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ネガイゴト 1


 叶うかぎりの願い事、一つだけ叶えてあげる。

 さあ、何をねがう?ただし。

 あなたの一番大事なものと、引き換えにね?

 

 さあ、何を引き換えに、何を願うの?

 さあ……あなたの、ねがいはなに?



「こんなことをして、お前の望みは一体何だ!」


「……俺の、ねがいは……」

 彼を中心に巻き上がる風。敷石も壁も、軋み、やがて音をたてて剥がされていく。

 堅牢な……この地に建てられて以来、何者にも侵されることのなかった建物が、紙のように容易く崩れていく。

 破片を孕む渦はみるみるうちに大きくなり、僅かに残った者たちも、塊の直撃を受けないように、吹き飛ばされないようにと、地面に這い蹲るより術がなかった。

 幾人もの魔法使いが束になっても、彼一人の力に対抗することが出来ない。青褪め、後ずさりする彼らを、空中に作った力場から見下ろし、彼は哀れむように笑った。

 どんなに抗っても無駄だとでもいうように。

 その、彼の表情が。凍るような視線が。

 椎名の師にして、彼のかつての師が嵐の中を突き通すような声で尋ねたとき。ふと、揺らいだ。そして、何かを思い出そうとするように、目を細め口を開いた。師の問いに答えるように。

 しかし答えが紡がれる前に、悲痛な悲鳴が響き渡る。

「……塔が崩れるぞ……!」

 魔術師の本拠地、その象徴ともいうべき、天高くそびえる塔が、積み木を崩すがごとく、煉瓦をあたりに撒き散らしながら崩壊していった。

 その様を見て幾人かが悲鳴をあげた。

「なんという力だ……!我らが束になっても叶わぬとは」

「もうここもお仕舞いだ!」

 風をはらみ、体の自由を奪うような豪奢な衣装を身にまとう、高位の魔法使いが口々に叫ぶ中、椎名は彼が呟いた言葉を聞き逃さなかった。轟音と吹き荒れる風の中を縫って、その言葉はなぜか耳に届いた。

「……ねがいって……なに」

 よろりと立ち上がって、彼の方へ一歩足を踏み出したとき。

 強い力で腕を引かれ、再び地面を転がるはず、だった。

 衝撃に備え体を硬くして目を閉じる。けれど襲うはずの痛みはなく、おそるおそる目を開けると、間近には怖い顔をした真柴の顔があった。彼の服はあちこちが裂け、額には血が滲んでいた。

「……あ」

 ありがとう、とごめんなさい、どちらを言うべきか迷っている一瞬の間。

「もう少しであの塊が君に当たるところだった!じっとしてろと言っただろう!私の力は、あまり広い範囲には使えないんだからと。……頼むから」

 初めて聞く真柴の怒鳴り声に、椎名は体を竦めた。あの塊、と彼が示す所には、椎名の半身ほどの石の塊が転がっており、もしまともに当たっていれば、大怪我は免れなかっただろう。

 堅牢な魔術師の塔が崩壊していく中……いくつもの嵐を呼び込んだように風が渦を巻く中で、僅かな力しかない椎名がさほどの傷を負わずにいられるのは、彼と長老たちの力によるものだった。

