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獅子が愛  作者: ママわんこ
第一章 ~に飢えている~
3/5

初めての温もり

しくじった。なにでって、体育で。今日はサッカーの日で、俺はたまたまキーパー役になったんだ。走らなくてラッキーとか、そう思ってた自分が馬鹿だった。

ボールが来るまで暇だし、日々の疲れでつい、あくびが出てしまった。口を開けたその瞬間、俺の目の前にボールが飛び込み、そのまま……顔面に直撃した。あまりの衝撃に俺はぶっ倒れ、気付いたら保健室の天井。思い出すだけで恥ずかしいのに、倒れる瞬間、俺の視界に映ったのはあのわかめ頭だった。俺の無様な姿をもろに見られた、最悪だ。


(明日から変な目で見られるかもな……。あの金髪野郎とか絶対ゲラゲラ笑っていそうだ。菅沼は俺の無様な姿を見て引いただろうか……。はぁ……、考えてたら悲しくなってきた)


そういえば今朝も顔面を強打したな、それを思い出して俺は小さく溜め息を吐く。あぁ、今日は厄日だな……。昨日も大切な暇潰しがなくなるし…。目を覚ました俺は、白い天井を見つめながらもう一度、深い溜め息を吐いた。


「あ、気が付きました?」

「っ!?」


すぐそばで聞こえた声にびっくりして起き上がる。急に起きたせいで頭が痛い。


「あ、だめですよ。もう少し寝てないと……」

「な、何で……、お前が……」

「へ?」


痛む頭を押さえながら、声の主に目を向ける。やはり間違えではなかった。

わかめ頭でヒョロ長で骸骨みたいな眼鏡の男……、本物の菅沼……だった。


「な、何で、す、菅沼が……ここにいるんだ?」

「え?……えっと、僕保健委員ですし、今日は先生いないので…」

「……そ、そうだったのか……。知らなかった……」

「えっ……と、まぁ、昼休みぐらいしか活動してないし、影薄いですし……ね」


今まで保健室にお世話になった事なかったから……。仮病とかサボりとかしないし。

でも……、今度から昼飯時になったら行ってみようか……。


「……ちょっ、おい待て。お前さっき何て言った?」

「何って……?」

「先生が……いない、だと?」

「あ、はい、そうです。今日は出張なので……、だから僕が代わりに」


っと言うことは、今この場にいるのは菅沼と俺だけって事か?二人っきり?……嘘だろ?


「そんな事より、具合はどうですか?まだ痛みます?」

「…………………」

「き、聞いてますか?」

「……………………」

「あ、あの……」


頭が真っ白だ。いや、確かに話してみたいとか、猫になって可愛がってもらいたいとか、思った事あるけど……。でも、まさか実現する何て思ってもみなかった訳で……


「……僕じゃ、やっぱり嫌ですですよね?」

「……え」

「僕、見た目が悪いからよく避けられちゃうんですよ。……呪われそうとか何とか…。坂口くんも、嫌なら嫌って言って大丈夫ですから」

「はぁ?」


いきなり何言ってんの?俺何も言ってねーよ。勝手に先走んなよ、このわかめ頭。


「……おい、ちょっと」

「ほ、他の人、呼んできま……」

「ちょっと待てよ、俺、嫌とか言ってない!」

「……わっ!?」


どこかに行こうとした菅沼の腕を、俺は引っ張った。ここにいて欲しい、置いて行かないで欲しい……その一心で。


「あ、あの……?」

「黙ってて悪かった……、ちょっと驚いてただけ、だ。お願いだから…行くなっ」

「っ……は、はい。わ、分かり…ました」

「ならいい。……何だ、その顔は」

「い、いえ、坂口くんがそんな事を僕に言うなんて、思わなかったから……びっくりして。それに……、えっと」

「何?」

「腕、そんな掴まなくても……」

「あ……、ごめん」


菅沼に指摘されて、俺は慌てて腕を離した。無意識に強く握っていたようで、菅沼は掴まれていた箇所を軽く手で押さえた。


「い、痛かった……か?」

「いえ、大丈夫です……何ともなってないですから」

「そうか……、良かった」

「…………」


俺がそう言うと、菅沼は俺の顔をじーっと見つめた。


「……ど、どうした?そんなに……じっと俺を見て」

「いえ、何でも……。そ、それより、具合、どうですか?」

「……大分良くなったっぽい」

「そうですか。……じ、じゃあ一応、念のため確認しますね」


そう言った菅沼は、俺の顔を恐るおそる覗き込んだり、ペタペタと震える手で触ってきた。菅沼の手が温かくて、とても気持ちが良い。ふと視界に、菅沼の手が映った。その手には引っ掻き傷所々にあり、少し痛そうだ。思わず俺は、その傷だらけの手を取って


