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六話 白い夏と黒い海(2)

―3.浜辺の決闘 ―


 海水浴の最盛期を外れているので、砂浜には人がまばらにいる程度だったが、それが二人には丁度良かった。

 適度に雰囲気を楽しめるし、何より五月蠅くない。

 岩場に腰掛けると、遠くの波の音も聞こえてくる。


「…なんて感じの詩的な表現で現実を逃避してるでしょう、夭夭さん」

「はい、ちょっと辛くて」


 目の前には、ぐんにゃりと曲がった前輪が痛々しい、貸し自転車が転がっている。

 調子に乗って高速コーナーを決めようとしたら、ブレーキが吹き飛んで、一緒に夭夭達も吹き飛んだ。


「弁償すると高くつきそうですね」

「はは…は。突然熊に襲われたとか言えば、勘弁してもらえませんかね」

「むしろ生きていることに驚かれるんじゃないですか」


 ガックリと砂浜に膝をつく夭夭を放って肩から飛び降りたゆずは、あちあちと跳びはねながら波打ち際へと歩いて行った。

 海という存在は知っていたが、実際に触れるのは初めてだ。

 打ち寄せてくる波に驚きつつ、慎重に前脚を伸ばすと、ずるずると引き込まれていくような感覚に襲われた。


「にゅおう」

「気をつけないと、沖まで流されますよ。ゆずさんは小さいんだから」

「地面が動いた!」

「慣れないと気持ち悪いですよね」

「慣れた!気持ちいい」

「早っ」


 靴紐を縛って首からかけた姿で追ってきた夭夭も、ゆずと一緒に引き潮を楽しんでいた。

 スラックスを膝までまくって裸足なので、水遊びする気満々という事なのだろう。

 波が押し寄せてきたところを狙って、夭夭の顔に水を引っかけようとしたが、軽やかなステップで躱されてしまう。

 反対に手で作った水鉄砲で狙われたので、妖力で壁を作って防御する。


怪水(かいすい)防壁!」

「夭夭式回転砲っ」


 単純な遊びというのは、容易く燃え上がるものである。

 いつしか遊びが本気へと姿を変え、妖力まで使った水かけ勝負へと進化を遂げていた。

 海水を使い、砂を巻き上げて攻撃するゆずを、夭夭は術で対抗していく。

 そして気がつけば、周りから観光客が姿を消していた。


「なんだか、急に静かになりましたけど」

「奇遇ですね、ゆずさん。私もそう思ったところです」

「遠くからこちらに向かって走ってくる、あの制服の男性が関係していますか」

「げえっ」


 黒い制服にサーベルを腰に下げた男性、すなわち警察官である。

 遠くて何を叫んでいるのかわからないが、このまま待っていても碌なことにならない。強引にゆずをひっ掴むと、猛然と砂浜を走り出した。



 十分後、夭夭は、だらけた格好で茶屋の扇風機に当たっていた。

 外観は洋風だが、風鈴が下げられていたり、蚊取り線香が焚かれていたりして、和風の要素も残していたのが気に入った…というか、ここまで来て体力が尽きた。


「坂、多すぎ。疲れた」

「おかげで官憲を巻くことができたわけですから、良しとしましょう。私なんかまだ元気満々です、あ゛ー」

「そりゃゆずさんは肩に乗ってただけですからねぇ、あ゛ー」


 扇風機の羽に向かって、お約束のアレをする二人。

 客がおらず、店員も注文を受けてから奥に引っ込んでいるからこそ大ぴらに出来るのだが、一応ゆずは声を小さめに抑えている。


「それで、自転車も置いてきてしまいましたけど、どうするんです」

「ほとぼりが冷めたら引き取りに行きましょう」

 

