九話 はざま(1)
― 1.ろくでもない話 ―
新装開店した『空や』の奥、居住部分にあたる畳敷きの一室で、夭夭は大の字に寝転がっていた。
腹の上では、ゆずが丸くなって目を閉じている。
しばらく黙って天井を見上げていたが、やがてはぁと大きなため息を吐き出した。
先ほど届いた解師協会からの指示書のせいである。
その内容ときたら、思わず伝書鳩に八つ当たりしたくなるほどだった。
「ああ嫌だ、嫌だ。今度ばかりは働きたくない。誰か代わってくれませんかね」
こういう時ゆずは何も言わない。
ただ夭夭の判断をじっと待つのみだ。
できる妖狐というのは、そういうものである。
障子から差し込む柔らかい光が、ときおり揺れる木々の枝に遮られたのか、灰色へと変化する様を目で追う。
このまま世界に溶けてしまうのかと思われた頃、ようやく夭夭の口が開いた。
「諦めるか」
むくりと起きあがると、腹から飛び降りたゆずの頭を一撫でして、解師の正装に着替え始めた。一度決めてしまえば、後の行動は早かった。
てんてんの部屋へと足を運び、いくつかの道具を漁って準備をすませると、その足で玄関へと向かった。
「おお、夭夭さんが真面目に仕事するなんて」
「ゆずさんは、私を一体何だと思ってるんです」
「怠惰をこよなく愛する変人解師」
「なんか、そこはかとなく誉められたような気がします」
「これっぽちも誉めてません!」
いつも通りの会話をしつつ、玄関扉を開けた。
外に出た途端、雪女の吐息を思わせるひんやりとした風が頬に吹き付けてくる。
いつのまにか、空は冬へ向かって寒さを蓄え始めているようだ。
夭夭は天然襟巻きのゆずを首に巻くと、カラリ下駄の音を響かせて歩き始めた。
向かう先は街の北にある一画、今は使われていない綿糸工場跡である。
「ところで、夭夭さん」
「なんです」
ゆずの問いに合わせて、下駄の音が止まる。
「これから向かう所って、六さんが居るんでしょうか」
「どうかなあ。しかし、居ても居なくても嬉しくないんですよね。困ったことに」
夭夭の声は暗かった。
二人が向かう廃工場には、黒いドロドロを妖に施すという『マシマシ屋』が居ると思われている。
転々と居場所を変える『マシマシ屋』だったが、解師協会派遣の情報屋『二本柳』の活躍により、ようやくその本拠地が見つかったのだ。
だが、その情報は限りなく怪しい。
『マシマシ屋』は、掛水サナ江が関与していると思われる組織だ。
もちろん確実に六も居るだろう。
六という男は夭夭が知る限り、最高の情報収集と操作の能力を持っている。現役時代、解師としての才能は平凡だったが、こと情報と取り扱いにかけては右に出る者が居ないとまで言われた男だ。
そしてその評価は、第一線を退いた今でも変わることがない。
一流の人間というのは、そういうものだからだ。
それに比べて協会派遣の情報屋はなんとも頼りない。
美人の一人でも用意しておけば、コロッと騙されること請け合いだ。
「ほぼ誤情報ですよね。罠の一つや二つ、張られていると思います」
「協会の人たち大丈夫でしょうか、夭夭さんはともかく」
「何で『私はともかく』なのか気になりますが。みなさんは正面から正攻法でいくらしいですよ。現正三位を含め、かなり高位な方々が参戦するので、大丈夫でしょうけど。私は裏でゆっくり六さんを探しますよ」
解師協会の正二位が直々に夭夭へ書いてよこした指示は、六という危険な情報屋の排除である。手段は問わないという、乱暴な内容でもあった。
「ろくでもない仕事ですよ、本当に」
天然襟巻きをそっと撫で、再びカラリと下駄を鳴らしながら、事の始まりを思い出す夭夭であった。
― 2.騒がしい男 ―
「たっ、大変っす、夭夭さん!」
『空や』に飛び込んできた若い男は、白いシャツにハンチング帽、サスペンダーという今流行の出で立ちだった。
「二本柳君、商品壊さないでね」
飛び込んできた勢いそのままにカウンターへ向かう二本柳に、やんわりと注意するが耳に届いた様子はない。
この男、何かに夢中になると全く人の言うことを聞かないのだ。
ペキ
案の定、鞄に引っかけて落とした帯留め飾りを踏んづけて壊してしまった。
あ、と慌てて足を上げたところでバランスを崩し、ひっ掴んだ陳列棚のクロスごと商品を床中にぶちまけた。
ニコニコと笑う夭夭に、慈悲の心は無かった。
「非道いっすよ、夭夭さん。いくらなんでも出入り禁止は無いでしょ」
「君が踏んづけて壊した帯留め飾りなんだけどね」