「……これ、あの猫がやったのか?」


そう尋ねていた。


「えっ…、…ね、……猫?」

「ほら、旧校舎の……、あっ……」

「な、何で……知って……」


ハッとして顔を上げた時にはもう遅かった。菅沼の顔が、みるみるうちに青くなる。俺は全身の血がサーッと引いた。

せっかく今まで隠してきたのに、これではパーじゃないか!

菅沼と一緒に話せて気が緩んだのか?俺、マジアホだろ。


「…いつから?」

「は?」

「い、いつから、知ってた……んですか?」

「……に、二か月ぐらい前、だ」

「……も、もしかして、昨日旧校舎に、い、いましたか?」

「…………あぁ」

「あの音は、坂口くん…だったんだ……」


終わったな、何もかも。俺だと気付かれていなかったら、またあの姿が見られたのかも知れなかったのに。これからは俺を警戒して避けるだろう。あぁ、本当に今日は厄日だ、最悪な1日だ。


「そ……、その事、誰かに言いました?」

「いや、言ってない。……それだけは断言出来る」

「じゃあ、何で……昨日あそこにいたんですか?」

「そ、それは……」


……言えない、猫と戯れる菅沼を見たかったからだなんて。ましてや猫を自分に変換したり、菅沼の顔を見て癒しと暇潰し目的でいたとか……絶対言えない。


「…………」

「……………………」


菅沼が俺を凝視する。その視線に耐えられなくて、俺は口を開いた。


「ね……ねこ」

「え?」

「ねこが、か……かわい…くて、……うらやましかった、から…つい……」

「…………」


菅沼から目を反らして、震える声を絞り出す。言ってから、自分が変な事を言った事に気付いて顔が熱くなる。あー、穴に入りたい。今すぐに。


(……つか、何か言えよ馬鹿。何で黙るんだよっ!?)


若干涙目になっていると、視界の端で菅沼が下を向いた。何事かと思い視線を戻すが、表情が読み取れない。元が骸骨みたいだから地味に恐ろしい。

何だよ、俺あいつの気に触る事言ったか?奴の眼鏡が光に反射して不気味に思いながら、俺は恐るおそる菅沼に声を掛けた。


「な、なぁ……、すがぬ…」

「く……、っく……」

「っ!?おいっ、どうし……」

「くくくくくっ、あははははっ!」

「!?」


菅沼の様子がおかしいので、咄嗟に奴の肩に手を掛けようとしたら、菅沼が腹を抱えて大笑いした。突然の事に俺は固まる。


「な、……なっ」

「ご、ごめん……、あまりにも坂口くんがっ、……か、可愛い事言うからっ……つい……、くくっ」

「えっ、……お、俺が、……可愛い?」

「だって、校内一の不良くんが……猫が可愛いからとか言うんだもん、何かイメージと違ってて……はははっ」


俺にそう説明しながら、尚も笑い続ける菅沼。さすがにそこまで笑われると俺もムッとする。大体、イメージって何だよ、イメージって。


「な、何だよ……悪いか?」

「そ、そんな事ないですよ!寧ろ。僕は、そっちの坂口くんの方がいいと思います」

「……そうか?」

「ええ。坂口くんはもっと怖くて近付きにくい不良っていうイメージがあったから……」

「…………」


そんな風に思われてたんだ……、やっぱ不良ってそんな感じだよな……。軽くショックを受けていると、菅沼が口を開いた。


「特に大きな怪我もないみたいですね。もう大丈夫です」

「……ありがとな」

「いいえ、これが僕の役目なので……。あっ、そうだ」

「ん?」

「これから、あの猫の所に行くのですが、坂口くんも一緒にどうですか?」

「……俺も?……い、いいのか?」

「はい、もちろんです!……あ、でも強制ではないので嫌なら……」

「行く。……嫌じゃないし」


俺が返事をすると、菅沼は嬉しそうに「では行きましょう!」と言って笑った。




旧校舎の片隅の茂みに、俺は初めて入った。これまでただ遠くでこそこそ見ていただけの景色が、今……目の前にある。

隣には菅沼が猫を抱いて頭を撫でている。これは夢なのかと、ちょっとまだ信じられない。

昨日地獄かと思われた着信は、この時のために鳴ってくれたのか。今まで頑張ってきた事が報われたのか?

