七話 能ある妖は(1)
― 1.日常と非日常の狭間 ―
白木の角材を肩に抱えた男が、狭い扉をくぐり抜けて室内へと入っていく。
慣れた足取りで雑然と転がったガラクタを避けて進んでいると、横から声をかけられたので、ついそのまま体を捻ってしまった。
「うぉ!危ねぇだろうが、このド阿呆」
「す、すんません親方」
「だあぁ、角材を先に置けってんだ、ボケナス」
「へ、へいっ」
危うく頭上から降ってきた角材に頭骨を粉砕されるところだった親方は、冷や汗を垂らしつつ弟子の尻をけ飛ばした。
「まったく、図体ばっかりデカくて気配りってもんが足りねぇ」
「すまんこってす」
いつまで経っても半人前な弟子に深いため息を返しながら、腰に手を当てて周りを見回すと、派手に壊された室内が目に入る。
巨大な何かに食いつかれたかのように半球状にくり抜かれたカウンター、深々と壁を削り、柱を叩き切ったような爪痕、グシャリと潰れて穴のあいた床、等々。
「台風でも来たって感じだな、こりゃ」
「親方、家ん中に台風は出来ねぇっすよ」
「わーってらぁ、比喩ってやつだろうがよ」
「ひゆって何すか」
「そりゃあおめぇ、まあ、なんだアレだよ、うん。んな事より、そろそろ飯にすっか」
「へいっ」
嬉嬉として弁当を取りに行く弟子を見て、ほうとため息をもらす親方であった。
「そんな感じで、着々と工事が進んでいました」
「ゆずさん、あんまり着々な感じがしないんですけど」
「気のせいでしょう」
夭夭の膝に乗り、もぐもぐと『空や』の柚子を丸かじるゆずは、素っ気なく返した。
『空や』の破壊工作の一翼を担った身としては、あまりこの件に関わりたくないのである。
突然『空や』に乱入してきた女性に殺されかけて以来、夭夭は柚木神社に身を寄せている。『空や』の修繕が終わるまで行き場が無かったのと、身の安全を考慮して解師協会からしばらく『空や』に近づかないよう指示があったためだ。
そのせいで、こうして時々ゆずに偵察をお願いしているのだが、自分の破壊行為あとを見るのが嫌なのか、大抵すぐに戻ってきてしまう。
ちなみに、柚子の調達は宮司にお願いしている。
「ほいで、こいから、どうふふんれふ」
「それで、これから、どうするんです、ですって」
「何で言い直すんです。嫌がらせですか、勝負しますか、受けますよ、おうおうおう」
「ゆずさんが行儀悪い事するからでしょ―いたっ、脛は止めて、痛い痛い」
ゆずは、頬にため込んだ柚子を急いで丸飲みし、最近覚えた『ゆずガトリング』で夭夭の脛を連打してきた。
小さい手だからと侮るなかれ、妖力で強化した手で何度も叩かれると地味に痛いのだ。
「全く、病人だというのに口だけは減らないですね」
「病人相手に、非道な所行ですね」
ゆずの腹から両手を回して持ち上げ、なんとか連打攻撃からは逃れたものの、夭夭の表情は浮かないままだ。
はぁとため息をついてゆずを解放すると、ゴロリと床に転がった。
ひんやりとした板張りの床は、残暑で火照った体を冷ましてくれる。
「あー、気持ちいい」
はだけた胸元から十字架がむずかるように位置を変えた。
摘んで持ち上げてみると、光を反射してキラキラと宝石のような輝きを放っている。
まぶしい光に目を細めながら、夭夭は『空や』での出来事を思い返していた。
「喰らえ、そして滅せよ」
女性が放った言葉により、黒いドロドロに覆われた赤口が迫ってきた。
解師とて日常生活はあるわけで、気を抜いて平穏な生活を楽しんでいる事はある。そんな時に襲われ、対応出来ずに命を落とす者も少なくはない。
今がまさにその時だった。
道具も無く、詠唱する時間も無い。ゆずは神棚から柚子を運び出す途中ときている。
(あ、これは死んだな)
冷静に自分を見ているもう一人の自分が、これは対処出来ないと判断する。
だから手にしていた十字架で咄嗟に顔を覆ったのは、無意識の行動だった。
ゴオッと体を包み込む暴風ととも、に爆音と煙が辺り一面を覆い尽くす。
気が付けば壁を突き抜けて、隣の部屋まで吹き飛ばされていた。全身が軋んで息が出来ない。
何とか生き残ったようだが、このまま赤口に喰われるだろうと覚悟を決めて目を瞑る。
だが、赤口は何故か口をガチガチと噛み合わせるばかりで、夭夭に食らいつくことができないでいた。
十字架を忌々しそうに睨み付けている。
そこへ怒り狂ったゆずが降り立った。
その後は思い出すのも恐ろしい出来事である。
言えることはただ一つだ。
『ゆずカッタア』なんてかわいらしい名前は、ただちに返上すべきである。
切れるはずのない赤口の体は細切れにされ、存在を抹消されていた。
「はあ、暇ですね。何かしようにも、体中が痛いですし」
横を向くと、小さなオルゴールの箱とロケットが置かれていた。
ロケットの蓋を開けると、写真が目に入る。
