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それをさて、何と呼ぼう


「おお、確かにあばれうさぎがいるな!」

 カウンター席を遠巻きに見つめる人々の間を縫って、感心したように叫んだ男が一人。

 あ、矢萩だと誰かが言った。また来てたんだと別の者も言った。


 日は暮れ、気取らない相手と酒と会話を楽しむための店において。

 今日この時は、人々はひそひそとカウンターにいる人物を見て話していたのだ。

 そしてその人物が起こした騒動を。その声が、噂をされている本人に届かないはずがない。

 そこへ、火に油を注ぐがごとく、あっけらかんと矢萩は言い放ったのだ。

 

 矢萩に返されたのは、とても凶悪な視線。その一睨みだけで、気弱なものなら一目散に駆け出しそうな。

 まあとても失礼な言い草ではあったので、当然とも言えた。

 その人物が“あばれた”のは事実としても。

 だが矢萩がそんなものに怯むはずはなく、からからと笑い声をあげた。

「そう威嚇するなって。ところで、手、放してやったらどうだ?そいつ、苦しそうだけど?」

 喉元をぎりぎりと締め上げられた男が、顔を赤くしてもがいている。

「・・・・・・」

 矢萩が呼んだところの、“あばれうさぎ”は、面白くなさそうな顔つきで、掴んでいた相手の襟首を無造作に放す。

どすんと床に尻餅をついた相手は、そういった場合のお決まりの科白を吐いて、その場から逃げていった。

 曰く。

「覚えてろよ~」

「ああ言ってるけど?」

 男が去るのを見もせずに、うさぎは吐き捨てた。

「……僕には関係ないね」

「まあいちいち覚えていられないしな」

 矢萩が肩を竦めて言うのにも、返事はかえらなかった。何もなかったように席に座りなおしたうさぎは、さっきまでの騒ぎが嘘みたいな静けさの中で、自分の前に置かれたグラスの中身をあおった。

 話しかけてきた矢萩など、眼中にないように。

「マスター、俺、いつもの」

 わかっておるわい、と気難しい顔をした店主は渋い声を出す。

「飲み屋で、しかも夜に茶を頼むのはお前くらいだ」

 いつもの茶でよいのか、と尋ねる店主に、それでいいと矢萩は答えた。

「ここ、座っていい?」

「・・・・・・・どうぞ」

 沈黙の前には、おそらく“勝手にすれば”とか、“自分に聞く筋合いないだろ”とか、刺々しい言葉が含まれているものと想像がついた。声だけでなく、視線も態度もますます冷え冷えとしてきた気がする。

 おお、と遠巻きに自分たちを見ていた店内の客も、声なき声でざわめいた。

 “あばれうさぎの隣に座ったぞ”

 “なんて物好きな”

 “あいつ、何も知らないんじゃないか?”などなど。

 その会話で、うさぎがこれまで起こしてきたという、騒動の一端が垣間見えた気がする。

 どう考えても、“うさぎ”に対する好意的な表現はみあたらなかったからだ。

 そうか、そうくるのか。

 なんだか、ますます楽しくなってきたなあ。自他共に認める、“物好きな”矢萩が、思わずへらりと笑っていると、真横から思い切り不審げな視線とかち合った。白い毛で覆われ、表情など分かりにくいはずの顔だが、何故だかわかった。 

 それが、不審を通り越して、威嚇に変わる前に、矢萩は視線をもどす。

 いかん、本当に楽しいかもしれない。

 もし、“うさぎ”がこれを聞いたら、怒るに違いないと思った。



 それは、本日の昼間のこと。

「おお、矢萩久しぶりだな」

 あちこち行くのが趣味(と実益を兼ねている)の矢萩でも、馴染みの街というのはある。訪れるのが年に一度、数年に一度という割合でも、それだからこそか、顔なじみになるものがいた。

 街の食堂で、遅い昼を食べているとき、この街の喫茶店の主人が声をかけてきた。

「久しぶり。元気?ええと二年ぶりくらいかな?」

「まあそれくらいだろ。見てのとおりだ。お前さんも相変わらずふらふらしてるのか?」

「まあね~。そうだ今渡しとくよ」

 そうそう、渡すものがあったんだよと手を打ち合わせ、スプーンを皿の上に放り出して、床に置いた大きな荷物をかき回しだした矢萩に、彼は首を傾げた。しばらくあれでもないこれでもないと引っ掻き回して、あああったと、ようやく目当てのものを見つけた矢萩は、小さな紙袋を取り出した。

