第76話「温かい食事と戸惑いの夜」
コン、コン。控えめなノックの音で、俺は目を覚ました。
いつの間にか、ぐっすりと眠ってしまっていたらしい。身体の節々の痛みが、だいぶ和らいでいる。
「……ミナトさん? 起きてる?」
ドアの向こうから、リリアの心配そうな声がした。
「ああ、今起きる!」
俺は、慌ててベッドから起き上がり、ドアを開けた。
「よかった。あまりに静かだから、どこか具合でも悪いのかと思って」
「いや、すまん。ベッドが気持ち良すぎて、つい……」
俺が頭を掻くと、リリアはくすくすと笑った。
「ふふっ。わかるよ。私も、こんなに落ち着ける場所、久しぶりだから。……あ、食事の準備ができたって。彼女が呼んでたよ」
「そっか。腹減ったな」
二人で部屋を出ると、すでにグレイも起きていて、リビングのような広い部屋で腕を組んで待っていた。
テーブルの上には、湯気の立つシチューと、焼きたてのパン、そして、彩り豊かなサラダが並んでいた。ダンジョンの中で食べていた干し肉とは、天と地ほどの差だ。
「すごい……。全部、あんたが作ったのか?」
俺が尋ねると、キッチンから顔を出した黒髪の少女は、にこりと微笑んだ。
「ええ。口に合うといいんだけど。さあ、冷めないうちに、たくさん食べて」
俺たちは、無我夢中で食事をかきこんだ。
野菜の甘みが溶け込んだシチュー。外はカリカリで、中はふっくらとしたパン。
どれも、信じられないくらい美味かった。
「……美味い」
グレイが、ぼそりと呟いた。彼が、食べ物を素直に褒めるのを、俺は初めて聞いた。
「本当? よかったわ」
少女は、心から嬉しそうに笑った。その笑顔には、玉座で俺たちを見下していた少女の面影は、どこにもなかった。
「なあ」
食事を終え、ハーブティーを飲みながら、俺は少女に尋ねた。
「あんたは、ずっと、この村にいるのか?」
「ええ。まあ、研究のために、時々、遠くまで旅に出ることもあるけど。ここが、私の家だから」
「研究って……。あの、世界の理がどうとかいうやつか?」
「そうよ」
少女の瞳が、途端に、きらきらとした好奇心の光を宿した。
「例えば、魔法って、どうして発動すると思う? 祈りや詠唱が、どうして、世界に影響を与えるのか。不思議だと思わない?」
「いや、俺は、そういう難しいことは……」
「私は、それを解き明かしたいの。この世界の、全ての法則を、この手で理解したい。それが、私の夢なのよ」
夢を語る彼女の横顔は、あまりに純粋で、そして、力強かった。
俺は、彼女が、あの「監視者」とは、全くの別人なのだと、改めて思わざるを得なかった。
その夜、俺は、言われた通りに風呂にも入った。
石造りの清潔な風呂。久しぶりに湯船に浸かり、身体の芯から疲れが溶けていくのを感じる。
自分の部屋に戻り、清潔なシーツのベッドに潜り込む。
温かい食事。優しい少女。平和な村。まるで、嵐の前の束の間の休息のようだ。
だが、俺の心の片隅では、拭いきれない疑念が、まだ渦巻いていた。
彼女は、なぜ、俺がこの世界の人間ではないとわかったのか。そして、なぜ、彼女の顔は、あの少女と瓜二つなのか。
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は、深い眠りへと落ちていった。
2026/1/7から2026/1/20の間は、更新をお休みとさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。




