第8話「気まずい朝と背負う覚悟」
翌朝の空気は、鉛のように重かった。焚き火の燃え殻が、昨夜の気まずい会話の残骸のように転がっている。
グレイはすでに起きていて、黙々と武具の手入れをしていた。
リリアはまだ壁際で膝を抱えていて、その表情は窺えない。
「……おはよう」
俺が声をかけると、リリアはびくりと肩を震わせ、顔を上げた。その目は少し赤く、腫れぼったい。
「……おはよう、ミナトさん」
彼女の声に、いつもの明るさはない。
「行くぞ」
グレイが、手入れを終えた大剣を背負いながら、短く告げた。
俺とリリアは、何も言わずに立ち上がり、その後に続く。
誰も、何も喋らない。聞こえるのは、三人の足音と、壁から滴る水の音だけだ。
しばらく歩くと、通路の先に一体のモンスターがいた。巨大なコウモリ、ジャイアントバットだ。
「ミナト」
グレイが、俺の名前を呼んだ。
「……わかってる」
俺は剣を抜き、ゆっくりと前に出る。昨夜のことが頭をよぎる。
俺が弱いから、リリアはグレイに責められたんだ。俺が、もっと強ければ。
「ミナトさん、気をつけて……!」
背後から、リリアの不安げな声が聞こえる。
「大丈夫だ」
俺は、彼女ではなく、前方の敵だけを見て答えた。
ジャイアントバットは、甲高い鳴き声と共に滑空してきた。
速い。だが、コボルトとの戦闘で、速い敵には少し慣れた。
「落ち着け……。敵の目を、見ろ……」
グレイの教えを、頭の中で反芻する。
突進を、最小限の動きで半身になってかわす。空を切った敵が、体勢を立て直そうと身を翻す。
そこだ。
「うおっ!」
教わった通り、腰の回転を使って剣を振るう。手応えは浅い。だが、確かに翼の膜を切り裂いた。
ジャイアントバットはバランスを崩し、壁に激突する。
俺は、その隙を逃さなかった。倒れた敵に駆け寄り、心臓めがけて、全体重を乗せて剣を突き立てる。
断末魔の叫びが響き、そして、静かになった。
「はぁ……はぁ……」
荒い息をつきながら振り返ると、グレイとリリアがこちらを見ていた。
「……やるじゃねえか」
グレイが、初めて、ほんの少しだけ認めるような口調で言った。
「……あんたの教え方が、まあまあだったからな」
俺は、憎まれ口で返す。
「ミナトさん……すごい……」
リリアが、駆け寄ってきた。その目には、いつもの心配の色に加えて、純粋な驚きが浮かんでいた。
「たいしたことないって。一体だけだしな」
「ううん、そんなことない! すごく、強くなったね!」
リリアは、心の底から嬉しそうに笑った。昨日の朝までの、ただ守られるだけだった俺とは違う。
ほんの少しでも、彼女を安心させられた。その事実が、胸の奥を温かくした。
「調子に乗るなよ、ガキ」
グレイが、そんな雰囲気を断ち切るように言った。
「たかがコウモリ一匹倒したくらいで、天狗になるな。『アビス』はそんなに甘くねえ」
「わかってるよ!」
「ならいい。さあ、行くぞ」
グレイはそう言って、また先頭に立って歩き出す。
「……行こうか、ミナトさん」
リリアが、俺の隣に並んで微笑んだ。その笑顔には、もう昨日のような陰りはなかった。
「ああ」
俺は、強く頷いた。
まだ、グレイには遠く及ばない。リリアの過去も、何も知らない。
だけど、一つだけ確かなことがある。俺は、この二人の足手まといでいるつもりはない。彼女の笑顔を守るためにも、あのデカい背中に追いつくためにも、もっと強くならなければ。
俺は、錆びた剣の柄を、これまでで一番強く握りしめた。