 それとて、彼の言うように、限られたものではあったけれど。

 それすらなくては、己の身すら守りきれぬ椎名などは、とうに傷だらけになっていたに違いない。

「ごめんなさいっ、ただ……」

 言いかけて椎名は口をつぐむ。彼の声が聞こえたからと言って、誰が信じようか。

 建物が崩壊する音、吹き荒れる風の音。轟音と風が妨げになって、真柴の声さえ、こんな近くにいても大きな声でなければ聞こえない。

 だのに、何故彼の声がはっきりと聞こえたのか。

 聞こえるはず、ないのに。 

 あれは、自分の願望なのだ。

 椎名の体を抱きとめたまま、真柴は床の上に身を起こす。

 色とりどりの大理石で美しい紋様を描いた床は、ひび割れ、剥がれ落ち……雨風に打たれ年月を経た彫像の、面が剥がれ落ちるがごとく無残な様を晒している。

 項垂れる椎名に、真柴は声の調子を和らげ、宥めるようにその薄い背中を撫でた。

 脅えるように硬く縮こまった背中を。

 彼女をこの場に残すべきではなかった。

 もっと早く、遠くにやっておくべきだったと後悔しながら。

「……悪かった、でも、頼むからじっとしていてくれ。何とかして君は助けるから」

 だから、少し我慢して。おどけたふうに片目をつむり、真柴はゆっくりと立ち上がる。真柴は膝に手をつき、肩で荒い息をしていた。

 そこへ、前触れもなく、上から地面へと、叩きつけられるような圧力が襲う。地面に伏せている椎名もそれを感じ、一瞬息が詰まった。

 どおんと体に響く恐ろしい音をたて、回廊の一つが崩れていく。

 巨人の手で叩き潰されたように。

 年月をかけ組んだ石も、崩れるのは一瞬だった。

 耳を聾するほどの音が響いているはずなのに、疾うに聴力の限界を超えているのか、音はもはや聞こえず、ただ体にその振動が伝わってきた。

 椎名は言われたとおり床に伏せながら、強く拳を握り締めた。

 わたしは何にも出来ないの。ただ、泣いているしか出来ないの。わたしがいなければ、師匠も真柴さんも、きっと逃げることができたのに。

 真柴は椎名の少し前で、強風に耐える葦のように立っている。

 師匠は何人かの魔術師の中心で、彼らを守る杖のように立っていた。

 皆、椎名よりも力の強い者たちばかり。彼らだけであるなら、力を集めてこの場より逃れる事も可能であったかもしれない。椎名がいたばかりに。

 ぎり、と嫌な音が近くでした。ぬるりとした感触がし、錆びた鉄の味がした。自分の唇を噛み切ったようだった。それでも、痛みは感じない。それよりも、もっと痛い所があったから。

 真柴ががくんと地面に膝をついた。同時に、師匠も折れるように地面に伏せる。椎名の体にも、今までと比べ物にならない圧迫感が襲う。

 息もつけぬ中、割れるように頭の中で、ただ同じ言葉を繰り返していた。


 お願いだから、誰か、わたしに。

 わたしに。


「願いを叶えるわ。大事なものと引き換えに、叶う限りの願いを。ただ、一つだけ」

 私を呼んだのはあなた?


 ねっとりと、滴る蜜のような声音が、椎名の真後ろから聞こえた。

 聞いたことのない、美しい女の声だ。

 謡うようにうつくしく、蜜のように甘い……頭の芯が痺れるような。

 それがとても恐ろしいと椎名は思った。

 悲鳴は喉の奥で凍りつき、ただ大きく目を見開くことしか出来ない。

 ぬうっと白い手が伸び、椎名の喉元を撫で上げる。もう片方の手は背後から肩を抱き、椎名が暴れてもほどけることはなかった。

 女の長い漆黒の巻き髪が、風に煽られ椎名の顔にも体にも絡みつく。まるで蛇に絡みつかれているようだった。

「いや、放してっ」

 声の限りに叫んでも、女は無邪気な様子で笑うばかりだった。

「お前は誰だ」

 突然現れた見知らぬ女に、地面に膝をつきながらも真柴は問いただす。

 漆黒の髪、漆黒の瞳。身にまとう衣装も夜の闇のごとく昏い。

 女は歌うように答えた。

「私?わたしは願いをかなえる者よ。人の望みの通りの、願いを」

「……お前が、そうか。そうだったのか」

 真柴が静かに言った。

「ええ、そうよ。わたしの事を知っているの?ねえ、あなたの願いは何?言ってごらんなさいな」

 女は椎名の耳元に、あかい唇を寄せた。呼気すら甘く、それだけで人を酔わせてしまいそうな。

「ねえ……願いは、なに?」

 喉元を冷たい指先で撫で上げられ、唇が首筋を這った。

 椎名の願い、それは。次第に頭に霞がかかってゆく。真柴の声も、師匠の声も、はるか遠くから聞こえてくる。何を言っているのか、わからない。

 心地よい甘い声と、香りで、空を飛ぶような気持ちになった。

 体がふわふわと宙に浮かぶようで、そのくせ腕にも足にも力が入らない。

 願い事って、本当に叶うの?霞がかる頭の中、ぼんやりと思う。

「ええ、叶うわ。わたしが、叶えてあげる」

 花のような香りが掠めたと思った瞬間、唇がひやりとしたもので塞がれる、

 女に、口付けされたのだと、痺れた頭で思った。

「……あたしの願いは……」

 なあにと女が微笑む。

「駄目だ、答えるんじゃない!」

 “何か”と引き換えに願いを叶える女の話を、真柴は聞いたことがある。 そして、長い間その行方を探していた。この女が、彼が探していた女ならば……願いと引き換えに、願いに見合う以上の代価を支払わされるのだ。

 己でそうと気づかぬうちに。

「……あたしの願いはね……」

 叫ぶ真柴の声は、椎名には届いていない。

 崩落の音と暴風とが妨げになり、何より椎名が女の支配下に堕ち、酩酊しているからだ。己が何を差し出そうとしているかも分からず、己の望みを口にしようとしている。

「椎名っ、目を覚まさんかっ」

 彼女の師匠も、吹き荒れる嵐の中、声の限りに叫んだが、やはり椎名には届かない。

 願いを口にしてしまったら、お終いだ。

 それを妨げたくとも、真柴にも彼女の師匠にも、今はその力がなかった。 彼が巻き起こす破壊の力に耐えるだけで、精一杯だからだ。彼女がみすみす女の手に堕ちるのを、見ているしかないのか、と真柴は歯噛みした。


 

 しんとしずかな世界。

 何も聞こえず、目に何が映ろうとも、心の中を過ぎ去るばかりで、欠片ほども心の中には留まらない。

 甘い香りと、蜜のような声が心地よくて、何も考えたくなかった。

 うっとりとこのまま全てを明け渡してしまいたくなる。

 そのとき、ふと微かな声を聞いた気がして、椎名は目を見開き、けれど何処も見ていない目で高みを見上げた。

 瞳に映りこんだのは、荒れ狂う風の向こうに見える青い空。

 そして、風を従え、今まさに破壊の限りを尽くしているのは、彼女の……。


 空には鳥が飛んでいたよ。

 空には雲が浮かんでいたよ。

 どっちが本当。

 どっちも本当なんだよ。同じものを見てなかっただけなんだ。

 じゃあ、見えていたものを教えて?

