五話 新緑狩り(8)
難産でした…。
― 16.自然の理 ―
騒動で亡くなった村人の葬儀や、駐在からの事情聴取などで、数日間は慌ただしい日々を送った。
「すみませんね、夭夭さんまで巻き込んで」
「疲れたかいヨーさん」
ようやく落ち着いた昼下がり、縁側に腰を下ろしていると、後ろから声をかけられた。正平が夭夭の隣に胡座をかくと、加代が頭を下げながら麦茶の入った茶碗を床に置いた。
「麦茶をお持ちしましたよ」
「へぇ、冷たくて美味しそうですね」
「おう、遠慮なく飲んでくれ」
「じゃ、いただき――痛あっ!?」
茶碗に触れた指先に激痛が走り、思わず叫んで茶碗を取り落としてしまう。
「ひっひっひ」
「くふふ」
こぼれた麦茶を呆然と見ていたら、正平達の忍び笑いが聞こえてきて、ようやく悪戯をされたのだと理解する。
「ちょっと冷やしすぎちゃったかしら?」
「ひひひ、さっき俺もやられたんだ。仲間だ仲間。ああ楽しい」
よく見れば茶碗からは、恐ろしいほどの冷気が立ち上っていた。
雪女としての才能を遺憾なく発揮した、無駄にクオリティの高い悪戯である。
さりげなくゆずを見たら、大きな欠伸をしながら茶碗が暖まるのを待っていた。その目が、こんな悪戯に引っかかるとは、間抜けにも程がありますねぇと言っていた。
「くそ、あんたら阿呆だろっ!」
「きゃあ怖い」
「ぎゃははは、怒るな、笑え!」
そんなやり取りの後、煎餅を食べながらのんびり過ごしていると、ふと日差しの割に暑くない事に気づいた。ジリジリとセミの鳴く声が辺りを埋め尽くしていて、真夏そのものなのだが、何故か快適だ。
「もしかして、加代さんが何かしてますか」
「それなりに」
「継続して出せるとは、見事です」
「だろ、うちのカミさんは世界一だからな」
「随分大きく出ましたね」
確かに継続的に温度を下げ続けるなど、妖にだってそうそう出来ることではない。だが、その力もこの地の鎮守あってのものだ。
そろそろ加代を含めたこの地の妖達をどうするか、考えなくてはいけない。そのことを正平に聞くと、苦虫を噛み潰したような顔で、何も良案が無いと言われた。
「ヨーさん、鎮守様とやらの力ってな、どんなもんなのよ」
「千差万別ですね。会ってみないことにはわかりません」
「強いんだろ」
「そりゃあ地域の妖や自然を束ねるわけですから、規格外に強いですよ」
「なら一山ぐらい離れて暮らしても大丈夫なんじゃねぇの」
「普通なら、大丈夫ですね」
「どういうこった」
ここで、夭夭は初日の夜から気になっていた事実を告げる。
夜の間貼り続けていた半紙には、小さな妖一匹すら反応がなかったことだ。
最初は村全体に結界の類が張られているのかと思ったが、ゆずが散歩から戻ってきた時に話を聞き、もっと根本的な問題だと知った。
「おそらく、鎮守様の力が弱ってきているんですよ」
「弱るとどうなるんだ」
「力の弱い妖は存在し続けられません。消滅します。今でもそれなりに力の強い妖しかいないでしょうね。このまま鎮守様が衰弱していくと、土地は荒廃していきますし妖も消えていくでしょう」
「おいおい、冗談だろ」
「まあどうせ水没するんですから、良いじゃありませんか」
「良かねぇよ。加代まで一蓮托生になるじゃねぇか」
「それなんですよねぇ、どうしたもんか」
「おいおい真剣に考えてくれよ。だいたいヨーさんは適当なんだよな、そもそも…」
それから小一時間ほど正平の説教を喰らい、ようやく解放される頃にはもう日が傾き始めていた。
説教の間、ずっと鎮守と加代を救う方法を考えていたのだが、全く思いつかなかった。もともと鎮守の力が弱まるのは自然の摂理であり、代替わりが近いことの証拠なのだ。それに伴い、妖達が生を全うするのもまた、理である。
