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一話 人を喰ったような鬼の話(2)

― 3.六の首 ―


 おかしい、初めにそう思ったのは冷たい雨が続いたある日の夜だったそうだ。長屋に住んでるとある大工の妻がな、ああ、そう大工の棟梁してる長山さんのかみさんだよ。何だ知ってるのかい、うん?この前長山が相談にきた?知らんよ、そんなこたあ。

 それよりあの奥さんは儚い感じでいいよなぁ。背は低い割に意外と胸がでか…いや、今はどうでもいいか。


 でな、その奥さんが夕餉の準備をしていた時、ふいに外から動物の鳴き声が聞こえたらしい。それが何だか不気味な声だったらしくてな。ギィかギャアだか知らんが、とにかく猫っぽい動物の断末魔に聞こえたそうだ。

 薄気味悪さを覚えながらも、寒さに凍える旦那のために手を休めるわけにゃあいかない。忙しい夕餉の準備をすすめるうちに、些細な出来事なんて忘れちまってた。そうこうするうち、旦那が帰ってくる。お帰りなさい、ってな感じで出迎えた奥さんは驚きのあまり、固まっちまった。そりゃあそうだ、自分の旦那が血塗れで玄関に立ってんだからな。

 それでも旦那の一大事だと理解したのか、気丈にも立ち直った奥さんは、あなた、大丈夫なの!ってな感じで叫びながら真っ赤になった着物に手を伸ばした。ところがだ―


『俺はどこも怪我していない、心配するな』

『そんなこと言っても、血だらけじゃない』

『現場で事故があってよ、若ぇのが一人大怪我しちまった。そん時付いちまったんだろう。悪いな着物駄目にしちまって』

『そ、そんな事いいのよ。それで、あなたは無事の?痛いところとか』

『大丈夫だ。けど飯は食う気になれん、折角作ってくれたのに悪いな。許してくれ』

『そんなこと気にしないで。すぐにお風呂の用意してくるわ』

『ああ、助かる』


 最初血を見て動転していた奥さんだけどな、すぐに冷静になった。そりゃ女ってな俺達なんかより血を見慣れてっからな、強いもんよ。

 けど、旦那の一言にはビックリ仰天てなもんだった。なにせ『おまえ、猫は食った事があるか』って聞いてきたんだからな。咄嗟に猫なんか食べた事はないと答えると、旦那は一言『わかった』って返したそうだ。


 ところが一週間後、また同じ事があった。今度は血の量も少なかったし、大きな事故じゃないと言ってたらしいがね。奥さんは少し訝りながらも、黙って風呂の用意をしたそうだ。その日は寒かったから柚子湯でな。そしたらよ、風呂から上がった旦那がなんか思い詰めた顔して聞いてきたんだそうだ。『犬はどうだ』ってな。もちろん、犬も食べた事はないと答えたら、やはり人間かとつぶやいたそうだ。


 さて、こっからが本番だ。話が長いって?物事には順序ってもんがあるんだよ、どうせ暇なんだろ、もうちょっとつき合いなよ。長山の奥さんがどうなったか気になるだろ?


 その三日後の事だ。今度は血糊を付けずに帰ってきた旦那を見て、奥さんもホッと胸をなで下ろしたらしいんだが、どうも挙動がおかしい。それに目の下に隈を作って、憔悴しきった顔をしてるときた。心配して近寄ってみれば、旦那から何やら良い香りが漂ってくる。いよいよおかしいと思って問いただそうとした時、ふいに旦那がかみさんを見つめた。その目は完全に狂っていて、人の目をしてなかったらしい。

 あなた、しっかりして、何があったの。そんな風にかみさんが声かけても、どこか上の空で聞いてた旦那が、突然かみさんを抱きしめた。

 強烈な柚子の香りが漂う中、聞こえてきたのはこんな言葉だった。


 店を静寂が包み込んだ。唯一、シュンシュンと薬缶から吹き出す湯気の音だけが響きわたる。夭夭はひりひりと乾く喉を癒すために、ゴクリと唾を飲み込んだ。その様子を確かめ、六はゆっくりと口を開いた。



『ああ、うまそうだ』



 ガブッ!



