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八話 童と少女(4)

― 7.喜久乃 ―


 蛍子は、障子の近くにある小さな机に向かって本を読んでいた。

 四十畳あるこの部屋に置かれた家具といえば、本棚、机、ガス灯ぐらいなものだ。

 およそ年頃の女子が使う部屋とも思えない簡素なものであった。


 以前は殺風景なこの部屋が蛍子の心象風景そのものであったが、今は少しも寂しいとは思わない。

 なぜなら、友達が出来たからだ。


 耳を澄ませば、タタタと小走りで近寄ってくる足音が聞こえてくる。

 振り向くと、息を切らして上気した顔の座敷童子が居た。


「蛍子見たか、見たか!?」

「何を見たの」

「この屋敷の炊事場では、炭も無いのに炎が勢いよく吹き出しておるのだ!」

「ああ、ガス七輪のことね。今はガスっていう気体が普及していてね、こうして灯りに使ったり、調理器具に使ったりしているのよ」

「燃える物もないのに炎が出るとは、恐ろしい世の中になったもんじゃ」


 ぶるぶると震える座敷童子を見て、蛍子は吹き出してしまった。

 何でも知っていると思った座敷童だが、雀が自由に出入り出来ない家の中のことは、あまり詳しくないようだった。

 それが、見目相応に可愛らしく見えてしまったのだ。


「笑うとは失礼ではないか、ふん」

「あ、ごめん。でもそうしていると普通の女の子みたいで」

「失礼な、こう見えても年上のお姉さまじゃ」

「ごめんてば、ほら小豆ようかんあげるから」

「うむ、大儀じゃ」


 目にも留まらぬ早さでようかんを奪うと、むさぼるように食べ始めた。

 座敷童子は小豆と名の付くものに目がないと知ったのは、数日前のことだ。

 それ以来蛍子の部屋には、必ずなんらかの小豆製品が置かれている。


 満足そうにようかんを食べる座敷童子を見ていると、蛍子もまた満ち足りた気持ちになってしまう。

 だが、今日はいつものようにのんびりお茶だけしているわけにはいかない。

 一つの難題を解決せねばならないのだ。


「私、思ったんだけど」

「むぐ?」

「食べながら返事しなくていいからね。ええと、いつまでも座敷童子ちゃんでは呼びにくいかなって思うの」


 しばらく咀嚼音が続き、やがて座敷童子が口を開いた。


「そうはいっても、古来より座敷童子としか呼ばれておらんしなぁ」

「じ、じゃあじゃあせめて私と一緒の時は名前を呼んでもいいかな?」

「名前か、まあ良いが、蛍子にその覚悟はあるのか」

「覚悟!?そんなに大変なことなの?」

「いやまあ、良いか。ふむ、よろしい申してみよ。おかしな名であったら、即刻ゆで小豆の刑に処す」

「なんなのその刑」


 苦笑しながら、蛍子は机の引き出しから一枚の半紙を取り出した。

 三つ折りにされたその半紙を、照れくさそうに座敷童子へと差し出す。


「むむ、これはどういう意味だ」

「その、口で言うのは恥ずかしいから、書いてみたんだけど…」

「どうせその名前を呼ぶ事になるんだから、一緒であろうに」


 呆れ顔の座敷童子に、それとこれとは違うの!と顔を真っ赤にして怒っている。

 仕方なく、かさりと半紙を開いた座敷童子の目に、その文字が飛び込んで来た。


 喜久乃


「ほら、ウチの先祖が酷い事して、沢山辛い目に会ってきたから。これからは久しく喜びが続きますようにって。あと乃って文字には繋げるっていう意味があるの。座敷童子って人間と妖をつないでくれる、素敵な妖だものね」


 半紙の端を握りしめて黙っている座敷童子を、怒っているものだと勘違いした蛍子は慌てふためいてしまう。


「ごめ、ごめんね。変だったかな。考え直すね」


 伸ばした蛍子の手から、ひょいと半紙が逃げていく。

 くるりと後ろを向いた座敷童子は、そのまま半紙を懐にしまってしまう。


「あの、座敷童子ちゃん?」

「…かもの」

「え、何?」

「ばかもの!私の…私の名前は喜久乃だ。きちんと、名で呼ばんか」


 嗚咽混じりの声で『喜久乃』は答える。

 全身で喜びを感じながら、うれし涙というものを初めて味わっていた。

 

 喜久乃は常に人へ幸運を与える存在でありつづけた。

 何百年も、そうであった。

 だから生まれて初めて人から貰った、この名前という存在が愛おしかった。

 

