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七話 能ある妖は(3)

― 5.口撃、直撃、轟沈 ―


 夭夭とゆずが訪れた時、豪商『三ツ木屋』は酷く混乱していた。

 走り回る女中と、錯乱したように指示をとばす番頭、そして恐慌に陥ったように叫び続ける家人、全てがごちゃまぜになって動き回っていた。


「なんでしょう、何かあったんですかね?夭夭さん」

「わかりませんけど、とても話をきけるような状況じゃ、なさそうですね」


 頬を掻きながら『三ツ木屋』の中を覗きこんだ夭夭は、思わず顔を歪めた。

 見なければよかったと、心から後悔する。


 板張りの床に横たえられた傷だらけの男性を見てしまったからだ。

 男性は、全身の酷い裂傷が遠目でもわかるほどで、出血の量からして素人目にも手遅れとわかる状態だった。


 そしてもっと良くないことに、その男性の横に立つ官憲達の中に見知った顔を見つけてしまった。

 こういう場面では、一番会いたく無い相手である。

 こっそりと撤退しようとしたのだが、目ざとく見つけられてしまった。


「やや、そこに居るのは夭夭殿ではないかね!」

「あ、ああどうも。一条さん偶然ですね」

「何を言うか夭夭殿。偶然ではなく、必然というものだ。事件というのは常に必然、物事の結びつきから引き起こされるものであり、そこに偶然という要素は介在する余地がなく、しかるに―」

「あの~、一条さん部下が困っていますよ」

「おお、しまった」


 慌てて部下への指示を再開した。

 この一条という男、解師の仕事をしていると良く現場で鉢合わせになる事が多い。

 官憲の中では頭が切れるし部下の信頼も厚いのだが、いかんせん話が長くて理屈っぽい上に強引な所があるので、夭夭は苦手としている。

 それなのに、相手は無邪気に夭夭を頼ってくるから始末が悪い。


「しかし夭夭殿がわざわざ足を運んだとなると、何かありますな。例の『黒髪切り事件』がらみですかな」


 何より勘が良いところが嫌いだ。

 不用意に話すと、面倒な事になると思い、はぐらかしておく。


「いやあ、散歩がてらに夜道を歩いて、気晴らしをしていただけです」

「ほう、散歩ねえ」

「はい」

「気晴らし」

「はい」

「なら、今は手が空いてるって事ですな」

「え、いやこれから用事が」

「これから散歩でしたかな」

「…」


 ガシリと手を捕まれ、横たわる男の側に連れて行かれる。

 いくら解師とはいえ、死体を見慣れているわけではないので、できれば検分は遠慮したい。だが、そんなささやかな願いが聞き届けられることは無かった。


「さて夭夭殿、こちらの被害者さんを…何っ、お医者の先生が来た?あ、どうも先生。一足遅かったようですな、もう息を引き取ってます。は?ああ、どうぞご勝手に」


 駆けつけた医者に対して、適当な対応を返した一条は、改めて夭夭の方へと向き直った。


「被害者は三ツ沢英輔さん、ここ三ツ沢商会の御曹司ですな。普通に考えると、下女に手を出そうとして手痛い反撃を食らったって感じなんでしょうが、それにしちゃあ手酷くやられてるんですよ」

「全身に無数の切り傷ですか」

「どうです、妖力の残滓は感じられませんかね」


 夭夭は顎に手をあてながら顔を近づけた。

 ゆずに確認をとるまでもなく、傷口から妖の香りがする。

 それはとても強力で厄介な香りだった。

 こいつは全力で関わりを回避しなければならないと、心に誓う。


「ふーむ、妖の香りなど全くしませんね、残念ながら力になれないようです」


 悟られないよう平静を装い、完璧な所作で返したはずだったが、一条は爽やかな笑顔で頷いた。


「そうですか、うん。香りがしたのですな、やはり妖の仕業でありましたか」

「え、いや私は香りなどしないと」

「はは、妖の残滓を感じられないかとは聞きましたがね。わたくし、香りを嗅いでくれとは言ってませんでしたぞ。つまり香りがしたのですな?」

「いやいやいや。妖との関わりを調べる時には、香りを調べるのが一般的なんですって」


 慌てて両手を振る。

 ここで言い負ける訳にはいかない。負ければその先に何が待っているか、良くわかるからだ。

 解師の常識を盾に、一条を切り崩そうとするが、敵も然る者で、直ぐに切り返してくる。


「ほう、わたくしにも直ぐわかるのでしょうかな。どんな香りなんでしょう」

「一条さんには無理ですよ。強いほど甘い香りがすると言われますね。逆に弱い場合は私でも嗅ぎ分けられない事が多いですが」

「なんと、夭夭さんでも判らない事が?」

「ええ。曖昧な時は札を使ったり、契約している妖に頼んだりしますがね」

「ふむむ、するとやはり被害者は妖にやられたという事ですな」

「ええと、おっしゃる意味が」


 戸惑う夭夭に向かって、一条の白い歯が光る。


「弱い香りである可能性もあるわけですから、本来なら夭夭殿は即断は避けてしっかり確認したはずです。しかし先程は嗅ぐ様子もなくすぐに応えられた。それはつまり、確かめなくても良いほど強い香りを感じたということではないですかな。嘘をついてでもそれも関わり合いたくないほど、強烈なヤツを」


