三話 硬めに固める黒い情念(4)
― 7.かんざし屋夭夭 ―
ゆずが『空や』に残されていた最後の柚子を食べていると、外から聞き慣れた足音が近づいてくるのが聞こえた。ひくりと片耳を動かして同行をさぐると、案の定足音は玄関先で一旦止まった。
ごそごそと鞄を探り始める音の後に、ガチャリと鍵穴に撥ね付けられる不快な音が響いた。どうやら鍵を間違えたらしい。
くっくと笑いを堪えながら、出迎えるために残った柚子を加えてカウンターから飛び降りる。
ロビーへと向かうゆずの耳に、なつかしい呑気な声が届いた。
「もどりましたよー、ゆずさーん」
声のもとへと飛び込もうとする本能を押さえ込み、努めて冷静にそして淑やかに歩みを勧める。
喜び勇んで駆け寄るでもなく、さりとて億劫な様子でもない、絶妙な匙加減の足取りで夭夭を出迎えた。
「夭夭さん、お帰りなさい」
「ああ、ゆずさんいただきますごちそうさまですありがとう」
長旅から帰った店の主人は、脱ぎかけの靴を足で放り投げ、ひょいとゆずを抱き上げる。
そのふさふさな身体に思い切り頬ずりしようと顔を近づけたのだが、食べかけの柚子を啣えている事に気がつき、断腸の思いで諦めた。
仕方なく突っかけたスリッパをパタパタならしながら『空や』へと移動する。
その間ゆずは文句も言わず、抱かれたままだ。
カウンターに置かれていた深緑色の膝掛けを指で摘み、ストーブの前を陣取ると、いつもの『空や』が戻ってくる。
膝の上で柚子を食べているゆずの背中を、夭夭の指がのんびりと撫でた。そうして、お互いに欠けた時間を、ゆっくりと取り戻していくのだった。
「お土産なんですけどね、やはり吉備団子は心配でしたのでこれにしました」
「ん?柚子ですか?小さめですね」
「ハナユズといいましてね、小振りな柚子なんです。中をくり抜いて餡を流し込んで蓋をしてるんですよ」
「ふおぉ、美味しそう」
柚子絡みのお菓子には目が無いゆずとしては、大満足のお土産であった。
無言で味を堪能していると、再び夭夭の指がのんびりと動き出した。
うららかな日差しの中、ゆずは、鎮守で出会った女のことや少女と老婆のこと、そして黒いドロドロ退治の顛末を楽しそうに語っていった。
犠牲になった二つの稲荷神社と鎮守のことを思い出した夭夭は、始終沈痛な面もちであったが、ゆずから老婆の話を聞いた時に少し驚き、そして嬉しそうに言った。
「そうですか、お孫さんがね。それはよかった」
「とっても幸せそうでしたよ」
「今度、私もご挨拶したいので連れて行って下さい」
「いいですけど…夭夭さん、まさかそういう趣味―」
「断じて違います」
静かだった朝の陽射しが街の喧噪を運んでくる頃になると、ゆず成分で満たされた夭夭は、ようやく『空や』の開店準備を始めた。
カウンターに寝そべって何気なく見ていたゆずの目に、普段とは少し違う品揃えが飛び込んでくる。
いつもなら、『怨と文字が書かれた兜』や『弾くと猫の鳴き声が聞こえるという三味線』『一部の角だけが錆びた鉄の色をしている灰皿』など、沢山のガラクタがおいてあった一画が綺麗に片付けられている。
そしてそこに、色とりどりのかんざしが所狭しと並べられていた。
「かんざし屋にでも、転向するつもりですか」
「特需ですよ、ゆずさん。特需なんです。例のかんざしを作って貰えませんか?ほら、突起が付いてるという例の…」
ニヤリと笑った夭夭の顔は、悪代官のようであった。
― 8.特殊な特需 ―
その日、『空や』では朝から大賑わいだった。
かんざしが飛ぶように売れているのだ。
買っていくのは、ほとんどが解師だったが、中には稀少なベークライトのかんざし目当ての馴染み客も混じっていた。