「えっと、喜久乃、気に入って貰えたのかな」

「あ、当たり前だっ」

「よかった」


 相変わらず後ろを向いたままの喜久乃の背中を、蛍子は両手でそっと包み込む。

 二人は長い間何も言わず、ただじっとお互いの存在を確かめ合うのだった。




「とまあ、こんな感じかの。あー、話したら腹が減った。焼き芋でも食うとするか。ん?どうした、お狐様」

「き、喜久乃さんのせいで、折角の良い雰囲気がぶち壊しですっ」

「なんでじゃ、失敬な」


 むくれる喜久乃と、膨れるゆず。

 夭夭はといえば、触らぬ神に祟りなしでひたすら茶を飲んでいた。



― 8.お別れ ―


「それにしても、この分だとまだ随分かかりそうですね」

「いや、もうすぐ終わる。あっけないほどにの」


 話の核心はこれからだと思っていたゆずは、少し首を傾げている。

 だが喜久乃は構わず話を続けることにした。

 聞いていれば、すぐにわかる。

 そう、過去が変わる事は決して無いのだから。




 その日は朝から雨が降り続いていた。

 

 土砂崩れの心配があるせいで外出もできず、大切な取引の予定を中止させられた蛍子の父親は、とても苛立っていた。

 そのせいか、ちょっとした物音にも過敏に反応しては、怒鳴り散らすという状態だった。

 また、喜久乃と蛍子が出会ってから丁度三ヶ月が経過し、二人の気持ちが緩んでいた事も災いした。

 

 喜久乃と一緒にお手玉をして騒いでいるところを、父親に見つかってしまったのだ。

 普段ならば、人の気配に注意して姿を消す喜久乃も、遊びに夢中で気がつかなかった。


「誰だ、やかましいぞっ!」


 突然襖を開けて入ってきた父親に、蛍子も喜久乃も固まったままだ。

 しかし喜久乃が止まったのは、僅かの間だけで、直ぐに踵を返すと障子を開けて逃げ出していった。


 まずい、怒られると首をすくめた蛍子だったが、予想に反して父親からのゲンコツは飛んでこない。

 代わりに呆然とした父の姿が目に入ってきた。


「お父さま?」


 蛍子が呼んでも暫く呆けていた父親だが、やがて意識を取り戻す。

 すると今度は人が違ったかのように、喜久乃の事を問いただすのだった。

 何処の子だ、何という名だ、何をしていた、いつから一緒だったのか等々。

 

 肩を掴んで強く揺すられたせいで上手く話すことができず、蛍子は何度もむせかえってしまった。

 ただ、苦しくても喜久乃の正体だけは話さなかった。

 喜久乃がまたあの狭い場所に閉じ込められてしまうかと思うと、心が引き裂かれる。


 絶対に話すものかと決意した蛍子だったが、父親も馬鹿ではない。

 童の後ろ姿、人とは思えぬ逃げっぷりなどから、それが座敷童子ではないかと推測したようだった。


「じ、冗談じゃないぞ。俺の代でそんな馬鹿な、嘘だ」


 気が狂ったかのように叫び、裸足のまま庭に飛び出すと、あの古い藏にむかって駆け出していった。

 髪をかき乱して引き開けた蔵の中で見たのは、もぬけの殻となった一畳の畳であった。


「おおおおお!」


 その雄叫びはおよそ人のものと思えず、喜久乃をして妖に匹敵すると言わしめるほどの呪詛を含んでいた。


「馬鹿な、そんな馬鹿な!結界が崩せるはずない、そんな事はかかれてなかった…いやまて」


 ブツブツとつぶやきながら、乱暴に蔵の中の書物を漁り回る。そして一冊の古本を手にすると、震える指でめくっていく。


「あった、これだ」


 読み進めるうちに、彼の顔はみるみる青ざめていく。

 結界を容易に崩す事など出来ない。それこそ高位の解師でも難しい。

 だが、一つだけ抜け道があった。


 結界に囚われたものが、外のものと親交を深めてしまった場合がそれだ。

 それゆえ歴代の当主は蔵に閉じこめ、誰とも出会うことがないように厳重に管理していたのだ。

 

 血走った目で屋内に戻った父親は、再び蛍子の部屋に飛び込んだ。

 泥だらけの素足で、ずかずかと蛍子へと近寄ると、顔を平手で打った。


「蛍子、お前が、お前が逃がしたのかっ」


 変貌した父親に怯える蛍子だったが、やがて毅然とした表情で言い返す。


「そうです」


 父親は獣のような咆哮を上げ、両手で蛍子の首を締め付ける。


「蛍子おおおおおお!、ゆるさん、俺はゆるさんぞおおお!」

「おと…さ…くるし…」

「出ぇてこおい!座敷童子ぃ、蛍子がどうなっても良いのかぁっ!」


 この時、狂気の最中にあった父親の頭に、冷静な部分も残っていた。

 座敷童子と蛍子が仲良く遊んでいた光景を思い出していたのだ。

 そこで、賭けに出た。

 座敷童子が蛍子を案じて姿を現すのではないかと。

 

 蛍子に馬乗りになると、口から泡を吹きながら、か細い首を締め上げた。

 蛍子の瞳から涙が零れ、徐々に光が失われていった。

 

