代が何をしているかわからないが、いつのまにか気の置けない友人になっていた彼女の事は全面的に信頼していた。

 色々憎まれ口は聞くが、常に自分の信じた道を真っ直ぐ歩いている彼女のことだ、きっとこの状況を打開する何かを用意している。


 加代を信じて、木の葉は梁を振り回し続けた。


 自分は加代のように妖力を自在に操ることは出来ない。

 容姿だって、彼女には遠く及ばない。

 しかし、腕力と頑丈さだけは負けないつもりだ。


 加代は、お願いと言っていた。

 応えられなくて、何が友人が。


 木の葉は、攻め入る妖を鬼神の如くなぎ倒していった。

 止めどなく押し寄せる妖を梁で挽き潰し、逃した妖を手づかみで放り投げる。

 それでもいくつかは攻撃を喰らってしまう。


 そのたびに鬼の咆哮で弱気を吹き飛ばし、妖を叩き潰す。

 わき腹に食らいつく狼の胴体を引きちぎると、腕に一反木綿がまとわりついて動きを止めてくる。ろくろ首の噛みつきをなんとか躱し、鬼火に焼かれながらもそれを踏み潰した。

 獅子奮迅の働きをみせた木の葉だったが、いかんせん多勢に無勢。

 失血も酷く、動きも鈍くなってくる。

 いくつか大事な器官が損傷しているが、決して倒れることはしなかった。

 そして、ようやくその奮闘が報われる時がきた。


「来た」


 加代が呟いた刹那、空間を切り裂いて一体の妖が姿を現した。

 (ぬえ)だ。


「遅くなった、すまぬ加代」

「遅すぎる!」


 加代にしては珍しく言葉を荒げて鵺を睨み付けた。

 自分を守るため、血まみれになって梁を振るい続ける友人をただ黙って見続けてるしかなかったのだ。

 なかなか呼びかけに応じなかった鵺に、苦情の一つも言いたくはなる。


「そう言うな、鎮守が土地を離れるというのは一方ならぬ手間がかかるのだ」

「うるさい、言い訳はいらないの。早くあいつ等を何とかして!そうしないと木の葉が―」

「ああ、わかったわかった。全く、加代にそんな顔をさせるとは、許せんな。一匹残らず喰い尽くしてやるわ」


 鵺が一睨みしただけで、その場の空気がずっしりと重くなった。

 狂ったように攻めてくる妖達も、ピタリとその足を止めた。


「出来るだけ時間をかせいで頂戴。その間に街の人を避難させるから」

「承知した」


 パリッと雷を全身のまとわせ、鵺は妖の群れへと飛び込んでいった。

 瞬く間に妖を蹂躙していく鵺の姿を、木の葉はぼんやりと眺めていた。

 加代の秘密兵器は、どうやら間に合ったようだ。

 そして加代自身も、無事だ。


「よかった」


 そうつぶやくと、ゆっくりと仰向けに倒れていった。

 遠くで、加代が叫んでいる声が聞こえる。

 まるで泣いているかようだったが、気のせいだろう。

 あの雪女が泣いたところなど、一度も見たことがない。

 亭主が往生した時も、笑って見送ったのだから。

 きっと、鬼の癖に情けないと笑っているに違いない。


 まったく、本当に口の悪い親友だったな。



 木の葉は、くすりと笑って目を閉じた。



― 8.壁と少女の純愛 ―


 正門を守るカベと春菜は良く頑張っていたが、押し寄せる妖の大群に徐々に押し込まれていた。

 夭夭からの青紙は受け取っており、あとは住民の避難にあわせて少しずつ撤退を続ければ良いのだが、カベは未だ正門から動こうとしなかった。

 住民の避難は、先ほど援護に来てくれた黒妖狐達に任せてある。

 自分たちの仕事は、避難までの時間を稼ぐことだ。