「は、はい」
「お値段、このくらいなんだよね」
夭夭が一、二、三と指を折っていく。
「な、七…ちょっと高いですね。は?桁が二つ違う?ははは、冗談ですよね」
「疑うなら、協会に鑑定書尽きで請求書を回しておくよ」
「出入り禁止でいいっす!」
即答した二本柳は、裏庭で正座していた。
この騒がしい男は、六の後任として解師協会から送り込まれてきた者だが、はっきり言って迷惑この上ない。
情報収集能力も判断力も六の足下に遠く及ばない、そのうえよく喋る。
加えて粗忽者の称号を持っているため、店の商品を良く壊す。
『空や』の日常を脅かすこの破壊者に対して、取り得る最後の手段が出入り禁止であった。
「それで、何が大変なんだい」
「ああ、忘れてました」
「忘れるなよ」
夭夭は呆れながらも、辛抱強く話を聞き出した。
これでも協会推薦なのだから、腕は悪くない。六と比較するのが間違いなのだ。
案の定ネタとしてはとびきり大きいものだった。
むしろ大きすぎると言える。
「『マシマシ屋』の本拠地ですか」
「そうなんすよ、ビックリでしょ、天地がひっくりかえるでしょ」
「そこまでじゃないかな」
「ええー」
夭夭の反応に不満そうな二本柳だったが、夭夭は冷静だった。
解師協会が躍起になって情報収集しているが、実体すら掴めていない『マシマシ屋』の本拠地を特定したというのだから、普通に考えれば眉唾物である。
「その情報、どこから仕入れました」
「それはまあ、その、あれですよ、情報元は明かさないってのが情報屋の鉄則っす」
「取って付けたような理由だねぇ」
どうせ信頼度の低いネタ元から仕入れたか、人に言えない手段で拾ったのだろう。
動揺を隠すことすら出来ない二本柳に憐れみの視線を送りながら、夭夭の脳内はめまぐるしく動いていた。
わざと流された情報であることは、疑う余地も無い。
しかし、全く誰も居ないという事もまた無いだろうと思われる。
多少なりとも戦力を置いておかなかれば、信憑性が無くなるからだ。
恐らく切り捨てられる程度の存在が残置され、幹部級は近くで罠にはまる様を高みの見物といった所だろう。
罠の手法も程度も不明だが、あえて踏み込みたいとは思わない。
「私の手には余る情報ですね、協会本部に提供した方が良いでしょう」
「いいんすか?折角手柄を独占できるのに」
二本柳が不思議がるのも無理は無かった。
通常解師と情報屋の関係は一対一であり、報酬額も歩合制なので、外へ情報を提供するなんてことはまず無い。
二本柳が本部へ情報提供すれば、それなりの謝礼はあるだろうが、夭夭が単独で成功した時の報酬に比べれば雀の涙程度だ。
「まあ夭夭さんが言うなら、そうしますけどね」
「すまないね、手取りが減って」
「いやぁ、今回手間かかってないんで」
「へぇ、そうかい」
予想通り、お手軽な情報源があったようだ。
推測が確信に変わったところで、夭夭はサラサラと一筆したためる。
手紙の入った封筒は解師協会の正二位宛であった。
「そうそう、これも本部に渡してください」
「直接行った方が早くないっすか、近いし」
「それじゃ意味が無いんですよ
「はあ、まあいいっすよ」
気軽に受け取った二本柳は、うかれた足取りで裏庭を後にした。
夭夭は後ろ姿をじっと見つめる。
ハンチングは帆布で有名な国産の高級品、サスペンダーは舶来物、名前入りのシャツは流行の仕立物ときている。
どう見ても、二本柳には分不相応の品ばかりだ。
「随分とまあ、景気の良いことですね」
「ゆずさん?またそんな所に」
ゆずが屋根の上からひょこりと頭を出した。
二本柳が嫌いなゆずは、彼が来ると必ず姿を消してしまうのだ。
「情報の見返りなんでしょうね、渡したのは解師協会の動きか、現状の戦力か」
「内通者ですか」
「どうかなぁ、彼そんなに協会の中枢にからんでいないし、むしろ誤情報を協会内に広げてもらう役割を期待されているんじゃないかな」
だが、ここは敢えてその情報に乗る。
どのような形であれ、尻尾すら掴めなかった『マシマシ屋』と接触できるのだから、多少の危険は覚悟してでも乗るべきなのだ。
正二位にも手紙でそのことは伝えたし、今頃二本柳は軟禁されている事だろう。
「あとは、協会の動きを待つだけです」
「じゃあ私は、夭夭さんのお腹で寝るだけです」
『空や』の一室に戻った夭夭は、い草の香りに包まれながら大の字に寝転がり、ゆずは腹の上でくるりと丸くなるのだった。




