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七話 能ある妖は(2)

― 3.怠惰な日常 ―


 依頼そのものは、難しくない。

 十中八九『黒髪切り』の仕業だろうと思われるからだ。

 名前の由来は、夜中に道を歩いている人が、髪を元結いから切られるという怪異が多発したことによる。本人が全く気が付かないうちに髪が切られ、そのまま道に放置されていたという。

 髪を切る以外人体に影響を与えることは無いので、比較的無害な部類の妖なので放って置いても良さそうな気がするのだが。


「馬鹿を言っちゃいけません。女性にとって髪は命なんです。それを勝手に切られるなんて、冒涜ですよ」

「そんなものですかねぇ」


 夭夭には今ひとつピンときていないようだ。

 そういうところが、女性にもてない理由の一つなのだが、妙な女が寄ってこないのはゆずにとって好都合でもある。

 心なしか上機嫌でもあった。


「ただ、問題は正体が未だに特定されてない事なんですよね」

「あれれ、被害情報はかなりありますよね。結構最近の妖なんです?」

「文献に残っているのは、五百年ぐらい前ですね。初めに記されてるのは、妖狐が喰ったというものですけど」

「馬鹿馬鹿しい」


 外国にも似たような話があり、そちらでも狐の仕業であると記された文献が残っているらしいが、すくなくとも妖狐は髪など食べないことは目の前のゆずで良くわかっている。

 次に疑われているのが、髪切り虫という虫だ。剃刀の牙と鋏の手を持つ虫で、軒下や屋根瓦に棲み着くと言われていた。

 だが、いずれも噂の域を出ていない。


「これだけ長い間正体を知られていないというのも、凄い事ですよ。もしかしたら大妖(おおあやかし)なのかもしれません」

「夭夭さん、本当にそう思ってます?」

「いえ、全く」


 いくら被害の小さい妖といえど、人に迷惑をかける妖が五百年もの間、解師に見つからず過ごせるはずは無い。

 可能性が高いのは、『黒髪切りという妖は、存在しない』である。


 では誰が髪を切っているのかといえば、残る選択肢は一つ、人間である。

 恨みを持つ男や女が、『黒髪切り』を装って嫌がらせをしているのだろう。

 妬み、嫉み、恨み、実にさまざま事情で人は容易く悪人に堕ちてしまう。そして狡猾にそれを隠しながら『黒髪切り』という妖を作り上げていったに違い無い。


「人間相手となると、ドロドロしているからお断りしたいところだったんですけど…」

「けど?」

「このまま何もしないと、暇すぎて死んでしまいます。我慢しましょう。美人に会えるかもしれませんし」

「なんか動機が不純」

「解師なんてそんなものですよ」


 笑いながら、ゆずの頭を撫でた。


 ゆらゆらとヒゲを揺らして喜ぶゆずの姿を、改めて眺めてみる。

 肩に乗るほど小さな体は、乱暴に扱えば壊れてしまいそうだが、神地にあれば夭夭など軽く凌駕する力を持っているのだから驚く。

 『空や』の柚子がなければ、こうして一緒に過ごすこともなかったかもしれない。

 もともと妖狐は、解師の間で引く手あまたなのだ。

 それにゆずは人間に例えれば別嬪なのだろう、野狐と呼ばれる野良の強い妖狐達が度々求婚に来ているのも知っている。


「本当に、私には勿体ないくらいですよ」

「何が?」

「いやあ、何でもありません」

「何故だか、そのニヤけた顔が無性に苛々っとします」


 ぴしぴしと尾が床を打ち付ける音が聞こえ始める。

 不機嫌の前兆だ。

 早めに対処しなければ、再び寝床を失うことになってしまう。

 夭夭は、青い顔で街の地図床一杯に広げると、これからの計画を練るという名目で気分転換を図った。


「ま、まずはこれから何処を捜索するか検討しましょうか」

「誤魔化そうとしているのが見え見えですけど、あえて見逃してあげます」

「すみませんねぇ」


 ゆずに頭をさげつつ、被害のあった五カ所に朱墨で丸を付けていった。

 被害のあった時刻も一緒に落としこんでみたが、地理的にも時間的にも特別な規則性を見いだすことはできなかった。

 あまりにバラバラなのだ。

 竜脈との位置関係や、鎮守の影響範囲、はては下水道の位置まで比較するが、全く何も見えてこない。


「とりあえず、被害にあった女性に話を聞いて回りましょうか。それくらいしか考えつきません」


 机上での調査に疲れた夭夭は、そう言って床に寝転がった。

 もうじき日が暮れる。

 