 名画と謳われた壁は、見るも無惨に穴だらけとなっている。

 しかし、ボロボロの壁に腰をかける春菜は、怯えた表情もなくただ静かに座っていた。



「カベ、みぎのイノシシが、ぬけてきた」

「イッポンダタラか、春菜少し揺れるぞ」

「うん」


 かつて熊笹をはやしたイノシシが討伐され、亡霊となって生まれ変わった一本足のイノシシ、イッポンダタラは突進力も妖力も極めて高い、危険な妖だ。

 上空の妖を打ち落としていた朱鷺を向かわせたが、恐らく間に合わないだろう。

 衝突の衝撃で春菜が落とされないよう、カベは腕を作り出して、彼女をしっかりと支えた。


「カベ、こわい?」

「春菜と共にあれば、恐怖などみじんも無い」

「にげないの?」

「この街は、我らを受け入れてくれた。今度は我らが恩を返す番だからな」

「ん、よかった」


 春菜も、同じ考えだったようだ。

 カベはしっかりと地面に根を下ろして、イッポンダタラの衝撃に備えた。





 正門へと走る夭夭達は、叫びながら住民に避難先を伝える黒妖狐と清音に遭遇した。

 街でいっぱしの治癒師として名が知れている清音だけに、彼女の言葉に従う者は多く、おおむね順調に屋敷へと避難を続けているようだった。

 妖の襲撃を心配していたが、ほとんど被害も無い様子だ。


「清音さん、無事でしたか」

「あ、夭夭さん…夭夭さん!あの、カベさん達がっ」

「え、ちょっと?」


 夭夭の姿を見た清音は、思わず零れだした涙を隠すこともせず、胸に飛び込んできた。

 勢いがついていたので、たたらを踏んでしまうが、男としてここで倒れる訳にはいかないと思い、根性で踏ん張った。

 その隙に黒妖狐がするりと清音の肩から夭夭の頭へと乗り移ってくる。


「ゆず、避難は順調だ。妖の襲来もほとんど無い。あっても俺が倒せる程度の小物ばかりだ」

「どこでせき止めてるんですか」

「決まってるだろう、正門だ。カベの奴、撤退しろって言っても聞きやしねぇ。あの頑固野郎が」


 黒妖狐は、泣きじゃくる清音に変わって状況を的確に説明していった。

 ゆずは、ああやっぱりという顔をする。

 カベの性格からして、街を護ろうとするだろうことは容易に予想できた。

 彼らは、住民だけでなく沖の街区の全てを愛していたから、きっとそうするだろうと。


「夭夭さん、屋敷の防衛に戻りますか」

「いえ、このまま正門に行きます」

「でももう…」

「清音さん達は、屋敷で負傷者を手当してあげてください」


 ゆずの言葉を遮って、夭夭は清音に伝える。

 しっかりと目を見て。


「私たちが戻らなくても、絶対に屋敷から出ないように」

「はい」

「おい、お前はどうでも良いけど、ゆずは巻き込むなよ」

「こら、クロちゃん!」


 黒妖狐をたしなめる清音を、夭夭は笑って制した。

 頭の上に居座ろうとした黒妖狐を摘んで、清音に引き渡す。

 ジタバタと暴れる黒妖狐に、夭夭は顔を近づけて一言、こう言った。


「悪いね、ゆずはもう婚約済みなんだ」


 一瞬何のことかわからなかった黒妖狐が、

 瞬きとともにわめき出す。


「誰と誰がだよっ」

「もちろん、私とゆずさんだよ」

「阿呆、人間と妖が結婚できるか」

「鬼と人間、雪女と人間、そのほか沢山見てきましたよ」

「う、うるせえな。大体ゆず本人がそんなの認めてないだろ」


 黒妖狐は、憮然とした表情でゆずに同意を求めたが、すぐに後悔した。

 聞かなきゃよかったと。

 

