暇潰しの行方
いつもと同じような空。屋上から眺める空は、俺を無視して流れていく。
「坂口さんっ!」
呼ばれた声に振り返ると、ニヤついた金髪が居た。俺を慕っているらしくよく付きまとって来る。その金髪が俺に近付いた。
「今から隣町に行って殴り込みするんですが、坂口さんもどうっすか?」
「……俺はいい」
「そうっすか……、じゃあ行ってきます!」
金髪は俺に一礼した後、走り去っていった。
俺は、世間一般的に不良と呼ばれる部類らしい。なりたくてなった訳じゃなく、ほぼ成り行きで校内一強い不良とまで言われるようなってしまった。ただ単に、不良が俺を邪魔してくるのがうっとおしくてボコボコにしただけだったのだが……、いつの間にか頂点に君臨してしまった。喧嘩するのも目立つのも苦手だが、何もしなくても慕ってくれるような奴もいるし、何より一人じゃないと思えるこの空間は、少しだけ居心地が良い。ただ、嫌なのは……そう思っていると、俺の携帯が鳴り始めた。
(……チッ、またか)
そう思い電話に出ると、頭から出ているようなキンキン声が耳を襲った。
「ねぇー、いつになったら付き合ってくれるのー?私ずっと待ってんだけどー」
「……俺はお前と付き合う気はない、じゃ」
「あ、ちょっと……」
女の返事を待たずに電源ボタンを押した。どこで俺の電話番号を知り得たか知らんが、こういう女絡みの事が多いのが俺は嫌なのだ。別にタイプが合わないとか、顔が苦手とかそういうのではない。根本的に女というのが受け付けないのだ。その理由は、俺の過去にある。
俺は幼い頃に、父親が自殺した。何の前触れもなく、目の前で首を吊って……。父を自殺に追い込んだ元凶は、俺の母親。俺の母親は金遣いが悪く、その金で他の男と遊んでいた。多額の借金に過剰なストレス、……それに追い込まれ、俺の親父は自らその命を絶ったのだ。そして夫を亡くした俺の母は、……俺を置いてどっかに行っちまった。恐らく、良い金づるが死に、その原因が自分という事で逃げたかったのと、残った俺が邪魔でしかなかった……だから捨てられた。元から母親に愛情というものをあまり貰った事がなかったのだが、……それでも俺は悲しかった。悲しくて寂しくて辛かった。
その後、父親の親戚の叔父の家に引き取られた。最初こそ面倒も見ていてくれていたのだが、バツイチだった叔父が再婚してから一変。また金遣いが荒い女が家に来てしまった。浮気はしないが酒癖が悪く時々暴力的な女。そんな姿の女ばかり見てきたせいか女が駄目になってしまった。一種のトラウマ、というやつだ。
一度も母親から貰えなかった愛情、それを感じたいが為に一度だけ、女と付き合った事がある。その女は学校のマドンナ的存在でとても綺麗な女性だ。……だが、どうしても受け付けられなくて気分が悪くなり、終始うつ向いてばかりいた。その時女が、何か勘違いしたらしくキスをかましてきたり、勝手にその気になって抱き付いてきたりした。それに堪えきれず、俺は彼女の胸の中で……吐いてしまった。さすがにあれは申し訳なかったが仕方ない。ちなみに、その元カノとはもう会っていない。
はぁ、と溜め息をついて下を見ると、見覚えのある男が歩いているのが見えた。
(もうそんな時間か……)
そう思って、俺は屋上から出ていった。
うちの高校には少し離れた所に旧校舎がある。余程の事がないと使われないし、埃臭く生徒に全く人気がない。だが、そんな人気のない旧校舎にも利用者がいる。いや、正確に言えば旧校舎の片隅の植え込みであるが。
俺は、旧校舎の二階の窓からそれを覗いた。
(やっぱり……居た)
ここに来る変わり者。それは俺のクラスメイトのわかめ頭だ。名前は確か菅沼だったはず。やたら背がデカイくせにガリガリでヒョロヒョロで骸骨みたいな顔で眼鏡を掛けている不気味な奴。クラスでは不良に絡まれよくパシられている。そんな菅沼が何故ここに来るのか?それは……