妖とて永遠に生きられるわけではないのだ。
ゆずと一緒にぼんやりと散歩をしながら、あれこれと思考を巡らす。
「鎮守さまを延命して、さらに影響力を広るなんて、土台無茶な話なんですよね」
「やっぱり夭夭さんでも無理なんですか」
「まあ、似たような方法は有るっちゃ有るんですけど」
「何です、有るならさっさとやりましょうよ」
「そう簡単な話では無いんですよ」
妖達は皆一様に鎮守という存在に縛られているが、唯一例外がある。
鎮守が他の存在に倒され、代替わりした場合だ。この場合は鎮守に連なる妖達は全て次の新しい鎮守に引き継がれる。当然現在より力のある者にとって替わられるわけだから、勢力も影響範囲も増す。
「それはまた、エグい話ですね」
「でしょう。鎮守様を打ち倒す力を持つ妖なんて滅多にいませんし、人の意志でどうこうする話でもないと思うんですよね」
「あ、でも夭夭さん、力を持つ妖なら」
「そう、いるんです。この村なら可能性はある。でもねぇ」
「部外者である私達が干渉すべき事じゃありませんよね」
「その通り」
夭夭の深いため息は、黄昏る空に響くヒグラシの声にかき消されていた。
― 17.鵺の策略 ―
晴れ渡る空の下、夭夭は神妙な顔つきで神事を見守っていた。
眼前で演じられているのは、水括りの舞。
つい数日前に行われた神事が、再び執り行われている。
「夭夭さん、これでよかったんですか」
「村の方々が自分たちで辿りついた結論ですから、できる限り協力しましょう。ゆずさんも、その時はお願いしますよ」
「面倒臭いです」
夭夭では頼りにならんとばかりに彼らの導き出した結論は、再び鵺を呼び出し新たな鎮守となってもらう事である。
そのために、身を清めた巫女三名と加代が生け贄役として座している。
無論本当に生け贄となるわけではなく、妖力を幾ばくか喰わせるというものだ。
特に良質な加代の妖力を喰らえば、充分力のある鵺となるだろうという予想は、ある程度正しい。
「それにしても、良く正平さんが許可しましたね。夭夭さんが裏から手を回したんですか」
「人聞きの悪いことを。危険な状態にならないよう監視すると約束しただけですよ」
鵺に模した獅子舞が、次々と巫女達を頭からから囓っていく。
二人目を終え、三人目に取りかかったところから、鵺が実体化し始めた。
獅子舞から抜け出した鵺は、加代の姿を見つけるとすぐに足元へと身体をすり寄せてくる。
「なんか甘えてるみたいですね、夭夭さん」
「同じ時期に生まれた妖の間では良くあることですよ。姉弟みたいなものなんでしょう」
「ふうん」
心なしかゆずが寂しそうだったので、耳ごと頭を撫でてあげると、ふんと鼻を鳴らしながら顔をすり寄せてきた。
「さて、そろそろ変化しますよ」
加代の妖力を喰らった鵺は、不気味な鳴き声を一声残し、メキメキと身体を変化させていった。
オオオオォ
二回りほど大きくなった体は、足に纏った風で宙に浮き、咆吼が大地を揺るがした。
「おお、こりゃ凄まじい」
「成功だ、鵺様が顕現された」
「これから我らが村をお守り下さい、鵺さま」
村の人々が歓喜の声を上げるなか、夭夭は舌打ちしていた。
確かに強大な力を持った妖に変化しているが、鎮守と争える高みには達していない。
明らかに妖力不足だった。
そしてもう一つ、この変化後の姿を夭夭は見た事があったのだ。
「足元纏った風、狸のような胴体。道の辻で会った道祖神は、こっちの鵺でしたか」
この時、夭夭の中で全てが繋がった。
ゆずが迷子になることなど、あり得ないはずなのに、いつの間にか目的地と全く違う場所に居たのは、この鵺が仕組んだことなのだと。
「呼び寄せられたってことか」
