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一話 人を喰ったような鬼の話(1)

 (あやかし)と人が交われば、そこには必ずと言って良いほど怪異と呼ばれる不思議な現象が発生する。

 初めのうちは些細な現象だったとしても、放置していると次第に複雑さを増していき、気が付けば身動きがとれない怪異の糸に絡め取られていることに気付くだろう。


 そうなってしまえば、後は悲劇が待つばかり。

 妖に対して、人は抗う術を持っていなかった。引き起こされる怪異によっては、一度に何百人もの犠牲を出すことさえあった。


 時の帝が無手なる現状を憂い、妖に抗う力と組織を育てることを命じてから一世紀が過ぎる頃、ようやく小さな希望が芽吹いた。彼らは妖を退治するのではなく、様々な依り代を使って絡まった怪異の糸を一つずつ丁寧に解きほぐしていった。

 その恩恵にあずかった人々は、いつしか彼らのことを『解師(ほぐし)』と呼ぶようになった。



― 1.ゆずさんと柚子 ―


 掃いても掃いてもキリがない。

 鬼熊手を手に、帆浪 夭夭(ほなみようよう)は深いため息をついた。

 紺色の丹前に羽織りという出で立ちのこの男は、骨董店『空や(そらや)』の主人である。

 性格は穏やかで、あまりやる気がないように見えるのだが、優秀な解師として名が売れている。

 

 だが今は積もりゆく紅葉を相手に、終わりの無い戦いを挑む孤高の戦士であった。

 掃いては集め、集めては掃く。

 先程から何度店先と裏庭を往復したことだろう。もはや数える気力も残っていない。

 その裏庭には落ち葉の小山が出来上がっているというのに、褐色の悪魔は一向に降り止む気配がなかった。

 


「ああ神様、どうか私に紅葉を食べる妖を紹介してください」


 しばし手を休め、うんざりした顔で積もりゆく落ち葉を見ていると、カラリと店の窓が開いて可愛らしい声が聞こえてきた。


「紅葉という名の鬼女なら、大昔に居ましたよ」


 窓枠でちょこんと伏せた真っ白な狐が、眠そうに目を向けていた。人と言葉を交わす新種の狐、ではなくその正体は妖狐だ。

 元々は店の裏にある柚木稲荷神社に使える眷属なのだが、今は故あって骨董店『空や』で夭夭とともに同じ時を過ごしている。

 尾が三本に分かれた真っ白な狐で、左の目元に泣き黒子のような斑点をもつ美人さんなのだが、夭夭以外の人間には理解されないところが悲しい。


「鬼女は強い上に頭も良いから、関わりたくないんですよ。第一、紅葉を食べてくれないでしょ」

「紅葉の木ごと引っこ抜いて貰えばいいじゃないですか」

「恐ろしい事をサラッと言いますね。ところで、ゆずさんがさっきからふくれっ面なのは、何故です」

「何故だと思います」

「いやあ、ちょっと心当たりが無いんですけど」


 この妖狐、名を柚木 ゆず(ゆずきゆず)という。

 柚子が好きな柚木稲荷神社の狐だったので夭夭が勝手に命名したのだが、これが結構紛らわしかったりする。


「夭夭さん、柚子を食べちゃったでしょう」

「ゆずさんを?え、いや我慢してるつもりですけど。もしかして、食べても良かったとか?」

「何寝惚けたことを言ってるんですか!私のことじゃなくて、柚子です、ゆ・ず」

「ああ、酸っぱい方の柚子ね」


 夭夭は、つまらなそうな顔をしつつも盛大に首を捻った。ゆずにお供えした柚子を彼が食べてしまうなんて事はありえないし、供え忘れるなどということも絶対に無い。今朝も裏庭の木から一つをもいで、白磁の皿に乗せて神棚に献上したはずだった。


