六話 白い夏と黒い海(6)
― 11.記憶する箱 ―
夭ちゃん、お買い物に行きましょうという杏奈の一言で、その日の予定が決まった。
颯爽と車に乗り込んだ杏奈は、大きな鍔広の帽子に空色のワンピース、日除けの傘という正当派お嬢様の出で立ちである。
「三科さん、三条のところてんを食べてから千木屋の反物を見たいわ」
「かしこまりました」
風を巻き込んで走る車にあおられる金色の髪を眺めながら、夭夭は不思議に思う。
杏奈が故郷に思いを馳せる事は多かったが、この国の食べ物や服に興味を持つことは極まれな事だったからだ。
「別に嫌いじゃないのよ、ただちょっと恥ずかしかっただけ」
聞いてみれば、異国人の自分が、たった一人でさも当然とばかりにこの国の伝統文化をたしなむのには、少々抵抗があったのだそうだ。
しかし、息子と一緒であればそのハードルも下がるという事らしい。
「なんだ、言ってくれればお買い物程度、いつでも付き合うのに」
「夭夭さんは、わかってませんね」
膝でまるくなっていたゆずが、くわぁと欠伸しながら応えた。
ところてんまでは順調に進んだ。
ところが、千木屋で反物を選び始めてからが大変だった。
「夭ちゃん、こっちはどう」
「もう少し明るい方が良いんじゃ」
「じゃあこの柄は」
「良いですね」
「じゃあこの柄だけ、こっちに移植してください」
「お客さま、無理です」
何も反応しないのは失礼だと思い、いちいち杏奈の問いかけに応えていたら、無茶ぶりがバラまかれることになった。店員からむけられる視線が痛い。
結局、大量の反物を散々並べておいて、買ったのは一着分だけ。
それでも夭夭の依頼が何回分か飛んでいく金額ではあったが。
「良し、次は夭ちゃんも楽しめるところよ」
「私が?そんな所ありますかね」
「ふっふっふ、母にまかせたまえ」
どう見ても妹にしか見えない杏奈に連れられてやって来たのは、骨董屋であった。
いわば同業であるが、この街の骨董屋は異国の品を扱っている点で物珍しかった。
「どう、解師の血が騒ぐでしょ」
「確かに、これは何というかスゴイというか、あ、店員さんこの筒は何ですかね。もしかして空の彼方が見えるというやつですかね。あ、こいつは靴べらですか、陶器製とは珍しい」
「欲しいものがあったら、1つだけ買ってあげるわよ」
「本当ですか!」
夭夭の目がギラリと光った。
物欲に取り憑かれた時の夭夭は、始末に負えない事を知っているゆずは、何とか落ち着かせようと孤軍奮闘する。
「ここはやはり、滅多に入手できない舶来の懐中時計が良いですかね」
「夭夭さん、時間なんて気にしたことないですよね」
「あ、このカトラリイを見てください。全て銀で出来ているそうですよ、魔除けの効果もあると書いてあります。これは解師として是が非でも―」
「純銀は毎日磨かないといけませんけど、できますか?無理ですよね」
「こ、この回転式六翼を備えた機械は、まさか空を飛ぶんじゃ」
「いえ飛ばないと思います。どう見ても」
そんな感じで、夭夭の選んだ品物をことごとく潰していったのだが、当の本人はめげることなく、それはもう精力的に店中を見て回った。
「あれだけ迷って買ったのは、そのボロっちい小箱ですか」
「ゆずさん、ボロじゃないですよ。骨董品と呼んでください」
「どうでも良いですけど、強力な道具なんですか?蓋を開けると鎧を着た西洋妖が飛び出してくるとか」
「いえ、何の変哲も無い只のオルゴヲルです」
「?」
余程意外だったのか、ゆずは首を傾げている。
かの骨董店が、解師にとって垂涎の道具で溢れかえっていたのは間違いないのだが、このオルゴヲルはどれよりも価値のあるものだった。
「これね、私の好きな曲なんですよ」
オルゴヲルの蓋を開けると、ぽろ、ぽろんと可愛らしい旋律が流れてくる。
それは幼少の頃、杏奈が歌って聞かせてくれたものだ。
杏奈の故郷では有名な民謡で、彼女の機嫌が良い時は今でも時々口ずさんでいる。
「夭ちゃんって、欲がないわよねえ。もうちょっと高い物を買えばよかったのにぃ」
「いいんですよ、杏奈さん。解師の道具は金額云々じゃなくて、感性が合うか合わないかなんです。私にとって、間違いなくあの店で最高の品ですよ」
「ふーん、それならいいけど」
隣を歩く杏奈は、ふわふわと笑いながらオルゴヲルにあわせて民謡を口ずさんでいた。
― 12.小さい青と大きな赤 ―
昨晩から降り続いていた雨が嘘だったかのようにカラリと晴れた日の朝、夭夭は解師の正装に着替えていた。