 何の変哲もない、茶色の袋。

「はいこれ」

「……なんだ?」

 手渡されたそれは、かさこそと軽い音をたてている。袋を逆さにしてみると、小さな容器がころりと手のひらに転げ出た。中身は密封された容器に入っているらしいが。首を傾げる彼に、矢萩はにんまりと笑って答えた。

「月の紅茶だよ」

 ああ、あの、と店主は感嘆の声をあげて、目を見張った。

 “月の紅茶”それは、月明かりの元、乙女たちの手で収穫された茶葉で作られた紅茶。産地はとある山地に限られており、また特殊な摘み取り方と言うこともあり、収量も少なく市場には殆ど出回らない“幻の”品だった。

 もともとは、その地の神々への捧げものであったらしい。

「なんとまあ、そりゃ珍しいものを。ありがたくいただいとくな」

 店に戻ったら早速飲んでみるかと嬉しそうな店主に、矢萩は手をはいっと挙げて付け加えた。

「俺が行ったら、飲ませてね~」どんな味か楽しみだなあとうきうきした声音で。

 店主は、はて、と首を傾げた。おかしなことを言う。手に入れたなら、とっくに飲んでいるはずじゃあ。

まさか、まだ。

「そりゃ勿論いいが……お前さんの土産だし。でも、まさかお前さん、相変わらず茶いれるの下手なのか?」

「仕方ないでしょ。お茶好きなんだけどな、俺が淹れるとどうも美味くない」

 だから茶葉を手に入れても、美味く淹れてくれる誰かがいないと、お茶飲めないんだよと顔をしかめてぼやく。

 店主は爆笑したくなるのをぐっと堪えた。そう、珍しいお茶を遠くに出かけてまで手に入れてくるほど、お茶好きな矢萩は、どういうわけか自分でお茶を入れるのが、滅法下手くそだった。 

 一度お茶の淹れ方を教えてくれと言われた店主が、まず矢萩に普段の茶の淹れ方をさせたとき、天を仰いだほどの。同じお茶好きとして許せん、と店主は淹れ方を徹底的に教えた……つもりであるが。

 好きこそものの、という言葉と、下手の横好き、という言葉両方が店主の頭を飛び交っていた。天を仰いだものの、武士の情けと思い、口には出さなかったが。

「もう少ししたら店を開けるから、飯が済んだら来いよ。これ淹れてやるからよ」

 頼むねと矢萩は笑った。

 店主は小さな包みを手の中で転がしながら、そうだ、と思い出したように言った。

「お前、“あばれうさぎ”のことを知っているか?」


 

 一夜明けて、再び街の喫茶店にやってきた矢萩。

 店主との話題は夕べ酒場で会った、“あばれうさぎ”のことだ。

 矢萩と店主は、カウンターを挟んで雑談をしていた。何かが焼けるいい匂いが店内に漂っていた。

 午前中は皆家の用事で忙しいのか、店内に他の客はいなかった。店主が器や菓子を準備する音、時を刻む時計の音……この店で聞こえるのは、そんな穏やかで静かな音だった。この店の中では、時間はとろりとした飴色のように、ゆっくり過ぎるかのようだ。 

 いつだったか閑古鳥が鳴いてるじゃないかと口の悪いことを言った矢萩に、この街ではこんなもんさ、忙しいのは昼からだよと、店主は反論したものだった。

「何それって思ったけどさ、それそのまんまだったんだな」

 事実そのままってのが、結構衝撃な時ってあるもんだなと、一人感心したふうに腕組みをして頷いている矢萩の前に、香り立つお茶が置かれた。取っ手のない、白い器に映える淡い琥珀色の液体が、八分目ほど注がれている。

 お茶請けとして、バターたっぷりに焼きあげたスコーンも添えられていた。この店の名物の一つ、店主手作りの、毎日焼き上げるスコーン。常連客に評判のそれは、代々伝わるレシピで作られているという。

