九話 はざま(5)
― 9.天罰覿面 ―
外から地響きが聞こえてくる。
時折震える窓では、小さな水滴がお互い身を寄せ合い、大粒となって滑り落ちていった。
「はぁ」
足を縛られて床に転がる六の傍らで、夭夭は小さなため息を吐き出した。
外で争うゆずの様子を見に行きたいのだが、六を放置して離れるわけにもいかず、まんじりとした時を過ごしている。
マシマシで増えた黒い妖力はあらかた独楽で吸い取ったが、小さな独楽の破片は取り除く必要があるし、また暴れられても困る。
ちまちまと破片を毛抜きで抜き取りながら、ゆずの事を思うしかないのだ。
(本当にブチ殺してなければ、良いんですが)
何度目かの大きな振動の後、ふと窓の外に目をやると、いつの間にか霧が晴れていた。
雨降らし小僧が逃げたか、巻き添えを喰らったのだろう。
夭夭としては、後者ではないかと睨んでいる。
「う…む」
腕に刺さった欠片を抜いている時、ようやく六が目を覚ました。
「なんで生きてんだよ」
「気がついて第一声がそれですか、六さん」
「生きてる方が辛いんだよ。何で殺してくれなかった」
不機嫌そのものの顔で、六がうめく。
「んな夢見の悪いことができますか。それにしても、人間に打とうなんてよく考えましたね。多分初めてでしょう、それ」
「大きなお世話だ」
「とはいえ、ほとんど独楽で吸い取ってしまいましたから、あとは肉体的な痛みだけだと思いますけどね。六さん年だから、そっちの方が心配です」
「ほっとけ。長生きするつもりは無かったんだよ。しっかし、動くと全身が痛ぇな」
しばし沈黙があり、再び外から激しい衝突音が聞こえ始めると、今度は六が盛大なため息をついた。
「あの馬鹿、って顔してますね。六さん」
「まあな。けど授業料だと割り切れば、そう悪くも無いぜ。一回痛い目にあえば勉強するだろうしな」
「痛い目程度ですめば良いんですけどね」
「秋白だってサナ江の弟子だぜ?いくらなんでも、ゆずちゃんとそこまで差はねぇよ。なんだかんだ言っても、三尾の妖狐なんだし」
「六さんも、わかってませんねぇ。三尾の妖狐が金鬼の腕や雪女を顕現できるわけないでしょう。天地がひっくりかえっても無理ですよ」
「…おい、まさかゆずちゃん三尾じゃないのか?実はいくつか尾を隠してるとか」
「いえ、三尾です」
「わけわかんねぇ。禅問答かよ…あいててて」
六がお手上げの仕草をしようとして痛がっている時、何かが壁に衝突し、轟音とともに盛大に崩れ落ちた。
もうもうと立ち上がる土煙の中、秋白がよろけながら立ち上がる。
衣服はボロボロで、左腕も無くなっているが、なぜか血のりは付いていない。真っ黒な液体が体中に飛び散っているだけだった。
「へぇ」
「な、なんだありゃ!」
冷静に様子を見守る夭夭と、動転する六。
対照的な反応を見せる二人に気が付いたのか、秋白はギギギと音を立てて首を回転させる。
顔の皮膚も剥がれ、失われた左の眼窩でぼんやりと赤い光が点っていた。
「傀儡子の人形ですね」
「くぐ…?ああ、カラクリか。っておい、まさか秋白が人形だってのか、冗談だろ」
大昔、人形を使った芸人の集団を傀儡子と呼んでいた。
表向きは、剣舞や相撲などの娯楽を音楽にあわせて魅せる大衆娯楽であるが、その裏では金持ち相手に禊ぎや祓いなどが行われていた。
特に女性は傀儡女と呼ばれ、祓いを行うとともに、権力者や豪商などに取り入り、ねやを共にすることで傀儡子の地盤を強固なものにしていった。
やがて傀儡子の扱う人形と傀儡女が裏社会で暗躍するようになると、『表の解師』『裏の傀儡子』と棲み分けが出来るようになっていった。
こうして解師と双璧を成す一大勢力となった傀儡子だが、ある時を境にふつりと歴史から姿を消す。
