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君に恒久の平和あれ


「優・良・秀ときて、何で『平』なんだよ! しかも『(つね)に』だぞ恒に!」



酔うと5回に1回はでるいつものグチに、今日はどう返したものか考えようとして、和佳はそれをやめた。

正直この日は和佳自身もかなり酔っていたので、ほとんどまともな思考など働いていなかったからだ。

そしてその後の出来事と、それ以降も続いている「ある事実」を、いっそ酒の力で忘れてしまえればいいのに忘れられないことを悔やみながら、今日も多分同じことを繰り返すのだろうと、酔い始めた頭で考えていた。




△▼



深草第一マンション幼馴染メンバーの内、小学校入学前に越してきた昭栄以外は生まれる前からの付き合いだが、年長組(和佳以上)の更に兄姉はそうではない。

30年前。6歳の良太と4歳の秀司を連れた土屋夫婦が越してきた時、千佳は10歳で佳大は2歳だった。その2年後の年末に恒平が、翌春に和佳が誕生し、2人が2歳の時に、恒平の父が他界した。それ以降、元々母親同士が友人だったこともあり、土屋三兄弟は忙しい優耶に代わって夏帆に育てられたと言っても、あながち間違いではない。

その後、金城姉妹が生まれ、千佳が結婚して双児が生まれ、昭栄が越してきた頃にはもう土屋家の上二人は自立していたので、彼らは年少組とはあまり関わりがなかった。




△▼




「大の奴が、ようやく結婚決めたらしいな」


久々に実家に顔を出した長兄良太に開口一番こう言われた恒平は、その先に続くだろう内容が、あまりに容易に想像できすぎて腹立たしかった。



「で? お前は?」

「……先週別れたばかりだ」


7歳と6歳の年子の息子達がいるこの兄は、「結婚」および「家族」をとても神聖視しており、その手の話題を末弟に振っては、そのたびに渋い顔をされてもめげない、陽気な36歳の高卒消防士である。

ちなみにもう一人の兄秀司の方は、恒平が「とある事情」から一人の相手と長続きしないのを知っていてたまに訊いてくる、嫌な性格の34歳警察キャリアで、こちらには9歳の息子がいる。


「またか」

「いいだろ別に。それで良や秀に迷惑が掛かるわけでもないんだから、放っておいてくれ」


こう言われてしまうとそれ以上は何を言っても無駄なので、大抵はここで良太もすぐにこの手の話題をやめるのだが、珍しくこの日は諦めが悪かった。


「うちの上司の奥さんが仲人が趣味の人でな、釣り書き預かってんだよ。とりあえず見てみるだけでいいからさ。受け取れ」

「やだよ。いらねえよ。そもそも、三十手前の無職の高卒男と見合いしようって女、そうそういねえだろ。何をどう誤魔化しやがった」


渡されそうになった見合い写真の数に、つい本当のことを自分で言ってしまい恒平は内心かなりへこんだ。


「あー、いや。そこはだな……」

「用がそれだけなら帰れ。オレはこれから仕事なんだ」


それだけ言い捨てると、良太を放置して恒平は財布と携帯だけを持って家を出た。





「三十手前で無職の高卒。ホント、つくづくオレってダメな男だな」


良太から逃げるために仕事を口実にしたが、実際は今日は休みだったので、とりあえず木佐貫家に転がり込んだ恒平が、誰に言うでもなく情けない己の現状を呟いて自嘲していると


