三話 硬めに固める黒い情念(3)
本日は2話連続投稿しております。
お手数ですが、硬めに固める黒い情念(2)からお読み頂ければ幸いです。
― 5.枯渇するゆず成分 ―
ゆずが老婆の庭で少女と戯れていた頃、夭夭は遠く離れた地で深く頭を垂れていた。小雨が続いているのは、この惨状を鎮守が嘆いているからだろうか。
地響きのような低いうめき声が聞こえる度に、夭夭の拳はきつく握りしめられた。狩野稲荷神社の境内で、足下の狐に問いかける。
「この地を治める鎮守様は…」
「大狸さまですのん。就任されてからまだ百十年の若い鎮守様ですが、穏和で笑いの絶えない素晴らしい方だったと聞きおよんでおりますのん」
若干語尾が甘ったるいしゃべり方をするのは、最上稲荷神社の妖狐『わさび』だ。
一般的な妖狐と違って白狐ではなく茶色い外見をしており、話しぶりも幼い感じを残してはいるが、全国の稲荷神社でも屈指といわれる最上稲荷で頭角を現している四尾の妖狐である。幻術を得意とし、化かし合いでは右にでる者が居ないとも言われている。
「その立派な鎮守様が、見る影も…ありませんね」
「見ているのが辛いですのん」
かつて鎮守様と呼ばれた大狸が溶け始めていた。全身に真っ黒なドロドロをまとい、力なく横たわっている。周囲に被害が無いところを見ると、この鎮守がその身に全てのドロドロを受け入れ、犠牲となったのだろう。
目玉の無くなった眼窩は漆黒の闇に染まり、ぼんやりと中央が光っていた。口は大きく裂け、牙の間からは呪詛のような物が溢れ出している。
鎮守の死は、守護する土地全体の死を意味する。そして新しい鎮守が生まれるまで、数年であることもあれば、数百年生まれない事もある。いつ生まれるかは誰にもわからず、その間はずっと不毛な地と化してしまうという。
そして今、狩野の鎮守はゆっくりと死に向かっている。
大いなる自然の摂理を前にして、夭夭にできる事は少ない。
「せめて、黒いのだけでも祓っておきましょうか」
「でも狩野の解師達は、いくら解しても無駄だと諦めていましたよ」
「そりゃ途中で止めるからですよ。解して、固めるんです」
「はて」
夭夭は袖口から茶色い紙包みとかんざしを取り出した。紙包みの中身は、ご家庭であれば置いてあるであろう『薄力粉』である。あまりに場違いな物が現れた事に、わさびは戸惑いを隠せないでいた。
「何ですかそれ。小麦粉にみえますけど」
「そう、ただの薄力粉ですよ」
「た、狸のてんぷらでもしますのん?」
「わさびさんは、物騒な事言いますね。まあ見ていて…」
無意識に肩へと手を近づけ、ゆずに触れようとしている自分に気が付いた。
ゆずが居ない。
意識の外で認識されたそれは、ぽたりと夭夭の心に暗い染みを作った。染みは麻布に広がるように、あっという間に心を支配していく。
ゆずが居ない。
何故居ないのだろうか?
厄介ごとを持ち込まれたからだ。
最上稲荷のせいか?
そう、全部仕組まれた事だ。
どいつが主犯だ。
見つけ出して―
暗い感情が夭夭を支配していく。
自分を取り巻く全ての事象が、ゆずとの関係を引き裂く悪意のように感じられたその時、ちりりと鈴の音が脳に鳴り響く。
鈴音神社で拾った遠音の鈴が、闇を祓うようにちりりと鳴り続けた。
「…うよう様、夭夭様!」
「あ、ああ、わさびさん?」
「あああの、あの、怖い顔してますけど大丈夫ですのん?」
「山歩きで少し、疲れがでましたかね。もう大丈夫です、ご心配かけました」
「なら良いのですけど」
ゆずが居ないだけでこんなにも情緒不安定になる自分に驚きを感じつつ、薄力粉をわさびの前に置いた。
今回使用する道具は、さして妖力も使わないし、妙な副作用も無いので安心して使える。雨が降っているが、むしろ好都合である。
「ゆずさんの代わりに、少し妖力を貸してください」
「ふっふっふ、任せてください。妖力の量でしたらちょっと自信がありますのん」
「おお、頼もしいですね」
わさびは得意げに鼻をならした。
今や先輩である三尾のゆずを上回る四尾の狐として、三大稲荷神社に仕える身なのだ。妖力で負ける要素など一つも見あたらない。
(妖力の量なら負けません、ハッキリ言って。先輩との圧倒的な差を見せつければ、この人間もあるいは私に鞍替えするかもしれませんよ、コレ)
