十話 白狐
何度も全面書き直しをしたので、誤字脱字が多いかと思います。
お見苦しくてすみません。徐々に直していきます。
― 1.雪と妖狐 ―
ちらり、ちらりと白い綿毛が揺れながら落ちてくる。
綿毛は『空や』の窓にぶつかると、まるで室内に入れなかった事を嘆くかのように、涙の雫となって窓枠へと滑り落ちていった。
「おまちどお様です、ゆずさん」
「遅いですよ」
奥から盆を手にやって来たのは、夭夭だ。
店のカウンターに置かれたのは、白磁の皿に柚子、そして椀に入った黒い液体と焙じ茶である。
朝から一人も来客がない店の中を見回してから、椀を手にした。
「やはり冬はこれに限ります」
「夭夭さんって、意外と甘い物好きですよね」
「脳を使っていると、糖分が欲しくなるんですよ」
「脳に蟻でも飼ってるんですか」
「おぞましい事を」
ずずっと椀の液体を一口啜ると、脇に置かれた小さな白い物体を投入する。
ぐるりとそれを液体に馴染ませ、一口囓った。
一方のゆずは『空や』の柚子を囓りながら、その様子を見ていた。
「美味しいんですか」
「もちろん。甘さも絶妙、焼き加減も完璧です」
「なぜ喉に詰まらないのか、不思議な物体ですよ、その白いの」
ゆずはマジマジと椀を見つめる。
そう、ぜんざいである。
地域によって呼び名は違うが、小豆を砂糖で甘く煮た汁物である。
これに白玉や角餅を入れるのだが、夭夭は断然焼いた角餅派だ。
少し焦げているくらいが好みでもある。
「こうしてのんびりするのも、久しぶりですね、夭夭さん」
「私はむしろ、ずっとのんびりしてたいんですけど」
「相変わらずの昼行灯っぷり。昔から変わらないというか」
「あ、酷い」
箸を置き、焙じ茶をすすりながら窓の外を眺める。
いつのまにか膝の上に来て丸くなっているゆずの背中を撫でながら、過去に思いを馳せた。
ゆずに出会ったのも、こんな風にちらちらと雪が舞い散る日であった。
― 2.白い狐 ―
三年前のその日、夭夭は柚木神社の宮司に呼び出されていた。
雪の中ひたすら階段を登る事を考えるとうんざりしてしまうが、昨晩から降り続けた雪は、徐々に勢いを無くし、今朝からはちらちらと舞い散る程度になっていた。
それほど大変な雪中行軍にはならずにすみそうだ。
「とはいっても寒い」
吐く息が凍るような寒さのなか、番傘を差して神社へと続く丘の裏階段を上っている途中で、雪の上に赤い点が続いているのを見つけた。
赤い点は階段脇から奥の方へと続いている。
その時夭夭が血の跡を追おうと思ったのは、ただの気まぐれだ。
恐らく血であろうことは明白で、普段ならば厄介ごとに関わらないよう無視しているところだ。
血の点々は、奥へと続いている。
そこには小休止ができるちょっとした広場があり、二月にもなれば鮮やかな梅が咲き乱れる隠れた名所となっていた。
八重寒紅や飛梅、御所紅、雪見車など紅白入り乱れて見る者を楽しませてくれる。
5~6人も座れば一杯になってしまいそうな小さな広場の中央で点々は途切れ、白い雪の固まりが出来ていた。
警戒しながらその固まりに近づくと、雪ではなく白い毛の動物なのだとわかった。
「猫、にしては大きいか」
しゃがみ込んでじっくりと見てみると、顔立ちや尻尾からしてどうやら狐らしい。
犬に襲われたか、罠で怪我をしたか、獣医でもない自分には正確に判断できないと気持ちを切り替えた。
死んでいるのなら、埋葬くらいしてやるかと確かめようと手を伸ばしたその時、狐が飛び起きて後ろへと跳ねた。
「うわっ、と、生きてましたか」
さすがは野生動物、生命力が高いと感心したのもつかの間、その尾が三つにわかれている事に気が付いた。
夭夭の頭が仕事へと切り替わる。
「三尾の妖狐、ですか。色々文献は残ってましたね」
白毛の妖狐といえば、善狐と呼ばれる気性の良い狐である可能性が高い。尾が三本であるところを見ると地狐と称される一般的な位であろうと当たりをつけた。
