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あまやどり


「酷い雨ですねえ、お客さん」


 ぽつぽつ雨粒が落ちてきたと思うと、それはすぐに大粒の雨粒となり、あたりを煙らせるほどの土砂降りになった。

 暖かい時期のこと、こどもたちは歓声をあげて濡れながら走り回っているが、荷物を抱えた大人はそうはいかない。買出しの荷物を濡らさないように、庇の張り出したとある店の軒先に避難した。

 雫の垂れる髪の毛を拭く前に、まずは湿気厳禁の荷物が濡れてないかを確かめる。厳重に封をしてくれたおかげで、中身は無事のようだった。

「濡らして帰ったら、あのお茶好きたちに何を言われるかわかったものじゃありませんからねえ」

 苦笑しかけて、くしゃみを二度、三度。暖かい時期でも、雨に濡れて体が冷えたようだ。

 このままでは風邪を引くし、何より空は灰色に覆われてしまい、いつやむのか見当もつかない。

 さてどうしたものかと頭をかいたとき、店の扉が開き、声をかけられた。

「酷い雨ですねえ、お客さん」

 思わぬ声に驚いたのも一瞬。すぐに笑顔をうかべ、答えた。

「ええ、急に降られて、やみそうにないですねえ。困りました」

「よろしければ、やむまで中においで下さい」

「よろしいんですか?」

 細い目の店主は、にこりと笑った。

「駄目なら初めから声などおかけしませんよ」

 どうぞ、と招く店主の好意に甘えて、店の中に足を踏み入れる。

 扉を閉めると、雨音は完全に聞こえなくなった。椅子をすすめられ、腰掛けると店主はすぐに乾いた布を持ってきてくれた。

「どうぞお使い下さい。足りなければもっとお持ちしますので」

「いえ、ありがとうございます。これで十分だと思いますので」

 恐縮しつつも、礼を言ってありがたく使わせてもらう。

 なにせ買出しの荷物を守ることに懸命で、自分自身は濡れるに任せてしまい。

 その結果、酷い有様になっているのだ。店の中を濡らさないように、と雫を拭きとって、それからようやく店内を見回す余裕が出来た。

 いささか薄暗い店内には、筆記具や便箋などが並んでいる。実用的なものから、綺麗に装飾を施されたペン軸も見える。文具屋なのだろうと見るともなしに美しいペンを見ていると、奥に引っ込んでいた店主が盆を手に戻ってきた。

「冷えたでしょう、どうぞ温まってください」

 湯気のたつ紅茶が置かれた。店主は自分の前にも一つ、同じように置く。 そして失礼しますよと断って向かいの椅子に腰掛けた。

「いただきます」

 そういって椀を取り、一口飲んで目を瞬かせた。

「このお茶は」

「おや、さすがおわかりですか。そう、お客さんが買われたそのお茶と同じものですよ」

 あれを見てね、と店主は彼が大事そうに持っていた荷物を指した。

「お好きなようだから、出してみたんです。実の所、今年の茶葉の出来が良くないっていうわけじゃあないんですが、去年の出来の方がよかったと聞いておりますんでね」

 お客さんが買われたのは、今年の茶葉でしょう?

「ええ。評判を聞いて、こちらに買い出しに来たんです。そう聞くと何やら残念な気もしますが、こればかりは仕方が無い。今年のお茶も、十分美味しかったですしね。まあいつかは、これほどのものにめぐり合うこともあるでしょう」

「買い出し、と言われますと、お客さん、なにか店でもおやりで?」

 どう見ても、個人で消費するには大量すぎるそれに、店主は不思議に思っていたらしい。

「ええ、喫茶店をしておりますよ」

「ああ、それで」

 納得した様子の店主に、実はですねと苦笑交じりに話した。

「実は、こちらの街のお茶について、初めに話を聞き込んだのは私じゃないんです。私以上にお茶好きの友人たちがですね、聞いてきましてね。こちらの方に行く用事があると言ったが最後、是非にと“お願い”されましてね」

 結果的に私も美味しいお茶に巡りあえたわけですけど、と笑えば、店主も笑って答えた。

「ああ、ご友人の頼まれ物があるのでしたら、それはますます台無しには出来ませんねえ」

「ええ、私が恨まれてしまいますよ」

 “友人たち”の顔を思い浮かべ、また苦笑する。

 恨む、というより、盛大に拗ねられそうな気がして。

 一人は子どものように、一人は無表情に、だが、根深く。

 分厚い扉に閉ざされて、外の音は聞こえない。何処からか時計の音がするほかは、水の底にいるかのような静けさに満ちていた。インクの匂い、紙の匂い、そして、自分が持ってきた水の匂いと、香るお茶。

 窓越しの空はいまだ暗い灰色をしている。

「雨はやみそうにないですね」

 店主も窓の外を見、客人のカップが空になっているのを見ると、盆にのせて奥へと入った。

 見るからに高級そうな文具もあるのに、無用心なことだと内心思うが、店主も長い間の客商売で人を見る目はあるのだろうから、自分が余計な心配をするものでもないか、と思い直した。

 ややして戻ってきた店主は、盆にカップと湯気の立つポットを載せていた。カップを置き、なみなみとお茶を注ぐ。

「もしよろしければ、ポット一杯分のお茶が済むまで、私の話を聞いてくれませんか」

客も来ないし、退屈していたんですよと言う店主に、雨宿りの礼も兼ねて、「お安い御用です」と頷いた。



 店主は言った。「託言者をご存知ですか?」


 おや、ご存知とは珍しい。

 ええ、名前を知っているだけでも、この通信手段も記録手段も進歩した昨今じゃあ、それだけでも珍しくていらっしゃいますよ。

 今じゃ名前すら覚えてる人は少ないですから。さびしいことです。

 ええ、そうです、依頼を受けて、定められた時に、相手に伝言を渡す役割の、集団ですよ。

 ええ、集団です。“託言者”という、一族のね。

 だってお客さん、何年も経てば、伝言を受け取る相手だって何処かに越したり、場合によっては亡くなってることだってあるでしょう。それを調べなくちゃあならないんですから、ひとりじゃあ無理ですよ。

 何でそんなに詳しいのかって?

