クオ・ヴァディス
ブックシェルフにあるネタよりも過去の話です
赤く染まった街。赫く、紅く、常と違う赤に染まった街。
赤の王の力を擁し、賢王アルトリウスに守られていた小国は、一晩で地獄へと変えられた。
「…相棒、どうした?酷く魘されていたようだが」
「あ…ああ…何でも、ない。嫌な夢を、見ていただけだ」
小さく首を振って、青年は身を起こす。青年の顔を覗き込んでいた赤いドラゴンは、僅かに眉根を寄せて小さく唸るように「…そうか」と呟いた。
「お前は万全ではないのだ。あまり無茶はするなよ」
「…私に再び万全になる時が来るか、疑わしいものだがな」
青年は己の手を見る。くまなく呪印が刻まれた四肢は、最近漸く生活に支障なく動くようになってきた所だった。昔の様に、一騎当千の将として動けるようになるまで幾らかかるものか、そもそも、昔の通りに動けるようになるのか、疑わしくすらあった。
「俺は出来る限りのことはした。後はお前次第だ」
「私次第、な」
ぐっと、青年は拳を握りこむ。そして立ち上がってドラゴンから離れて歩きだす。
「顔を洗ってくる」
それを見送り、ドラゴンは小さく溜息をついた。
青年は井戸から汲み上げた水で顔を洗い、そのままぼうっと水面を見おろした。
緑色の、しかし左右で違う瞳。その左目は赤の王の四つの瞳の内一つを移植したものだ。それが、彼をこの世に繋ぎとめている。
青年は溜息をついて左目を眼帯状の布で隠す。呪印の刻まれた四肢も人から奇異の視線を受けるに足るものだが、この縦に割れた瞳孔を持つ目よりはマシだ。
「…だいぶ、髪も伸びてきたな」
青年の部族の男は、伝統的にその髪を切る役目を身内の男性に任せる事が多い。彼も例に洩れず、彼の事をよく可愛がって気にかけてくれていた叔父に髪を揃えてもらっていたものだった。
だが、今はそういうわけにはいかない。伸ばしっぱなしにしないのであれば、自分で切るしかない。
「…まだ、暫く伸ばすか」
何となく、そんな気分にはならなかった。まだ繊細な動きをするには不安があるのだと己に言い訳し、青年は髪のことを思考から外す。
「はっはー、今日は大猟だな、相棒」
「…私は一羽しか落とせなかったがな」
上機嫌に笑うドラゴンに青年は小さく首をすくめた。目の前には、二十数羽もの撃ち落とされた鳥が転がっている。その殆どがドラゴンの吐いた火球によるもので、羽が黒く焦げているものも多くあった。
「元気になる為には沢山食べるべきだぞ、相棒」
「無茶を言うな。君の基準で言われては流石に困る」
青年とドラゴンの間には、相応の大きな体格差がある。ドラゴンは、頭の先から尾の先まで、およそ100フィート以上あるのだ。精々6フィート程度の青年とは比べるべくもない。そもそも、ドラゴンはある程度己の躯の大きさを変えることができ、現在の姿も本来の大きさではないのだが。本来は、更に巨大な体躯をしている、らしい。
「うむ、人は小さいからな」
「私からすれば、君たちドラゴンが大きすぎるのだ、と言いたい所だが」
そう返しながら、青年は自ら射落とした鳥の羽根をむしる。ドラゴンは薪に小さく火の息を吹きかけて着火すると、己の獲物をそのままバリバリと噛み砕き食べ始めた。青年はドラゴンの作った焚火で鳥を炙る。
「…赤の国は、今どうなっているのだろうな」
ぽつりと、青年が呟く。それが聞こえたのか聞こえないのか、ドラゴンはバリバリと音を立てて鳥を咀嚼している。
「…私は、民を見捨てたのだろうか」
西の集落へ盗賊の討伐に出た青年が王都に戻った時、そこは既に壊滅的な打撃を受けた状態にあった。青年を除く円卓の十二人の騎士も、円卓の中心たる騎士王も、赤の王とは正反対の力を持つらしい白の王の力で全滅と言っていい状況に追い込まれていた。特に、アルトリウスは赤の王の力で白の王の力を抑え込もうとしたのか、酷く消耗し、青年に聖剣を託して事切れてしまった。
その後の己の選択を、青年は後悔していない。だが、己の選択が騎士として、王から剣を託された者として、正しいものではなかったのだろうとは、思っている。しかし、彼には、"それ以外"を選ぶ事はできなかった。
「…私は、聖剣を受け継ぐべきではなかったのかもしれない」
青年は、かつて持っていた太陽の加護を喪っていた。それは、赤の王の封印を解き、その瞳を与えられて永らえた事を知った時に気付いたことだが、もしかするとそれより前に既に失っていたのかもしれない。
「相棒はうじうじ面倒臭く考えすぎではないか?」
「…君はもう少し物事を深く考えるべきだと私は思うぞ」
ドラゴンの鼻息で鳥の羽根が舞い上がる。
「馬鹿の考え休んでにやり、だ」
「休むに似たり、な」