若かりし頃の父吟目と、蘇生後一周目で戸惑いながらも笑顔をむける母の杏奈が、生まれたばかりの夭夭を抱いている一枚だ。
「結局、私は何をしてきたんでしょうかね」
「『空や』で柚子をもぐ為に、生まれてきたんだと思います」
「私の存在理由、それだけ?」
「それだけです」
頭上から、ゆずの声が聞こえてきた。
命を助けられた上にこうして冗談で慰められるとは、本当に自分は情けない男だと、自嘲気味に笑って応える。
「それは辛いですねぇ」
「じゃあ、柚木ゆずの為に生まれてきた、と言い換えましょう」
「え?」
驚いて振り向いた途端、顔を小さな足で踏みつけられた。
「ぶ」
「あははは」
「おのれ、狼藉者!成敗してくれるわ」
掴もうとした両手が空を切る。
あーれーとおどけながら、ゆずはいち早く宙へ逃れていた。
「すこし見回りをしてきます」
実体を消してふわりと浮かび上がり、そのまま壁をすり抜けていった。
結局元気づけられてしまった。
そしてゆずが、少しでも女性の情報を掴もうと、毎日見回りをしてくれている事にも、ただ感謝するばかりだ。
神地に居る間は、たとえあの女性と鉢合わせしたとしても、ゆずが負けることは無い。
そう頭では理解していても、不安は付きまとう。
掛水サナ江という存在のせいだ。
「戦場に赴く夫を待つの妻の気分、ってやつですかね」
苦笑いしながら、またゴロリと横に転がった。
手を伸ばしてオルゴヲルの蓋を開ければ、母の子守歌が聞こえてくるようだった。
そうしてまどろみの中へと落ちていった。
― 2.最後の依頼 ―
体の傷も、心の傷もゆっくりと癒えてきたのは、秋口にさしかかる頃であった。
鈍った感覚を取り戻そうと、境内で術の練習をしていると、宮司がニコニコと笑いながら近づいてきた。いや、この宮司はいつも笑っているのだが。
「夭夭さんにお客様ですよ」
宮司の後ろから現れたのは六だ。
夭夭が襲われてから一度も顔を見せていなかったので心配していたが、予想通り顔色が悪かった。
「どうしたんです、六さん。風邪ですか」
「まあ、そんなもんだよ」
焦燥しきった顔で無理に作った笑顔は、見ていても辛い。
六が思い悩んでいる理由は、聞かずともわかる。
「サナ江さんの事ですか」
「そりゃ関係ない…って夭ちゃん相手に誤魔化しても仕方ないか。サナ江のやつが迷惑かけちまって、すまねぇな」
「いやまあサナ江さんというよりは、お弟子さんの方なんですけどね」
「弟子の不始末は師匠の責任だ」
「そりゃそうですけど、六さんが罪悪感を抱くことじゃありませんよ」
掛水サナ江が何を企んでいるか、現時点では全くわからないが、少なくとも六に非があるとは思えなかった。
「どっちにしても、俺は今回で仲介屋を辞めるよ」
「それは…サナ江さんの側に付くって事ですか」
「いや、あいつに会ったわけじゃねえし、まだどっちにつくとかそういう段階じゃあ無い。けどなぁ、解師協会とつながったままだと、冷静に判断できねえだろ。中立な立場ってやつでよ」
客観的な立場で判断したい、という六の意見に、夭夭は黙り込んだ。
おそらくそれは無理だろう。
六のベタ惚れぶりは、解師仲間でも有名な話だからだ。
間違いなく、サナ江側につくはずだ。
「お互い、その時は手加減無しでいきましょう」
「おいおい夭ちゃん、まだ決まっちゃいねえだろう」
「決まったようなものですよ。それで、最後のお仕事というのは?」
「あ、ああ。今回は軽めのやつだぜ」
そう前置きをして出された麦茶を飲み干すと、静かに語り始めた。
よくある話だ。さる豪商の下女がお得意さまへ品物を届けるようことづかって戻ってきた時のことだ。周りの下女どころか、店の主までが驚いて自分を指さしてる。
一体何事かと差し出された手鏡を見て、絶句しちまった。自慢の髪がバッサリと切り落とされてたんだから、そりゃあ言葉を失うってもんだ。
次に被害が出たのは下町で剣道場を営んでる道場主の娘さんだ。蒸し暑い夜、一心不乱に竹刀を振り、稽古に励んでいたんだが、背後で何かが動いた気配を感じたのよ。
さすが剣客の血を引く娘だ、やあっ、とおってな感じでそいつを斬り付けたんだが、何にも手応えがねぇ。
ちなみにこのお嬢さん、格好も良いし、何より別嬪さんでよ。夭ちゃんの奥さんにどうかって…あ、いや冗談だよ、冗談。威嚇すんなよゆずちゃん。
でその娘さんも振り向いた隙に髪をバッサリ切られた。
命までは取られなくて良かったけどな。それでも髪は女の命ってえくらいだから、本人は茫然自失だったらしい。可愛そうに、夭ちゃんが慰めに行って…いやだから、噛むのは止めてくれよゆずちゃん。
そんな感じで順調に五人目の被害者が出たところで、協会に依頼が来たわけだ。
夭ちゃんなら簡単だろ?
え、もう当たりはついた、そりゃあ僥倖。女の敵はさっさと片づけてやってくれい。