「そう思ってるなら、どうにかすべく動いたらどうよ。アンタ資格は無駄にもっているんだから」


自室から出てきた和佳に冷たい目で正論を言われた。


「そーだな。って、お前今からどこか出掛けんのか? 出掛けんなら、ヒマだし車出してやるよ」

「いらない。自分で運転できる」

「そうか。……ところで、何か機嫌悪くないか?」

「気のせいでしょ?」

「いや、絶対悪いって。お前不機嫌な時は口数少なくなるし」


言葉を交わしている内に、恒平は和佳が機嫌が悪いというよりは体調が悪そうだと気付いたが、言っても聞き入れなさそうな気がしたので、言わずに出掛ける彼女を見送った。

そのまま勝手知ったる木佐貫家のダイニングでくつろいでいると、しばらくして昭栄が帰宅した。



「よ。おかえり」

「ただいま恒くん。……他の人は?」


たびたびあることなので、本来の家人以外に出迎えられても昭栄は特に気にせず、一応とばかりに確認を口にした。


「大さんは知らないが、和佳はついさっき出掛けてった」

「そう。で、恒くんは何でいるの?」

「いちゃ悪いか?」

「別に悪くはないけど、恒くん用もないのに居続けはしないから……」


大抵は兄妹どちらかに用があって顔を出し、居ないなら出直し、用を済ませるとさっさと帰るのが恒平の基本である。


「よく見てんなぁ」

「そう、かな」


特にすごくも何ともないと謙遜する昭栄に、恒平は割と本気で感心していた。


「いや。えらいって。そういう細かいとこに気が付くのは、接客業なんかで大事なことだし」


伊達にフリーター歴が長いわけではない。いつも「何か違う」と感じて辞めてしまうが、どのバイトも最初の内は真剣にやっている。その中で身につけた技能の内の一つを、昭栄は自然に習得していると恒平は感じた。



「ねえ、恒くんは何で定職に就かないのか訊いても平気?」


おそらく「接客業」と口にしたのが引き金になったらしく、ふいに昭栄がそう訊ねた。


「あー、いや、就く気がないこともないんだけどな」


誤魔化してお茶をにごしてしまおうかと思う反面、いっそ洗いざらいぶちまけてみるのも一つの手かもしれない。そんな風に考えた恒平が、少し考えて出した答えは「逃げ」だった


「……和佳にでも訊いてみな。あいつの方が巧く解説してくれるだろ」

「和佳ちゃんに?」

「ああ。事情は全部知ってるし、客観的な方が解りやすいだろ?」


案の定昭栄は困惑しているようだった。けれど、恒平は自分の口からは語りたくなかったのだ。



「大学を受験しなかったのと、同じ理由?」


顔色をうかがいながら、「恐る恐る」といった様子で昭栄が訊ねた。


「誰に聞いた」

「千明ちゃん。でも、受験しなかったってことしか聞いてない」


地を這うような声で、表情も険しくなっていたのだろう。昭栄が怯えた様子を見せた。それでも懸命に弁明の言葉を紡ぐ姿に、ほんの少しだけ平常心を取り戻したが「そうか」と極力普段通りの声で返すのが精一杯だった。


「悪いけどオレは、あの頃の話にゃ触れたくないんだ」


良太から逃げてきたのに、今度は昭栄が根を同じくする過去に触れようとしてくる。かくなる上は、まったく別の場所にまた逃げるしかないか。そんな風に恒平が考えていると

「他のことなら訊いてもいい?」

との問いが不意に昭栄から発せられた。



「他、だぁ?」

「うん。もしかしたら、そっちも触れられたくないことかもしれないけど」


双児―特に千明―と知り合って以降、昭栄は妙に積極的で訊きたがりになったもんだな。と、今更ながら恒平は思いながら「言ってみろ」と先を促した。


「……この間見せてもらった写真に、恒くんのお父さんの写真がなかったのはなんで?」


一息に訊いてから、昭栄はまた恒平の顔色をうかがった。


「あー、そりゃ、あのアルバム木佐貫のうちのだからな」


意外にも、恒平は苦笑した程度だった。


「オレも和佳も末っ子、しかも少し離れた三番目だから、上二人と比べて圧倒的に写真の量が少ない上に、大抵男親は写す側にまわるから、うちのアルバムでさえ、親父の写真はほとんどないぞ。……それに、そもそも親父はオレが2歳ん時に死んでるし、形見も写真もほとんどお袋が持ってっから、実を言やオレもよく顔覚えてねぇや」


夏帆曰く、優耶は死んだ夫にべた惚れだったらしい。


「ん? オレ、もしかして親父の顔どころか、名前すら覚えてなくないか?」


昭栄に自嘲気味な解説をしながら、恒平はふと気が付いた事実に愕然とした。確実なのは、夫の死後も籍を抜かなかったので、苗字が「土屋」のまま―優耶の旧姓は「室町」―だということと、だいぶ昔に、

