序章
以前別アカウントで連載していた話の、移行版です。
誤字脱字等の修正の他は、殆ど変わりありません。
そろそろお昼を食べたお腹もほどよくこなれ、お茶と甘いものが欲しくなる時間だった。
「買い物も済んだことだし、梢の店でお茶でも飲んでいくかい?」
うさぎの提案に、僕は即座に頷いた。
僕、こと伊吹とうさぎは、久しぶりに街に買出しに来ていた。
重いものは店……“魔法屋シェル”へ届けてもらう事にしているから身軽だけど、あちこち歩き回ったので、くたびれていた。
ひと休みしなければ、街の西の端にある“魔法屋”まで帰れそうにない。
出不精のうさぎは、一度の外出で全てを片づけようとするから、その“一度”に様々な用事が集中する。
溜め込まずに、こまめに片付ければいいのにと何度となく言っても、ちっとも改めてくれなかった。
どうせしなけりゃいけないんなら、まとめてやる方がいいとか言って。
例えば……自分の愛飲のお茶が無くなったら、すぐに出かけるくせにと伊吹はぶつぶつと呟く。
「何か言ったか?」
「えっ、ううん別に!わーい梢さんとこ行くの、久しぶりだなあっ、楽しみ~」
慌てて誤魔化したけれど、最後の方は、うきうきと弾むような声で答えた。
取り繕うことなく本当のことだったので。
そうかとうさぎは言ったきり、それ以上は尋ねてこなかった。
久しぶりに来た梢さんの店……“喫茶店カレント”は、前来た時から少しも変わっていなかった。
使いこまれて飴色になったテーブルも、やわらかいクリーム色の壁も。
カウンター上部の壁に掛けられている、原色を沢山使っているのに、寂しげな絵も。もちろん、店主である梢さんも。
「おや、久しぶりですね、いらっしゃい」
ドアベルの音に布巾で拭いていた茶器から顔をあげ、カウンターの内側から梢さんはにこりと笑った。
梢さんは長い髪を首の後ろで束ねている、優しそうな笑顔の男の人だ。
うさぎやじいさまにくっ付いて、この店に来るようになった僕だけど、梢さんは初めて会った時から全く変わらないように見える。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ええ、この通り、おかげさまで。君もお変わりなく」
「……あまり変わらなくても困るだろう。身長とか」
うさぎは僅かに目で挨拶しただけで、すたすたと窓際の席へと着く。
そこが、いつも僕たちが座る“指定席”だから。先客が居ないときは(先客が居ないことの方が多いけど)いつもそこに座っていた。
今日は僕たちの他にお客さんはいなくて、店内には僕たちの声と、湯の沸く音と、こちこちという時計の音だけが聞こえていた。
とはいえ、人が密かに気にしている事を言わなくたっていいじゃないか。
「うさぎ、何を言うんだよっ」
目をつり上げて怒っても、うさぎはそ知らぬ顔で椅子に座った途端、手に入れたばかりの本を開いている。
ねえ、その態度、大人としてどうかと思うよ?
「大丈夫ですよ、男の子の成長期はこれからですから」
個人差もありますしねと梢さんは慰めてくれたけど。
人の気分を逆撫でしてくれた当の本人は、ああ、もう本の世界に飛んじゃってるよ……。
もう、仕様が無いんだからと、僕はため息をついて……(今からこんなモノが習慣になったら怖いけど、うさぎやじいさまと居ると、ため息をつく機会が増えちゃってね……こんな人たち相手にしてたら仕方ないけど!)うさぎの向かいに腰掛けた。
「何を飲みます?」
くすくすと笑いながら、梢さんが注文を聞いてくれる。
うん、こんなやりとりをいつもしているものだから、梢さんは呆れてるのだろうなあとは思う。
僕はここでメニュー表を見たことがなくて、この店はそういうものが無いのかなあと思っていた時もあった。うさぎなどは「いつものお茶」もしくは「新しく仕入れた珍しいお茶」しか注文しないし。
僕は梢さんが勧めてくれるカフェオレとかミルクティーとか、ココア……時にはホッとチョコレートとか。
時には好奇心から、うさぎが飲んでいるお茶を頼んだり、していた。
門前の小僧ならぬ、お茶好き二人に囲まれていると、自然に詳しくなってしまうのだ。
勿論、僕もお茶は好きだし。うさぎや、じいさまほどでは、ないにしても。
それである時。梢さんに尋ねてみた。
この店には、メニュー表はないのかって。
梢さんは答えた。もちろん、ありますよと。喫茶店ですからね、無いとお客様が困るでしょう?
でも僕、ここで見たことないんだけど。
梢さんは、それがねえと苦笑、しているふうだった。
この人がね、とうさぎを指して……メニューに無い品ばかり言ってくれるものですから、と。
もう、この人にはメニュー表出すの、止めたんですよ。
うさぎ、梢さん困らせちゃ、駄目じゃないかと言ってみたけど、うさぎは我関せずとお茶を飲んでいた。
そして、僕に出してくれるものも、メニューにない品だと気づいたのは……迂闊にも、それよりしばらく経ってからのことだった。
だって、ここは“お茶”の専門店ですから?