「だって無いですもん」

「飯はまだかいな的な」

「まだ惚けるほど生きてませんよっ!」

「いやだって妖狐だし、長生きしてるでしょ」

「そんな些末な事はどうでも良いのです」

「全然些末じゃないし…どれ」


 ぷんすか怒るゆずの頭越しにひょいと室内をのぞき込むと、確かに神棚から柚子が姿を消していた。皿が残っているところをみると、どうやら本当にゆずの仕業ではなさそうだ。

 それというのも、ゆずは必ず皿ごと店のカウンターにに持ってきて、そこで器用に食べるからだ。そして食べ終わると流しまで持ってきてくれるという、すばらしい習慣を崩した事が無い。

 神様の眷属なのに所帯じみているような気はするが、夭夭としてはありがたいので、一切文句は言わない。

 しかるに、皿が残っているということは、ゆずが食べたわけでは無いということだ。

 

「確かに有りませんね」

「ほらほらぁ」

「うーん、でも残念ながら今日の分は終わりなんですよねぇ」

「は?」

「一日一つしかお供え出来ないのは知ってるでしょ」

「…」

「いや、そんな顔しても駄目だから」

「…」


 つぶらな瞳が、見上げている。

 首を左に25度傾け、でも私たべてないよ?お?お?という顔で見上げている。

 時間にすれば5秒くらいだが、夭夭にとっては長く辛い葛藤の時間であった。


 ご進物の柚子は基本的に一日一つとされている。裏庭でたわわに実っているとはいえ、歴代店主のしきたりを簡単に曲げるわけにはいかない。しかし本当にゆずが受け取っていないとしたら、それは大問題でもある。

 もう一度用意すべきか、我慢してもらうか1時間くらい思考を廻らそうとした時、ゆずがしょんぼりと尻尾を巻きながら言った。

 

「そうですか。今日は久し振りに夭夭さんの膝で食べようと思っていたのに、ざんね―」

「今すぐ、もいで来ましょう」


 欲望には忠実に、即断即決すべし。

 歴代店主の格言を簡単に曲げるわけにはいかない。


 手早く落ち葉をかき集めると、ざっくりと横道に投げ捨てる。そのまま真っ黒の鬼熊手を玄関の中へ戻すと、裏庭へと駆けていった。

 『空や』の裏庭はあまり広くないものの、柚木稲荷神社と敷地が隣接しているせいか、神にまつわる色々な物が置かれている。僅かな距離なのに鳥居があり、奥の方に大きな柚子の木が祀られている。木の周りには注連縄が絞められており、正面の鈴が風に揺られてチリチリンと声をあげる。

 何代前から続いているのかわからないが、代々『空や』の主人はこの木を世話してきた。木に向かって拝礼をすませ、井戸から水を汲み、根本にかけること数回。ほのかに柚子に香りが漂い始めたら、再び拝礼をして鮮やかな黄色の果実を一つだけもぎ取る。


「頂戴いたします」


 この時期の黄柚子は果実が熟成しきっており、一年で最も美味しい季節だ。思わずかぶりつきたくなるのをグッと堪えて丁寧に大麻布で包む。

 店に戻ると、椅子の上で待機していたゆずが、鼻をひくひくと動かしていた。


「いただきますごちそうさま早く早く」

「いや、お皿を取って来ないと」

「もはやそのままでガブリと構わず」


 妖しげな日本語を操りながら、前足をたしたしとぶつけてくる。

 うずうず感を強調させる、非常に危険な高等技術だ。だが、ここでうっかり『かわいいですね!』などと言って抱き上げてしまうと、手の甲をガブリとやられるので注意しなくてはならない。

 夭夭はつとめて冷静な振りをして柚子を置くと、少し待って下さいと言い置いて棚から大きな帆布を取り出した。生成りの帆布は普段前掛けとして使っているもので、倉敷市の有名な帆布専門店で製作してもらった逸品だ。先代より引き継いだこの帆布は、とても丈夫で使い込むほどに味が出てくる。