「お前の名前はお父さんから取ったの」

とか何とか、優耶から訊いた事があるような気がしないでもない。その程度のことしかなかった。


「……。わたし、前に夏帆さんと優耶おばさんが『ツネさん』がどうのって話してたの聞いたことあって、それが多分、恒くんのお父さんの話だったと思うの」


自問自答を始めかけた恒平に、昭栄は記憶を頼りに進言してみた。すると、



「恒の父親なら、常久(つねひさ)さんよ」


いつの間にか帰って来ていたらしい和佳が口を挟んだ。



「お、帰ってきたのか」

「悪い? 一応ここあたしのうちなんだけど」

「いや、悪いなんて一言も言ってねぇし」


恒平が何の気なしに言った言葉に和佳が冷ややかに返し、帰って来るなり一触即発ムードになりかかった二人を止めるように、昭栄は目一杯空元気で明るい声を出した。


「お帰りなさい和佳ちゃん。どこに行ってたの?」

「桜町記念病院小児科。ちょっと忘れ物を取りに」


恒平相手ほどではないが、少々低めのテンションでの答えが返って来た。

「桜町記念病院」もしくは「桜町総合」と呼ばれている病院は彼女の勤め先なので、そこまで忘れ物を取りに行くのは何らおかしくないが、病院名を出して言うことは滅多にない。しかもわざわざ「小児科」とつけた意図も解らない。そんなことを考え込んでいた二人を無視して、和佳は一言付け加えた。


「……篠宮(しのみや)さんに会ったわ」

「トキに? 小児科で、か?」

「ええ」

「誰? 篠宮さんって?」


つい疑問が口からこぼれたことで、和佳と恒平の間に妙な緊張感の走ったのをぶち壊してしまったかとうろたえかけた昭栄に、二人は一瞬目を合わせると、和佳が口を開いた。


「恒の、高校時代の彼女。季節の『秋』に『姫』で、篠宮 秋姫(とき)さん。恒の2年下で、高3の時に半年ほど付き合ってたのよね?」

「トキはそこそこ顔も可愛くてスタイルもいい方だったから、オレは軽い気持ちでOKして付き合ってたんだが……」


言いよどむ恒平に、和佳は後を引き継いでいいかとアイコンタクトで確認を取った。


「端的に言えば、トラウマの原因。……ちょうど恒の受験直前の頃に、妊娠騒動が起きたらしいの。一応言っておくけど、あたしは他校だから聞いた話でしか事情は知らないわよ」


そう前置きしてから、和佳は話を始めた。



「発端は、篠宮さんが『生理が遅れている』って言い出して、それを周りが妊娠かと騒いだことらしいの」


それが次第に「妊娠だ」と確定になり、付き合い始めて三ヶ月以上の彼氏―恒平―がいたこともあって、あっという間に校内に噂が広がったそうだ。


「検査薬を買ったり産婦人科に行くのには抵抗があったらしくて、ちゃんと確認しないまま話は『堕ろす』『堕ろさない』の攻防になった時、篠宮さんには産む気なんかなかったのに、恒は必死で『産んで欲しい』って頼み込んで、結婚して妻子を養うために高校辞めて働くことまで先走って考えていたのよ」


当時かなり真剣に相談を受けた身としては、「暴走していた」と評してしまっていいほどだったと和佳は思っている。


「安易に堕ろせって言い出すよりはマシかもしれないけれど、高校1年生の女の子には、重過ぎるわよね、そんな相手。それで色々もめて、学校側でも問題になって、ひとまず決着が付くまで二人共無期限の停学を喰らっている間に、篠宮さんに生理が来たのよ。……要は、単なる生理不順でしかなかったの」


それを誤解して、騒ぎたて、おおごとになりすぎたツケは


「この上なく気まずくなったことで別れて、篠宮さんはその後転校、恒はそのまま進学も就職もせずに今に至っているわけ」


以降、恒平は過去に囚われ、何事にも真剣に取り組めなくなった。就職にしても恋愛にしても、再び破綻すること恐れて身動きが取れなくなり、結局放り出してしまう。ずっとその繰り返し。



「……。恒、あたしは『小児科で篠宮さんに会った』って言ったわよね?」


自分では決して語りたくなかった―思い返したくなかった―過去を、思いがけない方向からさらされる羽目になり、完全に沈み込んだ恒平に、和佳が少し眉をひそめ先程の話題をぶり返した。