 もちろん、そんなことを知らなくても、美味しいものは美味しいしと、矢萩はレシピを聞くことはしなかった。どうせ、自分では作らないし。(作れないし)

 途端に、うわあいい香りと笑み崩れる矢萩の様子に、店主は吹き出した。

「忙しい奴だな。で、会ったのか、“あばれうさぎ”に?どう思った?」

 うん、と紅茶を一口飲んで矢萩は答えた。

「ほんとにうさぎなんだなあ~てっきり、あだ名かなんかだと思ってた」

 この場合、外見がうさぎなのが問題ではなく、“うさぎ”と“あばれる”の単語があわさるのが、なんとも言えない違和感を生んでいたのだが。

「……暴れてたねえ……」

 騒動の初めからを見ていたわけではないが、殴りかかってきた男の手を受け止め、体を交しざま、逆に背中の方へと捻り上げた。男が痛みに体の平衡を崩した隙に、手を放し、そしてぎりぎりと襟首を締め上げていたのだ。

 ごくごく、無表情に、淡々と。

 その一連の動作は、あらかじめ取り決めでもしてあったのと問いたくなるほど、滑らかで淀みないものであったから。

 男の顔色がわるくなり、もがく手足の動作が鈍くならなければ、お芝居かと思っただろう。

 こと、その様子をはじめて見た矢萩のような者にとっては。

 あの後、隣に座った矢萩にも、誰にも、うさぎは一言も口を聞かず、グラスの中身が空になると、カウンターのテーブルに飲み代を置いて、店から出て行った。その途端、安堵の吐息が誰ともなく洩れたのを、矢萩は聞き逃さなかった。

 これはこれは……とぽりぽりと頭をかく。相当、あのうさぎは持て余されているようだなと思ったのだ。

 この街に居るようだが、何処に泊まっているのか誰も知らないようだった。あの目立つ外見だ、おまけに騒動も起こしているとなれば、噂くらい誰かが知っているはずだろう。気候のいい時期だから、野宿しているのかもしれない。

 うさぎがいなくなったあとで店の者に尋ねると、そもそものきっかけは、男が言いがかりをつけたとの事だった。

 うさぎのあしらい方が気に入らなかったのか、男は逆上し、殴りかかったところを逆に痛めつけられたという。

 あの人の起こす騒動は、いつもそんな感じですよと店員は苦い顔で答えた。店としても、騒動を起こす客というのは敬遠する。うさぎの場合、自分から何かを仕掛けるというのでなくとも、大変迷惑な客として店側には認識されていた。

 そうか~でも、なんで誰もあの男助けなかったのと矢萩にしてみれば当然の疑問にも、店員の答えは要領を得なかった。


「なんで誰も助けようとしないの、あの人放っておいたら危なかったかもよ?って聞いたわけ。実際、顔あおくなってたしね。したら、なんて店員答えたと思う?」

 さあと店主は器と盆を用意しながら先を促した。この店は店主一人で切り盛りしているから、客が来る前に準備を怠るわけにいかないのだ。やって来るのが常連ばかりとはいえ……いや、それだからこそ、客の目は厳しい。常連でも、気心は知れていても、そこは“お客”。馴れ合うわけにはいかないのだ。

 矢萩は一口スコーンを齧り、それからたっぷりとジャムをつけて、もう一口齧ってから(ご丁寧につけてもつけなくても美味しいと顔を綻ばせて)言った。

「なんか怖いんだって。あの目で見られたら。どう思う?」

 怖いかなあと矢萩は夕べのうさぎの様子を思い返した。

 ぴりぴりとして、迂闊に触れれば斬られそうな、そんな剣呑な雰囲気があったのは確かだ。それが夕べの男も気に入らなかったんだろうし、今まで騒動の相手方になった者達も、同じだろうと推測される。

