五話 新緑狩り(5)
― 11.人と妖 ―
無事獅子舞の演舞も終わり、祭りも終盤に近づいていた。
やぐらの前では、青年部が祭りの締めくくりとして、直径二尺もある大きな松明に火を付けて火祭りの準備をしている。
昔は夜の間中行われていたという火祭の神事だが、今は祭りの締めとして行われる簡易な形に留まっている。
そしてこの神事が済めば、村長の挨拶とともに祭りは終了する予定だった。
すっかりくつろいだ表情で、年寄り連中と酒を酌み交わしている村長を見て、加代は人差し指を噛んで苛つきを押さえようとしていた。
もうじき祭りが終わってしまうというのに、洞窟に行った仲間からは何の連絡も無い。
(まさか、失敗したのかしら。ううん、それはありえない)
儀式の予行演習は、それこそ決死の覚悟で行われていたし、生け贄などの必要な条件もしっかり整っていた。むろん、誰かに邪魔をされるような場所でもない。
失敗する要素など一つも無いはずだった。
次第に顔色が悪くなってくる加代の手を、正平が優しく握った。
「加代、具合でも悪いのか」
「ううん、ちょっと疲れただけ。少し火に当てられたのかも。ちょっと散歩でもして、冷ましてこようかな」
「おう。もう暗いから、足下に気を付けろよ」
「正ちゃんも飲み過ぎないようにね」
大丈夫大丈夫という返事に笑顔で返し、しばらくプラプラと歩く。
そうして正平の姿が見えなくなった事を確認してから、洞窟へと足を向けるのだった。
加代が歩き出した丁度その頃、這う這うの体で洞窟から逃げ出してきた夭夭達は、掘っ立て小屋の中で息を切らしてひっくり返っていた。
農作業の傍らで、休憩するために作られただけの簡素な小屋で、当然電気など通っていない。
すると暗闇が怖かったのか、村人の一人が蝋燭に火を灯した。
人間は明かりがあるだけでも安心するらしく、そこにいた全員がホッと安堵のため息をつく。
村の人達が生の喜びを享受するうちに、ようやく夭夭も体から痺れが取れてきた。
「それにしても、鵺の召喚なんて馬鹿なことをしたもんです」
訓練を受けていない人間が、妖を御するなど無謀にもほどがある。それが鵺のような伝説級の大物であればなおさらだ。夭夭ですら、呼び出そうと思わない。
「けど、俺らは力がない。村を救うには妖を使うしか手がねぇんだ」
「そうだ。ここをダムになんかには、させん。妖だろうが何だろうが使えるモンは使うぞ」
「村長も役人のやつらもみんなぶっ殺して、工事にきた奴らもなんもかんも全部滅茶苦茶にしてやりゃあいい」
まだ鵺に襲われた恐怖も抜け切らぬというのに、一部の村人がまた暴走を始めた。
いくら穏和な夭夭だとて、我慢の限界はある。息巻いている村人の胸ぐらを掴み、思い切り顔を近づけた。
「あんたらが何をしようと勝手だけどな。妖をぞんざいに扱うのは止めて貰おう。それでも続けるってんなら、今ここで殺してやる」
語気を荒げて言い放ってから、ドンと突き放す。
尻餅を付いて倒れた村人は、突然の殺気にガクガクと震えて怯えている。
夭夭は自分が殺されかけたことよりも、鵺やゆずが人間同士の抗争に巻き込まれたことへ怒りを感じている。
もともと解師とは、妖退治をする者の事ではなく、人と妖の間で絡まってしまった糸を解すために存在するものだ。
人と妖、どちらかに偏った判断をしないよう、多くの解師は妖と寝食を共にし、自らの存在と融和をすすめていくのだが、大抵の解師達は妖に傾倒する傾向が強い。
良くも悪くも妖という存在は、非常に純粋なので、惹かれてしまうのだろう。
もちろん例に漏れず夭夭も妖寄りな人間になりつつあった。
主にゆずのせいで。
夭夭は一度大きく深呼吸をして怒りを静めると、落ち着いた声色で話しかけた。
「とにかく、人間同士の諍いに、これ以上鵺を巻き込まないで下さい」