だが、すぐにその考えが甘かった事を思い知ることになる。
わさびが、ちょいと前脚を袋に置いたのを確認すると、夭夭はいつも通りの手順で顕現させていく。
「邪なる気を剥がす静謐なる四角、純白の粉をもって形を成し」
「はぇ!?」
足下でわさびが間の抜けた声を発しているが、詠唱に入った夭夭を止める事は出来ない。最上稲荷神社のエースであるところの妖狐は、『ちょっと』などという生やさしい量ではない妖力がドバドバと流れ出していく様子を、青ざめた顔で見ていた。
「剥離気粉となれ。そうあれかし」
「ちょちょ、ちょっとまっ―ふんぐをぉ~」
乙女妖狐として断じて他には聞かせられない声を発しつつ、腰を抜かす。その横で夭夭は鎮守に向かって剥離気粉を投げつけた。
体に当たった剥離気粉がぼふっと白い粉をまき散らすと同時に、体中に巻き付いていた黒いドロドロした物が粉へと吸い取られていく。
こころなしか鎮守の目に、優しさが戻ってきたようだった。
「よ、夭夭さま」
「はい」
「私を殺す気ですか…妖力を根こそぎ持って行くなんて聞いておりませんのん」
「え、根こそぎ…ですか?」
目を丸くして驚く夭夭。
今回使用したのは、彼が苦手とする捕縛系の術であり、術の練度も低いものだ。使った妖力も微々たる物と思っていただけに、わさびの抗議には首を傾げるしかなかった。
「いつもの一割も使っていませんが」
「尺度がぶっとんでますのん」
「ゆずさん基準なんですけどね」
「ちっ」
一瞬かいま見えたのは、ライバル心か三大稲荷神社眷属としての矜持か。そこに先輩を敬う姿は微塵も見られなかった。
もちろん夭夭は見て見ぬ振りをした。女属性を持つ眷属の争いに関わるとろくな事にならない、というのは身に染みてわかっている。
「さ、わさびさん。早く熱を加えてください」
「何言ってますのん!もう妖力なんてカラケツですのん!」
「えー」
不満そうな顔をする夭夭だったが、黒いドロドロが勝手に暴れて薄力粉を固めてくれたので、結果としては問題が無かった。
団子のようになったドロドロに、かんざしを突き刺して封印をする。
「うわぁ気持ち悪い。何ですのん、これ」
「おそらく黒坊主の変異体だと思います」
「は?黒坊主?聞いたことがありません」
「比較的新しい妖ですから、知らないかもしれません。女性の枕元に立って寝息を吸うとか、そんな感じだったかな」
「うえ~。そんな変態妖は、さっさと滅びればいいですのん」
シッシと追い払うように尻尾で叩いていたわさびだが、もぞりとドロドロ団子が蠢いた拍子にビクリと後ろに跳びはねて逃げる。
「生きてる!」
「そりゃ固めただけですから。私固めるの苦手ですしね、動きますよ」
「ちゃんと始末してくださいよぉ」
「解師の仕事は解すことでしょ。固めた後に始末できる人なんていませ…あ、一人いましたね」
まだ夭夭が駆け出しだった頃に、かんざし一つでどんなあやかしでも固めて始末していく、化け物じみた力を持つ女性がいたのを思い出す。解師の本流ではなかったため、役付きになることはなかったが、実力は従四位から正五位くらいあったように思う。
夭夭も、かの女性に一時期固めの作法を習ったことがあるのだが、あまりに閉鎖的な解師界に嫌気が差して、今は隠居しているという噂を聞いたことがある。
「戻ったら一度聞いてみますよ。そういうことで、当面ドロドロ団子の始末は誰かに任せるとして…今は鎮守様ですね」
「回復されるかどうか、微妙なところですのん」
「こればかりは、祈るしかないか。わさびさんの幻術で妖や人が入ってこられないようにする事はできますか」
「造作も無いですのん」
では神社全体に幻術を張り巡らせるようにとわさびに伝え、夭夭自身はいそいそと帰宅の準備を始めた。
汽車の時刻表を調べ出しているのを見たわさびは、抜けた腰が回復しないまま、慌てて前脚でズボンの裾を引っ張る。
「ちょっと夭夭様、どこ行きますのん!」
「どこって、解決方法は教えましたし、鎮守様の保護は済んだわけですから、もう帰ろうかと思うんですが」
「駄目ですよ!まだ被害のでている神社がいくつもありますし、もう少し手伝ってください。私も色々学びたいことがありますし、せめてあと一週間はお願いします」
