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令嬢シリーズ

筆先の逆転劇〜書籍化を奪われた令嬢ですが、別の出版社の社長に見初められました

作者: 無色

 春の終わり、王都に柔らかな風が吹いた頃のこと。

 伯爵家の令嬢であるエリス=グレイスフィールドは、夢に見た知らせを受け取っていた。


「おめでとうございますエリス様! マルグリット出版より正式に書籍化が内定しました!」


 侍女が息を弾ませて駆け込んできた瞬間、エリスの胸に熱いものが込み上げた。

 文学大賞に輝いた彼女の物語、『月影の庭園』。

 元々趣味で恋愛小説を執筆していたエリスは、それを冊子に纏め友人に配っていたのだが、それが若い貴族たちの間で密かに評判を呼んでいた。

 友人に背中を押される形で公募に応募した作品が出版社の目に留まり、なんと数ある作品の中から映えある大賞に輝いたのだ。

 

「そんな……夢みたい……! 私……!」


 大賞とは書籍化が約束された名誉ある賞。

 家族、使用人、友人、皆が揃ってエリスを祝福した。

 誇らしいと、素晴らしいと、称賛の言葉をかけられる度に顔が綻んだ。

 マルグリット出版といえば、作家ならば誰もが一度は憧れる名門。

 そこに自分の作品の名が連なる。

 全てが夢のようだった。

 全てが夢だった。






 書籍化内定の報せから三週間後。

 突然、マルグリット出版からの手紙が届いた。


『誠に遺憾ながら、社内の方針転換により契約は白紙とさせていただきます』


 信じられなかった。


「契約の、取り消し……?」


 声が震えた。

 心無い文が、今までの努力と誇りを否定していた。


「そんな……どうして。何がいけなかったの……?」


 今後の展開を慎重に検討した結果、受賞時に弊社へ帰属していた翻案権等に関する契約を、当日を以て解約し……そんな耳障りのいい出版社の都合ばかりを書き連ねた文章には、怒りを通り越して涙がこぼれた。

 答えを求めるべく、担当編集者であるジョゼフ=ロッセに面会を求めたが、彼は冷ややかに言った。


「あんたの作品は悪くはなかったけどな、世間が求めているのはもっと華やかなもんなんだよ。今回の受賞は何かの手違いだったってことで納得してくれ」

「どうして……私の作品は大賞を取ったんでしょう……! そんな言葉だけで……! 書籍化は……!」

「言葉の綾ってやつを知らないのか? それでも小説家か? まあ、お遊び程度で執筆してるお嬢さんにはわからない話かもしれないが。さて……あまりしつこいと警備を呼ぶぞ。まったく、たかが内定の取り消しくらいでうるせえな。また書いて応募すればいいだけだろ」


 そう言うジョゼフの瞳は冷たく、そしてどこかよそよそしかった。


「とっとと消えろ、鬱陶しい」


 足元投げ捨てられた自身の原稿を目に、エリスは空気の吸い込み方を忘れそうになったが、なんとか堪えジョゼフに手を伸ばした。


「待って……待ってください!!」

「しつこいんだよ!!」


 しかしエリスは乱暴に突き飛ばされた。

 彼女に向けられたのは、心配どころか心無い嘲笑であった。


「書籍化内定が取り消し? どうせその程度の作品だったってことだろ。読む価値が無いんだよ。それともなんだ、原稿料でもせびってるのか? こんなゴミを書いてる暇があるなら、女らしく男に媚びて股でも開いてる方がよっぽど稼げるってもんだがな。なんならおれが買ってやろうか? ほら受け取れよ。お前が欲しかった金だ」