 帆布を折って膝に敷くと、そこにゆずと柚子をちょこんと載せた。


「ふむぉー、柑橘系のさわやかな香りが。よきかな、よきかな」

「ゆずさん、いつも思うんですけどね」

「何でしょう」

「酸っぱくないの?生食して」

「夭夭さんは食べたこと無いんですか」

「ありません」

「可哀相に。でもあげません」


 一口たりとも渡さんとばかりに、猛烈な勢いで柚子へとかぶりつくゆず。

 一心不乱に柚子を囓るその姿は微笑ましくもあり、また危うくもある。


「ゆずさん、あまり慌てて食べると」

「げふげふぅ」

「…むせますよ」


 しばしけふけふとむせた後、夭夭が差し出した小皿の水を飲み干し、柚子へとの再戦に挑むのである。

 柚子へ鼻を突っ込むのを見ていた夭夭は、忙しいですねぇと笑いながらゆずの背中を撫でていた。なんとも穏やかな『空や』の日常風景であった。



― 2.大福で一服 ―


 『空や』は全体的に焦げ茶色と白で構成されている。外国の建築様式を取り入れているせいで周りの建物と比べるとモダンな感じはするが、しっかり神棚や和室もあるので折衷様式といえる。チーク材のテーブルセットや樫の振り子時計など、置かれている調度品の趣味も良く、静謐(せいひつ)な空間が広がっている。


「今日も、お客さまが少ないなぁ」


 大きなガラスが埋め込まれた扉が開くと、夭夭が吐く息で手を暖めながら玄関ホールへと入ってきた。ステンドグラスを使うなど異国情緒溢れる素敵な造りのホールも、無造作に置かれた竹箒や鬼熊手のせいで残念な事になっている。しかも今日は雪なので、雪すかし用のコシキダや雪下駄などが転がっており、カオスな様相である。

 雪下駄をズリズリと足で脇にどけつつ肩に付いた雪をはたき落としていると、ひょういと白狐が顔を見せた。ホール右手は『空や』とつながっている。


「夭夭さん、全く来ないのは少ない(・・・)とは言いません」


 柚木稲荷神社の眷属である妖狐、柚木ゆずである。珍妙な名前になったのは主に夭夭の責任であるが、彼自身は全く反省していない。むしろ、その間違ったセンスを誇っているところもあるのだから始末におえない。


「ああ、ゆずさん。店番お疲れさま」

「全く疲れてませんけどね、まったく!」


 夭夭が、辛辣な嫌味を気にする様子もなく買い物袋を顔の前に掲げると、それを見たゆずの鼻がひくりと揺れた。中身は大量の柚子である。

 ゆずの主食は『空やの柚子』だが、店売りの柚子も普通に食べる。祈りが捧げられていない柚子は妖狐としての栄養源にはならないが、味が好みなのだそうだ。

 ちなみに油揚げは食べない。


「ちょっと休憩しましょうかね。今日は桔梗屋さんで大量に柚子を買ってきたんですよ。旬だからか随分安くて」


 そっと買い物袋を床に降ろせば、トタタと小さな足音が近づいてくる。とんびコートを叩いて雪を落とす間に、ゆずの頭は袋の中である。ちょっとだけ背が届かなくて足がジタバタしている様子を目に焼き付けながら、夭夭はスリッパに手を伸ばした。


「そういえば、お社の様子はどうでした?」

「つつがなく」


 大きな柚子を一つ抱え、ゆらゆらとお尻が揺れているにも関わらず、ゆずの返答は明朗である。こう見えても柚木稲荷神社の優秀な妖狐、本業は抜かりなくこなしているらしい。流石ですねと声をかけようとしたら盛大に転んだので、グッと言葉を飲み込んだ。


 とりあえず残りの柚子は台所に運び、熱い番茶を煎れて『空や』のカウンターへと戻る。ゆずの姿を探してカウンター脇のテーブルに目を移した瞬間、ギクリと体が硬直した。なんと、最近覚えたという妖術『ゆずカッタア』で柚子を輪切りにしているではないか。

 過去の恐怖が蘇り、手にした湯飲みから番茶が溢れる。


「あ、あちっ」

「夭夭さんは、何を慌ててるんです」

「いや何故か凶暴な見えない爪に襲われる幻覚を見て、ちょっと取り乱しました」

「…結構根に持ちますね」

「はっはっは」


 乾いた笑いを返し、こぼれた茶を拭う。

 『ゆずカッタア』は、目に見えない三本の刃が物体を切り裂くという恐ろしい技だ。カマイタチの強力なものをイメージしてもらうと、わかりやすいだろう。使い方を間違えなければ便利な妖術だが、ひとたび制御を誤り暴走すれば大惨事を引き起こす。

