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五話 新緑狩り(3)

― 6.しじみ汁でしみじみと知る ―


「う…」


 朝靄の中を鳥のさえずりが響きわたる。

 障子の隙間から顔を出し、さわやかな空気を吸い込むと、再び頭へと手を当てた。


「夭夭さんが飲み過ぎるなんて、珍しいですね。どうしたんです」

「骨酒恐るべし」


 昨日、山葵を収穫し終えて集落に戻った夭夭達は、待ちかまえていた村人達に囲まれ、蕎麦や天ぷらを持ち寄った大宴会に巻き込まれたのだ。

 その宴会で、衝撃の事実を知る。

 正平に連れて行かれた場所は、彼意外誰も足を踏み入れることが出来ない秘境だと言われていたのだ。これまで何度か村の若者達が挑戦してみたが、一度も到達したことが無い。故に、これは大変貴重な山葵なのだという。


『いやあ、都会モンだと思って馬鹿にしてたけどよ、なかなか根性あるじゃねえの。これで蕎麦が二倍美味くなるってもんよ。まあ一杯飲めや』


 そう言われれば悪い気はしないもので、遠慮なく骨酒をいただく。


『ウチの男衆なんてみんな途中で帰ってきたのよぉ。ほーんとだらしないんだから。意外と筋肉質なのね、逞しい腕だわぁ。触ってもいいかしら。え、だめ?じゃあせめて一献』


 着物の美人にからめ取られて、骨酒をいただく。


『死んだ孫にようにとるなあ。親孝行な良い子じゃった。まるで生き返ってワシを喜ばせに来てくれたみたいじゃ。嬉しいのう、たんと召し上がってき』


 老婆のしわくちゃな顔が喜びでさらにしわくちゃになっているのを見たら、もう飲めませんとはいえないので、頑張って骨酒をいただく。


「とまあ、だいたいこんな感じで飲まされ続けて、今に至るわけです」

「それは大変でしたね。戻ってきたら、部屋に寝かされてるのでびっくりしました」

「そういうゆずさんは、何処に行ってたんです?」

「おさんぽです」


 ただの散歩では無いのだろうが、今の夭夭は思考する能力が失われている上、それ以上追求する気力がなかった。ただ機械のように着物を着替え、布団をたたみ、朝食の場へと向かう。

 この日は珍しく正平がおらず、妻の加代だけが囲炉裏端で夭夭の食事を用意していた。


「正ちゃんは、お祭りの準備ですよ。ああ見えて実行委員長なんです。似合わないでしょう」


 ふふと微笑む加代は、椀に味噌汁を注いで夭夭に差し出す。今朝集落を訪れた行商人から買い付けたシジミの入った味噌汁だという。二日酔いの朝には抜群に効くので、今の夭夭には金より嬉しい贈り物といえる。


 ズズッと命の汁をすすりながら、祭りの様子を詳しく聞いた。日中は炊き出しやら、子供達を中心にした催しがあり、日暮れからは水括りの獅子舞がある。


「やはり獅子舞が目玉なんですか」

「今年は特に若者衆の気合いが凄いとかで、秘密の特訓をしているらしいですよ」

「そりゃあ益々見逃せませんね。以前見た練習でも、気合いが入ってました」

「それはたぶん…久しぶりに村長さんが顔を出すからでしょう」


 ここ数年ほど、村長は集落の祭りに顔を出さなかった。それまでは毎年足を運んで、数々の祝い物を置いていった気さくな人物だったのだが、ダム計画を推進するようになってからどの集落の祭りにも出席していない。


「とても楽しそうに祭りを楽しんで、村の若い衆と朝まで飲み明かしたりする人だったんです。金に目がくらんで裏切ったなんて言う人もいますけど、きっと一番辛い思いをしているのは村長さんだと思います。大切にしている集落を全部失うわけですから」


 寂しげな表情を見せる加代だが、すぐに笑顔に戻る。


「でも私は正ちゃんと、この子が一緒ならどこでも大丈夫ですけどね!」

「それはよか…え、この子?ということは、もしかして」


 加代は照れた顔で、お腹のあたりをさすっていた。

 まだ正平には内緒にしているという。祭りが終わるまで余計な心配をさせたくないというのが建前で、一番効果的に驚かせる方法を考えているというのが本音だそうだ。


(木の葉さんといい、加代さんといい、女性は怖いね)


 ぶるりと肩をふるわせると、祭りの準備を覗きに出かけた。



― 7.祭り前 ―


 獅子舞の練習演舞は、鬼気迫る勢いであった。

 素人にはわからないようなわずかな動きのズレに、指導者は反応し叱咤する。踏み込みが拳半分違う、頭の振りが半拍遅い、そんな一切妥協しない声が飛び交い、空気までがビリビリと震えていた。