様々な憶測が飛び交ったが、そのうち最も有力なのが、傀儡の人形に人の魂を使った実験をした事が時の帝の逆鱗に触れ、取り潰されたというものだった。
最後に目撃されたのは、人としか見えないほど精巧な人形が、帝を暗殺するところだったという。
「文献では帝と差し違えたとありましたけどね。まさか傀儡子の技が生き残っていたとは驚きです」
「ワ…ワタシ…は、人ゲンだ」
「人間は、片腕がもげて生きてはいられませんよ」
「うるサい、ダマれ!」
夭夭に向かって振り上げられた秋白の右腕を、黄金色の球体が切り裂き、真っ黒な血が辺りに飛び散った。
体を丸めて飛び込んできたゆずは、華麗に降り立つと、両者の間に割って入った。
ゆらりと揺れる尻尾からは、黄金色の鱗粉が舞い散っている。
秋白は、忌々しそうにゆずを見据えると、即座に戦闘行動に移った。
「圧セヨ、元禄拳玉!」
なんとか残った右手で市松模様の拳玉を掴むと、全身を鞭のようにしならせて攻撃を再開する。
人間一人を覆い尽くすほどに巨大化した拳玉が襲うが、ゆずも同時に尾を揺らして輝く刃を放った。
それはゆずカッタアなど児戯に等しいと思わせるほど、神々しい光を放ちながら目の前の空間を断ち切った。
ずれた空間に飛来した拳玉が一瞬にして吸い込まれていく。
見事な防御であったが、その一瞬で秋白は姿をくらましていた。
夭夭達すべてを葬り去る威力があったと思われる一撃だったが、最初から目くらましとして使ったようだ。
思い切りも良い。
静けさを取り戻した部屋で、夭夭がぽつりとつぶやく。
「神術、柚子斬り…ですか」
夭夭も見るのは初めての、神力を使った幻の技だ。
呆れるほどに単純明快な力技であり、それゆえに扱いは非常に厳しいと聞く。
本来の力で行使されたら、それこそ都市が一つ滅ぶからだ。
「流石はゆずさんです、筆舌に尽くしがたい美技でした」
「え、そ、そうです?」
しゃがみ込んだ夭夭は、つんつんとゆずの頬をつつきながら、褒め称える。
ゆずもまんざらではない様子で、頬をゆるめていた。
「いやほんとうに、流麗な尾を使った見事な神術でした。不覚にも、思わず見惚れてしまいました」
「いやあそれほどでも、ありますけど」
「それで、神術の行使は柚木の神様にご承諾いただいているのですよね、当然」
「…」
「よもや、未承認ということは…ありませんよね?」
「…」
黙り込むゆずから、夭夭は一歩後ずさる。
「なんでえ、夭ちゃん。何びびってんだよ」
「ややっ、夭ちゃん?そんな人はここにいませんでしたよ。ええ、私はこの場にいませんでしたとも!」
「ひどい、夭夭さんってば!せっかく助けて上げたのにっ。二人は運命共同体、一蓮托生なのですよっ!」
「助かった?いえいえいえいえ、むしろ悪化してますって!」
「夭ちゃん、きちんと説明しろよ、わけがわから…」
六が不安げな顔で尋ねようとした時、ゴロッと天が喉を鳴らした。
余りに力の強すぎる神術は、神による承諾が必須である。
無断で行使した者には、手痛い神罰が下ると言われている。
その日、廃工場に何度も雷が落ちたという。
― 10. ―
『空や』の和室で、夭夭は大の字に寝転がっていた。
腹の上では、ゆずが丸くなって目を閉じている。
いつか見た光景だが、大きく違っている事がある。
夭夭は全身に包帯を巻いており、ゆずの毛はチリチリになっているのだ。
「だから嫌だったんです。最初から嫌な予感がしてたんです」
「まだ言ってるんですか」
「だって、完全に巻き添えですよこれ」
軟膏だらけで包帯をまかれた腕は見るからに痛々しいが、命に別状はなかった。
雷に打たれた割に、重度の火傷にもならず生き残ったのは、恩赦であろうか。
まあ規則を破ったのはゆずであり、夭夭はとばっちりを受けただけなので当然なのだが。