 夭夭は店の窓枠に残された三本の深い爪痕を見て、身を震わせた。ある事件で引き起こされた惨事で、未だに修復の目処が立っていない。それ以来『空や』には一つの不文律が出来た。


 ゆずに犬は禁物、ダメ、わんわん。


「ところでゆずさん、今日はかぶりつかないんですか?」

「丸かじりは『空や』の柚子だけですよ」

「そうだっけ」

「そうですよ。店売りは酸っぱくていけませ…あっ!?」


 綺麗にスライスされた柚子を一枚、ひょいと摘んで口に入れた夭夭は、あまりの酸っぱさで口がきゅうとすぼまるのを感じた。美味しそうに食べるゆずを見ていたら、つい無意識に手が出てしまったのだが、やはり柚子は生食するものではなかった。

 強烈な酸味に悶えているところにゆずの大回転三尾ビンタを食らうが、めげずに三枚確保して蜂蜜漬けスライス柚子を作った。番茶とともにちまちま摘む。


「非道い、横取りとは鬼畜外道な所業です」

「大げさな」

「鬼は外ー」

「いて、痛いですって、ヘタを投げるのは、反則ですよ!」


 こうしてゆずと戯れるうららかな昼下がりが、夭夭にとって一番の楽しみであり、大切なひとときであった。それなのに、このひとときを邪魔しようとするはた迷惑な存在が襲来した。

 そう、来店客だ。

 全く持って、迷惑千万である。


「いやいや夭ちゃん、お客さまの方が大事だろ。おかしいって、それ」

「何と、心の声が聞こえたというのか。おのれ、妖の類め」

「ダダ漏れだったよ、ドス黒いのが!」


 こめかみを抱えながらため息をついているのは、饅頭屋『夾竹桃(キョウチクトウ)』の主人、通称六さんだ。今はもう経営全般を息子に譲っているので、悠々自適とした趣味人として生活を送っているが、解師の情報屋という裏の顔も持っている。

 彼の感性に触れる話を仕入れると、こうしてみやげの饅頭を持って『空や』に雑談しに来るのが常であった。

 六はカウンターに風呂敷を広げると、苺抹茶大福なる新商品を披露しつつ戸棚から煎茶を取り出した。まさに勝手知ったる人の家である。


「なぜ素直に苺大福にせず抹茶を投入したのか、理解に苦しむんですよねぇ」

「そりゃ人生は挑戦だからさ、立ち止まっててもらつまらねぇ。まあ絶対美味いから、騙されたと思って食ってみなって」

「はいはい」


 おざなりな返事とともに大福を摘む。ふんわりと柔らかく沈み込む指先に、包まれた苺がもの凄い存在感を主張してくる。一口頬張ってみると、なるほど濃厚な抹茶餡とさっぱりした苺が絶妙に調和していて美味しい。残りを口に放り込んで十分堪能してから煎茶をすすった。


「まあ、悪くはないかもしれないような気がしないでもないというか」

「素直じゃないねぇ、夭ちゃんは」

「大きなお世話です。それで六さん、どんな話を仕入れてきたんです」

「長屋の人食い鬼って奴だな」

「ほう、聞こうじゃありませんか」


 夭夭は、もう一度湯飲みを口に運ぶと、六の話を聞くための準備を整え始めた。部屋の中央にある旧式のストーブに薬缶を置き、深緑色の膝掛けを広げるとそっとゆずの体を持ち上げた。ゆずは一瞬片目を開けて様子を窺っていたが、膝に乗せるとすぐにまた丸まって目を閉じた。

 いつもの手順、決められた様式美というものだ。それらが全て済むまで六はじっと待ち、薬缶から湯気が立ち上る音とともに静かに語り始めるのだった。

以前より書きたかった和風ファンタジーです。

いかがでしたでしょうか。

狐の可愛さが少しでも伝われば嬉しいと思っています。

今後もどうぞよろしくお願いします。

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