 そうしたら、もっと広い世界が見られるね!

 


 同じものが見えなくてもよかった。

 お互いが見たものを持ちよって、そして……時々、瞳を覗き込んで、そこにお互いが映っていることを確かめ合えたら、それでよかったのだ。

 あたしは、それでよかったの。

 それ以上を望んだことは、なかったのよ。



「ねがいはなあに?」

「……あたしの願いはね……」

 ほろほろと涙が頬を伝う。身に沁みた女の甘い毒を洗い流すように。

「あたしの願いは、人にかなえてもらうものじゃないの。自分で叶えないと意味がないし、叶えることが出来るものだったの」

「……椎名っ」

「おまえ、私の術が効かないのね、残念だわ」

 冴えた刃の鋭さで、女は呟いた。そこには甘い響きはなく、凍るように冷たい。

 椎名が正気に戻ったとわかるやいなや、女はすうっと身を翻し、空を踏み、彼の傍に翔ける。椎名が腰に差したナイフで女に斬りつけたけれど、それは女の衣を僅かに裂いただけだった。

 頬に残る涙のあとをぐいと拭い、椎名は高みに立つ女を睨んだ。

「あたしはあんたなんか呼んでない。帰りなさいよ!」

 つけ込まれた自分の弱さが悔しかった。女は赤い唇を笑いの形に歪めた。 芝居がかった仕草で白い手を豊満な胸元にあて、嘆かわしげに答える。

「言葉と胸の内が異なるのが、ひと。望んだといい、望まなかったと言う。先程まで煩いくらい、力を願っていたのは、あなたでしょうに?まあ、いいわ、望みがないと言い張る者の願いを叶えてやるほど、わたしはお人好しじゃ、ないしね?」

「だったら……っ」

 ここから立ち去りなさいよと言いかけ、椎名はそれ以上言葉が続けられなかった。ひび割れた床に膝と手をつく。圧しかかる圧力に、体が耐え切れないのだ。

 ぎりぎりと肋骨がいやな音をたてて軋む。

 女は苦しむ椎名の様子を、舌なめずりする猫のような目で見下ろしていた。真柴が尋ねた。

「お前を望んだ者は、此処にはもういない。なのに、何故去ろうとしないのか」

 だってね、と女は肩を竦めた。

「その子の願いなんて、行きがけの駄賃だもの。私は、私の願いをかなえる為に、此処に来たのよ」

 さあ、と女の手が、彼の腕に触れる。

「私はあなたの願いを叶えたわ。今度は私の願いを叶えて頂戴。……全て、壊してしまって」

 するすると女の手が彼の方に伸び、笑い声をたてながら彼に頬擦りする。そして。

 女が彼の名を呼んだ。虚ろな目で地表を見下ろしていた彼の目に、強い禍々しい光が灯ったと思った瞬間。

 

 地面が波のように揺れた。

 



 願い事はなに?大事なものと引き換えに、願いをかなえるわ。


「願い事はなに?大事なものと引き換えに、願いをかなえてあげる」

 強い強い願い。激しく何かを望む心。それに引き寄せられ、わたしは現れる。

「大事なものなんてないよ」

 愚かな子ども。大事なものは、形あるモノとは限らないのに。

(あの子のために)

 子どもの心が、わたしには透けて見える。一番何よりも子どもの心を占める、他者の姿が。

 これが、この子どもの“大事なもの”。

 なんと愚かなことか、己でそれと気づくことも出来ぬとは。

 とはいえ、口にせぬものを“引き換え”には出来ぬ。

 それでは、とわたしは言葉を続けた。

「それでは、お前の心の一部と引き換えでは、どう?わたしにくれるなら、願い事を叶えてあげる」

 心全てを貰うわけじゃない。ほんの一部を代償にするだけ。囁くと子どもの瞳が揺れた。

 叶うかもしれない願いと、差し出す代償とを天秤にかけているのが見て取れる。

 そして、子どもは頷いた。

 愚かな子ども。心の一部に、“大事なもの”が居たことを気づきもせずに。

 何のために願いを叶えたか、お前は忘れるの。

 だって、心の一部は、わたしが貰ったんだから。

 なんと虚しいことでしょうね。願いをかなえたところで、何のために願ったかを忘れてしまうなんて。




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