「でも、実際は『篠宮秋姫』じゃなかった。こう言えば解るわね?」


まともに思考が働いていない様子の恒平よりも早く、昭栄は和佳の言わんとすることがわかった。


「結婚して子供がいる。ってこと、だよね?」

「結婚したのは3年前で、もうじき1歳になる子供が一人。その子が里帰り中に熱を出した。って言っていたわ」


その言葉に、わずかに恒平が反応を見せた。


「彼女ね、今幸せなんだそうよ。決してアンタとのことを忘れたわけではないけれど、もう過去のことだと割り切ったって」

「そう、か」

「だから、アンタもいい加減過去に囚われ続けたり、それを言い訳にするのやめなさい。……別に『定職に就け』とか『ふらふらするのやめろ』とは言わないから、せめてもうちょっと、何にでもいいから真剣に取り組んでみなさい」


ここで「定職に就けとは言わない」と言える和佳はすごいと思いつつ、昭栄はまたも空気をぶち壊すような疑問が浮かんでしまった。


「ごめんなんだけどー、和佳ちゃんとそのトキさん? て顔見知りだったの? とか訊いても…」


最近の昭栄は「好奇心第一優先」がモットーらしい。ただし、生来の大人しめの性格と相成って、控え目にではあるのだが。


「恒と付き合ってた当事、何度か遭遇しているからね」


気を悪くした様子もなく答えてくれる和佳ちゃんは大人だ。そんな下らない感想を抱くくらい、考えてみれば当然の理由だった。


「でも、お互いよく判ったな」


少し復活した恒平が呟いた。確かに、高校時代と現在ではだいぶ変わっているのだから、気付かない可能性の方が格段に高い。


「うちの学級の子と話していた所を話し掛けられたの」


さほど珍しい名前ではないが、地元でフルネームが同じ人は知る限りではおらず、加えて実家の母から世間話で「地主のお嬢さんが桜町総合で働いているらしい」と聞いていたので、「もしかして」と思い声を掛けたそうだ。


「さっきも言った通り『自分は今幸せだ』ってことを伝えたかったのと、恒の近況が訊きたかったんですって」


面影は残っている以上、名乗られれば判る。そういった状況だったそうだ。



「……ところで、なんで恒くんは、そんなに赤ちゃん産んでもらいたかったのか、訊いてもいい?」


自分ひとり蚊帳の外状態なのが寂しくて、わざと質問をして割り込んでいたのだと気が付いたのは後日。

とりあえずこの日の昭栄は、無邪気に質問を繰り返していた。



「あたしが? 自分で?」

「あー、んじゃ頼む」

「了解」


まるで、「赤ちゃんってどこから来るの?」と小さな娘に訊かれた時の両親の様な苦笑で、二人は目くばせしあっていた。


「恒はね、こう見えてものすごい『家族』への憧れが強いの」


苦笑したままの和佳の言葉に、昭栄は耳を疑った。


「え? だって恒くん、お父さんは亡くなってるけど、お母さんもお兄さん達もいるよね??」


両親を亡くした水嶋の双児や、親と離れて暮している一人っ子の自分が。というのなら解るのだが。


「それが、上の二人とは父親が違うし、常久おじさんが亡くなってすぐに別の人がお父さん面して家に出入りしたからって、うちとかお姉ちゃんやきえのところに、すごい憧れを持っているらしいの」


解説しながら和佳は呆れているが、昭栄にはまたも初耳すぎることだらけだった。


「恒くん、良兄や秀兄とお父さん違うの!?」

「再婚を機に、ここに越して来たんですって」


実を言うと、本当は3人総て父親が違うのだが、本人達はそのことを知らなかったりする。


「だから、兄貴共や親父の写真があんまり和佳達のとこのアルバムにねえんだよ」


恒平の言葉で一つ合点がいった。それなら、和佳と恒平が一緒の写真はそれなりの数があるのに、千佳と佳大の間の年齢の良太と秀司の写真がないのに説明が付く。相変わらず、そんな横道にそれた考えしか昭栄には浮かばなかった。


「うちも全員年が離れているからまぎれているけど、恒の所は恒だけが離れているのもそれが理由なのよ」

「ついでにオレだけ名前の方向が違うのもな」


ぼそりと自嘲気味に呟いた恒平に、ついに和佳がキレた。



「あーもう。またそうやってグダグダと! いい加減聞き飽きた。だから、本当は優耶さんから内緒だって言われていたけど、この際だから話すわ。……恒の、『恒平』って名前はね、『常久』から取った以外に、『優れている』とか『秀でている』みたいに、他人との比較で決まるものではなく『つねに平穏で平和で平常心であれ』って意味を込めて付けたんですって」