 夭夭はこめかみを緩やかに揉みほぐした。

 おちつけ、官憲を殴れば一大事だ、ここは逃げの一手だと自分に言い聞かせる。


 今すぐに思いつくのは、急用を思い出すこと、腹痛を演じること、ゆずに逃げ出してもらってその後を追いドサクサに紛れて消える、などである。

 特に最後のはごく自然で有効な手段であろう。

 そっとゆずに手を伸ばそうとした時だった。


「よし、方針決定だ。本件は妖絡みと断定する。お前等今すぐ出入り口を封鎖しろ、鼠一匹逃すなよ。関係者は全員一カ所に集めて事情聴取だ。喜べ、優秀な解師様が捜査に協力してくださるから、早晩解決だ!」


 先手を打たれた。

 夭夭は、ゆずに伸ばしかけた手を下ろし、ぐったりと項を垂れる。

 その口からは恨み言がボソボソと垂れ流されている。


「…たこれですよ。コイツに関わると碌な事にならないから嫌なんです。口ばっかり達者で、人をこき使うことを生き甲斐にしてるとしか思えません。いっそ人類の為にも人生を早期退職してくれませんかね。むしろ私が手伝ってあげるというか、あるいは毒殺とかでも」

「夭夭さんの精神が危険で危ない」


 心配そうに頬を寄せてくるゆずの柔らかい毛だけが、夭夭のやさぐれた心を癒やしてくれるのだった。



― 6.麦のチカラ ―


 薄暗い廊下の奥から漂ってくる妖力に、夭夭は顔をしかめていた。


 家人の事情聴取から得られた情報は多くなかった。

 最初若い女性の悲鳴は、放蕩息子がするいつもの戯れだと誰も気にしていなかった。

 だが、その後家中に響いた金切り声が英輔のものだったため、これはただならぬ事態が起こっていると慌てだしたのだが、時すでに遅し。全身血塗れで、部屋から這いだしてくる英輔を上女中が発見し、今に至るというわけだ。


「部屋の中で何があったのか、全くわからないときましたよ。ああ、やだやだ」

「夭夭さん、ちょっとザラつく妖力がします」

「ゆずさんがそう言うってことは、随分危険な妖ですね。系統はわかりますか」

「たぶん動物系じゃないかと」

「大型ではない事を祈ります」


 形見の十字架(ロザリオ)に触れ、次にゆずの体を撫でる。

 ゆずは軽く頷くと、肩から飛び降りて数歩先をテテテと歩き始めた。

 その姿を眺めながら、夭夭は懐から一本の穂を取り出す。

 ぷらぷらと揺らすそれは大麦の穂だった。


 猫じゃらしで妖と戯れようというのだろうか。

 否、夭夭はいたって真面目に、全力で仕事へ取り組んでいる。

 その証拠に、眼はどんよりと濁り、全身からは気怠さと早く帰りたい妖力(オーラ)を全開にさせている。


 だが、血糊まみれの床に導かれ、アッサリと部屋の前に着いてしまった。

 部屋の中には予想に反して明かりがあるらしく、廊下に光が漏れていた。

 だが、ほっとしたのつかの間、すぐに女性のすすり泣きが耳に入ってくると、夭夭はげんなりとした顔で穂の先を揺らした。


 妖だけならまだしも、人間の女性が関わっているとなると、一気に解決の何度は上がってしまう。

 ますます入りたくなくなったが、朝まで突っ立っているわけにもいかない。

 意を決して部屋へと足を踏み入れた。


「失礼しますよ」


 一応礼儀として声をかけてから、瞬時に部屋を見回す。

 大きな物置部屋には新型のルーカス式ガス灯が贅沢に使われており、大小さまざまな高級品が保管されている。

 そして部屋の中心には、ひっくり返った食器類と血だまり、そして嗚咽を漏らしている女性が一人座っていた。


「一体、何があったんです」


 夭夭が声をかけると、女性の肩がびくりと跳ね、ゆっくりと顔があがった。

 そして顔を見た途端、これから会うつもりだった被害者であるとすぐにわかる。

 不自然に切られた髪がそれを物語っている。


「…だ」

「だ?」

「駄目です、早く逃げてください!」


 へ?と疑問を返す暇もなく、夭夭の眼前で火花が散った。

 いや正確には妖力を纏ったもの同士がぶつかり合った時に発する光だ。


 余りに突然だったため、夭夭の意識が追いつくまで時間がかかった。

 ガキン、ベキンと物騒な音がそれに続き、ようやくゆずと何かが争っているのだと気がついたのだ。


「ゆずさん!」

「夭夭さん、ちょっと、妖力を回す余裕が、ないかもっ」


 相手は威力よりも手数で勝負にきているのだろう、ゆずは見えない攻撃を迎撃するので手一杯なようだ。顕現化に必要な妖力を夭夭に渡す余裕はない。

 だが大丈夫、今回のブツははそれほどの妖力は必要としない。


「ご心配なく、自給自足でいきますよ。味噌の一神」


 みそ?


 へたり込んでいる目の前の女性は、この場にそぐわない単語に面を喰らった。

 目の前で見知らぬ男が麦穂をゆらゆら揺らしながら悠然とおかしな言葉を発しているのだから、さもありなん。


「醤油の二神、焼酎の三神、二条が大麦をもって黒き妖を捕縛する穂麦となせ」


 くるりと一回転させながら麦穂を放り投げた夭夭は、わずかに残る光の軌跡を追いかけて手をかざした。


「そうあれかし!」


 直後に、麦穂から金色に輝く筋が飛び出した。

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