「ぎゃあああああ!」

「うわああ、何だ何だおいっ!」

「痛い、痛いですって、ゆずさん」


 勢いよく椅子から立ち上がった夭夭の指先には、ゆずがプラプラとぶら下がっている。夭夭があまりの痛さに振り回すと、その勢いを利用して六の肩へと飛び移り、後ろ脚で思い切り顎を蹴りつけた。


「ぐあぉ」


 ねじ曲がった首を押さえて悶える六を、夭夭が抱き起こす間に、ゆずはふいっと玄関の方へと立ち去っていった。

 残されたのは首の曲がった六と、呆然とゆずを見送る夭夭の男二人である。


「まったく一体どうしたってんだ。首が引きちぎれるかと思ったぜ」

「それはまあいいとして」

「よかねえだろ」

「大変な事が発覚したんですよ」


 六の不満を聞き流し、夭夭は穴の空いた指を見つめている。大人しいゆずが、理由も無しにいきなり指を噛むはずがない。余程驚いたとしか思えない。

 そしてそれを隠すかのように、隠れるように出て行った。そこから導き出される結論は、一つである。


「どうやら、ゆずさんは」

「ゆずさんは?」

「怪談が怖いらしいです」

「は?」


 妖狐がオバケを怖がんのかねぇと首を傾げつつ帰って行く六を見送り、穴の空いた指先にふぅと息を吹きかけた。六の話は怪異に関するものばかりだが、怖い話というのは今日が初めてだった気がする。確かに妖狐が怪談を怖れるというのもおかしな話だが、今後は気をつけるべきだと心に留めておくことにした。

 ヘソを曲げたゆずほど厄介な存在は、この世に存在しないのだから。



 誰もいなくなった部屋で、とぽとぽお茶を注ぐ音が響いている。しばらくお茶を啜ってぼんやり考えをまとめていたら、窓をカリカリ引っかく音がした。


「ああ、外が雪だって事忘れてたんですか。そりゃ寒かったでしょ」

「…さむい」


 急いで開けた窓からするりと入ってきたゆずは、ぶるりと身を震わせ、雪をふるい落とした。毛皮をまとっていても、寒いものは寒いのだ。目がきゅーっとすぼまって、口がへの字になるこの一瞬が何ともいえない。

 椅子をガタガタ引きずりながらストーブの前に持ってくると、膝掛けをかけ直して手招きをした。怖い話をするおじさんは、もういませんよ~と優しく話しかける。しばらく逡巡していたゆずだが、結局モゾモゾと膝掛けに潜り込んでくるのだった。



― 4.襟巻きと影 ―


 翌日夭夭は、いつものように柚子を丸かじるゆずの横で神棚に拝礼をすませ、玄関脇の大きな姿見で服装をチェックしていた。真っ黒なとんびコートにカンカン帽を頭に乗せた装いは、珍しくよそ行きの洒落たものだった。喋らなければ、若い女性にさぞかしもてるであろう甘いマスクと相まって、一見するとまるで俳優のようである。

 ヨシと頷き、大きな真っ白の襟巻きを首に回そうとしたところで、小さな影が背後から忍び寄ってきた。


「おうおうあん」

「ゆずさん、人を饅頭の中身みたいに言わないで下さい」

「頭に餡が詰まってるじゃないですか。それで、どこいくんですか」

「ちょっと長屋に。あ、ゆずさんはお留守番で」

「ひみつ、単独行動、ひとづま…うわきの兆候あり」

「なな、何言ってんですか」

「あやしい」


 ゴクリと最後のひと欠片を飲み込んだゆずは、口の周りをぺろんと舐めてから夭夭の肩に飛び乗る。そして白い襟巻きを後ろ足で器用に掴むと、ぺっと投げ捨て、定位置である首にその長い尾と体を巻き付けた。

 どうやら、大人しく留守番をするつもりは無さそうだ。仕方なくマフラーは折り畳んで靴棚の上にそっと置いた。


「無理しなくても良いのに」

「夭夭さんは、私が居ないと何するかわかりません。特に妖艶な人妻とか、幼い人妻とか」

「長屋は人妻屋敷じゃないですって。まあでも一緒なら色々と助かりますね」


 どうやら、置き去りにされるのは嫌だったらしい。クリッと首を傾げるゆずの頭を、ふゆりと撫でて、同行のお誘いをした。

 今日ところは様子を見に行くだけのつもりだったが、不測の事態に陥らないとも限らない。その時ゆずが居るのと居ないのとでは、生存率に雲泥の差が出てくる。


「長山という人のところに行くんです?」

「まあ、嫌な予感しかしないけど、ね」

「鬼になって奥さんを食べたんでしょ」

「奥さんを…ねえ。六さんの事だから、話半分に聞いた方が良いかな」


 夭夭の本業は『解師(ほぐし)』という怪異事件解決の専門家だ。絡まった糸を解すように収束させることから、いつしかほぐしと呼ばれるようになった。

 そしてその解師に仕事を持ってくるのが仲介師達である。彼らは、どこから集めてくるのか、実に大小様々な怪異の兆候や噂話を解師に伝える。この時点ではあくまで噂話であり、依頼ではない。

 解師達は、自らの実力と照らし合わせ、請け負うかどうかの判断をする。手に負えないと思えば断る事も自由なのだが、その場合は解師のみならず、実力を見切れなかった仲介師もまた評価を下げることになるので、安易に拒否する事は出来ない。