にこりと笑って答えた梢さん……さすが、うさぎの知人というか、茶飲み友達というか……優しげな顔でも、十分いい性格なんだなあと、僕は呆れると共に、変な事に少し安心もした。
所謂“珈琲”飲料は、梢さんが私的に飲むもので、お客さん用ではないらしい。
お茶と珈琲では、お茶の方がより好きというだけで、珈琲も好きなんですよと言うだけあって、珈琲の銘柄や淹れ方にもこだわりがあるようだった。
「ええとね、じゃあカフェオレがいいな。ミルクたっぷりの」
梢さんは、わかりましたと頷いて、それからうさぎに尋ねた。
「うさぎはいつものお茶でいいです?それとも、珍しいお茶を?この前手に入れたものがあるんですが」
本の海に飛び込んでいたうさぎは、珍しいお茶、の単語に、水面から顔を覗かせた。
「なんて名前のお茶?」
「“空の平原”って名前でしてね、後味が爽やかですよ」
「じゃあそれを貰おうかな」
はい、では準備してきますねと頷いて、梢さんはカウンターの奥に戻った。
かちかちと器の触れ合う音、水の流れる音が聞こえる。
うさぎは再び、海の中に潜ってしまった。
少し手持ち無沙汰になって、僕は立ち上がり、梢さんがお茶を入れてくれるのを見に行った。
勿論、カウンター越しにだ。
中に入るような礼儀知らずなまねはしないもの。
梢さんは、もうすぐ出来ますからねといいながらも、座って待っていて下さいねとは言わない。僕がむやみに走り回ってモノを壊したり、無茶な事はしないって、わかってくれているからだ、と思う。
僕が見つめる前で、梢さんの手が迷いなく、よどみなく動き、火にかけていた小鍋から、淡いグリーンの大き目のカフェオレボウルへ、ミルクたっぷりのカフェオレを注ぐ。お盆にそれと、砂糖壷、紅茶の入ったポット、カップを載せて、梢さんは一旦カウンターの上に置いた。
「はい、出来ましたよ」
じゃあ席に戻ってるねと僕はもと居た席に座った。
うさぎはさっきと変わらない姿勢、変わらない表情で、本を読んでいる。 すぐに梢さんがやって来た。
「お待たせいたしました……うさぎ、お茶入りましたよ」
お茶、の単語で顔を上げる辺り、もういっそ天晴れといおうか、何とも悩むところだけど。
うさぎの意識を本から引き剥がしたければ、こう言えばいい、そうじいさまから聞かされ、初めて実践したとき……僕はとても驚いたものだった。
だって、それまで何度声をかけても本から顔をあげなかったのに、「お茶」の一言ですぐ返事をするんだもの!
梢さんがテーブルの上に飲み物を置いてくれるのを、僕は大人しく待ち、うさぎも読んでいた本を閉じ、脇に置いた。
「ありがとうございます~わ~これ何?」
僕にはカフェオレ、うさぎにはお茶。そして白い小皿の上に、チョコレート色の焼き菓子がある。
ゼリーをひっくり返したような形の。
初めて見るそれに、僕は首を傾げた。
「フォンダンショコラって言いましてね、温めると中のチョコレートが溶けるんです。温かいうちにどうぞ」
「へえ~美味しそう!いっただきま~すっ」
添えられたフォークを手に取り、僕は早速一口食べた。
ふんわりと甘いチョコレートの香り、味が口の中一杯に広がった。
「おいしい~」
頬が勝手に緩んでしまう。僕の感想を聞いて、梢さんは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「え、てことは、これ梢さんが作ったの?」
「ええ、初めて作ったので、うまく出来たか少し不安でしたけどね」
美味しく食べてもらえて、嬉しいですよと何でもないふうに言う。
僕は感嘆のため息をついてしまった。
美味しいお茶を入れるだけでなく、こんな美味しいものを作れるなんて!
喫茶店だから、梢さんも前からスコーンとかパウンドケーキとかの焼き菓子は出していた。軽食としてのサンドイッチなども。でも一人で切り盛りしている店であるし、食べる、と言うよりも純粋にお茶を楽しむ人たちのための店だから、と、あまり食べ物には重きを置いてない……というか、お菓子がメインの喫茶店では、ないのだ。
やってくるお客も、うさぎとか僕とかじいさまとか……お茶好きの常連さんが殆どですと梢さんは言う。
あとは、街を通りかかる旅の人くらいですねえと。旅の途中、少し休んで、そのついでに軽く食べる、そのくらいですよと。
「……これもだけど~梢さん、お菓子もちゃんとメニューに乗っけようよ~美味しいもの」
僕は本気で言ったのだけど、梢さんは笑って首を振る。
「いいえ、そこまでは手が回りません。自分の楽しみと、あとは常連の方に試食していただくぐらいで、丁度いいんですよ」と。いつもそう言う。
あんまり僕の我侭ばかり言うわけにもいかないので、勿体ないなあと呟いて、この話は終わりにした。
またいつか、お願いしてみようとは思っているけど。
と、僕と梢さんがこんな会話をしている横で、うさぎは一人、お菓子をもくもくと食べていた。
ああ、確かにこれは美味しいね、なるほどチョコがとろりと出てきたねと、時々感想だか観察だか微妙な言葉を呟きながら。
「……うさぎ……」
「全然構いませんよ、これがこの人なんでしょうからね」
梢さんのその言葉は、余計僕を居たたまれなくさせるものだった。
うさぎ本人はちっとも気にしていなかった。
少しは回りに気を遣えっていうんだよ、全く。
一息ついた頃、僕は梢さんに頼んでみた。
「なにかお話、して欲しいんだけど、いいかな?」
他のお客さんも居ないし、もし忙しくなければと頼むと、梢さんはいいですよと答えた。
梢さんは色んなお話を知っている。それで時々、話をしてくれる。
うさぎが沢山持っている本とは違う、梢さんが人から聞いたという、少し不思議なお話。
それを聞くのが、ここへ来る楽しみの一つでもあった。
何を話しましょうかと梢さんは考えるふうに手を顎にやり……そうだ、あの話にしましょうかと呟いた。
僕はわくわくしながら、梢さんの話を待った。
「聞いた話です」
それは、梢さんが話を始めるとき、いつも使う言葉。
そうして「お話」が始まった。
「昔、あるところに男の子と女の子がいました……」