「いやいや、これ以上よそ者が介入すると、最上稲荷神社の沽券に関わるでしょう」
「そんなもの、簀巻きにして高梁川に流せば良いですのん」
「無茶苦茶な」
仮にも三大稲荷の一翼を担う神社なのだから、解師もそれなりの実力を持った者達が集められている。夭夭が解して固めるという手法を見せたのだから、あとは最上稲荷風にアレンジし、人海戦術で掃討していけば良い。ここから先、夭夭はむしろ邪魔な存在になるはずだ。
そもそも部外者に応援を依頼した時点で、最上稲荷側には忸怩たる思いがあるだろう。望まれぬ者が長く留まれば、当然軋轢を生む。ここは無理を言ってでも帰らなければならない所だ。
「それに、そろそろアレが切れる頃なんです」
「アレ?」
「ゆずさん成分です」
「ちっ」
盛大な舌打ちは聞こえないフリで背を向けた夭夭は、手にした夜行列車の時刻表に目を落とした。
― 6.嬢さん術 ―
ひとしきり庭を走り回って少女と戯れ、縁側に戻ってくると、疲れたのか少女がこくりこくりと船を漕ぎ出した。ちょうど追い立てていた黒いドロドロもほとんどが集まってきており、頃合いである。
「そろそろ、お休みの時間かねぇ」
老婆はそっと少女の体を抱えて奥の部屋へと姿を消した。目一杯身体を動かして疲れた少女は、多少のことでは目覚めないだろう。ようやく大人の時間というわけだ。
ばさりと三本目の尾を出したゆずが縁側でドロドロを観察していると、手に箱を持った老婆が戻ってきた。
「それは解師の道具ですか」
「お狐様には、隠せませんなあ。まあそんなような物です」
老婆が蓋を開けて見せたのは、何の変哲もないただのかんざしだった。だが、そこからは生理的に受け付けない異質な何かが感じられる。
思わず顔をしかめてしまったゆずに、老婆は申し訳なさそうに謝った。
「お狐さまには気味が悪いでしょう。自然には無い物質ですからなあ。ただ、ああいった不自然な妖には、これが良く効きましてな」
ベークライトという人工の素材で作られたかんざしが、漆の箱に無造作に詰め込まれていた。使い込まれている所を見ると、実践で何度も使われたのだろう。
「これをどう使うんです?」
「解師からするとちょっと外道かもしれませんなあ。なにしろ解さずに『固め』
ますから。かんざしをこうやって突き刺して、妖を封じるんですわ」
老婆は解師として大成しなかったが、別の才能が秀でていた。妖を封じる技である。もともと妖と人との絡み合った糸を解すことを目的とした解師達の間では、根本的解決にならない『固め』の技は異端とされてきた。
「役立つ事も多いんですがねぇ」
寂しそうな顔から、色々と悔しい思いをしてきただろう事が容易にわかる。他と違うというだけで認められず、自己の存在を否定されるのは辛いものだ。
ぺしぺしと尾で縁側を叩いていたゆずだが、ふと面白い事を考えついた。
「固めた後に、少しずつ蒸発させちゃえば良いんです」
「お狐様は、恐ろしい事を考えなさる」
「いやなにそんなに誉めなくても」
うふふと怪しげな笑みを浮かべたゆずの前足がかんざしに触れた途端、飾りの部分に小さな突起がいくつも生えてきた。ここから妖力を浄化して排出しようという魂胆である。
「こりゃまあ、さすがはお狐様。あっさりと凄いものを作られる」
「ふふふ、この方法は流行りますよ。あのドロドロはその辺の解師程度じゃ解くのは無理ですからね。お婆さんを馬鹿にした奴らは、土下座してざまあみろです」
「おやおや、でもスッキリしますかねえ」
老婆は、少女のようにくすりと笑い、かんざしの一つを大きな柚子の根本へと投げつけた。すると広範囲に広がった糸のようなものが、ドロドロの妖力を瞬時にして封じてしまう。
単純にして強力。
ゆずから見ても、相当な強度を持った封印の術であった。そして飾りの突起から漏れ出してくる浄化された妖力を見れば、いずれ完全にドロドロが消滅するだろうことが予想できた。
「完璧です」
「身体が覚えとることは、案外忘れないもんですねえ」
「そうですよ、解師としての腕が良かった証拠です。そうだ、固めてから蒸発してますから、『蒸散術』とでも名付けましょう」
「はは、婆の身でも震えるような感激です」
老婆とゆずは、楽しそうに残るドロドロを溶かしていった。