ニャー、ニャー
「ごめんねー遅れちゃって……、ほら」
捨て猫に餌をあげるためだ。毎日健気にあいつはここに来る。こそこそしているのはきっと見付かったら、猫に被害が及ぶかもしれないと思ったからだろう。何より猫とふれあう機会がなくなる事を恐れている。まぁ、あれだけ弄られパシられていれば癒しが欲しいよな。友達……いないみたいだし。
ニャーン
「よしよし、いい子いい子……」
菅沼は、擦り寄ってきた猫の頭を優しく撫でた。
(…………)
「ははっ、今日は甘えん坊だね。大丈夫、お前は一人じゃないよ」
(…………っ)
ジクンっと、胸が痛くなる。あいつが捨て猫に与える愛情、それがとても羨ましい。俺は生まれてから貰ったことないそれを、あの猫は菅沼に貰っているのだ。とても羨ましい。
あの骨張った手に撫でられるのも、
あのしゃがれた声に安心する言葉を掛けられる事も、
あの骸骨みたいな不気味顔に笑い掛けてもらうのも……
凄く、羨ましい。
これを言ったら笑うと思うが、俺はあの猫に酷く嫉妬している。
こんな気持ちを抱いたのはいつからだったのか分からない。最初は、暇潰しに旧校舎辺りを散歩していて見付けただけだったのだ。見た事ある奴だな、と思いこっそり付いて行ったら、あの捨て猫が居た。そのやり取りがなんとなく面白くて、それから毎日ここに来て観察するようになっていった。でもあいつが猫を可愛がっている姿を見ていくうちに、俺の中で訳の分からない感情が芽生えた。猫相手に嫉妬とか……自分でも馬鹿みたいだ。
もし俺が、あいつに頭を撫でて欲しいと言ったら笑われるかな?
それとも引かれる?
もしかしたら、やってもらえる?
最近、そんな事ばかり考えている。
(まぁ、言う気なんてないけどな……)
クラスが一緒、というだけであまり話した事なんてない。興味がなかった時は見向きもしなかったし、この暇潰しを見付けた後も……何も変わらない。ただ、なんとなく遠くから眺めたり、近付いてみたり、不良に絡まれそうになったらこっそり邪魔しているだけだ。それ以外全く変わらない。
菅沼は気付いていないだろう。
そう思ったら、少しだけ切なくなってきた。
(はぁ……)
心の中で溜め息をついて、菅沼と猫のやり取りを見つめた。子猫に対して嫉妬はするものの、やはりこの光景は癒される。
(出来ればずっと……)
見ていたい。そう思っていると、突然俺の携帯が鳴った。
(っ?!……しまった、マナーにするのを忘れてた!)
俺は急いでしゃがみ携帯を取り出して宛先を確認する。俺のバイト先からだ。
(どうする!?ここで出たら、菅沼にバレてしまう……。でも……)
出なかったら下手するとクビに……、クソっ!俺は携帯の液晶に触れ耳に押し当てた。
「はい……、坂口です…」
「あ、坂口くん?ごめんねー、いきなり電話して。今日入ってた子が熱出しちゃったみたいで、ちょっと急なんだけど……」
「分かりました、ちょっと時間掛かりますが……」
「うん、大丈夫だよー。ありがとねー、いつも」
「いえ……、では失礼します」
通話を終え、ふぅっと息を吐く。心臓がまだバクバクいっている。
(あいつに、バレたよな……クソっ)
俺は無言で床に拳を落とした。
(もう、見られないかもな……)
唯一の隠し場所が見られたんだ、猫の隠し場所を移すだろう。
(学校の外へ行かれては、さすがの俺も見つけれない……)
大切な暇潰しが失ってしまうのが嫌だった。けれど、バイトに行かなくては……。俺は立ち上がって、静かに外を見た。菅沼は、少し青い顔で辺りを伺っていた。
(ごめん、菅沼……)
心の中で彼に謝り、俺はバイト先へ向かって急いだ。