隣で猫にじゃれている微笑ましい菅沼を見て、俺は思った。


「……可愛いな」

「でしょー?この子とっても可愛いんですよ!ねー」


ニャーン、と菅沼の言葉に返事をするかのように鳴き声を発した。やっぱり、この光景は癒される。


「触ってみますか?」


じーっと眺めていると菅沼が聞いてきた。ずいっと、俺の目の前に猫をやる。

心なしか、猫の表情が険しくなった気がする。


「なんか、俺よりも菅沼の方が良さそうだぞ」

「んー、結構長く二人っきりだったからかな?大丈夫だよー、この人怖くないよー」


何だよその説得、恥ずかしいな……。


「見た目はいかにも怖そうだけど優しい人だよー」

「……おい」

「あはは、ごめんなさい!ちょっと調子乗りました。こんな風に誰かと関わるの久しぶりだから嬉しくて」


猫の背中を撫でながらそう呟く菅沼。その言葉に、友達がいない寂しさが伝わってくる。俺は、無言で菅沼に手を出した。


「坂口くん?」

「猫……触らして」

「え、あ、はい」


そっと差し出された猫を撫でてみる。とても温かくて柔らかい。


「俺も……」

「え?」

「俺も、こんな風に誰かと関わった事……ない。初めてだ」

「そうなんですか?よく不良の方達といるの見掛けますが……」

「あいつらが勝手に付いてきてるだけだ。まぁ、あいつらといるのも居心地いいけど……」

「なら、いいじゃないですか」

「……でも、あそこには俺の欲しいものがない。むしろあげる側になってしまう……それが辛い」


猫を見つめながら、俺は呟くように菅沼に伝えた。こんな事を誰かに言うのが新鮮だ。でも、少しすっきり出来て悪くない。こいつ以外に言おうと思わないが。


「坂口くんって、不思議な方ですよね……」

「どういう事だ?」

「だって、普段の坂口くんは周りに壁張ってるみたいに無口で怖いのに、今は全然違うから……」

「……お前にだけだ」

「うん、やっぱりおかしいですよ。僕にだけだなんて……絶対おかしい。……か、彼女とかには話さないんですか」

「……いないし」

「えっ、嘘っ?!」

「マジだ。俺、女駄目なんだよ」

「へー、意外です。てっきり女性を食い漁っているのだとばかり……」

「お前は、偏見し過ぎだ。つか、校内一の不良にスゲーなお前。普通、不良相手にそんな事言えねーよ」

「うーん、坂口くんだから言えるのかな?僕の中では不良ではなく、可愛くてちょっとおかしな人になってますから」

「ぷっ、なんだそりゃ……」


菅沼の言葉に思わず笑ってしまう。本当に面白い奴だ。知らなかったな、こいつ……こんなに話せるんだ。こいつも教室では大人しい方だから、気付かなかった。とても楽しい。


(今日は頭を打ったり恥かいたりで厄日かと思ったけど……前言撤回だな)


そう思っていると、下からフーッという鳴き声が聞こえた。何だと思い下を向くと、猫が般若みたいな形相で俺に威嚇している。


「何だよ、嫉妬か?……いっつ!!?」


笑いながら空いている左手で頭を撫でようとしたら、指先を思いっきり噛まれてしまった。


「あ、こらっ!噛んじゃ駄目っ!」


菅沼はメッと猫を叱るが、余程猫の癪に障ったのか離れない。


(クソッ、いつも菅沼と一緒にいるんだから、たまにはいいじゃねーかよ!)