「え、いや、私?え、え、うん、え?や、え?私が、え?こんにゃく?あ、こんやく?夭夭さんと?ちょ、わわわ」


 戸惑い、動揺、羞恥、色々な感情が一度に混ぜ合わさった顔で、ゆずは口をぱくぱくさせていた。


 夭夭はカラカラと笑う。

 じゃ、そういうことでと手を挙げて立ち去る様子を、黒妖狐は止められなかった。

 残された清音は、黒妖狐の頭を優しく撫でた。


「クロちゃん、失恋しちゃったねー」

「してねぇ。本人が了解してねぇだろ、あれ」

「そう思うなら、クロちゃんは女心がわかってないんだよ」

「うるさい。そもそも俺が好きなのはゆずじゃない。失恋なんかしてねぇの」

「まあまあ。いいじゃない、クロちゃんには私がいるんだし」


 黒妖狐は、ふんとそっぽをむいたまま、清音の胸に体を預けた。




 正門に向けてひた走る夭夭の肩で、ゆずは火照った顔を風にさらしていた。

 先ほど聞こえた単語を反芻してみる。


『ゆずはもう婚約済みなんだ』


 呼び捨てだ、呼び捨てだ!

 いけない、顔から火がでそうだ。


 前足で顔を隠し、再び風にさらして冷ます。

 しばらく繰り返していると、前の方で戦闘音が聞こえてきたので、慌てて気を引き締めた。

 その光景は、凄惨の一言だった。

 うふふと桃色になりかけていたゆずの頭に冷や水をかけ、言葉を失わせるに十分であった。


 辺り一面に瓦礫と妖の死骸が広がり、焼け焦げた匂いが立ちこめている、そんな中にカベがそびえ立っていた。

 いや実際には大きくなかった。

 いたる所がえぐられ、穴を穿たれ、もはや半分ぐらいの大きさになっていたのだが、その威圧感からだろうか、そびえ立つように見えたのだ。

 かろうじて残っていた一羽の朱鷺がカベから飛び立つと、目前に迫っていたカラカサ軍団の傘を焼き払って相打となり、消えていった。

 もはや、瓦礫と化したカベに、妖達が群がろうとしている。



「ゆずさん、温存しようと思っていたんですが…妖力をお貸し下さい」

「存分に」


 ゆずの了解を得た夭夭は、瓦礫の中から二つほど欠片を拾い上げて両手に持つ。

 小さな欠片には、朱鷺の朱が鮮やかに映えていた。

 

「傲慢なる千万の水鬼に告げる」


 両腕に螺旋の水流を出現させると、ゆっくりとカベの前へと歩みを進め、目の前に広がる妖の大群へと目を向けた。

 大小バラバラ、強さも能力もまるで統一性が無い妖達だ。

 こんな奴らに、と呟く。


「カベが一部、朱鷺の欠片を依り代とし、瀑布の宇天(ばくふのうて)となれ。そうあれかし」


 途端に両腕から水流が放たれ、妖の大群と接触した途端に煮えたぎる水へ、そして瞬時に高音の蒸気へと姿を変えて襲いかかった。

 高温の水蒸気に包み込まれた妖達の大群は、悲鳴を上げる間もなく一瞬にして姿を消していった。

 本来は大量の水流で押し流す技であるが、カベの力を借りてさらに凶悪に進化したようだ。


 束の間静かになった戦場で、夭夭の口からはため息が漏れた。

 一方、金鬼を遥かに超える妖力を使用したというのに、ゆずは平気なようだ。


「ゆずさん、ありがとうございます」

「どういたしまして、金鬼の時ぐらい吸い取られるかと思って身構えてしまいました。結構使い勝手が良いんですね」

「はは」


 乾いた笑いを返しながら、ゆずをしっかりと胸に抱いて後ろのカベを振り返った。

 美しかった壁画は、もう見る影も無い。

 どう見ても廃墟の壁だ。

 

 しかし、とても美しかった。

 そして見上げた先には、いつものように腰かける春菜の姿があった。

 ただ、その身体は少しずつ色を失っている。


「春菜さん!」


 夭夭の呟きに気がついたのか、空を見ていた春菜の視線が、二人に向けられた。

 微笑み、片手を振る仕草は、年相応の少女のものであった。

 

 やがてカベの身体がガラガラと崩れ始めると、春菜の姿も後を追うように消えていった。

 残された二つの欠片を、夭夭はギュッと握りしめる。


「大丈夫ですよ、夭夭さん。二人とも最後まで一緒でした」

「そう、ですね。そう…きっと」


 首にそっと巻き付いてきたゆずの尾に、顔を埋めた。

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