最期の手紙※
※グロテスクな描写があります。流血表現などが苦手な方ご注意を。
帰り道、いつものように自転車を飛ばす。心なしか、ふわふわと飛んでいきそうなくらい足が軽い。
さっきまで過ごした夢のような時間を思い出しながら、俺は家路へと向かった。自宅に到着した俺は、玄関のドアノブに手を掛ける。扉には鍵が掛かっていなかった。誰か中にいるのだろうか?
「……ただいま」
そう言って、俺はドアを開けた。いつものように挨拶し、いつものように靴を脱ぐ。しかし、いつもなら脱いでいる間に返ってくるはずの返事が、今日はなかった。
(あれ……、出掛けてんのか?)
でも鍵って、開いていたよな……。さっき自分が開けた玄関に目を向け、首をひねる。
(鍵の閉め忘れかな……、珍しい)
そんな事を思いながら、廊下を歩く。家の中は不気味な程静かで、全く人の気配がない。出掛けているのなら当たり前の事なのだが、何故か俺は胸騒ぎを感じた。嫌な汗が背中を伝う。どこか不安な気持ちになりながら足を進めた。
リビングに入ってまず目に入ってきたのは、テーブルに置かれた一通の手紙。どこもおかしい所はないのに、何故かそれは……異様な存在感があった。恐るおそるそれに手に取る。そこには叔父の字で『玲音くんへ』と記してあった。
(俺に宛てた……手紙?なんで俺に?)
直接言えばいいのに……、それとも言いにくい事なのか?そう思い、封を切る。頭のどこかで「止めろ、見ては駄目だ」と言う声が聞こえた気がする。それでも俺は、止めなかった。折り畳まれた紙を開き、文面に目を通す。
ー玲音くんへ、今朝言おうと思っていましたが、私には勇気がなかったので手紙にしました。驚かせてしまってすみません。玲音くん、今まで私達の為に毎日頑張ってくれてありがとうございます。私がここまで頑張ってこれたのも、きっと君が沢山我慢をしてくれたからだと思います。父親の自殺、母親に捨てられたショック……、それに加えて妻の罵詈雑言と私の弱さ……それに耐えた玲音くんには、本当に尊敬します。私には到底出来る事ではありません。本当は、玲音くんが社会人になるまで頑張ろうと思いましたが、もう限界です。私は、妻の恵美と金と社会に押し潰されました。もう、耐えられません。だから、今日私は妻と一緒に死のうと思います。きっと、君がこの手紙を読んでいる頃には私達はこの世にいないでしょう。本当に、勝手な奴でごめんなさい。でも、このままでは君もきっと、不幸になる。……これからは、私のなけなしの財産を使って生きて下さい。玲音くんには、きっと頼れる友達がいると思うのでしばらく居候させてもらって生きて下さい。大変かと思います
が、玲音くんなら大丈夫です。では、さようなら。今まで、ありがとうございます。お元気で……坂口
典孝よりー
読み終えた俺は、思わず持っていた紙を落とした。信じられない、嘘だ、そんな事を思いながら手紙を拾い読み直す。きっと俺が疲れていて読み間違えたんだ、そう思って何度も何度も読み返した。けれども、何回読んでも、同じ内容だった。手紙を持つ手がブルブルと震え、止まらない。きっとこれは、俺に仕掛けたドッキリなんだ。そうでなきゃこんな手紙を置く訳がない。
しかし、今朝渡された封筒は……?鍵の掛かってないこの部屋は……?この胸騒ぎは……?もし、この手紙が本当だったら……?考えたくない思考が駆け巡り、頭がガンガン痛んでくる。急激に喉が乾きを訴えてくる。俺は、持っていた手紙を丸めてポケットに入れた。
(少し落ち着こう、こんなの嘘に決まっている……)
俺は自分に言い聞かせて、喉の乾きを潤すため、台所にある赤い冷蔵庫に向かった。クラクラする頭を押さえ、冷蔵庫に手を付ける。すると、ねっちょりした何かが、俺の手のひらに付いた。無意識にそれを見てみると、俺の手は真っ赤に染まっていた。
「えっ……?」
俺の思考が、ピタリと停止する。何だよこれ、こんなのどこに付いてたんだよ……。そう思い冷蔵庫に目を向けると、冷蔵庫に赤い液体がべっとりと付いていた。元から赤い冷蔵庫だったため、気づかなかったが紛れもなくそれは赤い液体。それを見て思わず後退りをすると、コツンと何かが足元にぶつかった。下を見ると、赤く染まった鍋が転がっていた。きっと落としたのだろう、床にも点々と赤い液体が飛び散っている。よく見たら、冷蔵庫の下には血溜まりがあった。やけに生々しいその光景は、嫌でも何が起こったか想像出来る。
(ここで誰かが、誰かを殴った……?)