そう思って猫を見つめると、お前なんかにやらん!とでも言うようにフシャーッと声を上げた。その隙に指を抜いて猫から少し離れる。手を見てみると、噛まれた所から血がにじんでいた。


「だ、大丈夫ですか?うわー、血が出てる」

「……痛い」

「保健室に戻って消毒しましょう。このままではバイ菌が入ってしまいますので」

「いいよ、これぐらい俺でも出来る」

「ついでですよ。それに、ここに誘ったのは僕ですし……」

「……じゃあ、頼む」

「はい、治療は任せて下さい。では参りましょう」


そう言った後、猫に「また明日ね、もう噛んじゃ駄目だよ」と告げ、保健室に急いだ。




「とりあえず、そこの水道で傷口を洗って下さい。僕は絆創膏と消毒を持ってきます」


保健室に入ってすぐに菅沼は俺に指示をした。言われるがまま、近くの水道で猫に噛まれた場所を洗う。菅沼は棚を開けて絆創膏を探している。


「探すの、手伝うよ。暇だし……」

「大丈夫です。それに場所、分からないと思いますし……」

「う……、そうか……」


そうは言っても、やる事がない。菅沼はあっちで真剣に探してくれてるし。そう思い天井を見上げた。

目に映ったのは、白ではなく橙色。夕陽に染まったオレンジ色の天井だ。いつの間にかそんなに時間が経っていたのか。時計に目をやると、既に五時半を過ぎていた。

いつもならバイトに向かっている時間帯だが、今日は仕方ない。頭を打ったし、何より今はまだここにいたい。

たまには、俺だって休みたいのだ。今日ぐらい、いいだろう。


(……とりあえず、メールで休みの連絡を入れよう)


そう思い携帯を取り出す。バイト先にメールを打っていると向こうから、うーんという唸るような声が聞こえてきた。

メールを急いで送信し、菅沼の所へ駆け寄る。


「どうしたんだ?」

「絆創膏が見当たらなくて……、切らしてたかなー……?でも、まだあったと思うんだけど……」


またうーんうーん唸る菅沼。


「消毒だけやってもらえばいい。大した傷じゃないし……」

「うーん、でも……あっ!」


そうだ、と急に声を張り上げ菅沼は自分の鞄を探り始めた。


「あったあった、坂口くん」

「何だ?」

「絆創膏、ありました!……柄入りですが……」


そう言って見せてきたのは、可愛らしい動物が描いてある、ピンクの絆創膏だった。いわゆる、女の子向けって感じのやつ。


「すみません、これしかなくて……」

「…………お前の趣味か、これ?」

「……えっ、と…、昔妹に貰ったやつなんです。捨てられなくて……」

「妹がいるのか……、いいな。ちょっと羨ましい」

「あはは、とても可愛い妹なんです。顔なんか兄妹なのに全然似てなくて……」

「……そうなのか?」

「はい!坂口くんも、見たらきっとびっくりしますよ!……ただ、最近ちょっと反抗期で、家に帰って来るのも遅いんですよ……。本当に困った妹です」


ははっ、と小さく笑う菅沼。妹の事を大事に思っているのがすごく伝わってきた。

そんな風に思ってくれる人がいるのに、菅沼の妹は贅沢だと思った。俺には、そんな風に思いやってくれる奴なんていない。まだ会った事もない菅沼の妹に、俺は嫉妬した。


「坂口くん?」

「……何だ?」

「いや、何か……思い詰めた顔をしていたから、気になって……。大丈夫ですか?」


菅沼はそう言って俺の顔を覗き込む。俺は咄嗟に顔を反らして一歩後ろに下がった。

菅沼の妹に対する嫉妬を悟られたくない。

菅沼に心配してもらえて歓喜している顔も、見られたくないし。


「……、気の…せいだ」

「そ、それなら……いいのですが」

「それより、……て、手当てをお願いしていいか?」

「あ、そうでした!……坂口くん、この絆創膏でいいのですか?」

「あぁ、俺はそんなに気にしない。むしろ、そんな大事な物を俺に使っていいのか?」

「ええ、普段使う事ないですし、構いません」

「なら、それで」


答えた俺は、さっき座っていた場所に戻り腰を掛ける。菅沼の顔を見ても、特に変化ないようでほっとした。

菅沼は俺の前にある丸い椅子に座り、「手を出して下さい」と指示を出した。言われた通り、怪我をした左手を差し出す。


「こうして見ると変な噛まれ方をしましたね、薬指の付け根とか……」


逆に難しそう、とか呟きながら傷口をまじまじと屈んで見つめる菅沼。時々菅沼の息が手に掛かり、くすぐったい。そう思っていると、薬指の付け根に消毒液を掛けられてピリッとしみた。