『如何にも、我がした事だ』
突然鵺が喋った事に、村の人々が驚愕している。
だが、夭夭は気にせず質問を続けた。充分に妖力を得た妖が喋るのは、当たり前の事だからだ。
「何が目的です」
『知れたこと。我が鎮守となる為の力を寄こせ』
「冗談じゃない、お断りです」
毅然とした態度で拒絶する。
鵺に力を貸す義理もなければ、利点も無いのだ。
だが鵺は予想していた答えだったのか、怯む様子もなく一声いなないた。
それだけで大気が震え、村の人達が腰を抜かすが、夭夭は微動だにしない。
『人間にしては、なかなか胆力のある奴よ』
「まあ、私一人逃げ出す程度は容易いですから」
『どこへ逃げるというのだ?』
「さあ、何処へでも行けると思いますが」
『ほう流石は解師だ。未来へ戻る術すら手にしているというのか?』
「は?未来?」
『うむ、汝等は未来へ渡る術を持っているのだな』
鵺の言葉に、一瞬思考が停止する。
「ゆずさん、今コイツ何と言いました」
「未来へ戻る術がどうとか」
「よかった幻聴でしたか」
「夭夭さん、現実逃避しちゃだめです」
ゆずの狐パンチで現実へと引き戻された夭夭は、恐る恐る鵺へと問いただし、ある一つの真実を手に入れた。
ここは、過去の世界であると。
「は、時を遡るとか寝言は寝てから言えってんですよ!」
「夭夭さん、気を確かに」
「いやだってね、ゆずさん。古今東西そんな力のある妖なんて今まで存在しないんですよ。というか神様じゃあるまいし、そんなことポンポンやられてたまるか、てやんでえ」
「エセ江戸っ子は止めて、夭夭さん。時を遡るのは無理ですけど、時を喰う妖ならいるんです」
『さすがは神の眷属、良く知っている。そう【常闇の石】と呼ばれる石の影に触れたであろう』
「そんなものに触れたおぼえは…あ」
『思い出したか、黄昏に包まれた森の中、石からのびる影に魅入られ、触れたであろう。その時に汝等はこちらへ呼び寄せられた』
道祖神を使った結界で一時的に感覚を麻痺させ、その状態で【常闇の石】を使ったのだという。
時を喰らわれたとすると、夭夭達自身で元の時代に戻る術は無いということになる。完全に主導権を鵺に握られてしまった。
『そこで取引だ、解師。我は鎮守になり、村人達と共に生きたい。汝等は元の時代へ戻りたい。汝等の持つ妖力と【常闇の石】を交換せぬか。石を破壊すれば、汝等の時は戻る』
「なんて汚い。他に選択肢がないじゃないですか」
『すまんな、他に手が浮かばなかった』
夭夭は黙って左手を差し出した。
妖力を喰え、という意味だった。
『随分アッサリしているな』
「悩むだけ無駄ですし。石はきちんと渡して下さいよ」
『約束は違えぬ』
夭夭を通してゆずの妖力をも喰らった鵺は、もはや近寄ることもはばかれるほどの存在へと昇華していた。
全身からは雷を放ち、吐く息は村一つ簡単に吹き飛ばせるほどである。
妖力の大半を失い、グッタリしている夭夭へと【常闇の石】を放ると、宙へと舞い上がっていく。
『解師よ、対等な取引でない事は承知している。いずれ一度だけ借りを返すこととしよう』
「そんなもんいらん。さっさと鎮守様に勝負を申し込んでボコボコにやられてしまえ」
『ははは、地が出たか。その方が心地よいな。ああ、そうそうその石だがな』
「まだ何かあんのか」
『もうじき、壊れるところであった。いやはや、危なかった。ではな!』
土埃を舞上げて鵺が去って行くと、夭夭は手元に残った【常闇の石】を見つめた。
直後、ピシリと小さな裂け目が出来始めていた。
「えと、夭夭さん。つまり、放って置いても元の時代に戻れた、ってことでしょうか」
「あんのクソ鵺野郎ぉ!」
怒声が青空へと吸い込まれて行った。