 そして六は古参の仲介師として、一目置かれる存在であり、その実績は高い評価を受けている。

 しかし、六が持ってくる話には一つ問題があった。


「あの人、わざと重要な情報を隠したり、わかりにくくしたりして難易度を上げるんですよねぇ」

「そんな事して良いんですか」

「まあ嘘の情報でなければ、落ち度は無いし、本人曰く『若ぇ解師を育成してやってんだよ』らしいけど」

「若い人はみんなあの人の仕事、敬遠してますよねえ」

「そういうこと」


 そんなこんなで、最近六の依頼をこなすのは、もっぱら夭夭達の仕事となっている。


「ところで夭夭さん、長山って人とはどこで会ったんですか」

「旦那さんの方は、以前何度かウチに来店してるかな」

「ふーん」

「で、その時色々相談を受けたんだけど」

「うおお、俺の右腕が疼きやがる、鬼の力がぁ!みたいな感じですか」

「何の芝居ですか、そりゃ」


 長山は古くからの馴染み客だ。つるっと禿げた頭に厳つい顔のせいで、良く子供達に怖がられているが、家屋大工の親方として弟子にも慕われているし顧客からの信頼も厚い。そして自他ともに認める愛妻家である。相談を受けた時は、間違いなく『人間』であり、断じて鬼などではなかった。


 まだ間に合うのであれば、力になってやりたいと思う。

 静かに決意を固める横顔に、ゆずが心配そうに顔をすり寄せて来たので、鼻先を軽く指でくすぐってあげた。

 今回もきっと大丈夫ですよと小さく呟いて、雪が残る商店街へと足を踏み出すのだった。



― 5.黒豚自慢 ―


 骨董店『空や』がある商店街は、ちょっと贅沢な造りをしている。煉瓦敷きの通りには西洋式ガス灯と街路樹が交互に立ち並び、各店舗は基本的に焦げ茶、黒、白、そして煉瓦色に制限されている。

 だが、そんな異国情緒溢れる商店街を抜けると景色は一変し、木と紙で出来た、古式ゆかしき伝統の木造建築物が立ち並ぶ住宅街が姿を現す。


「ところで、夭夭さん」

「なんでしょうか、ゆずさん」

「その豚の置物、何ですか?」

「『とんかつ』っていう名前でして。格好良いでしょ?」


 子供が玩具を見せる時のように、満面の笑みを浮かべながら黒豚の置物を肩の高さに持ち上げる。

 黒光りする豚は、陽の光を受けて美しい輝きを放っていた。正に名工による逸品、これぞ職人の技である。


「いえ、ぜんぜん。ぶっさいくです。名前もぶっ飛んでます」

「酷い。青黒檀(せいこくたん)で作った自慢の逸品なのに」

「黒檀を、豚の置物に?」

「その通り。まさに芸術、黒い真珠のように美しいでしょ」

「黒檀の豚だから、黒豚に真珠ですね」

「あまりに酷い」


 そんな何気ないやりとりがしばらく続いた。

 外でゆずと会話する時は、人に聞かれないようコソコソと話すので、道行く人から奇異の目で見られる事も多い。

 ゆずが、ひょこんと頭を持ち上げて夭夭の耳元で囁けば、夭夭はゆず襟巻きに埋もれるようにしてぼそぼそと呟く。

 時々くすぐったそうに身をよじったり、耳に甘噛みしたりするその様子は、端から見ればまるでイチャ付く恋人同士のようにも見えるが、あくまでも人と狐である。健全なお散歩風景である事は、疑いを差し挟む余地もない。


 そうこうするうち、長山夫妻の住まう十軒長屋に到着した。

 最近流行の二階建て長屋で、玄関と竈口は別々になっている。一度表札を確かめると、夭夭はカンカン帽を脱いで胸元に当てた。まだ朝だというのに、長山家は暗い陰に覆われている。

 まるで通夜のような陰鬱さが漂う玄関に立ち、引き戸を叩いた。


「長山さーん、空やの帆浪です。ご機嫌伺いに参りましたよ~」


 間の抜けた口調で呼ぶが、返事は無い。何度か扉を叩いたり耳を近づけて音を聞いたりして待ったが、一向に出てくる気配が無いので、試しに引き戸を動かしてみたらカラリと開いた。

 中からはひんやりした空気とともに、生臭い香りが漂ってくる。

 

(あ、これ駄目なやつだ)


 夭夭は一瞬でそう判断した。ゆずも視線で本当に入るのかと聞いてくるが、覗いてしまった以上もう後には退けない。

 勇気を出して引き戸を開けると、薄暗い家の中へと足を踏み入れるのだった。

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