少し唸っている間に、ピンクの絆創膏を巻かれ手当てが完了した。


「出来ましたよ、坂口くん」

「あ、……あぁ」


菅沼にそう言われ、手当てされた薬指に視線を向ける。骨張った手には似合わない、ピンクの絆創膏。

その絆創膏は菅沼の私物、という事を意識してしまう。何となく、くすぐったい気持ちになる。


「ありがとな、菅沼」

「いえいえ、これぐらい楽勝ですよ。それより、まだ痛みますか?」

「あぁ、大丈夫だ」

「なら良かった」


俺の返事に、菅沼はにっこりと嬉しそうに笑った。その顔が、あまりにも優しくて、思わず見惚れてしまった。


「坂口くん?どうかしました?」

「……へ?あ、いや、別になんもない」

「?」


不思議そうな顔で俺を見る菅沼。お前の笑顔に見惚れてただなんて、口が裂けても言えない。


「そ、そういや、もうこんな時間、なんだな……」

「えっ?……あっ、嘘、五時半!?」


俺が、誤魔化して時計に目を向かせると、菅沼は慌てて鞄を手に取った。


「何で、そんな焦ってるんだ?」

「晩ご飯の支度をしなくちゃいけないんですっ、買い物も今日中にしないと……」

「……菅沼が、飯を作るのか?」

「ええ、僕しか作る人いないから……」

「……親は作らないのか?」

「あはは、ちょっと訳あり何ですよ、僕の家庭」


菅沼の発言に、俺は驚きを隠せなかった。こいつも、俺と同じ……なのか?


「親……いないのか?」

「父親はいますよ。海外で働いているから、あまり会えないですが……。母は五年前に交通事故で……」

「……そっか。……寂しくないのか?」

「寂しくないって言ったら、嘘になります。でも、もう慣れました」

「……強いんだな、菅沼は」

「そんな事ないですよ。今でも時々、心細い時ありますし……。でも、妹がいるから泣き言いえません」


そう、はっきりと答える菅沼。その姿は、いつもの弱々しい彼と全く違って見えた。それは、とても眩しくて俺には届かない。


「やっぱり、菅沼は強いよ。……俺とは違う」

「え……?」


過去の思い出に縛られて、今もなお愛情に飢えている俺とは違う。父親の自殺、母親に捨てられた記憶……、俺には到底慣れる事なんか出来なかった。それを乗り越える強さなんか持ち合わせていない。何だか、自分が情けなくなり、俺は俯いた。


「坂口……くん?」

「…………」


返事をする気が起こらなかった。菅沼と俺との違いに、何となく壁を感じて、俺は押し黙る。さっきまで、あんなに楽しかったのに、今は少し辛い。親がいない境遇は似ているのに、こんなにも違うなんて……。自分は惨めな男だ、と心の中で思った。


「……っ!」


俺が黙ってしまった事に心配をしたらしい。菅沼は俺に近付いて顔を覗き込む。俺の顔を見た菅沼は、目を見開いて俺を凝視した。


「さ、かぐ……ち……くんっ」

「…………」


菅沼の声は震えていた。


「……菅沼」


そんな顔で凝視する菅沼を見たくなくて、俺は口を開いた。もう、今日は終わりにしたい。早く、一人になりたい。そんな気持ちでいっぱいだった。


「早く行かないと、買い物に間に合わないぞ」

「で、でも……」

「家で夕飯作るんだろう?もしかしたら、お前の妹が帰ってくるかもしれないし。……もう、帰ろうぜ」


捲し立てるように喋る俺の口。菅沼から視線を外し、俺はそう告げた。


「…………」

「なぁ、菅沼。……聞こえてるのか?」

「坂口くん、……ちょっとだけ、いいですか?」

「は?」


菅沼からの発言に、俺は奴を見上げる。菅沼は、小さく「すみません」と言いながら、俺に手を伸ばした。


(えっ…………)


