九話 はざま(2)
― 3.えび茶の君 ―
廃工場に近づくにつれ、冷たく乾燥していた空気が急に湿っぽくなってきた。
先程までは晴れていたはずなのだが、どうにも雲行きが怪しい。
「夭夭さん」
「ええ、あの妖のせいですかね」
廃工場の正面玄関周辺に配置された解師達も、その存在には気がついたはずだ。
敷地のど真ん中に、傘を被った小僧が一人佇んでいる。
中骨を抜いた和傘を直接頭に被り、提灯を片手に空を見上げていた。
「これはちょっと、不味いかもしれないな…」
一足先に廃工場へと侵入した夭夭とゆずは、玄関を見通せる窓の側に身を潜めていた。
正三位を主軸とした解師集団が、派手に正面へ攻撃している隙に六を探し出すつもりだったのだが、早くも予定が変更となりそうだ。
「え、でも夭夭さん。あれ、雨降らし小僧でしょ。雨が降るだけだし、放って置いても大丈夫なんじゃないですか」
「はい、ただの雨降し小僧なら。でも、マシマシされているとしたら相当危険です」
「はっ、確かに。酸の雨を降らしちゃうとか、するかも!」
「そんなことしたら、自分も溶けますけどね」
「う、うん。もちろんわかってましたとも!」
「うくくっ」
にやけている夭夭の腹に、ゆずトルネヱドを放つ。
要するに、強力な足腰のバネを活かした回転頭突きであるが、馬鹿に出来ない威力を持つ。
なぜなら妖力で強化・保護された身体が、弾丸の勢いで飛んでくるからだ。
えぐり込むように、撃つべし。
鳩尾付近を直撃された夭夭は、くぐもった声をあげて悶え苦しんでいる。
しかし情けは無用だ。
ゆずは夭夭の背中を踏み台にして窓枠へと登ると、外の戦いを特等席で観戦することにした。
先に動きがあったのは解師達の方だった。
戦力を測るためか、えび茶色の外套を着た解師の一人が建物の陰から、ゆっくりと姿を現す。
それと同時に、窓にポツリと滴が当たる音がした。
「あ、雨」
ゆずがその音に気を取られた隙に、えび茶の解師は走り出していた。
いつの間に取り出したのか、巨大な鬼の腕が右腕に付けられている。
解師が何か唱えると、鬼の腕は炎をまとって雨降らし小僧へと肉薄した。
「わあ格好良い」
以前夭夭が顕現させた金鬼の腕よりも格段に劣る物だが、見た目が派手な上に体捌きが見事だったので、ゆずの目には格上に見えたらしい。
だが、腕が小僧に届くことはなかった。
突如地中からせり上がった漆黒の土壁に阻まれ、ドゴンと鈍い音を響かせて侵攻を止められたのだ。
「あ!あれって塗壁ですよね」
「げほっ、ゆずさんは手加減てものを覚えるべきです」
「何いってるんです、か弱い乙女の戯れじゃないですか」
「乙女は頭突きなんてしません」
妖狐も乙女と表現して良いのか、悩ましいところではあるが、そこはあえて突っ込まない。
突っ込む勇気は持ち合わせていないのだ。
「そんなことより、あれ、あれ」
「ああ、塗壁を元にしていますね。あ、不味い、三方囲まれてしまいましたね。あの鬼の腕では抜けられないかも」
えび茶の解師は懸命に壁を叩いているが、一向に効いた様子が無い。
時間ばかりが過ぎ去っていく。
焦ったえび茶の解師が術を行使しようとして、鬼の腕を解除した瞬間を狙って、塗壁が左右から押しつぶそうと迫ってきた。
辛うじて後ろ跳びに脱出したものの、圧倒的に形勢不利である。
「他の解師達は何してるんだ、早く助けに行けよ!」
隠密行動であることも忘れ、叫ぶ。
その夭夭の眼前で、窓が急に曇って視界を塞いだ。
一瞬自分の息で曇ったのかと思いその場を離れるが、窓は真っ白なままだ。
その時点でようやく気がつく。
「まさか、霧ですか」
通常雨降らし小僧は雨を降らせるだけだが、この小僧は霧まで操るようだった。
一面真っ白な霧に覆われ、わずかな先をも見通すことが叶わない状況では、人間の視界などいとも容易く奪われてしまう。
しかし妖達は様々な方法で人間を攻撃することが出来る。
一方的な不利である。
雨降らし小僧の恐ろしいところは、戦況を一気に妖有利に転じる事ができる事だ。
それ自体は強くないが、他の妖と組み合わせることでその真価を発揮する。
「ああ、不味い、くそっ」
雨粒に覆い尽くされた窓にかじり付くようにして見ていた夭夭だが、何一つ状況を確認出来なかった。
自分が居れば、いくらでも対処できるのに。
忸怩たる思いで窓に齧り付くが、流石にここで乱入することは出来ない。
暫く未練がましく窓に視線を送っていたが、諦めて廊下の奥へと向き直った。
「仕方ありません。彼を信じて、予定通りこちらの仕事を進めましょう」
「夭夭さん、大丈夫ですか」
「もちろん、絶好調ですよ」
応えた顔はとても好調そうには見えなかったが、ゆずは黙って定位置へと移動した。