ならば人語を解するかもしれない。
「敵対するつもりはありません。どうですか、怪我も酷いようだしよければ手当をし」
妖狐の妖力がいきなり跳ね上がった。
深手負いながら妖力をコントロールできるのは見事だが、あまり感心できる事ではない。寿命を縮めるようなものだからだ。
「…ますけど、そうですか無理強いはしません。ではごきげんよう」
あっさりと提案を撤回し、くるりと踵を返した。
万事が無精な夭夭にとって、これでも破格なほど気を使っているのだ。相手が望まないのに無理に治療を進めるほどお人好しではないし、争ってもまるで益がない。
「あ、ちょっと?」
さっさと立ち去ろうとする夭夭の背中に向かって、戸惑ったような声が聞こえてきた。その声に、夭夭は「おや」と思う。
解師として、人語を操る妖と対峙したことは数あれど、このような声を持った妖にはあったことがない。
なぜか人型をした妖であっても、どこか妖訛りとでもいうか、低音がザラッとした声に聞こえてしまうのだが、この妖狐からはまるでその感じがなかった。
むしろ柔らかく透明感のある声だ。
足を止めたのは、もう少しその声を聞いてみたいと思ったからである。
「なんでしょう」
「いえ、その、もうちょっと、なんというか、ほら大丈夫みたいなこう、いたわりと友愛みたいなそういう」
「回りくどいのは嫌いでして」
「そういう問題ではないでしょう」
「そういう性格なので、仕方ないんです」
妖狐に近寄り、しゃがみ込んで番傘の陰に入れる。
夭夭に狐の顔を見分けることなど出来ないが、小さな顔にはあるべき部品があるべき所に収まっている。
綺麗で整っているように見えた。
「私は助力を申し出ましたよ。その気があるなら、受け入れたら良いし、無いなら忘れる。自分で選んで下さい」
「傷ついた薄幸の乙女に対して、同情心はないんですか」
「え、乙女?」
「おにちくしょうめ」
「お、鬼って失礼な、ちょっと?」
その一言を最後にバッタリと倒れた妖狐。
慌てたのは夭夭だ。
解師を生業としているものの、行き倒れた妖狐の扱い方などわかるはずもない。
妖の怪我はどうやって治すのか。
出血が原因なのか、妖力不足なのか、その両方なのか。
血液不足だとしたら、どうやって補充すれば良いのか検討も付かない。
いっそこのまま捨て置くか。
よし決めた。柚木神社の宮司に押しつけようそうしようと決心したその時、夭夭の耳にかすかな声が聞こえてきた。
「…まだ、しにたくない」
夭夭は、顎に手を当てて思う。
狐もイタチも似たようなものだろうと。
うむと一つ頷き、妖狐の身体をそっと持ち上げた。
― 2.神の食べ物 ―
傷だらけの妖狐を、『空や』で治療し、看病し初めてから三日が過ぎた。
その間一睡もせず、いやうたた寝はしたが、布団で横になること無く看病しつづけた。
てんてんの部屋から持ち出した医療器具は実に優秀で、身体の傷を治すと共に妖力も回復しつつある。
そうなると次なる課題は食物である。
さて、妖狐とは一体何を食べる妖なのだろうか。
『空や』に運んだ妖狐をとりあえずカウンターの上に置き、水で傷口を洗い流して応急措置をした後、腕を組んで悩み始めた。
妖の空腹を満たすのは妖力だろう。
しかし、一般的には姿が見えないはずの妖狐が実体を現している事を考えると、妖力の補充だけでは足りないかもしれない。
つまり、物理的な栄養摂取、食事が必要となる。
もっとも人に変化した後ならば同じような食事でよかろうが、今の姿は狐そのものだ。狐が何を食べるかなど、さっぱりわからない。
仕方なく『てんてんの部屋』で動物図鑑を調べる事にした。
それによれば、一般的に狐の食べる餌は、鶏肉やレバー、砂肝、野菜、卵などだそうだ。
言ってみれば雑食で、犬とそう変わりない。
厨房で冷蔵庫をガソゴソ漁ってみたら昨日貰った鶏ササミが出てきたので、手早く切って皿に移した。