 秋の夕暮れは、茜色をさらに濃くした朱だ。

 空一面に広がった血の海には、スイとこぎ出す黒い小さな船が二つ、三つ。

 カラスだろう。


「凶兆ですね、あれは。今日は止めておきましょう」

「何を駄目人間みたいな事言ってるんですか、今から行けば一軒くらい話が聞けますよ!」

「無理してはいけません。ここはじっくり作戦を練ってから、充分時間をかけて慎重に事を運―」

「い・い・か・ら、さっさと行きなさいっ」


 尻を後ろ脚で蹴り上げられ、渋々と立ち上がる。

 解師協会からは『空や』に近づかないよう厳命されていたが、街を出歩くなとまでは言われていないので、聞き込みくらいなら大丈夫そうだ。

 ブツブツ文句を言いながらも、ゆずを肩にのせ、いつもの着流しで街へと降りていった。



― 4.狼藉 ―


 最初の被害者である豪商の下女中である清音は、忙しく夕餉の支度に飛び回っていた。

 髪を切られたからと言っても、怪我をしたわけでもなく、入院したわけでもないのだから、彼女の仕事が無くなる事はないのだ。


「きよちゃん、もうすぐ鰻が焼き上がるから、お米をおひつごと持ってきて!あと、重箱を12、蕎麦猪口も。重箱は漆の方よ、間違えないでね」

「はいっ」


 清音は用意しかけていた箸と箸置きを手早く揃えると、パタパタと廊下へ走り出た。

 漆塗りの重箱は、厨房ではなく特別な食器保管室に置かれている。それも上のほうの棚にあったはずだ。

 小柄な清音では、足置きを用意して一つずつ慎重に降ろさなくてはいけない。

 ノンビリしていると、上女中の清音に叱られてしまうので、急がなくてはならない。


「重箱12、蕎麦猪口12、お米はおひつ」


 言われたことを繰り返し呟きながら廊下の角を曲がった途端、男性にぶつかりそうになった。

 そこに居たのは、豪商の息子、英輔である。

 この男、見栄えは多少良いのだが、非常に女癖が悪い事で有名だった。

 現に清音も、事件があるまではしつこいほどの誘いを受けていたのだが…。

 