「じゃあこのまま黙ってダムに沈めって言うのか」
「そうは言いませんけどね。ただ、どちらにしてもあなた達じゃ鵺を扱いきれないでしょう」
「そりゃあ俺達には無理だけど、出来る人なら一人いる」
「え、そんな人間が居るんですか」
驚いた夭夭が、素っ頓狂な声をあげる。
「おい、それは黙ってろって言われてるじゃないか」
「けど、この人は味方につけておいた方がいい」
「そんな事いったって、どうせ都会人だろうが。俺らの苦しみなんてわかりゃしねぇよ」
村人の間にざわめきが起こりはじめる。
一枚岩だった村人たちの結束にヒビが入り始めた時、暗闇を引き裂く不気味な鵺の声が響いた。
小屋から飛び出した夭夭の目に、最後の魚を蹴散らして迫ってくる鵺の姿が映る。
肩でゆずが大きなため息をついた。
「もう追いついて来たんですか…術者を食べて力を増してるうえに制御不能とか、もう最悪の展開ですよ」
「そうはいっても、ここで食い止めないと村長の所まで一直線か。どうにかしないと」
夭夭は、懐に手を入れて青い懐紙を取り出す。
「ゆずさん、いきなりですみませんが神力をお借りし―」
「無理。神地から離れすぎ」
「げえっ」
神地から離れすぎると、神力は行使出来ない。そんな基礎的な事も忘れるほど夭夭は疲れ切っていた。
青ざめる夭夭の頭上を、鵺が掠めていく。辛うじて首を引っ込めてそれを避けたが、鵺はそのまま村長のいる火祭の所へと飛び去っていく。
「ゆずさんは先へ!私もすぐに追いつきます」
「ん、わかりました」
トンと夭夭の肩から飛び出したゆずは、そのままふわりと宙に浮かんでから、猛スピードで鵺を追いかけて行く。
ゆずならば一人で鵺を相手にすることも難しくないだろうが、本気で争ったりすれば周りへの被害も大きくなりそうだ。
盛大な舌打ちをし、草むらから新芽を一つ摘み取ると、足元へと放り投げた。
「綾の風こそ、吹き来たり。新芽をして、神馬の脚となせ」
ゆず無しで術を行使するには、自身の妖力だけで顕現させる必要がある。
しかし、ただの人間である夭夭にとっては、ただ足を速くするこの程度の術ですら、何かを犠牲にしなければ成すことが出来ない。
「そうあれかし」
唱え切った直後、激痛と共に左側半分が真っ暗になった。どうやら今回は、一時的な片眼の視力喪失ですんだようだった。
暫くうずくまって痛みに耐えていると、足元で渦巻く風が青白く光り出している。
一言「クソッタレ」と呟くと、闇を切り裂く風の如く山を駆け抜けていった。
― 12. ―
前方から迫ってくるのは、荒れ狂う暴風の如き妖力の塊だった。
加代の直感は、それが鵺のものだと告げている。それはつまり洞窟での儀式が失敗した事を示唆している。
成功していれば、鵺が野放しになっているはずもない。
「でも、まあ目的は果たせそうかな」
常人ならば錯乱しそうなほどの妖力の暴力が吹き付けてくる中、加代は平然と立っている。
その横を鵺が駆け抜けていくが、彼女には目もくれず一直線に火祭の中心へと向かっていった。
そのまま進めば、丁度目的の村長が居る。
微笑みを浮かべて、来た道を帰ろうとした振り向いた時だった。
「な、何」
ゴオッと巨大な力の塊が傍を通り抜け、鵺の後を追っていった。
ソレは、鵺を遥かに上回る速度で一気に近づくと、一度上空へと跳び上がった。そして踏みつけるように急降下で強襲する。
踏みつけられた鵺が地面に落下し、地響きと砂埃が舞い上がると、火祭の中心から悲鳴が上がった。
「一体、何なのよもう!」
状況がわからないまま、加代は慌てて引き返していくのだった。
鵺もまた、状況がわからず混乱していた。
目標を捕らえたと思った途端、上空から突然ハンマーで殴られたかのような衝撃が走り、地面に叩き落とされたのだ。
妖力を開放して咄嗟に威力を軽減させていなければ、背骨から肩にかけての損壊は避けられなかっただろう。