「もしかしたら生食は嫌がるかもなぁ。炙った方が良かったか」
独り言を吐きつつ廊下を通り、急いで店のカウンターまで皿を運んだのだが、肝心の受取る相手が居なかった。
元気になって去ったのだろうかと、いぶかしんでいると、奥の神棚から咀嚼音が聞こえてくる。
「あ、まさか…あーあ」
振り返ると、そこには必死の形相で神棚の柚子を囓る妖狐の姿があった。
神様に捧げる食事のことを、神饌という。
一年の節目に行われる祭りで、それまでの恩恵を享受した食物を神へと捧げる『神迎え』の意味合いがあり、柚木神社でも秋に行われたばかりだ。
。
神社にとって神饌は選び抜かれた食材でなくてはならず、多くの有名神社では敷地内にて米やお茶などを自前で栽培している。
柚木神社の場合は柚子だ。敷地の一部を『空や』に貸与する代わりに歴代の店主に維持管理を任せている。
そしてこの柚子は特殊な果実なのだ。
「食べちゃいましたか」
小さくため息を付いたが、それに妖狐が気づいた様子もなく、必死に柚子にかぶりついている。
ようやくすべてを平らげると、初めて夭夭の存在に気が付いたという顔をして、驚いて神棚からずり落ちそうになる。
なかなか可愛らしい。
両手を差し伸べてやると、素直に体を預けてきた。
前足の付け根あたりを持って神棚から下ろしてやる際に気が付いた。目が訴えているではないか。
ダメだった?
食べちゃダメだった?
過分に夭夭好みに脳内変換されているが、だいたいそんな感じの事を訴えてた。
実に良い。
夭夭は何度も頷いた。
「食べても良いんですが…むしろ大丈夫でしたか」
「大丈夫とは」
「体が炎上するような熱さに見舞われるとか、粉々になって塵芥になるような感覚が襲ってくるとか、指先から徐々に凍り付いていく恐怖におびえるとか、そういう状態になっていませんか?」
「まさに至福の時を過ごしていましたが…。すごく美味しい柚子でしたね。私、生で柚子なんて食べたことありませんでしたけど、こうふんわりと美味しそうな香りが漂ってきたので、ついフラフラと…気が付いたら食べてしまっていたんですが、本当に良かったんですか」
「美味しそうな香り、ねえ。あ、もちろん大丈夫ですとも、ええもちろん」
「なんかひっかかる笑顔ですね」
そう、『空や』の柚子は柚木神社の神様が認めた眷属のみが食することを許される、神の果実である。
認められない者が食せば、先ほどのような状態になり、運が悪いと死に至ることもあるという。
「ということは、貴女は柚木神社に認められちゃったんですねぇ」
「な、なんですかその可哀想に、みたいな言い方。何がどうなったっていうんです?」
「おいおい説明しますが、まずはお名前を伺っておきましょう」
「ありませんけど」
「ありませんか」
「ありません」
妖には名前が無い事の方が多いので、特に問題はない。
ただ、これから共にあるならば、呼び名が必要な事は間違いない。
「…ちなみに私は帆浪夭夭と言います」
「本名じゃありませんよね」
「そう思いますか」
「夭夭って若々しくて美しいって意味ですよね。だいたい桃とかに使う表現だし、どちらかといえば女性―」
「さて、貴女のお名前ですが、良い名を思いつきました」
「流しましたね」
妖狐の頬が膨れる。
非情に可愛い。
夭夭は魅了された。
「一度決めてしまうと、変えられないのですが、良いですよね」
「嫌です」
「柚木神社の眷属になるわけですから、名字は柚木です」
「聞いてますか、い・や・で・す」
「そしてなんと名前は、ゆず。『柚木ゆず』です、どうです可愛らしいでしょう」
夭夭が伝え終えた直後、妖狐の足元が輝いた。
同時に身体が淡い光に包まれ、そして消えた。
「いま、何か光が」
「契約の光ですよ。貴方はたった今から『柚木ゆず』として生を受けたわけです。どうです、素敵な名前でしょう」
「あんた、脳みそが発酵してるのかっ!」
こうして夭夭とゆずが出会い、物語は紡がれていく。




