第65話「再び試練の道へ」
夜明け前の誓いを胸に、俺たちは旅立ちの準備を整え、アビスの入り口に立った。
街の喧騒は、まだ遠い。ひんやりとした空気が、これから始まる戦いの厳しさを、改めて俺たちに告げているようだった。
「なあ、グレイ」
ダンジョンへと足を踏み入れる直前、俺は、ずっと心の中にあった疑問を口にした。
「なんだ」
「あんたも、リリアも、A級冒険者だ。そして、ギルドマスターは、俺のことも特例でA級にしてくれた。だったら、俺たち、S級冒険者を目指すべきじゃないのか? A級の実力が最低条件なら、S級になれば、もっと楽に……」
俺の素朴な疑問に、グレイは、ふっと息を漏らした。
「ミナト。お前、S級冒険者が、どういう存在か知ってるか?」
「え? A級の、さらに上の、一番すごい奴らだろ?」
「まあ、間違いじゃねえがな」
グレイは、『アビス』の深い闇を見つめながら言った。
「このアークライトに、今、S級冒険者が何人いると思う?」
「さあ……。十人くらいか?」
「一人だ」
「……え?」
「たった一人だ。それも、十年以上前にS級に昇格して以来、ほとんどギルドに顔も見せねえ、半ば伝説みてえな爺さんだけだ」
グレイは、こちらに向き直った。
「S級ってのは、ただ強いだけじゃなれねえ。国を一つ救うとか、天変地異を鎮めるとか、そういう伝説級の功績を打ち立てて、初めてギルドの上層部が審議にかけるようなおとぎ話の領域なんだよ」
「伝説級の……」
「そうだ。俺たちが今からS級を目指すなんてのは、途方もない時間の無駄だ。それに、そんなことをしなくても、A級の実力があれば、アビスの深層に挑む資格は、十分にある」
グレイの言葉は、俺の甘い考えを、容赦なく打ち砕いた。
「俺たちの目的は、S級になることじゃねえ。アビスの最深部に辿り着き、あのクソったれな『監視者』に、落とし前をつけさせることだ。道を間違えるな」
「……ああ。わかった」
俺は、自分の未熟さを恥じながら、強く頷いた。
「よし、話は終わりだ。行くぞ」
グレイを先頭に、俺たちは再び、ダンジョンの内部へと進んでいく。
以前、『監視者』が示してくれた出口から、俺たちは直接、あの『星降りの洞窟』へと続く道へとたどり着いた。
「……ここか」
目の前に広がるのは、天井から垂れ下がる無数の鍾乳石が、青白い光を放つ、幻想的な光景。
だが、もう、その美しさに心を奪われる者はいない。 ここは、俺が『自分自身』と死闘を繰り広げた、試練の舞台だ。
「ミナトさん、大丈夫……?」
リリアが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「ああ。もう、迷いはないさ」
俺は、『星詠み』の柄を握りしめた。
俺たちは、洞窟の奥へと、慎重に足を進める。
『影のミナト』が消え去った場所には、もう何もなかった。ただ、静寂だけが、この美しい洞窟を満たしている。
やがて、俺たちの前に、一つの巨大な空洞が現れた。
洞窟の一番奥。そこには、これまで俺たちが進んできた道とは明らかに違う、下へ、下へと続く、巨大な螺旋階段があった。
階段は、まるでアビスの本当の深淵へと誘うかのように、暗く、冷たい口を開けて、俺たちを待っていた。
「……ここが、あの女の言ってた、次の道か」
グレイが、階段の先にある、底知れない闇を睨みつけながら言った。
ここから先は、もう、ギルドの地図も、これまでの常識も、一切通用しない。本当の意味での、未知の領域。
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、仲間たちの顔を見た。
二人もまた、同じように、覚悟を決めた目で、螺旋階段を見つめていた。




