五月の鷹
クオ・ヴァディスより後、永遠の王からは1年くらい経っている
エピローグ的な
彼は、赤の国に関する噂を、身体が動くようになってから集めていた。
流石の帝国といえど、帝都が消し飛べば大きくダメージを受けるらしく、異国に留学していた第五皇子と、僻地に飛ばされていた第三皇子が御輿として担ぎ上げられ、二つに分裂したそうだった。その結果、赤の国は優先順位の問題で放置され、占領状態にはないらしい。それ自体は僥倖だ。しかし、それ以上の情報はどうも不明瞭である。
「赤の国に戻るのか?相棒」
「…ああ。今の私にあの場所に戻る資格があるかはわからないが…せめて、様子くらいは見ておきたい」
「久方ぶりですね、兄上」
赤の国の王都まであと一息というところまで来た所で再会した人物に、彼は顔をほころばせる。
「ああ、久方ぶりだな、モルドラン。達者なようで何よりだ」
異父弟にして彼と同じく円卓の十二人の騎士の一人であるモルドランが、乗ってきた馬から降りて兜の前を開けた。
「兄上こそ、何処へ行っていらしたのですか?王が崩御された事は知っていますか?」
「…ああ。私が看取る事になったからな」
「…え」
虚を突かれた顔をした青年に少し訝しげな顔をしつつ、彼は言う。
「今際の時に王から託された聖剣が帝国の手に渡らぬよう、この地を離れていたのだ。だが、その心配もなくなったので、戻ってきた、というわけだ」
「そう…ですか…兄上が」
青年は俯く。
「…父上も、聖剣も、兄上を選んだのか」
「モルドラン?」
青年は剣を抜いた。彼は反射的に自分も剣を抜く。剣と剣がぶつかり合う。
「どういう事だ、モルドラン!」
「兄上、あなたにはわからない。選ばれ、愛され続けるあなたには、否定され続けた私の気持ちはわからない!」
万全の状態であれば、円卓最優の騎士とも謳われた彼が青年に後れを取ることなどあり得ない。だが、今の彼は十分に動く事も出来なかった。殺されないよう、防御に徹するだけでいっぱいいっぱいだった。
「モルドランっ!アルトリウス王は…叔父上は、円卓の騎士が相争うことは望まぬはずだ!剣を収めろ!」
「王の望み?…くくっ、であれば、猶更私は剣を収めるわけにはいかない。…私は、アルトリウスの望みを否定する!」
青年は狂ったように笑う。何らかの理由で精神の均衡を欠いてしまっているようだった。
「モルドランっ…!」
「さようなら、兄上。冥府で王によろしく言っておいてください」
彼の所持していたなまくらのの剣ごと、青年は彼を袈裟がけに斬る。彼はその場に崩れ落ちた。青年はそのまま馬に飛び乗り、王都へと駆けていく。
「ぐっ…モルドランっ…」
彼は青年を追いかけようともがく。そこに異変を感じ取ったドラゴンが舞い降りた。
「相棒、一体どうしたことだ」
ドラゴンの胸には、彼の受けた傷を鏡映しにした様な傷が出来ていた。
「モルドラン、が…」
ドラゴンは目を細め、彼を抱えて地面を蹴った。50フィート程も舞い上がっただろうか。遠くに懐かしき赤の王都と、そこに向けて駆ける馬に乗った騎士が見えた。王都は最後に見た時よりはマシになっていたが、復興は思った様には進んでいないようだった。
ドラゴンは大きく息を吸い、火球を吐いた。それだけで、青年は消し炭になってしまった。
「っ…赤の王っ、何故、モルドランを殺したっ!」
「では聞くが、殺さずして、どうしろと?」
「それは…」
返答に躊躇い、思考の末に彼は悟る。彼はドラゴンを納得させる事は出来ない、と。
再び地に降ろされた時には、既に彼の負った傷は殆ど回復していた。ドラゴンが彼に問いかける。
「どうするのだ?相棒」
「…どうもしない」
彼はやっと、己が人間ではなくなっていたことをはっきりと自覚した。それと共に、彼とドラゴンがどうやら魔術的に繋がってしまっているらしいことも。
「ところで赤の王、私を相棒と呼ぶのは、私の名を知らぬ為、ではないだろうな?」
「俺がいちいち人の子の名を覚えていると思うのか?それを言うのなら、赤の王とは人の子が勝手につけた名であり、俺の名ではない」
「む、そうなのか」
おそらく覚えていないだろうとは思っていたが、赤の王とは名ではないとは彼は知らなかった。
「折角なので尋いてやろう。人の子よ、お前の名は何だ?」
「私の名は…」
言いかけ、彼はいや、と首を振る。
「ゴーヴァンはあの日、赤の王の封印を解いたことで死んだ。此処に居るのはただの放浪者だ」
それは、過去との決別を意味する言葉だった。
過去の、騎士王の騎士としての己への回帰を諦める言葉だった。
「そうか」
短く返し、ドラゴンは己の名を彼に告げた。
「…随分と、ありふれた名だな。もっと大仰な名を持っているかと思っていた」
「俺自身呼ばれなくなって久しく、忘れかけていたところだ。多分間違っていないだろう」
「そうか。…アーサー、君はどうするつもりなのだ?」
彼は初めてドラゴンにその意思を問いかけた。