白と黒だけで構成されたその服は、実にシンプルな作りをしている。
術の行使に妨げとなる貴金属の類は身につけていないし、華美な装飾もない。
唯一、腰の帯だけが階位を表す鮮やかな色をしているのだが、夭夭の場合はそれすらも黒である。一本だけ細い銀色の線が入っているが、それだけだ。
「やっぱり、夭夭さんはその格好が一番似合います」
「そうですか、着慣れてるせいですかね」
照れながら、ゆずを掴んで定位置である肩の上に乗せると、階下へと下りていった。
今日という日を待ち望んでいた反面、永遠に来なければ良いとも思っていた。
夜になれば、いつもの通り杏奈は命を散らす。
静かに、眠るように。
その翌日、何事もなかったように翌朝目覚めるのだ。
十八歳の少女として。
「そんな悪夢、今日でお終いにしましょう」
朝から体調を崩している杏奈へと思いを馳せ、玄関の扉を開けた。
広々とした玄関前の芝生が日の光を浴びてキラキラと光っている。
そんな活力あふれる場所に不釣り合いな存在が一つ。
「夭夭、誕生日おめでとう!」
両手を広げる大げさなジェスチャーで現れたのは、夭夭の父、吟目である。
こちらは不穏な真っ黒の外套を頭からかぶっている。
夏だというのに暑くないのかと正気を疑う。
「祝ってもらうような謂われは無いね」
「つれない息子だな」
「一応聞くが、何をしに来た」
「一応応えるが、杏奈を迎えに来た」
吟目が胸の前に差し出した巻物が、はらりと解けて中身をさらけだす。そこにはびっしりと青い色の呪言が書き込まれていた。忌まわしき反魂の術の、完成型であると吟目が信じているものだ。
「百と九におよぶ妖の魂をもって、ようやく術は成った」
「夢を見る子供と一緒だな、あんたは」
「何とでも言え、これで杏奈は元に戻るんだ」
「滅師に身を落としても、なお死を受け入れられない愚か者というわけか」
「黙れ!」
吟目は、シュルと生き物のように巻きあがった巻物を懐にしまい、甲の部分に印が描かれた籠手をはめた。
それは滅師が使う最悪の道具の一つだった。
吸哭の籠手と呼ばれるもので、弱らせた生物の魂を籠手に吸い込むことができるという、趣味の悪い能力を持っている。
百と九もの魂を集めたというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。
そしてその行為は、妖とともに生きている解師にとっては、到底許容しがたい所行である。
一気に脳が沸騰しそうになった夭夭だったが、ここで怒っては相手の思うつぼだと思踏みとどまる。
ふうーと長く息を吐き出し、肩に乗るゆずに指で触れ、いつもの自分を取り戻していく。
「親の不始末は子の責任。アレはきっちり始末しましょう、ゆずさん」
「夭夭さんが望むなら、いかようにも」
「抜かせ、大人の邪魔をする生意気なガキ共はキッツイお仕置きをしてやるぜ」
二人が同時に大地を踏みつけた。
夭夭の右足からは透き通るような青色の印が、吟目の右足からは燃え上がる赤色の印が浮かび上がる。
「青より青き清流より生まれし小さきもの、青き房豆をもって青坊主となせ」
「黒雲より出でし姿無き災厄、十六の魂をもって赤舌を顕現す」
夭夭は袖口から房にくるまれた豆『そらまめ』を取り出し、対する吟目は籠手に取り込まれていた魂を解放する。そして、やはりほぼ同時に結びの言葉を唱える。
「そうあれかし」
「術は成った」
青坊主も赤舌も、世間には正体が良く知られていない妖だが、解師達の間ではある意味とても有名だ。この二つの妖は、次に分類されている。
『忌避一類』
意味するところは、見たら逃げろ、である。
良く知られていないということは、つまり出会って生き残った者が少ないという事であり、極めて危険な妖なのだ。
「この野郎、青坊主だと。そいつの正体知ってんのか、山神だぞ!そんなもん顕現させるなんて、どんだけ妖力持ってやがるんだ、化け物め!」
「角付きの赤口…じ、冗談じゃない。人の呪言を喰らって進化したという狂気の妖じゃないですか!災害をまき散らす気か、あんた!」
怒鳴り合い、にらみ合ったまま、お互いの出方を窺っている。
殺す気満々な上に、どちらも一撃必滅の妖なのだから下手に動けないのだ。
しかし、だからといって譲ることなど出来るはずもない。
僅かな隙をつくため、指先の動き一つ逃すまいと緊張を高めていく。
五月蠅かった蝉の鳴き声が一瞬止み、そして均衡が破れた。