目論見通りとほくそえむ夭夭の前に、もっとも古い馴染み客が駆け込んでくる。
和菓子屋『夾竹桃』の六だ。
「夭ちゃん、かんざしだ!」
「残念、先ほど最後の一つが売れちゃいまして、完売です」
「そうじゃあねえ。かんざし、持ってきたやつ、見てくれ」
「持ってきた?どうしたんです、六さん」
六から差し出された手ぬぐいを受け取ると、中から出てきたのは真っ白なかんざしだった。一目見て、六が慌てている理由がわかった。
朱い華の飾りが付いたそのかんざしは、鶴の骨で作られた貴重なもので、最近では滅多に市場に出回ることは無い。そして飾りに付けられた解師の印を、夭夭はよく覚えていた。
「サナ江さんの、かんざしですね」
「やっぱり、そうだよなぁ」
六は、差し出された冷ましほうじ茶をゴクリと飲み込み、熱にうかされたように話し始めるのだった。
一週間ばかし前から、話題の『黒いドロドロあやかし』について情報を集めてたわけよ。これまでのあやかしと違って、現れる場所とか時間がが作為的だし、どうにもきな臭ぇってな。
けど、どうにも正体がわからねぇ。解師が退治しても、次の日にゃあ倍に増えて戻ってきやがる。困り果ててた時に、とっくに引退したあのババアが―え、名前?なんだっけ。かんざしババアとしか呼んでなかっ―いてて、なんでゆずちゃんが怒るんだよ?
とにかく、その婆さんが退治方法を見つけたっていうじゃないか。かんざしでブッ刺すんだっけ。へえ、夭ちゃんは薄力粉使うのか。なんか、そっちのが面白ぇな。
そんで昨日から解師達が大騒ぎして、町中のかんざしを買い占め歩いてるってわけよ。けど作りたてのかんざしじゃ、ろくに妖力も流せなくてまたまた大騒ぎだ。
夭ちゃんとこが扱う骨董品みたいな、年を経た一級品しか使い物にならねえからな。よかったな儲けられて。なんだよ気味悪ぃなその笑い。
早く本題に入れだと?
くそ、これからが面白えってのに。ああわかったよ。拾ったのはな、丘の上にある古い鎮守の祭られた場所だ。丁度、鎮守に黒いドロドロが出たって話が聞こえてきてな、若手解師と一緒に俺も駆けつけたんだよ。こう見えても、かつては凄腕解師で通ってたからな。
うるせえ、腹は関係ないだろ!あ?信じてねえだろ、剛力の六さんてな俺のこと―聞けよおまえ等!
まあいい。そん時ぁまだ倒し方が確立してなかったんだが、まあ何とかなるだろってんで行ってみたわけよ。
そんで階段をひいこら言って登ったわけだが、鎮守にたどり着いた時にゃあ、すでにドロドロが固められててビックリ仰天ってなわけだ。そこに刺さってたのが、このかんざしなんだよ。どう思う、夭ちゃん。
そうだよなあ、俺もそう考えたんだ。
サナ江に会えるかと思ったらよ、もう居ても立っても居られなくなっちまって…。周りに?いや、誰も居なかったぜ。そういや一緒に来た解師が、周りを見て回ったとき、裏階段の方から自転車が走り去る音がしましたって言ってたな。
いやあ、関係ねえと思うぜ。だって、乗ってたのは若い女だったってえからよ。格好?変な事気にするねえ。海老茶色の行灯袴だってよ。女のくせに自転車たあ、お転婆娘に違いねぇな。親も苦労してんだろうよ。
冷めたほうじ茶をぐいっと一息に飲み干す六の傍らで、夭夭とゆずは何とも言えない微妙な表情のままお互いを見つめ合っていた。
「あー、六さん」
「なんだよ」
「その女性がサナ江さんの関係者ですよ、間違い無く」
「何ぃ!?」
「いや、普通わかると思いますけどね…」
サナ江が何を考え、どんな行動を取っているのか、今の段階では皆目見当も付かないが、少しずつ事態が進んでいることだけは明白だった。
来るべき『碌でもない事』を考え、夭夭は深い深いため息をつくのだった。