俺の家計は例の女のせいで常に火の車だ。叔父さんの給料だけじゃ、到底生活なんて出来ない。だから俺もバイトをして金を集めている。俺は周りより背が高くなるのが早かったし、顔がみんなより少しだけ老けて見えるので中学の頃から隠れてアルバイトをしていた。なるべく裏方で作業出来るところや、人前に出ないバイトを選んだり……。中学では知り合いに見つからないように、高校では不良に絡まれないように気を使った。髪を変えたり、普段ではあり得ない程の作り笑いを浮かべたり……結構疲れる。家に帰るとあの泥酔女に絡まれたり、叔父や俺を叩いたり……。叔父さんは打たれ弱いので、あの女に負ける。バイトの疲れも、家庭内での疲れも、学校に行けば少し休めるが、女どもや不良がうるさい。そんな光景や生活ばかりだから、あの安らぎの一時がとても大事なのだ。菅沼と猫の微笑ましい姿を眺める一時が。
(もう、見れないのかな……)
自分のベッドで仰向けになり、天井を見つめ溜め息をつく。
不良の奴らと一緒にいるのも良いが、あそこは俺の欲しいものがない。だから、菅沼と過ごすあの猫に嫉妬する。
もう見られそうにない光景を思い出しながら、俺は瞼を閉じた。
(ここは……?)
いつしか見知らぬ場所で丸くなって眠っていた。あくびをしながら伸びをし、辺りを見渡す。どの角度から見ても茶色しかない。てか、これ段ボールだ。やけにでかいな。上を見るとでかい木や葉っぱ。そして空。
周りの物が大きくなっている事を不思議に思っていると、どこからか声が聞こえてきた。
「……オー、レ……こー?」
(この声は……)
聞いた事のある声に胸が高鳴る。あいつが、あいつが俺を呼んでいる!この俺を!
いてもたってもいられず、俺は声のする方に向かってジャンプした。
ドッシーン、っと派手な音を立て、俺は全身を強く打つ。
「っつー……」
主に顔面を強打した俺は床でのたうち回った。ここはどこだ?そう思って涙でにじむ目を開く。殺風景なここは、俺の部屋?さっきまで俺は段ボールの中にいた筈なのに……。あれは、夢だったのか。
「だ……大丈夫?玲音くん」
「あ?……なんで叔父さんいんの?…」
「ちょ、ちょっと玲音くんに用事があって……。そ、それより、頭、大丈夫?」
叔父さんは心配そうに俺を見つめた。俺は起き上がって額を触ってみる。痛いが、何ともなっていないようだ。
「一応、……平気みたい。それより、用事って何?」
「あ、あぁ……えっとね、これ渡したくて」
叔父が懐から取り出したのは縦長の茶封筒だった。それを俺の前に差し出した。
「これは……?」
「今まで頑張ってくれたお礼だよ。少ないけど、当分は一人でも暮らしていけると思う。あ、借金は気にしなくていいからね?」
「……は?何、急に。全然、意味分かんな……」
「あ、いけない、もうこんな時間だ!玲音くん、急がないと学校に遅刻するよっ!」
叔父は俺の言葉を遮って時計を指差した。時刻は朝の8時、確かにこれはヤバい。家から学校まで自転車で約1時間だ、このままだと間に合わない。
「この話は、また後でするからな。じゃあ……」
俺は急いで着替えを済まし、朝食のトーストをかじりながら家を飛び出した。
猛スピードでペダルを漕いで何とか時間内に学校へ到着。ハァハァ息を切らして歩いていると、あの金髪が現れた。
「どうしたんすか、息切らして?珍しいっすね」
「……い、家出んのが、っ……遅くなった、だけ…だ」
「ふーん、まぁいいや。あ、俺次体育なんで行きますね!」
「…じゃあ、な」
金髪は俺に手を振りながら走って行った。ふぅっ、と息を吐いて俺も自分の教室へ向かう。
(今日の授業、何だっけ……。あ、六時間目が体育だったな……)
かったるいな、と心の中で呟いて教室に入った。