 それが本題なんです。実は私、その託言者が本業なんでして。

 そんな珍しい生物を見るような目で見ないで下さいよ。

 本当です、で、文具屋は副業の一つです。

 そりゃあねえ、本業で食べていたのは、遠い昔の事で、今じゃあ本業は閑古鳥も飛ばないくらい、依頼なんかありゃしません。

 副業で食べるしかないんですよ。おかげさまで、副業でも十分食べていけますんでね、困りはしないんですが。

 なら、なんで本業を廃業しないのかって?

 ええ、それが出来ないんです。一族代々引き継いできた仕事ですからね、自分の代で途切れさせるって事に抵抗があるのも一つ。なにせ、副業を起こす際の基盤でしたから、ま、根っ子を忘れたくないって言うかね、忘れると、とことん営利に走りそうでね。いや、これは失言、お忘れ下さい。

 お客さん、鋭くていらっしゃる、そうです、副業の一つに情報関係もありますよ。確実に依頼を果たすには、どうしても必要になったのでねえ。

 そうそう、話がそれてしまいましたね、託言者を続けるもう一つの理由はですね、まだ果たしていない依頼が、一つだけあるからなんですよ。

 私も託言者を引き継いではや数年、その間一つも依頼なんかありゃしません。それどころか、先代、先々代の時にも、殆ど依頼はなかったようです。 全て記録していますし、何より、記録が失われてもいいように、済んでない依頼はすべて口伝で引き継いでいますしね。

 それは何かの間違いでしょうって?ええ、私もそう思って記録を調べましたよ。記録には私より何代も前の託言者が受けた依頼とありまして、口伝とあっていました。

 口伝と記録をすり合わせた可能性?それも考えましたがね、私たちにとって、記録はあくまで補助なんです。大事なことは口伝で伝えてきたんですよ。

 記録はね、確かに口伝より遥かに大きな量を伝えることが出来ます。

 紙に書いてもいい、媒体に保存してもいい、あるいは、何かに刻んでも。 ですが、それらすべては、焼失し、破壊され、削られでもすれば、失せてしまうものなんです。

 在ったことがせめてわかればまだしも、在った事すら知られないことにだってなりかねない。

だから、託言者へ依頼するのだと、かの依頼人は言ったそうですよ。

 ええ、私たちが果たすべき、最後の依頼をしたお人は。

 そういう、何かが“なかったこと”にされたのを、見てきたお人なんでしょうかね。

 いや、また話が横道にそれてしまいました。

 実は私がお話ししたかったのはですね、依頼人でもなく、私たちの事でもなく、伝言を受け取る人の事なんです。

 受取人にとっては、遠い昔からの伝言です。私がそれを果たしたとして、さて当の受取人は何を思うんでしょう。 

 不思議に思うか不審に思うか、伝言を拒否するか。こんな雨の日は少し考えてしまうんですよ。

 なにせ、依頼を果たす時が、近づいてきていますのでね。

 おそらく、それが私の、託言者として最初で最後の仕事になるかと思うと、余計に色々考えてしまうんです。

 ああ、さびしいのかもしれませんね、これで最後かと思うと。

 依頼が無いなら……もう一族が“託言者”として名乗る意味も失われる。

 預かるべき“言葉”がないなら、誰の言葉も携えていない私たちなど、居る意味はないんですからね。廃業するしかない。仕方のないことです。

 おそらく、こんな途方もない……遥か未来への依頼がなければ、もっと早くに私たちは託言者の名前を失っていた事でしょうね。そういう意味では、この依頼に感謝もしていますよ。

 え、あなたは、そう思うんですか?



 店主は、客人の意外な言葉に目を丸くした。

 客人は手のひらを暖めるように椀を両手で持ち、俯き加減に笑う。

「驚くでしょうが、懐かしいと思うんじゃないんですか?」

 それが、客人の答えだったから。

「もし、もしもですよ、受取人が依頼人の事を覚えていたら。自分の知る人であれば」

「そう、でしょうか……そうであれば、いいんですけどね」

 吐息のような声で店主は答え、窓の外を見た。

 灰色だったはずの空に光が差し始めている。

 客人はカップの中身を飲み干して、椅子から立ち上がった。ポット一杯分のお茶は、空になっていた。

「美味しいお茶と、珍しい話をありがとうございました」

「いえこちらこそ、退屈しのぎの話に付き合っていただいて楽しかったですよ」

 重い扉を押し開けると、外の喧騒がたちまち店の中に入り込んでくる。

「それでは、ごちそうさまでした」

 荷物を背負い、頭を下げた彼に、店主は細い目をさらに細めて笑った。

「お気をつけて」


 



 遥か遠い昔から。あるいは、過去から、届いた伝言。

 それは、一体何を伝えるために?どんな言葉で?

 

 それを考えるのは、とても楽しい気がした。

 歩くたびに、背負った荷物ががさごそと音をたてる。

「ああそうだ、これもいつか、お話をしてあげないとね」

 お話が好きな子どものために。

 喜ぶ顔を思い浮かべながら、彼は家路についたのだった。





「聞いた話です」

                                      




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