 前輪がひしゃげた自転車の無惨な姿を思い出し、こめかみを押さえるのだった。



― 4.母と新しい母 ―


 テーブルの上に、冬山がそびえ立っていた。

 ふわっふわの白い雪が新緑の山を半分以上覆い、お手元には漆のスプーンと抹茶の入れ物が置かれている。

 つまるところ宇治金時なのであるが、その見事な出来映えには言葉を失うというものだ。


「上から抹茶をかけてお召し上がりくださいな。それじゃ、ごゆっくり」

「あ、はい」


 エプロン姿をした給仕の女性が奥へと消えると、ようやく意識を取り戻した夭夭は、サラサラと抹茶をかけてみた。

 冬の雪山から、見事夏の山へと変化する様を見届けてから、合掌して一口。


「うお…美味い。溶ける」


 氷を口に入れた途端、泡雪のように消えていく。

 後に残るのは、ほんのり甘い抹茶の味だ。

 あまりの美味しさに目を瞑って堪能していたら、太ももを尻尾でビシビシと叩かれた。


「ゆずさんも、食べるんですか?珍しいですね」


 上を向いてあんぐりと開けられた口に、一匙送り込む。

 ついでに焼き白玉も食べるかと思ったが、どうやら欲しいのは氷だけらしく、首を振って拒絶された。

 黙々と二人で食べ進め、気がつけば綺麗に平らげていた。


「さて、夭夭さん」

「なんです、自転車を取りに行くにはまだ早いですよ」

「そんなことは、わかってます。杏奈さんのことを聞かせてくれるんでしょう」

「ああ…そうでしたね。うーん、それじゃあ一つ六さん風に語ってみましょうか」


 給仕の女性が持ってきた緑茶を手に、席を窓際の死角へと移した。

 扇風機から離れてしまうが、致し方ないと諦める。


「とは言え、何から話したものか」


 遠くを見つめる夭夭の目は、色々な感情が混じり合った不思議な色をしていた。




 先ず私の父親にあたる男について、説明しないといけませんね。

 名前を『吟目(ぎんもく)』という、まあそれなりに名の知れた解師です。

 いえ、仕事上の名前で本名は帆浪某なにがしです。

 知りませんよ、教えて貰ってませんし、知りたくもありません。

 そういう男なんです。

 

 その帆浪某が…そうですか、じゃあ吟目と呼びましょうか。

 その吟目が母に出会ったのが二十七歳の時でした。

 当時母は杏奈ではなく、アンナ=ケンドールと名乗る十八の令嬢でした。

 九つ離れた女性を手込めにした点で、吟目は変態だったと言わざるを得ませんね。

 あの腐れ野郎が。


 おっと、つい本音が出てしまいましたね、失礼。

 出会ったきっかけは、ありがちなものです。

 当時ケンドール家は妖に悩まされていたんですよ。


 【さがり】という妖なんですが、これが結構厄介な相手でして。

 馬の首に尻尾が付いた不気味な妖なんですが、路傍の木にぶら下がって鳴き声を上げるんです。

 特に夜道などでやられると、心臓の弱い人は死ぬ事もあるそうです。

 それに、こいつを目にすると熱病を患う事があるとか。

 

 それがケンドールの館に行く途中で何度も目撃されたんですよ。

 おかげで街の人からは迷惑がられるわ、一人娘のアンナは【さがり】を目撃して熱病を患うわで、踏んだり蹴ったりだったわけです。

 そんな時、都合良く現れたのが吟目だったというわけです。

 

 あとはお約束どおりの展開です、はいお終い。

 え?

 あ、御免なさい真面目にやります、噛まないで。

  

 【さがり】の脅威を取り除いた吟目は、アンナの父フランツ=ケンドールに乞われて、しばらくこの街に逗留することになります。

 温室育ちの令嬢と、ちょっとばかり世間に揉まれて逞しく見える男が一つ所にいれば、まあ惹かれ合うわけです。

 それでまあ順調に愛を育んで…なんか、むかつきますが、一年後に結婚します。

 そして帆浪杏奈となった母は、二十歳の時私を身ごもったというわけです。

 

 普通なら家族揃って大喜び、となるところですが、問題が一つありました。

 母は生まれつき、かなり身体が弱かったんです。

 私を産むほどの体力は無い、というのが医師の見解でした。

 