 頭の上から紙幣をばら撒かれたエリスは、羞恥と屈辱で顔を真っ赤にして、原稿を抱いてその場から逃げ出した。

 嘲笑われ、侮辱され、それでも何も言い返せなかった弱い自分を酷く恥じた。






 社交界では噂がすぐに広まる。


「グレイスフィールド家の娘は書籍化の内定を取り消されたらしい」

「可哀想に」


 憐れむ視線が彼女を刺した。

 エリスの部屋は、涙の海と化していた。

 家族らが気にかけるもから元気に微笑むばかり。

 机の上には彼女が半年をかけて書き上げた、『月影の庭園』の原稿の写し。

 それと並ぶように置かれている新聞の見出しが、エリスの胸を刺し貫いた。


『マルグリット文学賞、ベルネ侯爵令嬢が受賞』

『新進気鋭の令嬢作家が描く希望と再生の物語』


 喉の奥が焼けるように痛んだ。

 自分の心臓がゆっくりと潰れていく音が聞こえる気がした。


「どうしてなの……? どうして……」


 呟きは震え、やがて嗚咽に変わった。

 鏡に映った自分の顔は夜更けの影のように青ざめ、夢と期待に満ちた少女の姿など、もうどこにもなかった。

 窓の外に新しい朝が来るが、その光は彼女には痛すぎた。

 机の上の万年筆を掴み、震える指で見つめる。

 この筆でどれほどの想いを綴ってきたのだろう。

 書きたいものを書き、描きたい世界を描いてきたと、誰よりも信じてきた。

 それなのに。


「……ッ!!」


 床に叩きつけられたペン先が乾いた音を立てて折れた。

 その音はまるで命が途絶えたように聞こえた。


「……もう、書かない」


 小さく呟いた瞬間、胸の奥に灯っていた火が消えた。

 机に置いた原稿用紙が、窓辺から吹き込んだ風に舞って床に散る。

 夢の残骸が飛び去っていくかのように。

 エリスは膝を抱え声を殺して泣いた。

 泣き疲れて眠ることも出来ず、何日も何日も冷たい朝を迎えるしかなかった。

 そんなある日のこと。

 屋敷を一人の男性が訪れた。


「初めましてエリス嬢。オルフェ出版代表、レオン=アルヴィンと申します」


 エリスより頭一つ高い長身。

 陽光を反射する銀の髪。

 理知的な瞳を持つ青年が、穏やかに微笑んでいた。


「こんな格好でゴメンなさい……」

「こちらこそ突然の訪問をお許しください。あなたの作品を拝読し、烏滸がましくも一読者として居ても立ってもいられず、こうして直接感想を伝えに来た次第です」


 エリスは驚いた。

 彼が大事そうに抱えているのは、エリスが書いた小説の冊子であった。


「その冊子……あまり数は出回っていないはずなのに……。いったいどうやって……」

「仲の良い友人に勧められまして。いえ、そんなことよりエリス嬢」

「は、はい」

「あなたの作品は素晴らしい」


 そこからしばらく、レオンの口が止まらなかった。

 大仰とも言えるほどにエリスの文を褒め称え、早口ながら小説の内容について事細かに自分の意見を述べる。

 エリスは怒涛の称賛に顔から火が出る思いをした反面、ここまで真摯に自分の小説を読み込んでくれている目の前の読者に目頭が熱くなった。

 そして、エリスは涙した。


「ど、どうかしましたか? 申し訳ありません、つい話しすぎてしまって……迷惑でしたか……?」

「いえ……違うんです……。嬉しくて……こちらこそ、ゴメン、なさい……」


 震えながら止め処なく涙を流すエリス。

 レオンは慌てて後ろに回り、背中を擦って宥めた。


「ゴメンなさい……こんな……」

「いえ」


 しばらくほどしてようやくエリスが落ち着いてから、目の前の少女の異常な様について疑問をぶつけた。


「エリス嬢、何かありましたか? もしよろしければお話しください。晒して晴れる胸の内もあるかと思います」


 唇を噛んで言い淀んだが、レオンに安心感を覚えたエリスは、真っ赤に晴らした目を伏せて言葉を発した。

 大賞受賞の喜び、出版契約が白紙になった虚しさ、悔しさ……全てを彼に曝け出した。

 その間、レオンはまっすぐな目で彼女を見ていた。


「そんなことが……バカな。出版社が簡単に契約を反故にするとは……。事情はわかりました。エリス嬢、この件どうか私に任せてはいただけませんか?」

「レオン、様……?」

「一編集者として、一読者として、このような暴挙は見過ごせません。あなたの作品は、多くの人の目に留まるべきだ」


 レオンはそっとエリスの手を包みこんだ。


「あなたの作品を私の社で世に出したい。あなたの言葉を世界中に届ける手伝いを、私にさせてはもらえませんか?」

「私なんかが……そんな……」

「なんかではありません。あなたの言葉でなければいけません」


 自分を、自分の作品を必要だと言う。

 その眼が、一言が、エリスの胸に再び火を灯した。






 半年後。

 オルフェ出版から発売されたエリスの新作小説『夜明けの花冠』は、王都で異例の大ヒットとなった。

 書店には長蛇の列。

 貴族も平民も、誰もがその物語に涙した。

 失意を越えて生まれた言葉が、多くの人の心に届いたのだ。