 けれど、最後にはあの男も、うさぎに対して本気で脅えていた。捨て台詞も、語尾がみっともないほど震えていた。でも、矢萩は。

「うう~ん、怖いの、かなあ~?」

 店主は砂糖壷に砂糖を入れながら、カウンターに肘をついている矢萩に言った。

「お前さんは、そうなのかもしれんがな」

 なに、と矢萩は視線で先を促す。いやな、と店主はうさぎがこの店に来たときの事を思い出した。

 うさぎはただ静かにお茶を一杯、飲んで帰っていった。

 特に騒動を起こしたわけでもなく、店主とも何を話したわけではない。

 午後のひと時、窓越しの光を半身に受け、お茶を飲む。のどかで穏やかな“日常”であるはずの光景なのに、うさぎの様子は、そのどちらにも当てはまらないほど、寂寥としたものだった。

 穏やかなひと時を楽しむわけでもなく、ましてや、ゆったりと流れる時間に身を浸すわけでもなく。

 まるで、そう過ごすことが“苦痛”であるかのような。

 店主も長く客商売をしていて、だからこそ多少は見えるものがある。

 あれは、自分たちが想像も出来ないほどの何かを体験してきた者の目だ。だから、あの目で見られることが怖いのだと。

 うさぎは、何か凄まじいまでの剣呑さを、隠しもしていないから、余計に。尖った空気が、傍にいる者に伝わり痛みを与え、あるいは気分を逆撫でする。

「俺ならって、どういうことさ」

 俺が鈍感とでも言いたいわけと唇を尖らせて文句を言う矢萩に、店主はいやなにと笑って見せた。

「お前さんほど怖いもの知らずにあちこち行く人間が、見知った場所で何を……誰を怖がるっていうんだ。そうじゃないか?」

 まあねと矢萩は頷いた。色んな場所に行き、色んな人に会った。怖い思いを何度もしたし、危険な目に遇った事もある。

 それでも、何処にも行かず、閉じこもろうと思ったことは一度もない。

 苛立ち、剣呑な雰囲気を纏わりつかせたうさぎ。あれでは酒場に居る誰かが文句を言いたくなる気持ちもわからないではない。酒は楽しい雰囲気で呑みたいもの。楽しかるべき場を壊していたのは、うさぎの方だったから。

「何があったか知らないけどさ~楽しく呑みたいもんだよね」

 お酒もお茶も、と矢萩は香りのよいお茶を飲み、嬉しそうに目を細めた。



 何でと理由を問われたら、何でかなとしか答えられない。

 自分でもその答え、あるいは、理由はわからないからだ。 

 ただ自分でもどうしようもなく、風に誘われるように、知らない街へと旅してしまう。そこに目的の物を探しにいくこともあるし、気の向くまま足の向くまま訪れることもある。一度しか訪れなかった場所もあるし、気に入れば何度も訪れる。 

 自分の見てみたいもの、この手に取りたいもの、欲しいもの。

 その思いが強まれば、もう居てもたってもいられない。愛用の鞄に旅支度を詰め込んで、いつ帰るかあてのない旅路へと飛び出していく。

 幼なじみは呆れた様子で、言った。

 あんたは居つくってことがないのね、帰ってきたと思えば、すぐ出て行く。

 他の土地や“旅”の何がそんなにいいのかしら。

 それが、何を生むわけでも何になるわけでも、ないのにね。あたしにはわからないわ。

 彼女が納得できる、納得させられるような理由など、自分は持ち合わせていないけれど。それでも。



「まあ、あちこち行けば、色々思いもかけないものに出会えるってものだし?」

 それが、全てではないにしても、理由の一つ、と言えた。そう、たとえば、こんなふうにね。

「・・・・・・・何か?」

 とてもいやそうに、うさぎが眉をひそめた。

 声が尖っていて、巻き込まれたらたまらん注意報発令だと、矢萩とうさぎの周囲から、たちまち人が消える。

 おや、皆さん今日は早くに帰るんですねえ、おやすみなさいと春風のように矢萩は挨拶をした。

 店員は商売上がったり、と天を仰いでいる。が、矢萩はそれに気づかないし、うさぎも実はどうでもいいことなので、店員の様子を気にする者はいなかった。

 酒場の店主は黙々とグラスを磨いていた。

「・・・・・・・だから、何か用なのかい?さっきからこっちをじいっと見てるけど」

 用があるなら早く言え、喧嘩なら高値で買ってやると言わんばかりの苛々した口調でうさぎは言い、矢萩はへらりと頭をかいた。

「いや、用っていうか~なんとなく楽しくってさ~」

「……人の顔、見てるのが、かい?」

「ううんとね~知らないこと知ったり、見たりするのって、楽しいでしょ?」

「・・・・それが何か?」

「だからねえ~」

 くふふと矢萩は喉の奥で、鳥みたいに笑う。

 ああ、ちゃんと受け答えしてくれてるよ!なんか眉間に皺がよってて、嫌々っての丸分かりだけどでも、ちゃんと会話になってるよ!