 産む、産ませないで大揉めに揉めました。

 ま、私が今ここに居るわけですから、産むことを選んでくれたわけですけどね。

 もちろん医師の予言通り私を産んだ直後、母は亡くなってしまいましたよ。


 はは、大丈夫です、もう昔の事ですから。

 その時の母の覚悟は揺るぎなかったそうですよ、ほんと感謝してもしきれません。

 

 さあここからが、問題の核心です。

 あの腐れた父親は、母の死に真正面から向き合うことが出来ませんでした。

 何日も、何日も育児を放棄し、仕事を放棄し、泣き暮らして得た結論は何だったと思いますか?

 

 『杏奈は死んでない。蘇らせる』

 

 だったそうですよ。

 解師らしい、馬鹿げた妄想でしょう?

 ちょっと腕が良いだけで、解師は万能だと勘違いしていた馬鹿者ですよ。

 

 でもね、腕が良い馬鹿ってやつは、時に厄介な事態を引き起こすんです。

 彼は解師協会の資料庫を漁り、禁術を見つけてしまった。

 魂を引き戻す【反魂の術】というやつです。


 え、もちろん眉唾物ですよ。生物の生き死にを、人間ごときが自由にできるわけないじゃありませんか。

 けれども、吟目は解師としては優秀だったんでしょうね、なんとか中途半端ながらも、術を完成させることができたんです。

 その結果、母があのようになってしまったわけです。

 

 吟目と出会った十八の頃の姿で蘇生した母は、死んだ時の記憶を持っていました。むろん吟目は狂喜乱舞しましたよ。

 ところがやはり二十一になると、また死んでしまうのです。

 そうして再び十八の姿で蘇生する。

 その時は最初の記憶に戻っている。つまり、蘇生してからの四年分の思ではさっぱり消えて亡くなるんです。

 

 これは思ったよりキツイ。

 初めのうちは吟目も頑張っていましたよ、そうですね二週目までは正気を保っていました。

 フランツ=ケンドールも存命でしたからね。

 

 けれど、三週目に入ってから、フランツ=ケンドールが死去し、後ろ盾を失った事で精神の均衡が崩れたんでしょうね。

 三十九歳になった時、母の四度目の死とともに家を出て行きました。

 私?当時は九歳ですよ。三科さんが居なければ、途方に暮れていたでしょうね。

 

 だいたいこんな所です。

 それから私は、母にかけられた反魂の術を解く方法を見つける為、解師の勉強を始め、十三歳の時合格して家を出ました。

 それ以来、母が亡くなる最後の一年には必ず寄るようにしているわけです。




 夭夭はほう、とため息をついて首をコキコキ鳴らす。

 六さんの真似なんて慣れない事をすると、肩が凝りますねと呑気な顔で照れ笑いをしているが、ゆずは思っていた以上に重い事態だったことに、戸惑っていた。


「えと、えと」

「ああ、気を遣わないでください。もう全て受け入れてますから」


 いつも通り、ゆずを膝にのせて頭を撫でる。

 かき氷で体が冷えているせいか、いつもよりゆずの温もりが心地よい。


「ただねえ、いつまでもこれを続けるわけには、いかないんですよ。そろそろ世間の目も気にしなくてはいけませんし、なにより…」

「解師協会ですか」

「そう、彼らには当時の正六位である吟目が失踪した理由に思い当たる節が無い。当然その家族に疑いの目がいくわけです」

「いずれ、バレてしまいますか」

「もう、バレてるような気もしますけど」


 わかっていながら、協会は吟目を泳がせているような節がある。

 沈黙を守るだけの意味があるということだろうか。

 協会幹部の考えなど、夭夭には窺い知ることもできないが、少なくとも気分の良い内容ではなさそうだ。


「さあ、それじゃあ良い頃合いですし、自転車拾って戻りましょうか、ゆずさん」

「もはや自転車というか、黒い鉄の塊でしたけどね」

「よく生きてたぞ、私」


 無意味に胸を張り、店を出る夭夭である。

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