最大限の警戒をしつつゆっくりと起きあがると、目標との間に小さな白い狐が一体いるのが見えた。一瞥してわかるほど、大きな妖力を持っている。
中途半端に顕現させられ、人を喰らって不安定になっている自分とは違い、静かで大きな力だった。
威圧感に飲まれそうになるが、すぐに村長に対する殺意がそれを上書きした。鵺が顕現する際に埋め込まれた意志は、それほど強烈なものなのだ。
コロセ コロセ コロセ コロセ
何人もの男達が頭の中で叫んでいる。その声に押し出されるように、前足に妖力を流し込むと、鵺は一歩また一歩と足を進めた。
対するゆずもまた爪に妖力を集めて、ゆずカッタアで迎え撃つ体制だ。立ち上る青い妖力は、鵺のそれをさらに凝縮したような鋭さがある。
だが、鵺は慌てることなく前足を横凪に払った。
予想通り鵺の前足はゆずの爪に阻まれ、その体を切り刻むことは出来なかったが、体格差を利用して、吹き飛ばすことに成功した。
鵺にとってゆずはただの障害物であり、戦う相手ではない。眼前からどかしてやれば、それで十分なのだ。そして目の前が開けてみれば、そこには目標が腰を抜かして待っていた。
鵺の前脚がゆっくりと上がる。
(しくじった!)
鮮やかな着地を決めながらも、ゆずは心の中で大きく舌打ちしていた。
鵺の目標はあくまで村長なのだから、真正面から戦う必要などなかったのだ。
少し考えればわかるのに、夭夭に頼られた事が嬉しくて舞い上がっていたようだ。
慌てて向き直るが、鵺はとっくに攻撃体勢に入っている。
間に合わない、そう思った刹那、鵺の身体に向かって大きな桶が投げつけられるのが見えた。
バシャリ
反射的に前足で切り刻んだ鵺だったが、中身の水を大量に浴びて身体を硬直させてしまう。たかが水、されど水。鵺は投げつけた男が気になり、視線を向けてしまう。
そこには、二つ目の桶を持った正平の姿があった。
「冗談じゃねぇぞ。鵺様は守り神じゃなかったのかよ。どうなってんだ。っておい村長、早く逃げろって!腰抜かしてる場合じゃねぇぞ」
誰もが恐怖で固まっている中、ただ一人正平だけが火消し用にと用意しておいた桶を、次々と鵺に向かって投げつけていた。
鵺は思う。
矮小なる人間にも剛胆な者はいるのだと。
まあ、だからといって障害になるほどでもない。先ほどの妖狐同様、軽く撫でれば姿を消すだろうと思っていた。
ところが―
「ゆずフロオズン」
脇から聞こえた声とともに、鵺の体がピシリと音を立てて凍結していく。
慌てて妖力を通して破壊しようとするが、十分に水分を吸った体は、急速に凍り付いていく。
今度は鵺がしくじったと思う番である。そして不味いと思った時には、すでに体の半分が凍結していた。
こうなるともはやもがく事もできず、何度か不気味な鳴き声を残しながら、やがて活動を停止するしかなかった。
氷の彫刻となった鵺の前に、桶をもったまま立ち尽くす正平がいた。
だが、すぐに首を振って現実へと戻ってくる。精神力は人一倍強いと自負しているだけの事はある。
「おおお、何かしらんが狐が喋った!喋ったよな?いま」
「驚くところ、そこ?」
まじまじと見つめてくる正平に、ゆずは呆れ顔で返す。
しかし、何はともあれ、村長の無事は確保できたのだ。
あとは夭夭が到着するのを待つだけだと、安堵のため息を漏らす。
「どうなってんだ。お前さん、ヨーさんの狐だろ。なあ、もう一回喋ってくれよ」
執拗にゆずを抱き上げようと迫る正平から逃げ回っていたゆずだったが、どこからか突然囁くような女性の声が聞こえてきた。
慌てて振り返ると、氷付けの鵺に手を当てている加代の姿があった。
「そう、可哀想にね。うん、大丈夫よ。いま出して上げるからね」
呟きと共に、溶けるはずのない妖力で作った氷が、溶け始めた。