誰が、誰を……?あの女は暴力的だが、血が出るまでは殴らない。出たとしても、こんなに大量には出てこないだろう。……という事は、叔父が?……つまり、あの手紙は……?
(そ、そんな事ある訳ない!嘘なんだ……そうじゃなきゃ)
俺は、狂ってしまう。身体が、ガタガタ震え、冷たくなる。
(俺は、信じないぞ……、こんな最悪な事)
認められる訳がない。俺は、弾かれるように家の中を探った。死体なんてあるわけがないという証拠、争ったなんて形跡はないという証拠を……。狭い家の中を、部屋を一つ一つ隅々まで調べあげる。いくら調べても何も変わらない数々の部屋。何もない事に俺は歓喜しながら最後の部屋を開けた。歓喜が絶望に変わり、その光景は一瞬にして俺の目の前を赤く染める。
ベッドに横たわり、胸の谷間に深々と突き刺さったナイフ。今なお血が止まらず、真っ白いダブルベッドを赤くする。その傍らで宙に浮く男。昔に見た忘れもしない過去が、甦ってくる……。
「うわあぁぁぁぁっ!!?」
気付いたら、俺は叫んでいた。人の死体、紛れもなくそれは……叔父とあの女の死体。生気のない顔、血生臭い匂い。フラッシュバックする父の姿。それを目の当たりにした俺は、あまりにもおぞましい光景に我慢出来ずに吐いてしまった。
(と、とにかく警察か誰かに連絡しなきゃ……)
口を拭い、俺はポケットに入っている携帯を取り出した。電源ボタンを押して通報しようとしたが、それは不可能にだった。
(何で、こんな時に充電が切れるんだよ!おかしいだろっ!?)
イライラして携帯を投げつけ、俺は家を飛び出した。とにかく警察に伝えなければいけないと思い、無我夢中で走っていた。。充電をしながら電話すればいいとか、近所の人に伝えればいいとか、そんな冷静な判断……今の俺にはない。あるのは、吐き気と怒りと悲しみと……そして激しい孤独感。ボロボロと、涙が溢れ視界がぼやけた。
(何が君は強いだよ、ふざけんな!耐えているとか、勝手に決めつけて勝手に死にやがって……くそ野郎)
俺が不幸になるから、なんて言って自殺すんなよ、トラウマが増えるだけじゃないか……。俺を見捨てやがって、何でみんな俺を独りにするんだよ。俺は、まだ子供なんだぞっ、独りにすんなよ……。色んな感情が混ざって、もう訳が分からなかった。涙で前も見えず、俺はただただ闇雲に走っていた。
……だから、気付かなかったのだ。俺に迫ってくるトラックに。
「危ないっ!!」
遠くで、誰かがそう叫ぶ。その声に振り返ると、俺の目の前には大きな大きなトラックがあった。
「あっ…………」
気付いたその瞬間、俺は跳ねられ地面に転がった。激しい痛みと、薄れていく意識。独りという孤独。……本当に、今日は厄日だな。
(このまま、俺は死ぬのか……?)
とても惨めで滑稽で最悪な最期。もう死んでもいいと思えたが、心の中でまだ生きていたいとも思う自分がいる。生きて、もっとあいつと一緒にいたかった。やっと友達になれたのに……。朦朧とした意識の中、絶望の中で見えたのはあいつの、菅沼の顔だった。