 近くの丸太に腰掛けて練習を見学していた夭夭は、その空気に圧倒され言葉を失っていた。

 実際には午後から始まる演舞は、(さお)懸り、女獅子隠し、白刃、そして水括りと続く。


 棹懸かりでは、竹竿を川に見立てて三頭の獅子が順々に川を渡る様子を演じている。湖へと流れ込む清流が時に激しく獅子を打ち、息つく暇も無く連続して舞が続いていく様が圧巻である。


 『女獅子隠し』では、一頭の女獅子をめぐる男女の恋の駆け引きと葛藤が見られる。実に人間臭いところが魅力だ。女獅子を廻る喧嘩が起こり、一頭が命を落とす。

 だが勝ち残った獅子もまた厄に取り憑かれ、どす黒い獅子へと変化していく。

 ここでようやく女獅子が湖を汚そうとする悪意ある存在であることが明かされる。


 『白刃』では、二人の太刀使いが厄に憑かれた獅子の羽根を切り、湖へと追い落とす様が演じられている。太刀の勢いもさることながら、狂ったように舞う獅子にも圧倒される舞だ。


 そして最後に短い『水括り』が演じられた。

 厄を落とされ、復活した獅子は姿を変えていた。この姿は本番まで見せられないということで仮の獅子が使われていたが、それでも迫力は変わらない。


 獅子は供物として捧げられた白いモノを丸かじりにする。

 人型をした藁に白い布のかぶせたモノは、頭からかじられ、胴体でまっぷたつに切断され、やがて獅子の中へと飲み込まれていく。物騒な事に歯には鋭い刃が仕掛けられているようだった。

 そうして力を取り戻した獅子は鵺へと進化を遂げる。その変わり身も見事な演技である。

 ついには湖を穢さんとする仇敵に立ち向かってゆき、そして相打ちになると、共に湖の中に沈んでいった。


 やがて舞が終わり、反省会が始まる頃になってようやく口を開くことができた。


「いやあ凄すぎて、なんだか怖いくらいでしたね、ゆずさん」

「息をするのを忘れてるんじゃないかと、心配しましたよ」


 ゆずが笑いながら返してくる。


「それにしても、あの供物不気味でしたね。人間みたいな形でしたよ」

「あれっ、夭夭さん知らないんですか?」

「何を」

「獅子舞が頭をかじると邪気を払うと言われていますけど、本当は全部食べちゃうんですよ。人間の魂を食べて力をつけるんだそうです」

「またまたぁ」

「強力な魂ほど、強い神獣を呼び出せるんだとか」

「ご冗談を」

「まさに神事ですよねぇ。夭夭さんもかじられないよう、気をつけないといけません」

「ははは。ゆずさんってば、いつも自分が脅かされているからって、仕返ししようとしてるでしょ」

「さあて、どうでしょう」


 丸太の上に乗り、夭夭を見上げるゆずの目が妖しく光っていた。

 こういう時のゆずからは、真実を判別することが難しい。早々に諦めて他の準備を見て回ることにした。

 

 小さい集落なだけあり、あまり派手な出し物は無い。せいぜいが露天もどきのトウモロコシ屋であったり、竹ひごを使ったおもちゃ作り程度だ。それでも祭りの雰囲気というのは人をウキウキさせる魔力があるらしい。

 子供達が明日まで待ちきれずに、祭り用のお面を取り出したり、衣装を試し着したりして大人に怒られていた。


「みんな楽しそうだなぁ。子供時代を思い出すというか」

「幼少期の夭夭さん…相当ひねくれてたんでしょうね」

「何です、失礼な。純真無垢な少年でしたよ」

「本当に?」

「えっと」


 間違いなく純真無垢だったかと問われたら、非常に怪しい。子供の頃から解師(ほぐし)の修行をしてきたので、大人に混じって女性をからかったり、お酒の味を覚えたりと、およそ子供らしくなかった。

 凧を買って貰えば海で『蛸上げ』をして漁師に怒られ、コマを買って貰えば『狛回し』をして神主に激怒される毎日に疲れた両親が、『空や』の先代に預けるに至ったのが夭夭十一歳の春であった。