 また新作発売からほどなくして、王都中を騒がせる記事が新聞の一面を飾った。


『マルグリット出版、大賞選考に不正疑惑』

『編集者ジョゼフ=ロッセ氏、貴族令嬢との癒着発覚』

『原稿改竄及び役員買収の証拠も確認』


 王都文芸通信社が報じたその記事は、瞬く間に貴族社会を駆け巡り、令嬢たちの話題はこの一件で持ちきりだった。


「まあご覧になって? マルグリット出版の大賞、やはり裏があったのですって」

「受賞作が決まる前に、侯爵令嬢のカトリーヌ様の原稿が既に印刷されていたとか」

「まあ、なんてあからさま……!」

「恥知らずもいいところですわ」


 翌朝にはジョゼフの名と顔写真が掲載され、罪と共に衆目に晒された。

 記事の末尾にはこう記されている。


『尚、この件の内部調査に協力したのは、オルフェ出版代表レオン=アルヴィン氏である』


 彼は証拠の写しを王都文芸通信社に提供し、文学界の健全化を訴えたという。

 無論、そこに当人の意義申し立てが無かったわけではない。


「なんだよ!! 小説なんて売れればどれでも一緒だろ!! アマチュアなんて誰が受かっても同じだろうが!! 作家の一人や二人、代わりなんていくらでもいることくらい誰でも知ってるぞ!!」


 全てが明るみに出ても、ジョゼフは自分は悪くないと騒ぎ立てた。


「なのになんでおれだけがこんな扱いを受けなきゃいけないんだ……ぁがっ?!!」


 そう喚いたジョゼフの頬に、レオンの拳がめり込んだ。


「アマチュアでもプロでも、作家が書いた文は一言一言が価値と意味に彩られた財産です。あなたのような痴れ者がなじっていい理由など無い」


 口から血を流すジョゼフの胸ぐらを掴み、レオンは鬼気迫る表情を近付けた。


「作家の手は文章を書くためにある。だから代わりに私が汚れよう。次に小説を、作家を侮辱してみろ。二度と作品に触れられないよう目を抉り、文学を貶すその喉を切り裂いてやるぞ」


 ジョゼフは泡を吹いて白目を剥いて気絶した。

 マルグリット出版は公式声明を発表したが時すでに遅し。

 自己保身に走った言葉に耳を貸す者はおらず、株主は離れ、契約作家は次々と他社に移籍。

 文芸界の名門と称された社の看板は一夜にして地に堕ちた。

 そして数日後、王都の新聞第二面には続報が掲載された。


『ジョゼフ=ロッセ氏、懲戒解雇。業界から永久追放』

『カトリーヌ=ベルネ侯爵令嬢、縁談破談および社交界からの除籍処分』


 新聞の挿絵には、顔をローブで覆い隠したカトリーヌと、警備兵に腕を掴まれ引きずられるジョゼフの姿が描かれていた。

 その見出しの下には、読者から寄せられた短いコメントが並ぶ。


『正義はまだ死んでいなかった』

『筆は剣よりも強し』


 記事を読んだエリスは、静かに新聞を閉じた。

 彼女の横でレオンが微笑む。


「もう気に病むことはありません、エリス嬢。あなたの名は正しき形で広まりました。悪しき者たちは、言葉の力によって滅びたのです」


 エリスはやっと溜飲が下がったとばかり身体の力を抜いて、頭をレオンの肩に預けた。






 その年の暮れ。

 王都文学祭の表彰式。

 壇上に立つエリスの手に最優秀作品賞の盾が渡された。


「エリス=グレイスフィールド著、『夜明けの花冠』。あなたの筆はこの国に新しい風を運びました。深き知性と文学への愛を称え、ここに賞します」


 万雷の拍手と喝采の中、エリスは誇らしく金の盾を抱いた。

 華やかなパーティーの中心に立つエリスに、レオンが緊張した面持ちで近付く。


「レオン様」

「…………エリス嬢」


 会場の空気が止まる。

 彼はエリスの前に跪き小さな箱を差し出した。

 中には指輪の代わりの万年筆が一本。


「あなたの書く物語を、これからは隣で共に綴らせてほしい。どうか、私の妻になってください」


 エリスの瞳に涙が溢れた。

 それは屈辱の涙ではなく、真に幸福の涙だった。


「はい……喜んで。あなたがいたから、私はもう一度筆を取ることが出来ました。レオン様、あなたのために愛の言葉を紡がせてください」


 会場に歓声が響き渡る。

 本物の栄光を掴んだこの令嬢を誰もが惜しむことなく祝福した。






 王都の書店では、一際美しく飾られた一冊の本が光を放っていた。

 かつて一人の愚か者が投げ捨てたそれの表紙には、金文字でこう刻まれている。


 著:エリス=アルヴィン

 発行:オルフェ出版


 書店の中央で目立っていたはずの、今や名前も忘れられた出版社の名残はもう影も形もない。

 名門と謳われた華々しさも、積もる埃の一欠片さえも。

 今、多くの作者がやるせない気持ちになっていることと思います。

 当事者でなくとも、対岸の火事であることは否めません。

 胸をすく思いをさせることは難しくも、少しでも救いになればという気持ちで書きました。


 どうか諦めず、筆を折ることがありませんように。


 尚この作品はフィクションです。

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