「あ、すみません、英輔坊ちゃま」

「…」


 ぶつかりそうになった事を詫び、深々と頭を下げる清音を一瞥した英輔は、つまらないものを見るような目で見ていた。

 長い髪に巻かれて組んず解れつな情事が好みの英輔にとって、清音がショートカットになってしまった時点で、興味の大半が失われてしまっていたのだ。


「お前、髪を切られたんだそうだな」

「は、はい」

「ふん、随分と無様な格好になったものだ。大方粗野な男共に色目でも使ったせいで恨まれたんだろう」

「いえっ、そんな事は」

「どうでもいい、お前みたいな妖憑きは、気持ちが悪い。さっさと僕の前から消え失せろ」

「すみ…すみませんでした」


 英輔は、ぺこりとお辞儀をして走り去っていく清音をネットリした目線で追っていた。

 興味の大半は失われていたが、あの容姿であの体つきをした女を見逃すには惜しいとも思っていたのだ。

 そうして、暫く清音の後ろ姿を目で追い、廊下の先にある部屋へ入ったことを確認すると、ゆっくりと身体の向きを変えた。




「はあ、良かった」


 食器保管室でホッと胸をなで下ろした清音は、つい独り言を呟いてしまう。

 髪を切られたことは辛かったが、おかげでこうして英輔の魔の手から逃れられたのだから、妖にはむしろ感謝していた。

 見目が良い上に、真面目で愛想が良い。そんな女が下女中という立場でいれば、英輔が見逃す筈も無い。

 毎晩執拗な誘いがあり、ここ最近は恫喝に近いこともされていただけに、本当に救われたという思いで一杯だ。


「さ、急がないと清音さんに怒られちゃう」


 うんうん唸りながら重い踏み台を引き摺り、ようやく上の棚から漆重箱の入った箱に手がかかったかという時、突然背後から胸を鷲掴みにされた。

 あまりの事に、一瞬頭が真っ白になり、そして当然の如く悲鳴を上げて胸を掴む手を剥がそうと、両手を箱から離してしまう。


「きゃ」

「うおっ」


 ドサドサ、ガラガラと箱が落下し、重箱の雨が頭上から降り注いでくる。

 しかし後ろから回された手はしつこく清音の胸を掴んでいた。


「誰っ、やめてっ」


 食器に埋もれる中、もがいても手は離れない。

 それどころか、気持ちの悪い荒い息づかいが耳元で聞こえてくる。


「いやーっ!」


 必死に振りほどこうと肘を回したが、反転して体勢を崩したところで逆に押し倒されてしまった。

 馬乗りで清音を見下ろしているのは、血走った目で舌なめずりをする英輔であった。


「え、英輔坊ちゃま、冗談はやややめ」

「思ったんだけど、僕短い髪の女とは、ヤッたことが無いんだよな。お前、光栄に思えよ」

「ひっ」


 両手を押さえ込まれ、ベロンと臭い下が清音の首筋を這う。

 それだけで、気が遠くなりそうになるのを必死に堪え、清音が逃げ道を探す。


「ひひっ、無駄だって。扉には清掃中って札かけておいたし、鍵かけてあるし」

「そんな」

「ああ、気持ち良かったら大声出してもいいぞ、まあいつもの事だって、みんな素通りだろうしな」

「たす…たすけ…」


 清音の懇願をむしろ心地よい音楽のように聞き流した英輔は、むしゃぶりつくように顔を胸にうずめ、足を使って器用に股を開こうとしていた。

 涙を流し、必死に堪える清音の顔を見て、英輔の加虐心は最高の昂ぶりを見せていた。

 かつて無いほどの興奮をおぼえ、強引に事を進めようとしたその直後、眼下で横たわる清音の身体に大量の髪の毛が落ちてきた。


「いいかげん観念し…あん?なんだぁ、こりゃ」


 バサバサ

 

 またもや大量の黒髪が落ちてくる。

 一体どうしたのだ。

 英輔が不審に思って顔を上げると、驚愕したような清音の顔がそこにあった。

 

 何を驚いているというのか。

 清音はいつのまにか逃れた右手で、震える手で英輔を指さしながら言った。


「え、英輔坊ちゃま…か…か…かみかみあたまがあたまが」

「ああん?何言ってっかわかんねえよ」


 眉をしかめながらも、自分の頭を触ろうとした英輔は、ピタリと動きを止めた。

 そこにある筈のものが無い。


「は?」


 手に伝わってくるのは、チクリとする短い髪の感触。

 英輔は、そこでようやく、大量の髪が自分のものであることを知る。

 悲鳴を上げ、清音から飛び退いたところで、もう一度悲鳴を上げる。

 

 ピシリと胸の一部が裂けたからだ。

 浅いながらも派手な出血が英輔の目に入り、さらなる錯乱を引き起こす。

 

「英輔、坊ちゃま?」

「や、やめろ!悪かった!僕が悪かった!もうお前には関わらない、嘘じゃ無い、本当だっ―いぎぃ!」


 二つ目の裂け目が頬に出来ると、もう恐慌状態であった。


「たすっ、助け―」


 腰を抜かし、股から熱い液体を垂れ流す英輔の前で、朱い二つの目が光っていた。

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