「いやあ、なんという無邪気な光景かな。子供とはかくあるべし、うんうん」


 適当にお茶を濁して、そそくさとその場を立ち去る。

 肩に乗るゆずは、勝ち誇った顔で尾をぺしぺしと振るうのであった。


 最後に立ち寄ったのは、祭り当日に本番で使われる獅子舞の演舞場だった。

 神社の前で四方を囲った大きめの空間に、清めの塩が盛ってある。明日は荒々しい獅子舞が演じられるこの場所も、今はシンと静まりかえり、どこまでも静謐な世界が広がっている。


 場を荒らさないよう気をつけながら社の周囲を回ってみると、小さな祠に変わった形をした像を見つけた。数日前に見た頭の砕かれた道祖神と同じ形をしている。

 だが、こちらは頭がしっかりと残っているので、すぐに正体がわかった。


「ここにも鵺ですか」

「鵺を祀る神社なんて多くないですよ、夭夭さん」

「ですよねぇ」


 鵺は、顔は猿、胴体が狸でトラの手足に蛇の尾という混合獣である。ヒョーヒョーと気味悪い声で鳴くと言われており、黒雲と共に現れて人の生命を喰らうという。

 一般的には神社で祀られるような妖ではなく、どちらかというと退治される話の方が多い。


「あまり出会いたくない妖の一つだなぁ」

「あれ、夭夭さんにも怖い妖がいるんですか?」

「怖いというより、厄介なんですよ。賢い上にすばしっこいし、空も飛びますからね」


 一説では雷を使役するとも言われているが、約八十年前に退治された鵺に関する解師の文献には、そのような能力があったという記載はなかった。おそらく間違った印象が一人歩きしてしまったのだろう。


 それでも手強い妖であることには変わりない。

 出来れば一生敵にしたくない妖でもある。


「まあよほど悪意ある人に呼ばれたんでなければ、敵対する事も無いでしょ」

「召還者によって性格が変わるの?」

「影響は受けると聞いてますよ」

「へー、夭夭さんに召還されたら、毎日寝てるぐうたらな鵺になりそうです」

「ほー、ゆずさんに召還されたら、毎日柚子を奪い合ってやかましい鵺になるでしょうね」


 バチバチと視線をぶつけ合いながら、神社を後にした。



― 8.村長と尊重 ―


 正平のところへ帰る前に、村長の宿泊している家を訪れた。

 ダム建設について、どうしても聞いておきたい事があったのだ。


「いやあ、都会の迷子もんってなアンタの事か。まあ、よろしく」


 見た目は小狸なのだが、どうして力強く握り返してきた手からは、しっかりとした意思の強さを感じた。

 家の方の勧めで山芋を焼いたつまみと日本酒をいただきながら、当たり障りのない世間話をしつつ、本題に切り込んだ。


「それで、ダムの事なんですが」

「おお、やっぱりそれか。そうだなあ、アンタの住んでる所も無関係じゃあ無い。聞いておいてもらった方が良いかな」

「といいますと?」

「近いうちに都会は水不足になる」


 急ピッチで進められている都市開発により、今後都会の人口増加は避けられない。だた、生活基盤となる水源の確保計画が思うように進んでいないのだ。


 思うように捗らない計画をあざ笑うかのように、ある年の夏に記録的な日照りが続いた。一気に水不足に陥った都会では、出水制限をかけてなんとか乗り切ったが、その経験からか大胆な計画が動き出すことになった。


「それが三地区を巻き込んだ巨大ダム構想ってわけだよ。実に一千世帯が水の底に沈むっちゅう、極悪非道な話よ」

「しかし、その計画を村長さんは推進していると。何故ですか」

「この国の未来の為に決まってるだろうが。儂だった村を愛しとる。全集落の一人一人の顔だって覚えるほどに愛しとんじゃ!」


 ほんの僅か、村長の顔に赤みが増す。

 それだけで、夭夭には彼の真剣さが伝わってきた。この人は、真剣に村の未来と国の将来を考えていると。


「けどなあ、ここでダム建設を中止すれば、この国の発展は数十年遅れるだろうよ。そうなったら、被害を受けるのは誰だい?都会の人間だけか?」

「国民全員ですか」

「そういうことだ。そして発展が遅れたら諸外国に食いつぶされちまう。村か国、どちらか選ばにゃならんのなら、国が生き残る方を選ぶ。…それが儂が下した決断だ」


 どれだけ長い間苦しんだ末の結論なのか、その時の村長の苦笑いで判ったような気がした。

 気軽に部外者が立ち入れる話でもなかったなと反省しつつ、辞去しようとした時、村長がニヤリと笑って言った。


「まあしかし、補償金もらったからホイホイ村をくれてやるってのも癪に障るだろ?」

「金以外に、何か要求したんですか」


 その時の村長の顔ときたら、子供のような悪魔のような、そんな顔つきだった。

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