 その内心がうさぎに伝わらないのは、おそらく互いにとって幸いであったろう。もし伝わっていたなら、うさぎは間違いなく“あばれうさぎ”になっていただろうから。

「だからねえ、知らない人と会って、話するのも、同じように楽しいなあって思うんだ」

 だから、俺あちこち行くの、止められないんだよねえ、一所にいられないんだよねえと矢萩が言うと、うさぎは少し変な顔をした。

「どしたの?」

 うさぎはじっとグラスを見つめたあと、矢萩の顔は見ず、グラスを睨みつけるようにして、言った。

「ひとところに居られないって言う割には、楽しそうだな」

「うん、だって楽しいもの。幼なじみの子にはねえ、すっごく呆れられてるけど、そりゃ自分の家があっても、殆ど帰って来ないけど。でも知らない事知るっていう楽しさには代えられないんだよねえ」

 それが何の役に立つってわけでもないけどねえと矢萩は頭をかく。

 家にはあちこちで集めたガラクタだの骨董もどきだので一杯だ。

 いずれ何かになるかもしれないし、何にもならないかもしれない。

「他の人にとっては、きっと何にもならない、役にも立たないことなんだろうけどさ、俺はそれでいいよ。役に立つためにしてるわけじゃないしさ。なんかのためにしてるわけでもないし」 

 こう言っちゃうから、あんたは先々のことちっとも考えてないんだからって、怒られちゃうんだよねえと情けなく矢萩は顔を歪めた。腰に手をあてて、怒鳴る幼なじみの顔が目の前にまざまざと浮かんで消えた。

「……役に立たなくても、楽しい、か」

 ぽつりとうさぎが言った。そっけない今までの言葉とは、明らかに違った声、言葉に、矢萩は瞬きをした。

 うさぎはあくまでもグラスを見つめている。

「僕はそうじゃないな。知らなければと思っても、それを楽しいと思ったことはない。今まで、ずっとそうだった」

「なんで“知らなくちゃ”いけないのか、聞いてもいいかい?」

 うさぎはしばらく考えて、言葉を選ぶように、答えた。

「探しているものがあるんだ。それを見つけるためには、たくさんのことを知らなければならないし、色んなところに行かないといけない」

「そっか~“しなくちゃ”いけない事ばっかりなんだ~なら、どうせなら、それが楽しいといいねえ」

 同じするなら、苦しいより楽しい方がいいしね。同じ時間要るなら、眉間にしわ寄せてないでさ。

 そうだなとうさぎは僅かに笑った、ように見えた。

「探し物が何か、知らないけど。早く見つかるといいね」



 