「些細な失敗は誰にでもある事です、くよくよしてはいけません」
「何だか私が失敗したように聞こえるんですが」
「そんなことよりも、大変な事に気がつきました。今日はまだ柚子を食べてません」
「この手では柚子をもげないんですが」
「根性です、男は根性ですよ、夭夭さん」
「鬼ですか」
「呼びました?」
「うわあっ!?って、痛ぁっ」
突然女性の声がしたので飛び起きたのだが、当然全身に激痛が走る。
そのままヘナヘナと畳に崩れ落ちる。
「あらまあ、噂以上に酷い様子ですね、夭夭さん」
「木の葉さん、脅かさないで下さい。どうしたんです?というか、どうやって入ったんですか」
「そりゃあお店から」
「鍵を閉めてあったと思うんですが」
「あの、ちょっとその、ガチャッと音がしたからおかしいとは思ったんですけど」
「はい?」
「と、扉が古いのかしらって、勘違いしちゃって、あの、すこーしだけ力を入れてしまって」
「ま、まさか…」
両手を後ろ手にモジモジとしていた木の葉だが、恥ずかしそうにそっと手にもった物体を差し出した。
まごう事なき、ドアノブである。
「あああ、直したばかりなのに」
「我慢です、男は我慢ですよ、夭夭さん」
「我慢できるかっ」
要するに、夭夭の怪我を聞いてお見舞いに来たわけである。
きちんと林檎も持参している。
訪問時に多少不幸な事故が起こっただけの事だ。
「わざわざお見舞いしていただく程でも無いんですが」
「そんなことありませんよ。私は夭夭さまに命を預けた身ですから」
「夭夭さん、やっぱり人妻に…」
「ゆずさん勘違いです、木の葉さんも頬を染めたり小細工は止めなさいって」
ぎゃあぎゃあと騒いでいると、突然部屋の温度が急激に下がった。
「寒っ!」
何事かと見回せば、襖の影にひっそりと雪女の加代が立っていた。
「夭夭さん、いえヨーさんが酷い火傷を負ったって聞いたから、急いで来たんだけど」
「ちょっと加代、いつからヨーさんなんて呼んでるのよ」
「木の葉が出会うずっと前からよ」
「加代が出会ったのって、つい最近じゃない」
「何十年も前ですけど~」
「それは【常闇の石】のせいでしょ、対象外だわ」
「は、何を言っちゃってるんですかね」
別の意味で部屋の温度がさらに下がっていく。
「ゆずさん、なんだかとても寒いんです」
「夭夭さんは未亡人にもてますからねぇ」
「味方がいない…」
嘆く夭夭の耳に、さらなる訪問の音が聞こえてきた。
玄関からきちんと訪問してくるところからすると、まともな人間だろうと期待する。
「こんにちは、清音ですが夭夭さんいらっしゃいますか」
薬回しの清音である。
夭夭の知り合いの中で数少ない、まともな人間だ。
喜んで招き入れたのだが、そこで夭夭の眉間にシワが寄った。
ヤツが居たのだ。
「よう、元気だったか、ゆず」
「まあね」
「うわ、チリチリじゃんか。それ今の流行だろ。なんだっけ、ぱーま?」
「しらない」
黒妖狐である。
この黒妖狐は、髪切り事件以来、時々ふらりとゆずを訪ねてくることがある。
当然夭夭としては面白くない。
同じ妖狐という、夭夭では超えられない種族の壁がそこにあるからだ。
「ここは妖狐立ち入り禁止です」
「何言ってんだよ。ゆずだって妖狐じゃん」
「呼び捨てにするな。柚木さんと呼べ。そしてゆずさんは妖狐ではなく、ゆずなので問題ないのです」
「あんた、相変わらずイッちゃってるな」
黒妖狐が呆れる。
「まあ夭夭さんだしねぇ?」
加代の頭が軽く横にかしいだ。
「そこがまた良いのです」
木の葉はうっとりと眺めている。
「え、まさか動物専門とか、そういう系なんですか?」
清音の天然は相変わらずである。
ゆずを抱きしめたまま黒妖狐から距離を取る夭夭に、三者三様の反応を見せるのだった。