それなりに大それた由来である。しかし、何故恒平本人も知らないことを和佳が知っているのか。

そんなことを目の前の二人の考えを察してか関係なくか、和佳が続けて叫んだ。


「ついでに、常久おじさんが亡くなった後出入りしてたのは、優耶さんの元同僚兼元彼で、ストーカー一歩手前で勝手により戻そうとして結局優耶さんに叩き出されてるから。……ったく、みんなして『和佳に教えておけばどうにかしてくれるだろう』って思っているのが、正直重いのよ!」


面倒見の良いしっかり者とは、思いのほか気苦労が多いようだ。


「あたし末っ子よ。しかも上とはだいぶ歳の離れた。それなのに、何で長女気質なわけ? 双児ときえとナル・マサくらいまでならいいわよ。年下だし、面倒を見る理由もちゃんとあるもの。だから、事情を 聞かされるのも、別に構わない。でも!」


そこまで言って和佳は恒平をにらんだ。


「あー、はい。オレらについては、年上なのに殆んど頼りにならなくて悪い。けどよ。お前、なんだかんだ言って世話焼くの好きだろ?」


慣れているのか、恒平は一応謝りはしても動じていない。しかし昭栄にとっては、こんなに感情の昂ぶっている和佳は、初めて見ると言っても過言ではなかった。


「それは否定しないけど、たまに疲れるのよ。仕事も色々難しい子相手だし」


病気や怪我で長期入院している子供達は、入院理由も退院時期も年齢も勉強の進み具合も状況も何もかもが違う。そんな子供達に気を使いながら勉強を教え、帰宅したら兄と居候をはじめとするいつものメンバーの世話をやく。そう考えると、精神的にだいぶ過酷な生活である。



「仕事も自分で選んだんだろうが。……グチならいくらでも聴いてやる。飲みたいなら付き合う。甘やかせってんなら、目一杯、好きなだけ甘やかしてやる。泣きたい時は、胸でも肩でも背中でも好きな所貸すし、見ない振りがいいならそうしてやる。だからチビ共の前では『弱い自分』を見せないんだろ?」


弱音をはきそうになった和佳に、恒平が呆れた様子ではなく当然のように笑いかけた。「飲む」以外は千佳達の事故後、周囲を支えるために「弱音はアンタの前でしか言わないようにする」と和佳が宣言した時に恒平が誓ったことそのままだが


「それを、きえの前でばらしてどうするのよ。この馬鹿!」


真っ赤になった和佳が怒鳴った。

それも当然だろうと感じつつ、以前千明が言っていた「和佳のグチの捌け口」は大方恒平だろうとは思っていたが、ここまでだったか。と昭栄はしみじみと砂を吐きたくなった。


「……仲良いね。二人共」


軽い呆れを含みつつ呟くと「「付き合い長いし」」と声を揃えて答えられてしまった。


「うん。でも、なんて言うか、それだけじゃなくって…ああいいや。やっぱり何でもない」


お互いそれが自然なのなら放っておいた方がいいと、無意識で思い昭栄は言葉を飲み込んだ。

それからしばらくして佳大も帰宅したので、この日の収穫は恒平の名前コンプレックスと過去のトラウマについて聞けたこと。そして、平和の結びつきが、思いのほか深そうだと感じられた程度だった。



▽▲



夜中にふと目を覚ました昭栄がキッチンに水を飲みに行った際に、ダイニングのテーブルに突っ伏して寝ている和佳を見つけたのは、話を聞いた数日後のことだった。


相変わらず頻繁に2人で飲んでいるようなので、そんなにもストレスが溜まっているのかと思い、何も出来ない自分が情けなくなった昭栄は、せめて和佳を起こして部屋に戻って寝るよう勧めるか、それは無理でもタオルケット何かを持ってきてかけてやろう。と考え、和佳に近づいた。

そこで、彼女は見つけてはいけないものを見つけてしまった。

まず、かすかに漂うボディソープの香りが普段使っているものと違う気がして、次に首筋とわずかに開いた胸元に紅いものが見えた。さらに、―正確にはいつだったかは忘れたが―何日か前の夕食時に和佳の首筋に紅いものを見つけた正己が「虫刺されか」と訊いたら、紅くなってそこに手をやった和佳が、恒平の足を思いっきり踏むのが、昭栄の座っていた位置からは見えてしまっていたことを思い出した。