ふわりと、頭に感じる重み。その重みは温かく、俺の頭を優しく撫でる。


「す、菅沼……?」

「ごめんなさい、坂口くんが泣きそうな顔をしていたから……」


撫でたくなってしまったのです。

そう呟きながら、菅沼は俺の頭を撫でた。心地よい感覚、温かい菅沼の手。その手は、冷えた俺の心を温めた。


「僕、坂口くんの事……、あまりよく知らないけど、これだけは言えるよ」

「な、何を……」

「坂口くんは、独りじゃない」

「……っ!」

「君を慕っている人達もいるし、坂口くんの好きな猫もいる。……あんまり頼りにならないけど、僕もいる」

「……菅沼も?」

「はい。……それとも、僕と友達は……嫌、ですか?」


自分を指差して困ったように笑う菅沼。そんな菅沼の顔が、だんだんにじんで見えなくなる。


「とも……だちに、なって……くれる、の?」


出てきた言葉は、普段よりも小さくて、酷く情けない。いつもとは全く違う、子供っぽい口調。それでも菅沼は、笑顔で応えてくれる。


「ええ、勿論です!坂口くんさえ良ければ……」

「……俺、不良だよ?」

「関係ないですよ」

「俺、……あんまりお前と喋れないと思う」

「そんな事気にしなくて大丈夫ですよ」

「俺、……多分お前に凄く迷惑掛けると思う」

「だから大丈夫ですって。……坂口くんは、僕だと……嫌?」


眉毛を八の字にしてまた笑う。俺は首を振った。


「嫌、じゃ……ないっ」


そう答えた瞬間、堪えていた涙がボロボロとこぼれ落ちた。俺の返事を聞いた菅沼は、微笑みながらもう片一方の手で俺の目元を拭う。


「そう言ってくれて、嬉しいです」


菅沼の一言が、菅沼の手が、菅沼の表情が、飢えた愛情を満たしてくれる。それは想像していたものよりも、ずっと優しく俺を包み込んだ。


(これが、俺が欲しかったもの……)


そっと、目元を拭う菅沼の手に触れてみる。痩せているからなのか、皮と骨しかないゴツゴツした手。でもその温もりは、いつまでも触りたくなるような温かさ。


(この手を、ずっと離したくない……)


すり、と菅沼の手に俺の顔を擦り付ける。とても、……心地の良い手。


「さ、坂口くんっ……」

「ん……?」

「さ、さすがにそれは……恥ずかしいで、す」

「……あ」


自分のしている事に気付いて、俺はサッと菅沼から離れる。男に顔を擦り付けられるとか、気持ち悪いってもんじゃないだろう。嫌われていないかと思い、恐るおそる菅沼の顔を見る。


「す、……菅沼」

「……なん、ですか?」

「顔、真っ赤……」

「っ……だ、だっていきなり、だったから……びっくりしたんです」

「……そ、そっか……」

「それに、坂口くんこそ、ひ、酷い顔ですよ。涙でグチャグチャ……」

「悪いか」

「……悪くないですが、せっかくの良い顔が台無しですよ」

「顔とか、別にどうでもいい。見てんのお前だけだし」

「ふふっ、それもそうですね」


顔を赤くしながら、菅沼は笑う。その顔を見たらいつの間にか涙が引き、ドクン、ドクンと俺の胸が鳴り響いた。


(……、……)


いや、この音は今が初めてじゃない。きっと……。


「……菅沼」

「はい、何でしょうか?」

「今日は……ありがとな」

「ふふっ、こちらこそですよ。この学校で友達が出来るなんて、思わなかったですし。……今日はすごく楽しかったです」

「俺もだ。……あの、さ」

「はい?」

「また、……こうして話してくれるか?」

「……ええ、勿論です」


眩しくなるような笑顔を俺に向けて、菅沼は当たり前のように答えてくれた。それが、堪らなく嬉しい。


「あ、そういえば用事あったんだよな……。引き止めて悪かったな」

「大丈夫ですよ、坂口くんの事色々知れましたし」

「……誰にも、言うなよ?」

「分かってますよ。では、また明日」

「あぁ。また明日」


そう挨拶をして、菅沼は保健室を出ていった。


(……また明日、か)


明日も菅沼に会える、また今度お話出来る……交わした言葉の数々に俺は胸が高鳴った。

菅沼は、とても優しくて温かかった。こんな俺を友達と呼んでくれた。今まで会話もろくにしてなかった相手なのに、菅沼は俺を受け入れてくれた。

とてつもなく……嬉しい。


(でも……)


さっき気付いてしまった。あいつへの気持ちが、ただの憧れじゃなくなった事に。いや、もしかしたらずっと知らぬ顔をしていたのかもしれない。


(この気持ちは、ずっと仕舞っておこう)


好き、っていう気持ちなんか……言えないから。




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