第60話「報告と秘密の昇格」
『影のミナト』が完全に消え去った後も、俺たちはしばらくその場で動けずにいた。
「……ミナト」
グレイが、俺の肩を叩いた。
「立てるか。行くぞ」
「行くって……どこへ?」
「決まってるだろ。地上だ。一度、街に戻って体勢を立て直す」
グレイの言葉に、俺は驚いた。
「でも、あの女は、この先に道があるって……」
「あの女の言う通りに、馬鹿正直に進んでやる義理はねえよ」
グレイは、吐き捨てるように言った。
「今の俺たちは、満身創痍だ。このまま進んでも、次の試練とやらで殺されるのが落ちだ。それに……」
グレイは、俺とリリアの顔を交互に見た。
「お前たちには、休息が必要だ。身体も、そして、心もな」
その時、洞窟の入り口――俺たちがやってきた水底の階段とは反対の方向――に、ぼんやりとした光が灯った。それは、まるで出口を示すかのように、俺たちを誘っている。
『あら、帰ってしまうの? つまらないわね』
監視者の少女の声が、頭の中に響く。
『でも、いいでしょう。少しは、猶予をあげる。せいぜい、最後の安らぎを味わってくるがいいわ』
その言葉を最後に、少女の声は途絶えた。
「……ご丁寧なこった」
グレイは悪態をつきながらも、その光が示す方向へと歩き出した。
俺とリリアも、黙ってその後に続く。
光の先は、驚くほど短い通路になっており、その向こう側は、見覚えのある『アビス』第一階層の光景が広がっていた。まるで、何事もなかったかのように。
「……戻って、きたのか」
「ああ。どうやら、本当に見逃してくれたらしいな」
俺たちは、『アビス』の入り口から、久しぶりにアークライトの街並みを見下ろした。
「なあ、グレイ。ギルドに、寄ってもいいか?」
俺は、懐から地図の入った羊皮紙の筒を取り出した。
「依頼の、報告をしたい」
「……フン。律儀なこったな」
グレイは呆れたように言ったが、止めはしなかった。
ギルドに足を踏み入れると、昼間の喧騒が俺たちを迎えた。
俺は、まっすぐにギルドマスターのカウンターへと向かう。
「よう、坊主。ずいぶんとまあ、ボロボロじゃないか。で、依頼の方はどうだったんだい?」
ギルドマスターは、俺たちの姿を見て、ニヤリと笑った。
「ああ。これが、報告書だ」
俺は、震える手で、完成させた地図をカウンターの上に広げた。
そこには、俺たちが迷い込んだ地下水路や、『星降りの洞窟』への入り口までが、克明に記されている。
ギルドマスターは、その地図を一目見て、目を見開いた。
「……おいおい、冗談だろ。第一階層に、こんな場所があったなんて……。あんたたち、一体どこまで……」
彼女は、驚愕の表情で俺とグレイの顔を見比べた。
「……坊主。ちょっと、奥に来な」
ギルドマスターは、声を潜めて俺を手招きした。
俺は、グレイとリリアに目配せをし、一人でギルドの奥にある小さな部屋へと通された。
「単刀直入に言うよ」
部屋に入るなり、ギルドマスターは真剣な表情で言った。
「あんたが提出したこの地図は、ただのE級依頼の報告書じゃ済まされない。これは、『アビス』の構造に関わる大発見だ。そして、それを成し遂げたあんたを、これ以上、ただのE級のひよっことして扱っておくわけにはいかない」
「……どういうことだ?」
「特例措置だ。ギルドの上層部と私の一存で、あんたの冒険者ランクを、特別に昇格させる」
ギルドマスターは、一枚の新しい金属プレートを取り出した。
それは、白金のように、眩い光を放っていた。
「本日付けで、ミナト。あんたを、A級冒険者として認定する」
「A級……!? 俺が!?」
あまりに唐突な言葉に、俺は自分の耳を疑った。
「ああ。ただし、これは秘密裏の昇格だ。表向き、あんたは、地道に依頼をこなしてランクを上げたことにする。急激なランクアップは、余計な憶測と嫉妬を生むからね」
「なんで、そこまで……」
「あんたが持つ『星詠み』、そして、あんた自身が、このアークライト、いや、この世界にとって、無視できない存在になりつつあるからさ」
ギルドマスターは、俺の目をまっすぐに見据えた。
「期待してるよ、A級冒険者ミナト。あんたが、このアビスにどんな嵐を巻き起こすのか……ギルドの記録から、楽しませてもらうさ」
俺は、手渡されたA級のプレートを、ただ呆然と握りしめることしかできなかった。
それは、俺が目標としていた称号。だが、あまりに唐突に、そして、あまりに重い意味を持って、俺の手に渡されたのだった。