夭夭はえび茶の解師を知っているようだった。
『空や』に顔を見せたことは無いので、ゆずと組むより前の知り合いなのだろう。
二人の関係は判らないが、あえて聞かなくとも、夭夭の態度からは一目瞭然であった。
「本当に、大丈夫ですか」
「ご心配無く、いつになく充実していますよ」
無表情のまま、するすると音も無く廊下を進んで行った。
― 4.六の切り札 ―
カタカタカタ
天井、壁のすき間、床の穴、あらゆるところから蜘蛛の形をしたカラクリ人形が這いだしてくる。
着色もしていない、木ぼりの蜘蛛だが、瞳だけは闇に怪しく光っていて不気味だ。
夭夭は、その間を縫うようにして駆け抜けていった。
「円らに、細に。巻き潰すは、双目のこまつぶり」
両手を交差させて、腰に下げた布袋からつかみ取ったのは、二つの小さい独楽だった。ドングリ型をした独楽の側面に描かれた模様が、不気味な気配を醸し出している。
「そうあれかし」
夭夭は、指を滑らして右手の独楽を前方へ、もう一つを後方へと放り投げた。
とたんに独楽は大きさを何倍にも膨らませ、ブウンと低い音をさせて回転を強め始める。
同時に、側面に描かれた模様が二つの目を浮かび上がらせていった。
滅師垂涎の稀少道具『双目のこまつぶり』が目を開いたとき、周りの妖力ある存在は強烈な勢いで引き寄せられていく。
そして激しい回転に巻き込まれたら、逃れる術は無い。
身体も妖力も細切れにされて、四散するのだ。
この時、周囲に散らばった妖力は独楽へと吸収されていく。
恐ろしい事に、この独楽は妖力さえ在れば永遠に回り続けることができるという。
まさに対妖用の殲滅道具であり、滅師が欲しがるのも道理である。
滅多な事では使用しない夭夭だが、今回は相手が妖ではなくカラクリだったため、躊躇うこと無く使う。
グシャリと音が響くと、あっという間に周囲の蜘蛛形カラクリが巻き込まれ、弾き飛ばされていった。
「あぶっ、あぶぶ!」
かすめるように飛んできたカラクリから首をすくめて避難したゆずは、そっと夭夭の顔色を窺った。
吹き飛んでいくカラクリが壁に激突してバラバラになっても、表情はピクリとも動かない。
「キレてる、キレてますよ、コレ」
横手から飛ばされてきたカラクリには、左手を振り払って床に叩きつける。
かろうじて破壊を免れたカラクリが飛びかかってくれば、右手の拳に付けた鉄板で殴りつけて完全に破壊する。
彼にしては珍しく攻撃的であった。
こうしてカラクリの群れをあらかた片付け終わったところで、独楽を回収しながら一際大きな声を張り上げた。
「さて、いい加減に出てきたらどうです」
ここに至るまで、相当数の妖を無力化してきたが、いずれも黒いドロドロは使われていなかった。
いや、それでは妖が従わないはずだ。ごく僅かで気がつかない程度の量を使用していたかもしれないと思い直す。
最低限、命令に従う程度の少量を。
「やることが中途半端なんですよ、六さんの仕業でしょう、あの妖達は」
「ちぇ、やっぱり夭ちゃんが出ばってきやがったかよ」
のそりと屏風の奥で立ち上がったのは、掛水六之丞その人だった。
普段の好々爺ではなく、現役時代を彷彿とさせるキリリとした表情で、解師の服を着こなしている。
「こんだけ揃えるの、結構大変なんだぜ。それをまあ簡単に壊してくれちまって、まあ」
「六さんこそ、どうやって操ったんですか。2~30どころじゃなかったでしょう」
「きっちり四十五、それ以上は無理だ」
「呆れた。バケモノですね」
「お互いさまだぜ、夭ちゃん」
カラクリを手板も無しに、水平方向に操るには妖力の糸を出す必要がある。
普通に上から垂らした場合でも、一般的には一体が限界だ。
それを四十五体も同時にバラバラに動かしたのだから、夭夭をしてバケモノと言わしめるだけのことはある。
「それで、何しに来たんだよ。まさか、ここが本拠地だってぇ噂が本当だと思ってんじゃないだろうな、だとしたら失望するぜ」
「そりゃまあ、露骨でしたからね、さすがにわかります。でもおかげで六さんがいることは確信できましたよ」
「はて、そりゃあ何だ。俺がいると何か良いことでもあるってのか」
「聞きたい事は沢山ありますよ」
掛水サナ江は生きていたのか。
黒いドロドロで何をしようとしているのか。
どうして解師協会を離れる必要があったのか。
何より、六がこれからどうするのか、を聞きたかった。
「六さんには、この騒動から退場してもらいます」
「そうはいかねぇってことよ」
「力尽くでも、連れて帰ります」
「どうかな。こっちは準備万端で待ってたんだぜ。夭ちゃんその辺理解してっか?」
六は、後ろに置かれた箱から出ている紐を思い切り引っ張った。