揺り起こそうと肩に手をやりかけたところで昭栄が硬直していると、和佳は少し身じろぎして


「素面、で…言って…みなさ、いっての、よ。ばぁか」


と呟いた。それが寝言だと解ってはいるが、何となくいたたまれなくなってきた昭栄は、和佳を起こすのを諦めて自室に戻った。




和佳が病院に運ばれたのはその二日後。「切迫流産」でだった。

付き添った恒平から「安静のために数日の入院することになった」と聞いた時、大騒ぎする正己とは対照的に、昭栄は頭のどこかで妙に納得していた。


「……なっちゃんは、知ってたの?」


自分と同じく、何か思うところのありそうな表情で黙っていた成実に小声で話しかけると


「これでも一応あんたらよりゃ大人なんでね。というか、成人連中はみんなうすうす何かあったことには気付いてたよ。細かいことについては本人達以外知らないけど」


当然のようで衝撃的な答えが返って来た。

さらに、その後千明にも同じことを訊いてみるとほぼ同様のことを言われた。ただ、ひとつだけ「いい加減、大さんが動くかな」と付け加えるように呟かれた意味だけは解らなかったが、


「気になるなら訊いてみな。多分、ここまできたら和佳さんも、話してくれると思うから」


苦笑しつつ千明はそう言って締めくくった。




△▼




昭栄が千明の言葉に従い、翌日和佳の見舞いに訪れる前。和佳が入院した当日の夜。恒平は閉店して誰もいない「和」に呼び出されていた。

呼び出したのはもちろん店主の佳大で、理由は「誰の邪魔も入らないから」だった。



「単刀直入に訊こう。恒平。君にとって和佳はどういう存在だい? 口うるさい妹? 気の合う友人? それとも、いっそ姉?」


真顔で、落ち着いた年相応の口調。物心付いてから二十年以上の付き合いになるが、彼のこんな表情を見るのは初めてだ。と恒平は思った。


そもそも、呼び出された時からして普段と様子が違いすぎていたことを思い出す。佳大は、

「和佳の兄として話がある」

と言って彼をここまで連れてきたのだ。


マンションからの五分間。一言も口を利かずに連れ立って歩き、着くなり静かに問い掛けられた内容はほぼ恒平の予想通り。だからわざとはぐらかしてみた。


「そういう風に目が据わってっと、意外にアンタら兄妹似てんだな」

「恒平?」


威圧するような冷たい声。それすら似ている。恒平はそう感じた。


「答えりゃいいんだろ。答えりゃ。……正直、オレ自身にも良く判らない。『姉』でないことは確かだけどな」


自分の想いと向き合いながら、恒平は言葉を捜す。


「……『妹』ってのも、どこか違う気がする。『幼馴染』や『友人』じゃ足りない。けど、『親友』も何か違う。傍にいることが当たり前で自然。……恋愛感情でもない、のか?」

「大切な存在ではある?」


声に出して自問自答をくり返す恒平に、佳大が「それだけは確認したい」とばかりに口を挟んだ。


「ああ。そうだな。それは間違いない」


そうとしか言い切れないのが口惜しい。そう思いつつ恒平が答えると「なら良いかな」と佳大が普段の表情と口調に戻って呟いた。


「実を言えばね、和佳から相談されてたんだ」


ニコリ。といつも通り笑う佳大に、恒平は妙にいらだちを覚えた。


「相談内容、聞きたい?」

「いい」


内心で「この狸親父が」と悪態をつき、それから「大体判る」とだけ投げやりに返した。


「そっか。それじゃ一個だけ。グチの中で『素面で言ってみろってのよ、あの馬鹿』ってもらしてたよ」


昭栄が聞いた寝言と同じ言葉。つまり、それだけ腹に据えかねた本音だったと言うことだろう。



「……あ!」


一瞬何のことだか解らず考え込み、それから思い当たる節を見つけた恒平は一気に真っ赤になった。


「うわ、オレ最低。大さん以上のヘタレじゃねえかよ」


思わず恒平がこぼした呟きを、佳大は聞かなかった振りをした。




△▼




「詳しくは話したくない。と言うか、酔っていたから覚えてないことも結構ある。けど、まあ、一言で言うと、酔った勢い?」


見舞いに行き「話を訊いてもいいか」と尋ねたら、開口一番こう言われた昭栄は、どんな反応をしていいか判らなかった。


「和佳ちゃん。出来れば、その、もうちょっとオブラートにつつんだ表現でお願いします」


あまり、親しい相手のその手の生々しい話は聞きたくないので控え目に頼むと、「無理」と一蹴された。


「色々省くのが限界。だからちゃっちゃと話すけど、恒とは勢いと流れと惰性で、1年位前からかな?その間あっちに彼女がいたことはあったけど、例によって例の如く2~3ヶ月もてばいい程度の周期で換わってたわね。最短は確か10日。で、あたしの方は別れたばかりの頃で……」