 酒場で和やか?に会話をした数日後。

 矢萩は軽いものを食べに喫茶店にやってきた。かろやかなベルの音とともに店内に入ると、店主がいらっしゃいと声をかけてきた。

「街中の噂になってるぞ。あの“あばれうさぎ”が和やかに話をしていたって」

 一体どんな話をしたんだいと笑う店主に、カウンター席に腰掛け、矢萩はひらひらと手を振った。

「みんな暇だねえ。別に特別な話なんかしてないよ。ただ、お互いあちこち行くんだねえって話を少し」

「ふうん、そうかい。そうそう、お前さんに渡すものがあるんだ」

 ちょっと待ってなと店主は店の奥に入った。すぐ戻ってきた彼の手には、茶色の紙袋があった。ほれ、と差し出されたそれを受け取り、矢萩は首を傾げる。

「何コレ」

「開けてみな」

 促されて包みを開けると、そこには。

「紅茶?」

「そう。なんでも“霧の頂”って事らしいが……本当かなおい」

店主は半信半疑の様子だが、その名前を聞いて矢萩は飛びあがった。

 それは“月の紅茶”以上に稀少な紅茶の名前。霧に閉ざされる事が多い地で、僅かな日照をもとに育つ茶木の……茶葉で作られたもの。

 これまた生産量が僅かで、市場で出回ったことは殆どない。茶道楽たちの間でも、幻の、伝説のと形容詞がつくほどの品だった。

「ちょっと待ってよ、そのお茶なの本当に!」

「そう、そいつは言ってたけどな」

「一体、誰がコレ、言付けたっていうのさ」

 店主は肩を竦め、答えた。

「うさぎだよ。お前さんが来る、ほんの少し前に」


 お茶を一杯、飲んでいった。実のところ、矢萩と入れ違いでうさぎはこの店を何度か訪れているのだ。相変わらず人を寄せ付けない雰囲気であるものの、刺すような、迂闊に近寄れば斬られるような雰囲気は、すこし和らいだように感じられた。

 そして、今日。いつもは無言で代金を置き、立ち去るうさぎだったが、今日は店主に「頼みがある」と話しかけてきた。


「頼みがあるんだが」

「何でしょうかね。わたしが出来ることなら」

「これを、渡してもらいたいんだ」

 茶色の小さな包みを荷物からうさぎは取り出し、カウンターに置いた。

「お茶だ。“霧の頂”って名前の」

「……そりゃ構いませんが、一体どなたに?」

「……あの、お茶好きな放浪者に」

 酒場でもお茶を頼むようなと言って、少しうさぎは笑ったようだった。



「うさぎが。そうかあ。うさぎはもうこの街出たんだろうか」

「旅支度はしてあったがな。何処へ行くとも聞いてないが、追いかけたら間に合うかもしれんぞ?」

 ううんと矢萩は首をよこに振る。

「追いかけて言う言葉があるわけじゃないんだ。こんなもの持ってたってことは、うさぎもお茶、好きだったのかなあ」

 うさぎが言うことだ、これは“幻の”“霧の頂”であろう。そんな稀少なお茶を持っているのは好事家か投機者、あるいは、ただのお茶好き。

 前二者はうさぎに当てはまらないので、おのずから答えは見えているけれど。

「お前さん並のお茶好きと見たね。“なにか珍しいお茶は”って言うから、お前さんに貰った“月の紅茶”出しだんだがな、ここでこれに出会えるとはって、驚いていたぞ」

 お前さんがくれたって言ったら、何だか妙に納得したふうだったなと店主は付け加えた。

「そっかあ~へへへ」

 楽しくなって矢萩は笑う。

 これがあるから、旅は止められない。

 知らない街で知らない誰かと出会い、それが何か“つながり”を生んでいく。

 たとえ、細い糸のようなつながりでも、もしかしたら?

「お互いお茶好きで、珍しいお茶も好きなら、また何処かで会えるかもね」

 細い糸を手繰り寄せるようなものでも、旅の空の下、何処か思いもかけぬ場所で。

 そうだな、そんな時があるかもなと店主は頷いた。

「何しろ、二人ともこんな珍しい茶を手に入れてくるくらいだからな」

「ねえ、このお茶、入れてくれる?」

 店主は茶葉を受けとり、お茶の準備を始めた。ポットを温め、湯を捨てて、茶葉をいれ。

 そこに沸かしたての湯を注ぐ。ふうわりとお茶のよい香りがあたりに漂い始めた。

 それにうっとりと目を細め、矢萩はぼやいた。

「にしても、お茶好きの放浪者ってのは、酷いんじゃないかなあ」

「何をいう、事実そのままだろうが」



 


 もし、いつか。何処かの街で会うことがあったら。

「探し物は見つかったかい?」

 そう、聞いてみよう。

 その時、君はどんな顔をしているだろう?



 “その日”を想像すると、矢萩はとても楽しくなってしまうのだった。







「探し物は見つかったかい?」

「いや、まだだけど……でも、無理に探すのは止めたよ」

「そりゃまた、なんで?」

「見つかるべきものなら……いずれ見つかるだろうし。見つからなければ、それはもう仕方ないんだと、そう思えるようになったから、かな」






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