第62話「A級の訓練と書庫への道」
A級冒険者になったからといって、俺の日常が劇的に変わることはなかった。
いや、むしろ、以前よりも過酷になったと言うべきだろう。
「遅い! その程度の間合いの詰め方で、俺の懐に入れるとでも思ったか!」
宿屋の中庭で、グレイの怒号が飛ぶ。
俺は、彼の振るう木剣を『星詠み』で受け止めながら、必死で食らいついていた。
「くそっ……!」
「口を動かす前に、足を動かせ! A級冒険者が、聞いて呆れるぜ!」
グレイの煽り文句は、以前にも増して辛辣になっていた。
それは、俺をもう「守るべきひよっこ」ではなく、「対等なライバル」として認め始めた証拠なのかもしれない。
「ミナトさん、頑張って!」
「聖なる光よ、彼の者を挫け!」
中庭の隅では、リリアも攻撃魔法の訓練を続けている。
彼女の放つ光の矢は、今や的の樽を、容易く貫通するほどの威力を持つようになっていた。
訓練が終わると、俺たちは三人でギルドの書庫へと向かうのが日課になった。
A級冒険者以上だけが立ち入りを許されるその場所は、ギルドの地下深くにあり、ひんやりとした空気と、古い紙の匂いに満ちていた。
「うわ……。すごい数の本だな」
壁一面を埋め尽くす書架に、俺は圧倒される。
「アークライト創設からの、全ての記録がここにある。『アビス』に関するものだけでも、数千冊は下らん」
グレイは、慣れた様子で書架の間を進んでいく。
「俺は、過去の深層到達者の記録を当たる。リリアは、古い時代の伝承や、治癒魔法に関する古文書を調べてくれ。もしかしたら、お前の故郷の村の病に関する記述があるかもしれん」
「うん、わかった!」
「ミナト。お前は、『転移者』や『異世界』に関する記述があるものを、片っ端から探せ。どんな些細なことでもいい。手がかりになるかもしれん」
「ああ、任せとけ」
俺たちは、三手に分かれて、膨大な書物の中に身を投じた。
だが、成果は芳しくなかった。
「ダメだ……。『転移者』なんて言葉、どこにも載ってないぞ」
数日後、俺は分厚い本を閉じて、ため息をついた。
「こっちもよ。銀髪の少女を探している、なんていう都合のいい話は見つからないわ」
カウンターで、情報屋のラナも肩をすくめた。俺たちは、彼女にも調査を依頼していたのだ。
「ただ……」
ラナは、意味ありげに言葉を続ける。
「ここ数十年で、アビスの深層で消息を絶ったA級冒訪者のリストなら、手に入ったわ。その中に、あんたの探してる『誰か』さんが、いるかもしれないわね」
ラナが差し出した羊皮紙のリストを、リリアは震える手で受け取った。
「グレイさんも、あまり成果はなかったみたいだね」
宿屋に戻る道すがら、リリアが心配そうに言う。
「ああ。だが、一つだけ、気になる記述を見つけた」
グレイは、足を止めて言った。
「古い時代の文献に、こうあった。『アビスは、世界の涙を啜る。そして、涙が満ちる時、新たな星が生まれる。』……と」
「世界の涙……? 新たな星……?」
「意味は、わからん。だが、俺たちが戦ったあの星空の空間と、何か関係があるのかもしれん」
俺たちは、また新たな謎に突き当たっていた。だが、不思議と、焦りはなかった。
A級になったから? 訓練で、少しは強くなったから?
違う。
隣で、同じように首を傾げている仲間がいる。一人で抱え込む必要はない。
そう思えるだけで、どんなに分厚い壁も、乗り越えられるような気がした。




