第73話「記憶の回廊と聞こえない名前」
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闘技場に現れた新たな螺旋階段。その先にある底知れない闇。
俺たちは、「監視者」の少女が残した嘲笑うかのような沈黙の中、覚悟を決めて、その階段へと足を踏み入れた。
「……気をつけろ。ここから先は、これまで以上に、何が起こるかわからん」
先頭を行くグレイが、低い声で警告する。
「ああ」
「うん……」
俺とリリアも、それぞれの武器を強く握りしめ、緊張と共にその後に続いた。
階段は、ひたすら下へ、下へと続いていた。
闘技場の澱んだ空気とは違う、どこか澄んでいるのに、なぜか胸が締め付けられるような、不思議な空気が漂っている。
どれくらい下っただろうか。
やがて、俺たちの目の前に、通路の終わりが見えてきた。
そこは、行き止まりではなかった。目の前に広がっていたのは、まるで、磨き上げられた鏡でできたかのような、無限に続く回廊だった。
「なんだ……ここは……?」
壁も、床も、天井も、全てが鏡。俺たちの姿が、幾重にも、幾重にも、無限に反射している。
「気持ち悪い場所だな……」
グレイが、吐き捨てるように言う。
「ミナトさん、見て!」
リリアが、指さした。俺たちの姿を映す鏡の中に、俺たちではない別の映像が、ふっと浮かび上がっては、消えていく。
それは、まるで、誰かの記憶の断片のようだった。
見たこともない緑豊かな村の風景。本で埋め尽くされた薄暗い研究室。
そして、その中心には、いつも、一人の少女の姿があった。
肩にかかるくらいの美しい黒髪。サイドの髪は、星をかたどった銀の髪飾りで留められている。
服装は、動きやすそうな深いネイビーブルーのローブ。
そして、何よりも、その姿は俺たちが知るあの「監視者」の少女に、驚くほどよく似ていた。だが、決定的に違う。
鏡の中の少女は、笑い、悩み、怒り、そして、頬を赤らめていた。俺たちが知るあの感情の読めない人形のような少女とは、全くの別人だった。
「……あの女、か……?」
俺は、信じられない思いで、その光景を見つめた。
「でも、違う……。服装も、雰囲気も、全然違う……。それに、あんな風に、笑うなんて……」
「わからない……。でも……」
リリアが、鏡の中の少女の姿を、食い入るように見つめている。
「なんだか……懐かしい、感じがする……」
「リリア……?」
その時、鏡の中の光景が、ひときわ大きく、そして鮮明になった。
そこは、夜空の下。満天の星が、まるで宝石を撒き散らしたように輝いている。
少女は、仲間の一人らしき青年に、興奮した様子で語りかけていた。
「見て! あの星の並び、古代魔法陣の構成と、全く同じだと思わない? もしかしたら、星の運行そのものが、巨大な魔法なのかもしれない!」
「ははっ、お前の言うことは、いつも難しいな、――」
青年が、彼女の名前を呼んだ。
だが、その音は、まるで水の中に落とした石のように、俺たちの耳には、くぐもって、はっきりと聞き取ることができなかった。
「……今、なんて……」
俺が聞き返そうとしたその瞬間。
鏡の中の少女が、ふっと、こちらを向いた。俺たちと目が合った。
「え……?」
あり得ない。これは、過去の記憶のはずだ。俺たちのことなど、見えるはずがない。
だが、少女は、確かに、俺たちを見て、驚いたように、少しだけ目を見開いた。
そして、次の瞬間、俺たちの身体は、まるで強力な磁石に引き寄せられるように、鏡の中へと、吸い込まれていった。
「うわあああっ!」
「きゃあっ!」
「なっ……!?」
悲鳴を上げる暇もなかった。視界が、真っ白な光に包まれる。
次に俺が目を開けた時、目の前に広がっていたのは、先ほどまで鏡の中に見ていたあの満天の星空だった。
ひんやりとした夜風が、頬を撫でる。地面の草の匂いがする。
俺たちは、ただの傍観者ではなかった。あの名前の聞こえない少女の記憶の中に入り込んでしまっていたのだ。