「和佳ちゃん彼氏いたの?」


宣言通りのマシンガントークに面食らいながらも、疑問に思ったことにはすぐ食いつく昭栄に和佳は呆れた声で、それでも律儀に答えてくれた。


「あんたね、あたしをいくつだと思っているの。恋人がいたことがあるどころか、プロポーズされた経験もあるわよ」


確かに、才色兼備な27歳の女性に、「恋人がいたことがあるのか」は間抜けな問いだったとは思うが


「プロポーズ……されて断ったの?」

「あたしから断ったことはないわ。ただ、条件を挙げると向こうが撤回して別れる羽目になるの。お見合いでも同じね」

「ち、ちなみにどんな条件?」


それなりに美人で背も高くスタイルも良く、仕事も家事もこなし、性格も―少々口うるさいが―抜群。と条件的に申し分のない和佳がことごとく振られるとは一体どんな条件だというのだろうか。


「姉の忘れ形見が最優先。次に兄で、下手したら幼馴染の店子達を優先する場合もありますが、それでもいいですか?」


しれっと言ってのけた和佳の答えに、昭栄は頭を抱えた。確かにこの条件では「それでもいい」と思う男はそうそういないだろう。


「千明ちゃんはともかく、ひろ兄やわたし達まで?」

「別に、本気でそうするつもりじゃないわよ。ただ、ありえないとも言い切れないから、試しに条件として提示してみているだけ」


相変わらず悪びれた様子もなく言い放つ和佳に、夏帆に似た強引さを昭栄は感じ取ったが口には出さなかった。


「……。恒くんなら、その条件でものみそうだね」


ふと思いついてしまい、さらにそれを試しに言ってみると


「そうなのよねぇ。だからアレが素面でプロポーズしてきたら受けようかとも考えちゃったから、今こうして入院する羽目になっているような……」


言ってしまってから、「失言した」とばかりに和佳は天を仰いだ。

その後しばらくの間あさっての方向を向いて黙りこみ、話したくなさそうにしていた和佳から、目を輝かせ興味津々な昭栄が聞き出した所によれば、酔うと恒平はかなりの割合で口説いてきたり、時にはプロポーズまでしてきたらしい。



「酔っ払いの戯言だし、篠宮さんのこと吹っ切れてないみたいだから、聞き流そうとはしてたんだけどねぇ……」


そう付け加えながらも、和佳は少し嬉しそうだった。




「ねえ、和佳ちゃん。今思ったんだけど、こないだその篠宮さんの話が出た日、本当に病院(ここ)で会ったの?」


考えてればタイミングが良すぎるのではないかと突っ込みを入れると、和佳は一瞬目をそらし


「結婚して、子供も生まれたのは本当。彼女里帰り出産で、産んだのは実家の近所の助産院らしいけど、同じ所で産んだお母さん仲間から聞いたの」


話してくれたのは、当時の事件を知る、地元民かつ和佳の生徒の母親兼学生時代の知人で、秋姫の子と同い年なのは下の子らしい。


「多分、恒も『会って話した』はウソだって気付いていたと思う。何しろ彼女、あたしのこと目の敵にしていたからね」

「は?」


目を丸くする昭栄に、和佳は少し苦笑しながら考えるような仕草をして


「確か『幼なじみだか元カノだか知りませんけど、恒平先輩と仲が良いの見せ付けるのやめてくれます?』だったかしら」


当時の秋姫に言われた、見当違いな牽制のセリフを教えてくれた。


「あたしとしては普段通りに接しているのに、彼女が勝手に何やら誤解して突っかかってきてね。それを流してたらキレちゃって」


和佳は笑い話のように言うが、もしも自分の彼氏の傍に、自分よりも彼のことをよく知っていて、親しげでおまけに歳の近い女子がいたら、嫉妬して相手に食って掛かるかもしれないと昭栄は思った。