 その時、ゴオッという音とともに、部屋の襖がとてつもない勢いで吹き飛ばされた。


「げほっ、げっ、げひゅ」


 蛍子に跨がっていた父親は、猛烈な風と共に部屋の壁へと打ち付けられて、呼吸が出来なくなっていた。

 空気を求めて胸を掻きむしり、悶え、転がったところで、ようやく息が戻ってくる。


「なに、が…?」


 答えを求めて顔を上げた先に、異形の者がいた。

 猛禽類の翼とくちばしを持ち、身体は羽毛に覆われている。その目は人のようでもあり、気高い獣のようでもあった。

 神々しいまでの姿をしたそれが軽く翼を広げると、その中から一人の童が姿を現した。

 喜久乃である。

 

「座敷童子!戻って来たのか、そうか、戻って来たか、ははは!そうだ、こちらには蛍子がいるのだ。貴様には見捨てられまい。これまで通り我が一族に囲われてお―」

「黙れ」


 喜久乃は静かに、しかし良く通る声で言った。


「黙れ…それ以上喋る事は許さん」


 有無を言わさぬ蛍子の様子に、父親はジリと後ずさる。

 怒気とともに後ろで控える異形の者が、無言の圧力を与えてきたからだ。

 そんな父親を無視して、するりと部屋まで上がってきた喜久乃は、横たわる蛍子にそっと手を当てた。


「そんな…嘘であろう」


 蛍子は息をしていなかった。


「嘘だ、友達になったのではなかったのか」


 呼びかけても、蛍子は微笑みかけてくれない。


「また独りになってしまうではないか、行かないでくれ、いやじゃ、行かないでくれえ」


 喜久乃は泣いた。

 蛍子を抱いたまま、号泣した。

 折角できた初めての友達を無くした悲しみは、数百年閉じ込められた孤独よりも激しく喜久乃を傷つけた。

 

 慟哭が部屋を揺らす。


 蛍子にしがみついたまま泣き続ける喜久乃だったが、ふとある事に気がついた。

 死んだにしては、蛍子の霊体が身体から出てきていない。


「もしかして」


 喜久乃は一縷の望みに賭けて、蛍子へ自分の妖力を流し込んだ。

 そして、わずなところで残った魂を肉体につなぎ止めることが出来た。


「ほ、蛍子!」


 しかし喜久乃の妖力だけでは、魂をつなぎ止めるのが精一杯で、一度活動を止めた心臓を再び動かすことは叶わなかった。

 美しい顔のまま、蛍子は動かない。


「そんな、そんな事ってあるものか。不公平じゃ!どうして蛍子ばかり、こんな目に遭う!」


 喜久乃の怒りは、コッソリと逃げだそうとしていた父親へと向かった。


「何処へ行く」


 怒声とともに、喜久乃の後ろから突風が吹き付けた。

 異形の者が翼を軽く振るったのだ。

 再び飛ばされ、腰を壁に打ち付けた父親はすっかり怯えてしまった。平身低頭し震えながら謝罪の言葉を繰り返している。


「貴様だけは一生許さぬ」

「ひ、ひっ」

「しかし、私はここで蛍子を見守らなければならぬからな、この屋敷は必要だ」

「は、はひっ」

「貴様と家族はどこへなりとも移り住むが良い。しかしこの屋敷は維持しろ。万が一の事があれば、一族郎党に害が及ぶと思え」

「ひいぃ」


 父親は、這いずるようにして部屋を出て行った。

 後に残されたのは喜久乃と、動かない人形となった蛍子、それに異形の者だけである。


「折角の助力も、間に合わなんだなぁ、天狗殿」

「なに、まだ希望はあろう。魂は残っておるのだ」

「すまぬ」

「気にするな、昔なじみはもう少ないのだ。頼みとあらば、この程度」

「重ね重ね、礼を言う」


 深々とお辞儀をした喜久乃の頭に、ふさと翼が触れたかと思うと、次の瞬間には天狗の姿がかき消えていた。


「さて、誰ぞの助力を乞わねばならんな。妖がらみで一番御しやすい奴らといえば、決まっておるのだが…その前に」


 そっと蛍子を畳みに寝かせ、まずは部屋の修復から始めなくてはとため息をつくのだった。




「そんなこんなで、力仕事や掃除が得意な箒神に話をつけて、その後解師協会へ雀を飛ばして助力を乞うたわけよ」

「はあ、もの凄く省略されたましたけど、凄い事しましたね」

「私も必死じゃったからな。おかげで優秀な解師と伝手ができた」

「吟目さんですか」

「ああ、結果してその息子が解決策を持ってきたわけだからな。そうだろう?」


 喜久乃はちらりと夭夭へ視線を向けたのだが、当の本人は何杯目になるか判らないお茶をすすり、惚けた顔をしていた。

ちょっと詰め込みすぎました。

いずれ修正したいと思います。

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