「あー、でもそれは確かにわざわざ声掛けてはこないかも」


和佳が妙な所で鈍いことにつっこみをいれるのはやめ、とりあえず賛同しておいた。


「でも、恒くんウソだって解ってたなら、何であんなこと訊いたんだろ」

「恒も、きっかけがあれば吹っ切りたかったんじゃない? だからあたしはアイツの望む答えをあげたの」


やはり、昭栄があの日感じたが口に出さなかったことは正しかったようだ。


「愛されてるね。恒くん」

「そうね。まぁ、恋愛感情じゃないけど」

「じゃあ何?」

「家族愛、かな。強いて言えば。でなきゃ友愛?」

「友愛で子供産む気になるかなぁ」

「それもそうね。それじゃ家族愛で」


くすくす笑いながら顔を見合わせて話す女二人の方が、ヘタレな男二人よりもよっぽど大人で現状を良く解っていた。


「……アキとナルからさ、『きえが進路で悩んでる』って聞いたけど、今もまだ悩んでる?」


ひとしきり笑いあった後、まるで母親のような姉のような優しい表情で和佳が尋ねた。


「……うん。正直まだちょっと」



前ほどその話題が辛くなくなったとはいえ、それでも何も先が見えていないのは事実だった。



「参考になるかは判らないけど、あたしが今の仕事を選んだきっかけは、アキとハルだった。あの子達が入院中に『そういう仕事もあるんだ』って知ったからね。けど、本格的に『先生』になろうと思ったのは、きえ。あなたのおかげなのよ?」


自分に向かって微笑みかける和佳の言葉に、昭栄は耳を疑った。


「宿題やその日習ったことで解らない所があると、あたしに訊いてきたよね? で、解るとすごく嬉しそうに笑って、時には目を輝かせて感激さえして―」


目を丸くして言葉を失っている自分に語りかける和佳の口調は、この上なく優しかった。けれど昭栄は


「でも、それはまぁちゃんや、時々なっちゃんだって」


ついそんな風に反論してしまった。



「確かにそうね。だけど、ナルは勝手に納得したらさっさと行ってしまうし、マサは聞いているようで聞いていなかったり、妙な理解をしたり、ナルや恒の教えるウソとかでたらめまで信じるじゃない。真面目に最初から最後まで聞いた上でキチンと理解して、きっちり身に付けて実践するのはきえだけだったわ。……それと、実はあたしアンタに『すごい』とか『ありがとう』って言われるの好きなのよ」


金城姉妹のことの時だけ、当時を思い返したのか軽く眉をひそめ、最後には照れ笑いを浮かべた和佳に、昭栄はしばし見惚れていた。


「あたしが思うに、きえは人の話を聴くのが上手いのよね。特に、黙って静かに聴くことと、さりげなく相づちを打つのが」


それはつまり、最近の「疑問をすぐに口に出す」聴き方はあまりよくないということかと思い訊こうとすると、先手を打たれた。


「もちろん、感じたことを素直に訊けるようになったのもいいことよ。それに、所詮はあたし個人の意見でしかないから、あまり思い悩まないでちょうだいね」


そう言われてしまっては、昭栄にはそれ以上何も言えなかった。



「そう。これはあたし個人の意見。でも、多分他のみんなも同じように思っているんじゃないかしら?」


うつむきかけた昭栄の顔をのぞきこみ、和佳が付け加えた。


「……案ずるより産むが易いから、当たって砕けてみるのもまた一興」


ふと、以前千明に言われた言葉を思い出し呟くと、今度は和佳が驚いた顔をした。



「どこで聞いたの? それ、母さんの口ぐせでお姉ちゃんの座右の銘よ。その言葉に背中を押されて、義兄さんを追うのを決めた。って聞いたわ」


道理で千明が「アドバイス」として授けたわけだ。


「千明ちゃんに聞いたの。『だから、訊いてごらん』って」

「ああ、それで最近やけに積極的だったわけね。本当、アキってば母さんやちーちゃんそっくりで人の背中押すの上手いわ」


感心する和佳に「和佳ちゃんも上手いよ?」と昭栄は言ってみた。





△▼




いつだって平穏に暮らせるように

平常心でいられるように

この平和を守ると誓おう

そんな愛し方でいいだろう?

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